タグ

ブックマーク / mattune.hatenadiary.org (13)

  • マジェプリ6話「言ったはずだ!ウシロシンジは天才であると!」 - まっつねのアニメとか作画とか

    同意、ウシロシンジは天才。 というわけでマジェプリ6話です。 ここまで面白かったわけですが、 6話をもって、「プロローグ終了」というところでしょう。 この構成観は、「ゼーガペイン」を思わせる。 ノーマッドグロス回としての参加ですが、 元永さんとウシロシンジさんが相性が良いですね。 例えば二人とも00年代以降に活発に「画面分割」を最前線で使ってきた演出家 参考 http://d.hatena.ne.jp/n_euler666/20110703 この二人が組んでいるのだから、当然 ウシロシンジらしさでいうと こういう何気ないカットで 「あ、ケイは当に校庭の真ん中でやってるんだw」 というのを感じさせるのもポイントが高い。 ウシロさん、何かこういう「広い空間にポツン」みたいの 結構好きだよね そして このカット! ウシロシンジさんてやっぱ天才だわ。 天才性でいうと これも! こんなカット入れら

    マジェプリ6話「言ったはずだ!ウシロシンジは天才であると!」 - まっつねのアニメとか作画とか
  • あいうら11話で凄いことやってる - まっつねのアニメとか作画とか

    あいうら11話。 これ! おっと間違えました。 いや、このカットも凄いんだけど、(恐らく小木曽さん) それよりも11話はこのカット! 動いてるんですよ、背景が! 最初、何が起こっているのかわかりませんでしたね。 背景が恐らく3段かそれ以上になっていてそれをそれぞれ動かしているのでしょう。 劇場版ウテナの動く校舎に近いですが、 あれよりも、もっとゆっくりと、しかもパースに合わせて動かしているように見えますね。 技術的には、CGガイド付きのレイアウトで背景を作って、 それをCGガイドに従って撮影で動かしているのかな? 傘もCGですし。 今はCGガイドレイアウト・写真レイアウトも多いですが、 その場合は、そのリアリティに合わせて背景自体も写真風のリアリティが高いものがほとんど。 このあいうら11話の、「絵」としての魅力を残したまま、それをCG的に動かすというのは、 まさに「ギャップ」の発想、で

    あいうら11話で凄いことやってる - まっつねのアニメとか作画とか
  • あいうらは3度刺す第2話 - まっつねのアニメとか作画とか

    ゆっくりと自分のペースで歩いていけばいい。 というわけで「あいうら」の2話。 相変わらず、「技」を使ってきます。 まずはこれ このジャンプカット。 最近だとジャンプカットを多用したものとして 「たまこまーけっと」10話があれと比較してみれば、 このジャンプカットがどう優れているかがわかります。 それは作品上の意味、必然性を「あいうら」のこのジャンプカットが持っているからです。 まず第一には「時間の圧縮」です。 30分アニメと5分アニメでは時間の価値がまったく違うことは今更いうまでもないでしょう。 限られた時間を有効に使うためには、必要度の低い描写を削るというのが簡単な方法。 しかし、その一方でこの「あいうら」というアニメは 「丁寧な描写」というものをモチーフとしてもっている。 そこで、ミクロな部分での圧縮・省略が要求される。 それはまさにコマごとに編集を行うようなものだ。 「を下駄箱に入

    あいうらは3度刺す第2話 - まっつねのアニメとか作画とか
  • 一貫性というのは想像力を欠いた人間の最後の拠り所である。 - まっつねのアニメとか作画とか

    とは劇作家オスカー・ワイルドの言だが、 俺はまったくその通りだと思う。 およそ、世の「作画崩壊」だの「脚が矛盾してる」だの「設定と違う」だの「作風と合わない」だのというのは まさに先のワイルドの言葉に凝縮される。 想像力が欠けているから一貫性・統一性・無矛盾などというものにその拠り所を求める。 その方が考えなくていいから。 無批判に一貫性に従っていればいいから。 もし 「この作画はキャラデザと違う、統一性がないものだからダメだ」 とか 「この脚は矛盾していて理解できない」 とか 「原作の作風と違うから見てられない」 とか そういう風に感じたのなら、想像力が弱まっているかもしれないと考えた方が良い。 「作画崩壊だ!」などと騒がない方が良い。 それはつまり 「自分は想像力を欠いた人間だ!」と叫んでいるようなものだから。

    一貫性というのは想像力を欠いた人間の最後の拠り所である。 - まっつねのアニメとか作画とか
    northlight
    northlight 2012/11/05
    視聴者にそういう見方を強いるのは正しいのだろうか?
  • トトロの都市伝説と作画 - まっつねのアニメとか作画とか

    ジブリ広報が 「作品終盤で姉妹の影がないのは、作画上不要と判断して略したから」 と言ったとか。 これはどちらかというと 「作品終盤で姉妹の影がないのは、 制作進行上間に合わないから影を省略したから」 だろうにw でも、この「影なし=幽霊」みたいな考え方は 今風でいいね! 昔は影なしとか影のミスなんて腐るほどあったわけだしね。 家庭教師をやってた頃、小学生の生徒に 「うちの学校じゃあ、あれは幽霊ってことになった、影ないし」 とか言われて、 あえて否定はしなかった。 だって夢はないじゃない。 トトロにで「作画の事情」なんてさ。 そういう意味では 「トトロでも『作画崩壊』はあった!」 みたいな形での広まりをしなくて良かったと思う。 小学校で 「トトロのこの部分は作画スケジュールの遅れで影がないと思われる」 「ああ、ほたるの墓と同時進行で作ってたわけだしね」 とかってならなくて良かった。

    トトロの都市伝説と作画 - まっつねのアニメとか作画とか
  • 新房昭之のアニメスタイル・シャフトのアニメスタイル・山内重保のアニメスタイル - まっつねのアニメとか作画とか

    月刊アニメスタイルの新刊を読む。 全体的にはちょっと欲求不満だったけど、 新房監督のインタビューは面白かった。 新房さん・幾原さん・山内さんというのは なんというかかなり近いフィールドにいるイメージなんですよね。 それは表現主義と言ってもいいかもしれないし、 出崎統的と言ってもいいかもしれない。 でも、その中で、「自分のスタイルを貫くか」「プロデューサー的な意識を持つか」 という違いがはっきりとある。 幾原さんはそういう意味では新房さんよりも早く、 「プロデューサー的な意識」を持っていたように思う。 幾原監督は他人のアニメの分析も的確に行うし、 それは師匠筋の佐藤順一監督の影響かもしれない。 そういう意味で、幾原さんが00年代に沈黙していたのはまったくの正解というか 「護身の完成」的なところがあって、 ピンドラが00年代に放映されても恐らく見向きもされなかったんじゃないかと思う。 良くてゼ

    新房昭之のアニメスタイル・シャフトのアニメスタイル・山内重保のアニメスタイル - まっつねのアニメとか作画とか
  • アニメオタクにとって問題なのは、タコツボ化しすぎてる事じゃなくて、十分にタコツボ化してないことだと思う - まっつねのアニメとか作画とか

    なんかアニメオタクはタコツボ化してる、 みたいなことを言っているのをよく聞く。 いかにも日人的な発想だよなぁ なんつーの? 「日企業はスペシャリストよりもゼネラリストを好む傾向がある」 みたいな、ね 教科書的な分析にはそう書いてある。 その一方で、ビジネスとか自己啓発みたいなのには 「スペシャリストになれ!中途半端な器用貧乏にはなるな!」 みたいなことが書いてあるわけだ。 でさ、タコツボ化っていうのはつまりは細分化・専門化なわけですよ。 前に 「タコツボ化はネット世代の特有の現象」とか書いてるのを見たことがあるが、 意味がわからんw 世の中の学問のほとんどはネット以前から細分化の一途だろうに。 医学だって、専門はめちゃくちゃ細かくなってるし、 物理だってそう。 経済学だって、 計量経済学だの数理経済学だの環境経済学だの産業経済学だの その他、もうわからんくらい色々あるわ 学問だけじゃ

    アニメオタクにとって問題なのは、タコツボ化しすぎてる事じゃなくて、十分にタコツボ化してないことだと思う - まっつねのアニメとか作画とか
  • みんなも「俺たちに翼はない」を見ようよ!〜こんな人にこのアニメは向いてます編〜 - まっつねのアニメとか作画とか

    久々の大ヒットアニメ(俺ん中で)の 「俺たちに翼はない」 をもっと広く見てもらいたいということで、ちょっと書いていこうと思う。 いくらなんでも、「30歳の保険体育」より見られてない(俺調べ)のは 不憫だと思うんだ。 そんなわけで、まず初級編。 どんな人にこのアニメを見てもらいたいの? ここからはじめようと思う。 結局のところ、アニメの「特徴」から言っても、 ネタバレにはなるわ、編見ろといいたくなるわで、 ラチがあかない。 というわけで、こういう人に「俺たちに翼はない」を見てもらいたいって感じでいく。 1、エヴァやウテナなどの90年代後半の先進的で衒学的なアニメが好きな人 2、押井監督や今敏監督、あるいはコゼットの肖像以前の新房監督のような、 「虚構と現実」で構成されているアニメが好きな人 3、山内重保監督の作品が好きな人 4、ギャラクシーエンジェルやエンジェルビーツ5話のような、シュール

    みんなも「俺たちに翼はない」を見ようよ!〜こんな人にこのアニメは向いてます編〜 - まっつねのアニメとか作画とか
  • 人々はなぜ魔法少女まどか☆マギカの本質を見誤るのか - まっつねのアニメとか作画とか

    「人々はなぜグローバル経済の質を見誤るのか」のパロタイトルから 始めてみたが、 いや、まさか芦野芳晴さんがこんなにメインで関わってくると思わなかったんだよ。 各話コンテでローテに入るってくらいかなって でも実際は3話連続コンテだった そういう意味では、「マスケット銃は単発式だからとコンテマンが言った」 って話を聞いた時にすぐに芦野さんについて思い出すべきだったんだ。 まずちょっとこれらのPVを見てほしい これはファースト・スクワッドというロシアのアニメ映画のPVだ 正確には「ロシアが4℃に依頼して作ったアニメ映画」だ。 モスクワ映画祭で特別賞を受賞したらしい このアニメの公式サイト(http://www.first-squad.com/ ) によるとストーリーは 1942年。 第二次世界大戦の真っ最中。 西ヨーロッパの多くの国がナチスドイツ軍の手に落ちる。 しかし東ではソ連邦がナチスの攻

    人々はなぜ魔法少女まどか☆マギカの本質を見誤るのか - まっつねのアニメとか作画とか
    northlight
    northlight 2011/01/22
    「今ならベラルーシとロシアの村を描き分ける自信、ありますよ」
  • スタードライバーに関する考察〜ヘッドはイカ刺しサムの何が気に食わなかったのか - まっつねのアニメとか作画とか

    イカ刺しサムの物語が気にわなかったがゆえにサカナちゃんを捨てたヘッド。 ここで、一度、イカ刺しサムの物語を振り返っておこう。 青文字はヘッドの発言 少年は恋をした。 そう、浜辺で出会った少女に少年は燃えるような恋をした そこは…魚の惑星 少年は腕の良い漁師だった。名前は…サム 少年サムは出会った少女と二人 ボートに乗って眩い銀河の世界に旅立つことを夢見た けれど、サムが恋したのはその少女だったのか…それとも銀河の世界だったのか 人生という冒険は続く 魚の惑星には銀河の世界へ行ける船が一隻だけあったの。 その船は王様が持っていた 王様の船か…良い船はタダでは手に入らない でもある日のこと王様がお触書を出したの 「イカ大王を倒して、その青い血を持ってきた者には 何でも望みのものを与える」と 魚の惑星には、夜になると我が物顔で暴れまわるイカの大王が居たの っても美味くないんだろうなあ… 少年

    スタードライバーに関する考察〜ヘッドはイカ刺しサムの何が気に食わなかったのか - まっつねのアニメとか作画とか
  • STAR DRIVER 輝きのタクト 1話アバン 「感情移入させないアニメにようこそ」 - まっつねのアニメとか作画とか

    いや〜凄かったですね、スタドラ! 五十嵐卓哉が相当イッちゃってますよ、これ 五十嵐卓哉と榎戸洋司の双方の歩み寄りが感じられるのも 榎戸・鶴巻コンビとは大きく違うところだ とにかくアバンから五十嵐だ。 いや、 「五十嵐卓哉であることを宣言する」ためのアバンだった。 良くあるアニメならば、 まず主人公に感情移入させるところから入る。 あの「けいおん!」ですら最初はそうだったように、 あのガンダムSEEDですらそうだったように。 でも、だ。 五十嵐卓哉はそんなことはしない。 そして榎戸も「巻き込まれ型でないロボットアニメの主人公」 というモチーフの話をしていた。 例えば2カット目のこれだ 何気ないカットだが、 普通、1話だとこういうカットは 「こっちに来る」カットになる。 ところがこのカットは「むこうに行って」しまうのだ 彼らは視聴者には来てくれない。 視聴者から彼らの方に寄っていかねばならない

    STAR DRIVER 輝きのタクト 1話アバン 「感情移入させないアニメにようこそ」 - まっつねのアニメとか作画とか
  • 入門作画オタク〜読解編〜その2 - まっつねのアニメとか作画とか

    さて、それでは文を見ていこう。 ・・・っとその前に、どの記事から読んでいくかも、案外重要だ。 どこから読み始めるか、となった時に2001年の時点であれば、 もちろん、『なかむらたかし』から読み始めるべきだった。 今から読むにしても、もしあなたが80年代からアニメを見ているような人間ならば 『なかむらたかし』から読み始めてもいいだろう。 しかしそうでない場合、00年代以降からアニメを見出した人の場合は 『井上俊之』から読むことをオススメする。 理由は 1、井上俊之は00年代の作品でもよく見かけるから 2、彼自身が作画オタクであるため、作画オタクとして押さえておきたい作品の言及が多いから 3、他の記事のアニメーターについての言及が多いから ざっとこのあたりだ。 例えば、『なかむらたかし』の記事に出てくる『石之さん』にピピーンと来る作画オタクはほとんどいないだろうが 『井上俊之』の記事に出てく

    入門作画オタク〜読解編〜その2 - まっつねのアニメとか作画とか
  • 解答:アニメが総合芸術だから - まっつねのアニメとか作画とか

    グダさんの http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20090504/1241368489#c を経由して 設問;アニメ感想はなぜ批評に近くなるのか (http://d.hatena.ne.jp/zsphere/20090501/1241145763) に応えてみた。 (ちなみにこの問題についてグダさんを例にあげるのは不適当です。 なぜならグダさんはガンダムの専門家みたいなものだから。 富野に対してグダさんよりシンクロしてる人はそういないでしょう。 だから「ガンダム周辺」に限ってはまさしく評論家レベルなので、評論して普通) さて、答えはタイトルの通り、 「アニメが総合芸術だから」 です。 これにはポジティブな面とネガティブな面とがあります。 まずポジティブな方から ★アニメは話題にすべき要素が多すぎる。 まあそのまんまです。 ラノベならストーリーについてだけの感想

    解答:アニメが総合芸術だから - まっつねのアニメとか作画とか
    northlight
    northlight 2009/05/04
    確かに映像表現と脚本の類型からすると、主題についてあまり大きな解釈のぶれはないと思う/枝葉末節の議論になるのが良い事かは判断しかねるけど。
  • 1