2006年に かいた論文に、「均質な文字社会という神話-識字率から読書権へ」というのがある。ここで識字率から読書権へというのは、どのような意味か。 たとえば日本の識字率が97パーセントだとしよう。そして、のこり3パーセントが未達成であるから、「すべての人に文字を」というスローガンをとなえて、文字を普及することが理想的な社会をつくっていくうえで、重要なことだろうか。 わたしは、そうは おもえない。 なぜなら、どれだけ教育をひろめようと、文字をよめないひと、よめなくなるひとは存在しつづけるからである。 一方、読書権の普及率という視点にたってみると、そのパーセントは、かなり ひくいものになる。 拡大図書でなければ本が よめない弱視者や高齢者、あるいは脳性まひのひとに、どれほど拡大図書が提供されているのか。 パソコンが つかえず点字しか よめないひとに、どれほど点字で本が提供されているのか。 なん