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学問と思想に関するnavecinのブックマーク (2)

  • re: 中立 ≠ 無知 - ls@usada’s Backyard

    「その分野について全然勉強してないので、何も分からない」状態と、「その分野について十分に知識があって、その上で何か目的があって両極から距離を置いている」状態を、両方とも「中立」と呼称するせいでカオス化する問題。他の定義ずれ系と異なり、「中立」という概念は特定の話題に拘束されないので、どんな話にでも登場し得る。問題は前者の「何も分からない〜」の方に集中しており、かなり厄介な挙動を取る。代表的な例を挙げる。 基的な知識がなくても、相手が抽象化やたとえ話を駆使してうまく説明すれば、どんな事でも十分理解できると思っている。 基的な知識がなくても、抽象化やたとえ話を駆使すれば、どんな事にも十分言及できると思っている。 「勉強してから喋った方が…」的な事を言われると「素人は黙っていろということか」。 「無知な一般人からの意見こそ、非常に貴重である」と自分で言う。 揉めてるところに割って入って「内容

    re: 中立 ≠ 無知 - ls@usada’s Backyard
  • 朴斎雑志: どちらが不寛容か

    自称「研究家」や、その説を支持する人がよく言うセリフに、「学者は新説に対して不寛容だ」 というのがある。自分の「既得権益」を侵されたくないから、スクラムを組んで「新規参入」を妨げているのだと、最近はやりの「規制緩和」派の言い分をそのまま学界にも適用しようとするわけである。 研究者の書く論文を全く読んだことがない人なら、こう言われるときっと納得して同情を感じることであろう。「そうだ、ちょっとくらい話を聞いてあげてもいいじゃないか、新しい試みを認めてあげてもいいじゃないか」と。 そう思っている人がもし 研究者の行う研究は、他者に対しても寛容である。 と聞いたら、「え? 何かの間違いじゃないの?」と声を上げるに違いない。 文学研究の場合を中心に話を進めるが、学術論文では通常、最初にそれまでの先行研究を挙げて、その問題点を指摘してから、自分の考えへと移るスタイルを採る。しかしそこをよく読むと、問題

    朴斎雑志: どちらが不寛容か
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