日本が近代国家の骨格ともいうべき憲法を初めて定めてから120年。大日本帝国憲法は、プロイセン憲法などを参考に「立憲君主制」を採り、当時の世界からも評価されていた。しかし、19世紀帝国主義から第一次世界大戦を経てうねる時代の流れの中で、日本はその運用を誤り、立憲体制を瓦解させてしまう。一つは、議会を担う政党が党利党略に走って政策や理念を忘れ、軍部の肥大化を助長したことに原因がある。さらには、天皇を絶対視する思想が先鋭化し、統帥権を盾に取った軍部が政治を主導していったことが挙げられる。 國學院大學には、憲法起草者の法制官僚井上毅(いのうえ・こわし)が残した6000点を超える資料が保存されている。ドイツなど諸外国に残された資料も掘り起こし、どのように大日本帝国憲法が制定されたかを分析。さらに、政党政治の自滅と天皇絶対主義の国体論の激流を、これまで紹介されていない資料によって描き、大日本帝国憲法下
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