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ブックマーク / somethingorange.net (2)

  • 「好き」に境界線を引かない。 - Something Orange

    先日の記事にこのようなコメントをいただいた。 オタクの特性に対しつっこまれて、海燕さんがそれは自分と違うと思うのは正しい感覚なんですよ。 何故なら、海燕さんはもう世間の観るオタクの域を超えているからです。 あなたの器がもうオタクをはみでているので、世間が責めるオタクに、あなたが当てはまらないだけでしょう。 ですから、あなたがまた下に降りてオタク擁護するより、もう自分の成長を素直に認めればいいだけのこと。 海燕さんは過去の自分が属していたまだ未熟だった頃のオタクイメージ。 その中に未だ固執し、捉われているのでしょう。 そこから出ているので、岡田さんと同じように、オタクに括れない新しい名前なき集団。 オタクから出て、進化したオタクとして、自分たちのグループを意識し、そこから発言すればいいのでは? べつだん、じぶんが「オタク」を超えているとは思わないが、しかし、ちょっと考えさせられるコメントでは

    「好き」に境界線を引かない。 - Something Orange
  • くたばれネット評論家。 - Something Orange

    藤子不二雄の名作『エスパー魔美』に、芸術と批評の関係を扱った「くたばれ評論家」という有名なエピソードがある。 主人公、魔美の父親は画家なのだが、あるとき、某評論家から手ひどい批判を受け、怒る。その姿を目にした魔美は超能力を使ってその評論家にいたずらするのだが、父は喜ぶかと思いきや、諄々と魔美を諭すのだった。 「公表された作品については、みる人ぜんぶが自由に批評する権利をもつ。どんなにこきおろされても、さまたげることはできないんだ。それがいやなら、だれにもみせないことだ」 魔美が、でも、さっきは怒っていた癖に、というと、父はこう答える。 「剣鋭介に批評の権利があれば、ぼくにだっておこる権利がある!! あいつはけなした! ぼくはおこった! それでこの一件はおしまい!!」 芸術家の矜持を見事に描き出した名エピソードである。であるのだが、もしかしたら既に通用しなくなっている考え方かもしれない、とも

    くたばれネット評論家。 - Something Orange
    nekotekikaku
    nekotekikaku 2009/06/17
    大衆とは残酷な生き物です
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