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2018年3月31日のブックマーク (5件)

  • 登校拒否解放の(不)可能性 後編 - (元)登校拒否系

    再び前編の最後の言葉を引きます。 登校拒否は病気だ。登校拒否は暴力を生む。登校拒否はひきこもりにつながる。登校拒否は不自由だ。そして、そのようなものとしての登校拒否を肯定するのだ…。 しかしでは、病気などの社会的にマイナスとされている要素を含めて登校拒否を肯定するとは、いったいどういうことでしょうか? それはいかにして可能なのでしょうか? この問題について、今回は3映画における「怪物(モンスター)」の描かれ方を例に考えてみたいと思います。なお、途中で『美女と野獣』と『シュレック』の重要なネタバレが出てきます。あらかじめご了承ください。 1. 『ロードオブザリング』−差別の対象としての「モンスター」 『ロードオブザリング』には、ホビット、人間、エルフ、ドワーフ、魔法使いなどのさまざまな種族が登場します。彼らは、時には悪事を働くことはあっても基的には魅力的な人々として描かれます。一方で、

    登校拒否解放の(不)可能性 後編 - (元)登校拒否系
  • 登校拒否解放の(不)可能性 中編 - (元)登校拒否系

    前編の最後を僕はこう結びました。 登校拒否は病気だ。登校拒否は暴力を生む。登校拒否はひきこもりにつながる。登校拒否は不自由だ。そして、そのようなものとしての登校拒否を肯定するのだ…。 これに対して、toyoさんはこう書きました。 なぜこんな事をくどくど言うのかというと、僕は「登校拒否児」が差別される理由と「引きこもり」が差別される理由、また「登校拒否は病気じゃない」と言う事の意味が、ゲイの例ではなく僕のたとえ話の方の関係にあるんじゃないかと考えるからです。言い換えると「引きこもり」は「登校拒否児」のサブグループではなく、それ自身(重なり合う所は有るにせよ)別個の問題ではなかろうかと。 「登校拒否は社会に対する不適応だ」と言われるのに対して「登校拒否は高々学校に対する不適応だ。その事を責め立てると、またその事で就職などで差別をするのなら、当に社会に適応できなくなってしまう」と言うのはAの人

    登校拒否解放の(不)可能性 中編 - (元)登校拒否系
  • 登校拒否解放の(不)可能性 前編 - (元)登校拒否系

    近年、登校拒否解放運動*1は「バックラッシュ」(反動)に見舞われています。90年代は彼らの主張が一部マスコミに取り上げられ、「理解」が広がっていく時期であったとすれば、現在は不登校の「行き過ぎた肯定」が反省されつつある時期だと言えるでしょう。 そのような時代の転換を象徴するような論争が2001年から2002年にかけて『月刊子ども論』で行なわれました。論争の発端は、斎藤環さん、山下英三郎さん、藤井誠二さんによる、「当ですか!?『不登校の子は、ひきこもりもする』」と題する座談会です*2。この座談会のなかで、斎藤環さんは、東京シューレや一部の精神科医について、「イデオロギー的に『不登校』を持ち上げていきすぎた」と批判しています。斉藤さんは、「『不登校はすばらしい』とか、『不登校にならない感性の鈍い子たち』というような言い方はいきすぎがあったのではないか」と指摘します。そのような考えのために、

    登校拒否解放の(不)可能性 前編 - (元)登校拒否系
  • http://www.vcinemashow.com/video-essay-dance-in-wong-kar-wais-films/

    http://www.vcinemashow.com/video-essay-dance-in-wong-kar-wais-films/
  • 张国荣的性别遗产:15年后仍然领先时代 - BBC News 中文

    1980年代以来,张国荣一直是两岸三地家传户晓的歌手与演员,在亚洲其他国家也有大批歌迷影迷;他的死讯,在华语世界造成轰动,同时也引发争议。 张国荣留下了无数经典演出与电影作品。在生命中的最后几年,他的演绎越来越着意挑战保守社会的道德框架,开拓了性别多元的空间;然而这些跨越性别界限的艺术追求,于张国荣仍然在生的年代,在相对保守的香港社会,一度成为大众媒体口诛笔伐的对象。

    张国荣的性别遗产:15年后仍然领先时代 - BBC News 中文