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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (201)

  • 普通の人が年齢とともに考えることはだいたい同じ: 極東ブログ

    世の中には一定数の割合で、他人の心が読めると思っている人々がいる。「お前がなに考えているかわかる」とか、「お前の心はこうだろ」とかいう人々もそのくち。 ネットにもけっこういる。いても別段不思議ではない。それだけは問題でもない。問題は、その人々が読んだと思っている他人の心とやらが、読まれたとされる側ではちっとも納得いかないことが多いことだ。普通なら、「おまえはこう思っているのだろ」と言うのに対して、「いや、そんなこと考えてないですよ」と言えば、それでちょっと考え直してもらえるものだが、この手の人々は、そういう返答を認めないのだ。というか、なにもかも抗弁というか、心が読まれた弁解とかにされちゃう。あー、なんなんだろこの手の人々。 とはいえ、普通に世の中を渡っていくには、ある程度、他人の心を読まなくてはならないものだ。むしろ、僕みたいに、他人の心というのがよく理解できなし、そもそも理解する気

  • バングラデシュのビル倒壊とグローバリゼーション: 極東ブログ

    先月24日、バングラデシュの首都ダッカの近郊で、縫製工場が入居する8階建てビルが倒壊し、そこで働いていた労働者を中心に多数の死者が出た。こうした事故では救助の限界から日を追うにつれて死者数が増える。7日までに2400人が救助されたものの、死者は900人を越えた(参照)。 ビル倒壊による事故は途上国ではそう珍しいことではない。韓国でも1995年6月29日、ソウル特別市瑞草区の三豊百貨店が突然倒壊し、死者502人を出したことがある。この事件でもビル建設の問題が指摘されたが、今回のバングラデシュのビル倒壊でも、現地では倒壊の危険がある程度予想されていたらしく、バングラデシュ警察は危険性を知りながら労務させた責任者を逮捕し、取り調べている。 この事件の報道が日に比べ、欧米で大きく取り上げられているのは、途上国にありがちな問題として矮小化されないからである。どのように問題となっているか。 なお、日

  • 番外編の番外編『さらば国分寺書店のオババ』: 極東ブログ

    先日cakesに椎名誠の『さらば国分寺書店のオババ』の書評を書いたが、当初の想定より長い文章になり、前編(参照)と後編(参照)に分けた。それでも当初の想定ではもう一つ個人的な思い入れがあり、それを番外編(参照)とした。 まあ、そこまで書けばいいではないか、それどころか、すでに余計なことを書きすぎではないか、とも思った。が、同書を読み返し、また同書が出版されたころを想い出し、またこの機にいろいろ調べたせいか、まだ少し思うことが残っている。些細なことなので、書くほどでもないが、書かずにいるとなんとなく心に沈んでくるので、そのあたりの残余みたいな話を、ちょっとブログに書いておきたくなった。 cakesの書評のほうでは、『さらば国分寺書店のオババ』というについて、冒頭、新潮文庫版を、その書影と合わせて掲げている。編集部への不満という意味は全然ないのでその点誤解されたくないが、原稿では新潮文庫版を

  • [書籍]本を書きました。『考える生き方』(finalvent著): 極東ブログ

    冗談みたいなんですが、ええと、を書きました。『考える生き方』(参照)。アマゾンを見ると、明後日、2月21日に発売となっています。 自分のところには数日前に見が来て、「ああ、になったんだ」と感慨深かったのだけど、いま発売日を確認したら、もう明後日なんだと驚いた次第です。 内容は、あれです、ネットで嫌われる「自分語り」というやつです。 なので、ネットでするのもなにかなとにした……というほどではないのですが、いろいろ考えたのですが、ネットで書くより、で書いたほうが読んでもらえるような気がしたというのはあります。 有料プラットフォームcakesで書いている「新しい古典を読む」の書評を続けていても思ったのだけど、cakesもネットではあるけど、有料なので読みたいという人が読むことになります。すると、読む人の数は減ってしまうし、簡単な一言コメントみたいなものも少なくなりますが、その分、深く読

    mshkh
    mshkh 2013/02/19
    待望の本ですね,必ず買います!
  • 不穏な中国の時代へ: 極東ブログ

    先日ニューヨークタイムズに、胡錦濤体制への批判と見てよいだろう温家宝の中国首相一族の資産リーク記事が上がった。また随分とえげつないことをするものだなと思った。胡錦濤・腹心の令計画の息子が女性二人を高級スポーツ車乗せて交通事故死した醜聞をネタに、令計画を中央弁公庁主任から降格した話も伝わってきた。政争の終盤に来て、これはだいぶ胡錦濤派が揺さぶられているな、と想像はしていた。が、中国共産党第十八回大会の映像の初っ端から江沢民(86)が現れ、その他ゾンビがゾロ並びの不穏な雲行きとなり、新体制の蓋が開くと想像以上にひどい顔ぶれだった。 不穏な事件を起こした薄熙来を江沢民派は長老ゾンビが庇うなか共青団が厳しく追究していたので共青団には勢いがあると見えていたものだ。ここまでひどいバックラッシュになるとは想像していなかった。これから不穏な中国の時代がやってくるだろうと観念した。 中国の指導部・政治局常務

  • ばか正直では首相は務まらない: 極東ブログ

    窮鼠を噛む。野田総理も追い詰められたら、戦中の大日帝国みたいに特攻隊突撃か。エコノミストが言うように(参照)、つまり、英語でいうところのカミカゼ(kamikaze)をやってしまった(参照)。 kam‧i‧ka‧ze [only before noun] 1 kamikaze pilot: a pilot who deliberately crashes his plane on enemy camps, ships etc knowing he will be killed 2 used to describe someone who is willing to take risks, without caring about their safety: kamikaze lorry drivers カミカゼ 1 カミカゼ飛行士:自殺になることを知りながら、敵陣や敵艦に入念に自分の飛行

  • 「夜と霧」の謎: 極東ブログ

    cakesに寄稿している書評でフランクルの「夜と霧」が今日、公開された(参照)。この機会に日語の旧訳の読み返しに加え、新訳と英訳(1984年版と2006年版)を読んでみたが、書評的な話以前に、日では書の書誌的な情報が少ないように思われたので、その部分の比重がやや多くなり、書の感動の核心がうまく表現できなかったかもしれないとも懸念した。が、感動の前提としての正確な読みにはやはり書誌的な情報は必要かと思い直した。新しく読む人や学生にも書誌的な情報は有益でもあるだろうし。 それはそれとして、二点気になる、いわば「夜と霧」の謎が心に残り、これをcakesの書評に含めるかはかなり悩んだ。結果、最小限の指摘に留めた。そこに拘ると、不確かな思い込みでバランスが悪くなるように思えたからだ。 そんなわけでこの話は書かなくてもよいことなのだが、ブログのほうでは簡単に触れておこう。「夜と霧」の紹介につ

  • 第三の新人が日本の実存主義だった: 極東ブログ

    第二次世界大戦とはなんだかったか。一概には言えないが、大きく見れば世界思想の水準における社会主義終焉の明確な始まりだった。 この社会主義には二系統ある。一つはソ連型の社会主義、つまりアジア型ナショナリズムにルサンチマンが結合した独裁主義である。これが純化されてアジアにも影響した。 もう一つは、近代福祉型ナショナリズムにルサンチマンが結合した独裁主義、つまり国家社会主義(ナチズム)である。これは第二世界大戦においてほぼ終焉への道筋が敷かれたかに見えた。 欧米の実存主義は、こうした第二次世界大戦後の、社会主義に対する対抗や反抗のあり方として現れた。実存主義は、社会の義よりも個人の自由が義となる世界思想として重視されたのである。 顧みると、そもそも19世紀以降社会主義が台頭したのは、近代人=市民の終わりを止揚的に継承したものである。市民は社会に統合されることで、生と世界が実現するかのような情念を

  • 中国経済は破綻するか: 極東ブログ

    中国が抱える問題は各種存在するが、中央政府にとって大きな課題になっているのは経済問題である。その現状をどう見るかについて「ディプロマット」に10日、簡素なまとめ記事があったのでそれを紹介し、そこから気楽な印象を述べてみたい。気になるかたや、そんなことがあるのかと疑問に思うかたは、リンクを辿って原文を読むといいだろう。 該当記事は「中国の銀行は債務の超大型爆弾を秘匿しているのか?(Are Chinese Banks Hiding “The Mother of All Debt Bombs”?)」(参照)である。今週の日語版ニューズウィークにも抄訳が掲載されている。 記事の前半には問題の概要となる数字が上がっている。それによると中国は、2009年初頭から今年6月末までに、中国の国内総生産(GDP)の73%に相当する35兆元(5兆4000億ドル)の新規貸し付けを行った。その三分の二は2009年

    mshkh
    mshkh 2012/09/20
    中国が破綻すると日本は巻き添えを食って破綻しそうだし,中国が破綻しなくても日本は破綻しそうで,どっちにしたって日本の未来は明るくないんでしょうかね…
  • 米国で一番優れた先生: 極東ブログ

    教育問題にはあまり関心がない。正確に言うと「日教育問題」に関心がない。そう思う理由はシンプル極まりない。教育は元来国家のセクターではないからである。 教育が国家のセクターになったのは、歴史的に見れば、義務教育は皆兵のため、高度教育は官吏養成のためだった。こうした近代国家の、必然とも言える動向をむげに否定はしない。現代では「皆兵」は軍事的な意味ではなく経済的な意味に転換し、生産力向上の「皆兵化」の意味もあるだろう。いずれにしても、ようするに国家のためであるという点は変わりない。 だが教育というのは、それ以前には、人が自由になるための技芸であり、なにから自由化といえば、国家的な権力から精神を自由にするためのものであった。その部分こそは変わらず教育質だろうと思う。まあ、そういうこと。そういうことであれば、あまり「公」に教育のあり方を議論するのは矛盾している。 とはいえ、昨日東京新聞社説「

  • 高橋克也容疑者、逮捕: 極東ブログ

    地下鉄サリン事件に関わったとされた高橋克也容疑者が15日逮捕された。その前日のこと、私事だが出先の駅の改札で警官が通行人にビラを配っていた。ああ、あれは高橋克也容疑者逮捕のためのビラだろうと察しがついた。警官は配るべき人を見極めているようでもあったので、彼が配ろうと思えば届くゾーンへ歩いてみた。彼はもちろん、私を見ただろう。高橋克也容疑者と同じ年齢のおっさんなのだから。そして比較的痩身という体型も似ているはずだ。だが彼は私を無視した。おお、そうか。まあ、いいや。そう思って通り過ごしたが、どんなビラを配っているのか、ちょっと気になって、引き返し、それもらえますか、と素直に警官に言った。彼はそっけなく私に渡した。私に不審を抱くふうもなかった。ビラはテレビなどでもこの数日見かける、つまらない代物で、こんなものを配っても意味はないから、退屈な捜査のノルマみたいなものだったのだろう。 その翌日、高橋

  • [書評]詩篇を歌う(シンシア・ブジョー): 極東ブログ

    何かを自習するための教でこんなに楽しいのは久しぶりだなとシンシア・ブジョー(Cynthia Bougeault)の「詩篇を歌う(Chanting the Psalms)」(参照)を読んだ。 内容は簡素なタイトルが示すように聖書(旧約聖書)の詩篇を朗詠するための基礎知識や簡素化された技法、さらに現代的な朗詠や歌唱化の手法を扱っている。グレゴリアン・チャントの基も説明されている。翻訳はないようだが平易な英語だし、読んだだけではわかりにくい部分は添付のCDで聞くことができる。記載されている楽譜も最小限だ。著者ブジョーは、耳で聞いて覚えなさい、耳を信頼しなさいと、鈴木メソッドの例で教示している。 こういうで詩篇や英詩の朗詠について若いときに勉強できたらよかったのに、と読後悔みもしたが、著者ブジョーが提示するこの新しい詩篇朗詠の動向は1990年代以降に生じたらしく、この簡素な朗詠法はそれほど広

  • ジュネーブ詩篇本について: 極東ブログ

    一連の詩篇関連の話としてジュネーブ詩篇(サルター)(Genevan Psalter)について触れておきたい。 プロテスタントの形成に大きく寄与し、またマックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資主義の精神」でも重視されているカルヴァニズムの原点、神学者ジャン・カルヴァン(Jean Calvin)(1509-1564)は、独自のサルター(詩篇)も作成していた。ブジョーの「詩篇を歌う」(参照)で詩篇朗詠は聖務日課(Divine Office)の基礎となるとの指摘があったが、カルヴァンも新しい自派の信仰集団に聖務日課のような儀礼を組み込みたかったのがサルター編纂の目的だった。カルヴァンというと質素で儀礼を排するかに理解されることが多いが、詩篇朗詠を信仰生活の基軸にするベネディクト修道院的なコミュニティへの志向もあった。 簡単にカルヴァンについておさらいしておく。カルヴァンはフラン

  • 黙想の祈りとテオリア: 極東ブログ

    黙想の祈り(Contemplative prayer)に関連するを読み考えながら、ぼんやりと見えてきたものがある。気にかかっているうちにブログにメモしておこうかと思う。思うままに書くのであまりまとまったものにはならないだろうが。 黙想(Contemplation)とは何か? なぜそれがキリスト教において意味があるのか? 疑問の答えとは言えないまでも、いくつか書籍を読みながらぼんやりとした形が見えてきた。逆に言うと、なぜこの疑問がこれまで自分にとって、うまく浮かび上がってこなかったか?としてもよい。それは自分が接したキリスト教からは、そもそも見えづらいものだった。私と限らず近代が結果的に覆い隠してしまった面もある。 私自身を例にすると、接触したキリスト教には三つの面があった。一つは日の近代化や敗戦に伴うプロテスタンティズムである。この伝統こそ黙想の祈りを覆い隠してしまうことが多い。クエー

  • [書評]英知のイエス 心の変容、キリストとそのメッセージについての新しい見方(シンシア・ブジョー): 極東ブログ

    センタリングの祈りについて書かれたシンシア・ブジョーのを読んだあと、彼女自身の思想を追ってみたい思いがして、もう一冊何か読んでみた。「英知のイエス 心の変容、キリストとそのメッセージについての新しい見方(The Wisdom Jesus: Transforming Heart and Mind--A New Perspective on Christ and His Message)」(参照)である。 私自身、似たテーマを考えてきたこともあり、内容の少なからぬ部分については既知ではあったが、著者ブジョーが整理した視点(パースペクティブ)は類書では得がたいものだった。 タイトルになっている「英知のイエス(The Wisdom Jesus)」は、ともすれば、「イエスの英知(The Wisdom of Jesus)」として理解されやすい。ジェファーソン聖書のように、理性的に受け止めやすく、正し

  • 極東ブログ・メールマガジン 試作品 No.1 (2012.4.23): 極東ブログ

    第2次か第3次かわからないけどメールマガジン(メルマガ)のブームらしいというのと、ブログという形式と少し違った展開もあっていいかと、このところメルマガのことを考えていた。考えてみたら、考えてもしかたがないので試作品でも作ってみるかなと思い直し、どういう試作品するかと悩んだ。でも、試作品は試作品なので、とりあえずなんか作ってみた、と。 ブログとは違って、読みやすく手短で、情報が多いほうがよいのではないかと思っている。(ブログより明瞭に書いていこう、とも) ネタとしては、これも思ったのだけど、これまでのブログとまったく違った分野というのもなんなので、従来路線っぽい感じ。どうしようかなとは悩んでいる。 メルマガを実施するとなると有料化ということで、これはいく人か相場とか動向など意見を聞いてみた。なるほどと思うことはある。購読者はページビューの5%くらい。月額500円あたりが相場のようでもある。そ

    mshkh
    mshkh 2012/04/24
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  • 4月から新社会人になる皆さんへ: 極東ブログ

    あまり多くはないと思うのですが、というかほとんどいなんじゃないかとも思うのですが、このブログの読者の方のなかに、もしかしたら、来週から新社会人になるという人もいるかもしれないと思って、今日は、それらのかたへ「贈る言葉」を書いてみます。自分が社会人になったばかりのころを思い出し、そのころ、何を言われてたらよかったかな、と考えながら。 1 社会人とは家計を営む人だと理解しましょう 社会人とはなんでしょう。社会を構成している人という意味なら、赤ちゃんも社会人ということになりますが、ちょっと違いますよね。ではなにかというと、実際的には「仕事をして世間様からお金を貰っている人」と定義してよいと思います。 じゃあ、「専業主婦は社会人じゃないの?」という疑問がすぐに起きるかもしれません。でも、その夫と家計を分担しているという意味で、専業主婦も社会人としてよいでしょう。 いきなり脇道にそれるようですが、こ

  • 吉本隆明が亡くなった: 極東ブログ

    隆明が亡くなった。未明に地震があり、あの震源はどこだったんだろうと思ってテレビの音声を聞いているときに、訃報を聞いた。 まあ、お年だからなと思った。糖尿病を抱えヘビースモーカーで87歳というのは大往生の部類ではないか。彼の死についてはかねて理解している以上のことはないなと思って、ぼうっとしていたら、自然に涙が出て来た。ツイッターにも吉の死のことは書くまいと思ったが、堰を切ったように連投してしまった。 僕は吉さんに個人的に会うことはなかった。知人が吉さんのの編集などをしていたので会うこともできないものでなかったけど、まあいいかと思っていた。自分が若い頃、自暴自棄になって自分の学んだことをすべて放り出したいと思ってプログラマーになって、ヴェイユのひそみもあって工場でファームウエアのアセンブラプログラムとかしているとき、吉さんのの、宮沢賢治に触れたところで、知識人は知性を罪責と思

  • アルファブロガー・アワードの終わり: 極東ブログ

    アルファブロガー・アワード2011の会合の案内をマルチメールで徳力さんからいただいて、こっそり参加してみたい気がしていた。隠れてという意識はない。ブログも形式上匿名でやっているけど隠れていたいという意図ではない。初代ASCII-NETでsigopもしてたしNiftyでsyopもしててネット歴が長く、そのころのハンドルを少し変えたみたいなつもりでいた。あのころは20代から30代でもありオフ会とかもよく出ていた。IPの仕組みもわかるのでネットに匿名もないだろとも思っていた。アルファブロガー・アワード2011については、一つの終わりの風景を傍観してみたい気がしていた。少し悩んだがその日、地域の会合があってそっちを優先した。 「極東ブログ」という名前は冗談だった。自分のイメージとしては鉄人28号的なレトロな昭和のイメージと欧米への距離感を込めたものだが、ネーミングだけで右翼だと思っている人が多いよ

    mshkh
    mshkh 2012/03/14
    Sesame Street - "Places in Our Neighborhood" http://www.youtube.com/watch?v=YA45UBu5cJM
  • 今年の3月11日に思ったこと: 極東ブログ

    昨日は東日大震災から1年という日だった。振り返って自分はどう思うのかというと、これがまったくわからない。亡くなったかたへ黙祷などもしない。黙祷というのがどういう意味があるのかもよくわからない。なにかの集会で黙祷しましょうと言われたら、特に否定もしないし、ほかの人がするようなしぐさをする。心は空っぽのまま。そういうことは他にもある。日の丸が飾ってあっても君が代が流れていても、さほど関心を引かない。そうする人がいても、あるいは反発する人がいても、まあ、いいんじゃいのくらい。 自分の心が幼いからだと思うのだが、震災については、まずもって恐怖の映像が心を去らない。風化もしない。メディアを通して見ているのに、自分の最期となる瞬間が訪れてきたようにリアルに想像してしまう。 NHKニュースの報道だったが、自動車に閉じ込められて洪水に流されていく人がいた。あれ、あの人、このまま死んじゃうんじゃないのか、