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ブックマーク / sugitasyunsuke.hatenablog.com (5)

  • 堀田義太郎「ケアと市場」 - sugitasyunsukeの日記

    ◆堀田義太郎[200803]「ケアと市場」、→『現代思想』2008年3月号、青土社 を読みました。 『生の技法』以降の社会学+障害学の介助システム論の達成を踏まえ、かつ、介護労働市場をめぐる実証経済的分析をも取り入れようとし、一段階ギアチェンジした総合的な介助システム論の構築を目指している感じ。 とても学ぶものが多かった。 経済学方面からの批判は様々にあるだろうし、まだ荒削りな部分も多いけど、実際に介助をやっている堀田さんならではのデリケートな諸論点を随所に取り込み、これから全面的に展開されるだろう多様なポテンシャルが濃縮されている。 そしてただの「よくお勉強しましたね」という程度の「研究」でないことは、次の結語からもわかる。「放棄すべき「恩恵」とは、分担できるのに《せずに済んでいる》ことそれ自体である」「その条件は、まずは自らがそれを担うことである」「そして、これらの問いはその性質上、各

    堀田義太郎「ケアと市場」 - sugitasyunsukeの日記
    mojimoji
    mojimoji 2008/03/09
    「マルクスだって」以下のくだりは、よく言われるよね。けど、それなら「経済学を学んだ者が、介護の現場の問題について勉強して発言」したっていいわけで。こういう言い方は、いつも片務的な言い方がなされる。
  • 重度訪問介護の問題ほか - sugitasyunsukeの日記

    mojimoji
    mojimoji 2006/09/28
    介護労働ほど侮辱されつづける労働形態も他に少ないよね。もうなんと言ったらいいのか。
  • 研究集会<死の法> - sugitasyunsukeの日記

    研究集会<死の法>(http://www.arsvi.com/0p/et-20063.htm)をききに行った*1。 安楽死・尊厳死に関しては考えなきゃいけないこと、考える前に知らなきゃいけないことが、あまりにもたくさんある。 今後色々調べるし、色々考える。それで「よい死!研究会」(http://www.arsvi.com/0a/y01.htm)のMLにも、参加させてもらった。 その前に、会場で皆さんの話をききながらぼんやり考えたことを、まずはノートとしてまとめる。そこから始める。 川崎市には入所施設が極端に少ない。特に重症心身障害児者の入所施設は、長い間、一箇所もなかった。昨年ようやく重症児施設ソレイユ川崎が細山に出来た(が、自立支援法成立と児童福祉法の改正に伴い、重症児の位置づけは変わる――どう変わるかはよくわからない)。その分、というか、川崎市では、重症児の在宅生活とサポート体制が良く

    研究集会<死の法> - sugitasyunsukeの日記
  • 小泉義之「無力な者に(代わって)訴える」(『別冊情況』2005年9月「レーニン〈再見〉」) - sugitasyunsukeの日記

    すごい。哲学はこうでなくちゃ。読んでみて下さい。 天皇主権も国民主権も根は同じであり、「憲法」の存在自体に無能力(disability)への排除がある、と明晰に書く。13条(幸福追求権)や25条(生存権)だろうと同じであり、それは無能力者を排除し、「国民」やら「市民」の権利のみを書き込む。 同じ理由から、人間の初期状態に都合よく一定の能力を持った「人間」を設定し、そこからあれこれ瑣末な議論を展開する社会契約論も、無能力者の生存のためにはまるで役に立たない、とする。良心の痛みを緩和するためか、せいぜい保険理論や道徳理論で、無能力者への「慈善」を補完的に導入する程度だ。 ぼくも社会契約論には、その議論の前提にも議論の手続きにもうまく「入る」ことが出来ないし、素朴だが根の深い違和感を何度か述べたが、その違和感が、憲法(の条件)への批判、市民概念(の条件)への批判までは突き抜けていなかったし、今も

    小泉義之「無力な者に(代わって)訴える」(『別冊情況』2005年9月「レーニン〈再見〉」) - sugitasyunsukeの日記
    mojimoji
    mojimoji 2005/11/24
    小泉義之の論文のレビュー。論文は要複写。
  • 稲葉振一郎『「資本」論』 - 2005-09-23 - いちヘルパーの小規模な日常

    上のテーゼのあとは当面新しいエントリーはしない予定だったが、あるゆるしがたさを覚えたので、少し前口上を書く。テーゼの初志ともつながると思われた*1。 「資」論―取引する身体/取引される身体 (ちくま新書) 作者: 稲葉振一郎出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2005/09/06メディア: 新書購入: 5人 クリック: 50回この商品を含むブログ (100件) を見る こういう一見小利口なが一番くだらない、と改めて痛感した。人が自覚するように、稲葉氏は強固な自由主義者(リバタリアン)ですらなく、せいぜいが微温的な新自由主義者(ネオリベラリスト)の一匹に過ぎない。不安と罪責感でいっぱいの都市型保守心性の持ち主どもが、気休めと現状の正当化に読むには最適だろうが、書物のみを大量に並べて何かがわかったつもりになる論調は――人がいかにも80年代チックな「あえて」「虚構として」を気取ろうが―

    稲葉振一郎『「資本」論』 - 2005-09-23 - いちヘルパーの小規模な日常
    mojimoji
    mojimoji 2005/09/25
    稲葉振一郎『「資本」論』への批判。
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