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ブックマーク / cruel.org (3)

  • GDP というものの考え方について

    GDP というものの考え方について 山形浩生 (2008-08-30) 追記を先に (2008-09-03) 稲葉大人がいろいろコメントをしているんだが、ぼくは実務屋なので、話をでかくしたほうが市が栄えていい的な学者的発想には与しないのだ。ぼくの議論がパーフィットの議論と似ている――それはつまりワタクシがパーフィット並にえらいということでしょうか? えへへ、照れるぜ。でも、パーフィットの名前を出すことで議論に資する部分はまったくないと思うの。技術論で片付くことは技術論で片付けるべきだと思う。その意味で、下の文の後半で話をでかいほうに持って行ったのは失敗だったかもしれない。ぼくは 1970 年と 2008 年のGDP をそのまま比べることには十分意味があると言うのが主眼だ。そしてそれがもじもじの目的に合わないからといって、GDP 概念やその比較を否定するのは愚かなことでだよ、と言うことが理

    mojimoji
    mojimoji 2008/09/01
    おお、わざわざ取り上げていただいた。感謝感謝。「その理想的な状態に基づいた GDP は(当然ながら理想的な状態なので)実際のGDPより高くなるはずだ」は全然ちがう。GDP指標では比較できない、ってだけですよ。
  • YAMAGATA Dojo No. 11-15

    山形道場 by 山形浩生(#11-15) 連載第 10 回 今月の喝!「いながらにして……part1」 だれか「いながらにして……」というやつの心理学的な根拠を教えてくれないだろうか。なぜ人は「いながらにしてXXできる」という話に魅力をおぼえるのだろうか。 かつてカタログ通販は、「ご家庭にいながらにして何でも買える」をうたい、それを受けて店舗販売の終焉(あるいはそこまでいかなくても、大幅縮小)を予言した人々がいた。もちろんご承知のように、そんなことは起きなかった。店舗の立地や業態を変えたのは、もっと別の要因である。 テレホンショッピングでもそうだし、最近のエレクトロニック・コマース(EC)の話でも、似たような議論はほうぼうで散見される。立場上だれとは言えないのだけれど、一方で「ECが流通に革命を起こす!」といいつつ、一方で通販が商業の主流ではないことを指摘されると「量的にはともかく質的には

    mojimoji
    mojimoji 2008/06/27
    「情報テクノロジーも所得や階級の平準化をもたらすであろう、ということ」⇔クルーグマン「中産階級は経済が成長するにつれて自然発生的に誕生するのではなく、政治によって「つくられなくてはならない」」(p.25)
  • Krugman: Baby Sitting the Economy: 経済を子守りしてみると。

    20年前に、ぼくはあるお話を読んで人生が一変した。いまもよくこのお話を思い出す。危機に直面しても、このお話のおかげで落ち着いていられるし、陰気な停滞期にも希望を失わずにいられるし、そしてすべては運命だとあきらめたり、悲観的になったりする誘惑にもうち勝てる。アジアの悲惨な状況が世界経済全体を脅かそうとしているこの陰気な時代に、この霊感的なお話の教訓の重要性は、これまでになく高まっている。 このお話は、「金融理論とキャピトルヒル子守協同組合の大危機」という論文に述べられている。これは 1978年に、Joan & Richard Sweeneyが Journal of Money, Credit, and Banking に発表した論文だ。このお話については、すでに拙著二冊、Peddling Prosperity (邦訳「経済政策を売り歩く人々」日経済新聞社)と The Accidental

    mojimoji
    mojimoji 2005/09/09
    不況のメカニズムの本質をつく名文。
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