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性に関するnagonaguのブックマーク (4)

  • みやきち日記 [雑記]「愛があればセックスするはず」のウソ

    セックスをしたがらない女性に対する「愛*1があればセックスするはず」とか「セックスに応じない女はひどい」とかいう物言いはなんか変だとずっと思っていて、考えがまとまったので、メモ。ポイントは、これらの発言は「恋愛感情があるなら、一対一の関係でセックスするのが当然」という発想を前提にしていて、しかもその発想は間違っているってことです。 恋愛とセックスは関係がない 人類発生が正確に何百万年前なのかは知りませんが、とにかくその日から今日まで、人間はずーっとセックスし続けてきたわけです。つまりセックスの歴史は少なくとも数百万年。かたや、今日で流通してるような「恋愛」の観念は、ルネサンス時代のヨーロッパで発明されたものだから、こちらはたかだか数百年の歴史しかもっていません。もし恋愛感情がセックスの大前提なら、「恋愛」が発明される以前の何百万年もの間、人類はいったいどうやってセックスしてたっていうんで

    みやきち日記 [雑記]「愛があればセックスするはず」のウソ
    nagonagu
    nagonagu 2009/08/01
    簡潔明快。これをイデオロギーと意識せず生きてる人は多い。
  • Gazing at the Celestial Blue 「表現の自由」は誰のものですか?

    (6月6日付エントリの続きである、6月8日付エントリの続き) 板坂耀子氏の「私のために戦うな(弦書房、2006年12月25日発行)」の117ページに「ありふれたパターン」と題された章に、こんな記述がある。 昔から恋愛映画のクライマックスになると、どんなに優しくおとなしい男性と強く積極的な女性のカップルでも、男性が女性を抱き寄せ、女性はそれに抵抗し、そして最後には必ず男の胸を押しのけ叩いていた女の手は男の首にからまって、二人はベッドに倒れ込み、結局のところ幸せになる、と指摘する。(略)これまでの映画は、国も時代も問わず、男女のラブシーンといえばまずはもう必ず、男が抱き寄せ、女が押しのけ、そして最後に女の抵抗が終わってめでたし、という図式を踏襲しつづけてきた。(略)大抵の人間なら、繰り返し見せられれば、恋愛とはこういうものと思い、それに自分を遭わせるように学習するのが普通だろう。「現実が芸術を

  • エロゲーと性差別 - シートン俗物記

    id:felis_azuriさんからコメント頂きまして、次のようなブログが開設されたそうです。 あなたは悪くない http://manysided.blog85.fc2.com/ だから、同じ被害にあったあなたたちに伝えたい。 あなたは何も悪くない。どんな事情があったにしろ、あなたは悪くないのです。どんな特殊性があったにしろ、望みを捨てないでほしいのです。 悪いのは加害者であり、無理解な社会です。あなたは、何も変わってなどいない。とても素敵なところをいっぱいもっている、素敵な女性のままなのだから。 性犯罪被害に遭われた方(そして、それに対して共感を寄せる方)に向けて開かれたブログですので、皆様、立ち寄られる事をお薦めします。 …ただ、自称俗物、他称餃子(キチガイでもあるらしい)の私が紹介して良いものでしょうかね? 営業妨害にならなければいいのですが。 さて、紹介してくださった碧さんも性犯

    エロゲーと性差別 - シートン俗物記
  • Gazing at the Celestial Blue 「それ」がもたらす「社会の『常識』」

    たぶんほとんどの女性はさ、男性に性欲の対象として消費される存在としての「女という性別」を、うっすらとであれ理解して受け止めてると思うよ。積極的にじゃなくて、消極的に、事実として受け止めるしかないっていう感じで。 だから痴漢に対しても、心のどこかで「しょうがない」って思ってる。一部にそういう性癖の人間がいることを、そして通り魔同然にたまたま自分がその対象になってしまったことを、不運な事例として黙って心にしまってしまう。 性犯罪は、確かに、ごく一部の悪質な人間のすることだ。それらは被害者をモノ扱いしている訳で。 だが、この、モノとして消費される・扱われる・値踏みされる感覚というのは、不意ながら覚えがある。 『消費される存在としての「女という性別」』という表現に、どきりとして思い出した件があった。 学生時代、どういう話の流れでそうなったのかの記憶は定かではないが、先輩後輩&男女入り交じった5-

    nagonagu
    nagonagu 2009/06/10
    遅ればせながらブクマ。
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