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コンテンツに関するmorutanのブックマーク (47)

  • コンテンツプラットホームの未来 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    今後のコンテンツプラットホームはコンテンツと融合する 以上、結論。おわり……でもいいんだけど、もうちょっとだけ(実際はかなり)補足する。 ちなみに、このエントリは、ぼくの一連のコンテンツプラットホームに関するエントリで、文句とか批判ばっかりいっていないでどうすべきか書きやがれと、来であれば相手する必要のない定番の文句をたれるひとたちへの解答でもある。 それは、およそあらゆる種類のプラットホームは色がつく方向に進化する、という話だ。 これは通常、IT業界でよく聞く定石とは逆の話だ。プラットホームを提供するプレイヤーは通常は対象となるユーザをすべて囲い込むために中立の立場をとったほうがいいといわれる。プラットホームには色がつかないほうがいいとされているのだ。 実際にCGM/UGC系のサービスの多くで運営側が「われわれはユーザのみなさんが自由につかっていただけるように場を提供することに徹します

    コンテンツプラットホームの未来 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
  • Passion For The Future: 日本映画のヒット力 なぜ日本映画は儲かるようになったか

    映画のヒット力 なぜ日映画は儲かるようになったか スポンサード リンク ・日映画のヒット力 日映画が復活した。2006年に21年ぶりに邦画が洋画の興行収入シェアを上回り、2007年には興行収入10億円以上の作品が東方13、松竹5あって、それぞれ前年度を上回っている。ジブリのアニメ作品やテレビドラマとの連動作品などの大ヒットは往年の映画ブーム時の記録を次々に塗り替えている。このは著名な映画ジャーナリストが、映画の内容には敢えて立ち入らず、興行成績でヒットをはかり、なぜ日映画は近年、再び儲かるようになったのかを分析している。 テーマは、 ・かつて日映画がダメだった理由 ・情報戦が日映画を生き返らせた ・テレビ局は日映画の救世主か ・東宝株式会社・映画調整部の力 ・スター・プロダクションが映画ビジネスに参入・・・・ など。 映画の宣伝と言うとかつてはどれだけテレビスポット

  • 第48回:コンテンツ産業の真の敵 - 無名の一知財政策ウォッチャーの独言

    今回は、産業論よりの話をしてみたい。(文化と産業は盾の両面であり完全に切り離すことはできないが、それぞれ異なる側面であることを忘れてはならない。しかし、大体どこでも文化論と産業論がごっちゃにされ、さらに議論の混乱に拍車をかけているのは実に残念である。) インターネットにおける無許諾コピーによる途方もない被害がコンテンツ産業にとっての敵であり、この敵さえ撲滅すれば皆にとってバラ色の未来が開けるとする意見もある。 しかし、映像であれ、音楽であれ、ゲームであれ、あらゆるコンテンツの情報化が進み、インターネットの普及も爆発的に進んでいる中、そこでの無許諾コピーを、有体物の流通コストをともなう現実のコピーと同一視して、被害額を計算したら途方もない額となるのは当たり前の話であり、基的にこのような被害額計算は全てナンセンスである。(真面目に取り合う気すら起きないが、著作権団体などが次々と出してくる報告

    第48回:コンテンツ産業の真の敵 - 無名の一知財政策ウォッチャーの独言
    morutan
    morutan 2008/01/17
    業界が旧いビジネスモデルに囚われすぎて若者層(そしてコミュニケーションの場)を切り捨てようとしているのではないか、と。
  • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

    morutan
    morutan 2008/01/15
    『セル盤をレンタル盤として使っているというお店の話もちらほら聞く。・・中小のお店には少なからず存在しているだろう』『小規模店はレンタルで行くならアダルトの充実しか残ってない。あるいはアダルト専門店にな
  • m_um_u めどさんのこのエントリ見ながらなんかてけとーなこと言いたくなったのでメモ的に。論旨としては「(道徳とかなんやらみたいななんかわかんない指標ではなく)強度を中心にスーパーフラット化」って話だと思う。 http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/12/post_581.html m_um_u んで、「強度」ってのはartの文脈でいう「気持ち悪くて目が離せないものも芸術」ってやつ。「内容(論理)ではなく強度」ってのはデータベース消費におけるコンテ

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    morutan 2008/01/03
    「コンテンツ」は終焉しない。新しいメディアモードはそれを含んで興隆していくだろう、って話 | 関連:http://d.hatena.ne.jp/rmxtori/20071230/p1
  • 「終わりの始まり」―― 音楽業界の2007年と2008年 - くだらない踊り方

    忘年会で何キロ太っただろう。焼酎のビンはしばらく見たくない。 とにかくいくつもの忘年会でいろんな音楽業界の人間と話をしてきた。 流通、メジャー、インディー、マネージメント、小売、媒体など、それぞれポジションは違うが、みんな総じて「あきらめムード」である。 自嘲自虐なギャグもすべりぎみで、舐めあうには深すぎる傷を負っている。 2007年がどんな年だったか。音楽業界にとってはいよいよ冬の時代の格到来である。 一昨年より去年の方が悪く、去年より今年の方が明らかに悪い。 冬の時代の到来、なんて書くとそのうち春が来そうだが、実際はそんなことはないだろう。 たまたま日の陰った不況というよりは、もっと構造的な問題、質的な問題なような気がする。 だから当は「死期を悟った」とでも書いたほうがいいかもしれない。 あるいは「終わりの始まり」とでも。 忘年会も一段落し、時間もある。ちょうどいい機会だ。(感傷

    「終わりの始まり」―― 音楽業界の2007年と2008年 - くだらない踊り方
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    morutan 2008/01/02
    「コンテンツなどは関係性を築くためのツール」(中身は関係ない)という視点が新鮮というかそういうものなのだろうなぁと思った。自分はそういうところないのでなおさら
  • 疲労する自意識がたどり着くところ - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります コミュニケーションが可視化する強度の話。 コンテンツ購入に付属する「自閉するコミュニケーション」の販売。 疲労した人たちに「多様な平等視点」を提供するサービスについて。来年はやりそうなものの続き。 コミュニケーションは強度をあらわにする 「プロフェッショナル仕事の流儀」をよく見てる。 司会者である茂木健一郎が、相当残念。 昔は、茂木のことを神だと思ってた。 もろくに読んでなかったけれど、言葉一つで新しい世界を切り開いた凄い人。 もじゃもじゃ髪のアイコンと、すばらしい経歴と。 「きっとこの人の言葉はありがたいんだ」。信仰してた。 テレビ番組での露出が増えるほどに、神様の「普通の人」っぷりが際立って、 最近はなんだか無残な気分。テレビメディアで

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    morutan 2007/12/31
    強度を指標にフラット化、と。強度=「気持ち悪くても目がそらせないものがArt」ってやつ。もしくはデータベース消費における文脈の自由解釈(萌え)っぽい。「おいしい画」ってやつ。最近この傾向が強くなったか?
  • Rauru Blog » Blog Archive » コンテンツの終焉

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    morutan
    morutan 2007/12/31
    前段の「コンテンツからライブ(生の体験)へ」はけっこう言われてる。(関連で「コンテンツからコミュニケーション」) 後段の所有欲については土地所有の起源あたりと絡めるとおもろいかも
  • Hollywood Reporter | Entertainment News

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    morutan 2007/12/20
    不景気による一時的な不払いだしネットは彼らにとってのholy grail(終の住処?)にはならんよ、と
  • FT.com / Home UK / UK - Hollywood warned 'writers will move online'

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    morutan 2007/12/20
    『The Writers Guild of America is warning media companies that striking film and television writers and their audiences will migrate to the Internet in the event of a prolonged strike: "The ability to explore this business without media conglomerates is becoming a real possibility."』
  • 世界中ではっぱ隊がブレイク中 / SHOOTIトピックス

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    morutan 2007/11/15
    はっぱ隊の普及過程っておもろいな。わらい的には内村が「内向・被り物・コント」志向だったのに対して南原は社会系わらいを志向していたところがある。んで、おわらい好き的には内村の評価が高いように思うけど・・
  • 駿台の模試が初音ミクが流行った理由について教えてくれた - Cheshire Life

    先日受けた「第4回 駿台校内テスト」の現代文の問題でオタクについての言及があった。 「シャア」や「綾波」などの言葉が随所にちりばめられているという、なかなか香ばしい文章であった。 まず今回の模試の内容は、東浩紀著の「ゲーム的リアリズムの誕生」からの出題だった。 ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書) 作者: 東浩紀出版社/メーカー: 講談社発売日: 2007/03/16メディア: 新書購入: 34人 クリック: 461回この商品を含むブログ (462件) を見るライトノベルを題材にポストモダン的な文学の現状を論じていて、ライトノベルの重要な特徴として「キャラの自律化」が物語に優先していることを筆者は主張していた。つまり、キャラクターは特定の作家や作品に帰属するのではなく、あらかじめ共有財として認識されており、物語ではなくキャラクターそのものが消費の対象になる

    駿台の模試が初音ミクが流行った理由について教えてくれた - Cheshire Life
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    morutan 2007/10/27
    「東浩紀はそこを2000年前に通り過ぎてるぜ?」、と。それはいいとしてキャラ立ち問題かぁ。それはそれでびみょーなんだよなぁ・・。(物語の解体と萌えによる自由解釈) キャラ化する日本 http://tinyurl.com/yrgezt
  • パチンコ業界という巨人の肩に乗るアニメ - オレンジ色の服

    情報元:かーずSPさん まず、版元と7号メーカーが契約する場合、数万台分の版権使用料を最低保障するのが通例(ちなみに、最低保障台数で一番凄いのが、アニメじゃないけど某韓国ドラマ。常識では考えられない契約金だったとか)。アニメの場合はおおよそ台あたり1k〜5k程度(大御所になればなるほど高いのは当たり前だけど、たまに勘違いしてふっかけてくる人がいる)なので、版権使用契約を結んだ時点で、アニメの版元には最低保障台数×1台当たりの版権料が行く。あとは、その台が売れれば売れるほど、メーカーも版元も儲かるっていう寸法。 版権使用を認めるだけで、これだけのお金が動くわけだから、版元が7号メーカーに売り込みに行くのもよく分かる。

    パチンコ業界という巨人の肩に乗るアニメ - オレンジ色の服
    morutan
    morutan 2007/10/16
    『アニメの場合はおおよそ台あたり1k~5k程度(大御所になればなるほど高いのは当たり前だけど、たまに勘違いしてふっかけてくる人がいる)』
  • パチンコ業界という巨人の肩に乗るアニメ - Obra de Sobra よしなしごと

    8月あたりから深夜アニメ番組内でよく見た劇場版『創聖のアクエリオン』のコマーシャル。 それほど話題にもなっていないテレビアニメの映画版をつくって、さらにこんなにCM売って黒字化なんて絶対ムリだろと思っていた。 その後、9月10月にアニメ以外の番組で流れているパチンコ版のCMを見て納得すると共に、あらためてアニメ業界の小ささ(パチンコ業界の大きさも)を実感した。 パチンコメーカーのアニメ製作参加 劇場版のアクエリオンの製作クレジットを見ると、「製作:Project AQUARION、SANKYO、SANKYOプランニング」となっていた。テレビ版の製作委員会にパチンコ台(?)の製造メーカーであるSANKYOが加わっている。 単に、ライセンスを提供するのではなく、SANKYOが劇場版の製作に参加することで、SANKYOの資力を使った大々的な宣伝が可能となったということのようだ。 パチンコ業界は

    パチンコ業界という巨人の肩に乗るアニメ - Obra de Sobra よしなしごと
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    morutan 2007/10/16
    『アニメ業界にとっては、30兆円といわれるパチンコ業界の資本力(ちなみにアニメ業界は2000億円程度、テレビですら2-3兆円程度)を活かし今まで不可能だった露出が可能となる。』
  • なぜ萌えを語るヲタはそっち方面の創作物の中でしか解釈しないのだろう? - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    と、煽動的なタイトルにしてもしょうがないのだが。まあ、ヲタの世界から見れば批判を受けるのは致し方ないですしね。言葉足らずで済みませんでした、とかしおらしいことを最初に書いておく。 http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20070928/p2 「切込隊長の「ツンデレって、ようは悪女」というのを見て「なんだこりゃ」と思います」というのは、ヲタから見れば間違いなく「なんだこりゃ」になると思います。ヲタが記号化した萌えの対象としての女性は、たぶんあまり存在しませんからね… 例示されてる悪女候補も何故だかルパン三世の峰不二子になってます。なんでだ。それも虚構なんですが… まあいいけど。 当然、ありふれた論拠として「女性経験が不足しているヲタが脳内補完した女性像の記号がツンデレに過ぎんわけだろ」というのを前回は例示したわけですけど、精神的現実なんてものは我々は常に直面しています

    なぜ萌えを語るヲタはそっち方面の創作物の中でしか解釈しないのだろう? - やまもといちろうBLOG(ブログ)
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    morutan 2007/09/28
    「日本のコンテンツは特殊だから海外じゃ通用しねぇべ」な話。「特殊=オタ」ってことだけど。「んじゃウチワで回す?」ってことで投資な話が出てくるけど・・むずそうだなぁ。。
  • 第12回 セカンドライフ考察編(7) :「いま・ここ性」の複製技術としてのニコニコ動画 | WIRED VISION

    第12回 セカンドライフ考察編(7) :「いま・ここ性」の複製技術としてのニコニコ動画 2007年8月16日 ITメディア コメント: トラックバック (1) ■12-1. 「いま・ここ性」の複製技術としてのニコニコ動画 前回・前々回を通じて、セカンドライフとニコニコ動画の比較分析を行ってきました。その分析結果とは、ひとことでいえば、セカンドライフは真性同期型アーキテクチャゆえに「閑散としている」ように見えやすい傾向にあり、その一方で、ニコニコ動画は擬似同期型アーキテクチャゆえに「活況を呈している」ように見えやすい、というものでした。おそらく2007年前半の(日における)ソーシャルメディアの光景は、「セカンドライフは閑散としている一方で、ニコニコ動画は活況を呈している」と記憶されることと思われますが、それは単に「セカンドライフはつまらない/ニコニコ動画は面白い(つまらないものを面白くでき

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    morutan 2007/08/16
    よく考察されてるなぁと思うけど、アウラの捉え方がちょっと一般的過ぎるかも。アウラは失われるからこそアウラでありありがたみがあるのかな、と。その意味ではやっぱliveとか生の体験にアウラが宿るのかなとか思う
  • 去りにし日々、今ひとたびの幻: [media]コンテンツは技術に規定される。ではこの先は?

    以前、ジャーナリスト森健さんとお話させていただいた際、「コンテンツは技術に規定される」というような言葉を教えてもらって、おお!と思った。 連続した技術変化に身を置いていると、なかなか気付かない。でも、文字を持たず口語伝承だった大昔から、象形文字を岩壁に刻んでいた時代、紙とペンが使用され始め、グーデンベルグが活版印刷を発明して、タイプライター、ワープロときていまパソコン、ケータイといった文脈(コンテキスト)でみると、なるほど口語伝承、象形文字で作成されるコンテンツと、タイプやワープロで作成されるそれ、ネットとつながったパソコンやケータイで作成されるそれというのはまるで違う。 12日の朝日新聞に「ケータイが変える 変わる-選択の時 メール感覚 小説『発信』 公開100万作品 続々書籍に」という記事があった。  ケータイ小説が花盛りで、大学ではレポートをケータイで作成する例もあるという。ええ!

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    morutan 2007/08/15
    それを「メディアはメッセージ」という。んで、エントリ主旨通り規定はするが拘束はしないわけで、その辺の機微がポイントか。あと情報の分散と力の分散。(cf.技術史観)
  • らきすたは「面白い」?「つまらない」?

    まずは結論から言おう。 らきすたは「面白く」もないし「つまらなく」もない。 アニメ版「らきすた」は作品ではなく、現象であるからだ。以下、「らきすた」という呼称はアニメ版のみを指す。 現象には内側に入り込むか、外側から眺めるかの二択しかない。 つまり参加することが面白いのであって、素材である「らきすた」そのものはどうでもいいのだ。 もちろんその素材足りうるいくつかの条件を「らきすた」は備えていた。 その条件は非常に流動的かつ偶発的であるため、マーケティング対象としては不適切である。 人為的な再現はほぼ無理だ。 らきすたの爆発的なブームは、最近巷でよく取り上げられる「祭り」の構造に近い。 作品としては典型的な「劣化あずまんが」以上のものではない。 それぞれのキャラクターの立ち位置もあずまんがのキャラクターとコンパチブルである場合も多い。 もちろん細部は違うから完全に互換だとは言えないまでも、か

    らきすたは「面白い」?「つまらない」?
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    morutan 2007/08/12
    ハルヒにしてもそうだけど、コンテンツそのものの面白さではない次元に移ってきているのか?(作品は作品ではなく素材、と。その意味では完パケではない)。つっても両方見ちゃいねぇが
  • 書評 - CONTENT'S FUTURE : 404 Blog Not Found

    2007年08月10日15:45 カテゴリ書評/画評/品評Media 書評 - CONTENT'S FUTURE これまた献御礼。 CONETNT'S FUTURE 小寺信良x津田大介 今年読んだ中で、最も濃くて熱い鼎談集。彼らほど、CONTENT'S FUTUREを真剣に考え抜いてきた二人を私は知らない。 それだけに、「メディア・イノベーションの衝撃」を読了した時と同じ「惜しい!」感を禁じ得なかった。 書「CONTENT'S FUTURE」は、小寺信良と津田大介が、コンテンツの今を担う9名の第一人者たちを一名づつ加えて行った鼎談集。その9名のリストは、以下のとおり。 土屋 敏男(第2日テレビ エグゼクティブ・ディレクター) 草場 大輔(東京MXテレビ 報道制作局ディレクター) 椎名 和夫(音楽家、実演家著作隣接権センター運営委員) 遠藤 靖幸(価格.com マーケティング部) 江渡

    書評 - CONTENT'S FUTURE : 404 Blog Not Found
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    morutan 2007/08/12
    『ニコニコ動画のMAD見てしまったら、この台詞はありえない』 | 「未来」な人へのインタビューではないのではないか?、と。その意味で津田さんの返答は少しずれてるように思う http://twitter.com/tsuda/statuses/198842262
  • マージナル・ソルジャーズ(4)−文学とブログの狭間 (セックスなんてくそくらえ)

    誰にでも開かれたネット空間=ブロゴスフィアは、あらゆる人間に書くという行為を可能にした。もちろん、それはあくまでインターネットへの接続を可能にする技術が存在している経済的に恵まれた国、言論の自由が保障されている国においてだけの話であることに留意しなければならないが、少なくともこの日語が解される島国においては万人に開かれたネットが実現しており、私たちにとって書くという行為はとても身近なものとなった。 ブロゴスフィアに散見されるのは、いわば剥き出しの生の条件とでもいうべきものである。ある者は別れた相手との確執を生々しく描き、ある者は抱いた女との苦々しい思い出について語り、ある者は自分の金儲けの方法について語り、またある者は自分が受けた虐待について赤裸々に語った。そこに書かれたことが嘘であるかどうかはどうでもいいことであり、見るべきなのは、現れた言葉の中に否応なく露呈されているこの世界の姿であ

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    morutan 2007/08/12
    『文学ではない、マージナルな言論空間でしかないブログ』 | あ、限界芸術だ。完成品ではないものとしてのblogの可能性