石川啄木が好きで好きで仕方ない娘と話した。面白かった。普通に定期入れに写真とか入れて持ち歩いてる。教科書に載ってたみたいな白黒写真。ちょっと話題振っただけで娘、超ハイテンション。すごいベタ惚れなので感動した。嬉しそうな娘を見ると俺も嬉しい。 俺「啄木ってあれだろ、【我泣き濡れて蟹と戯る】」 娘「そうそう!」 俺「上の句なんだっけ」 娘「浜! 浜!」 俺「ああ、【石川や 浜の真砂は尽きるとも 我泣き濡れて蟹と戯る】」 娘「殺すぞ!」 笑ったわ。で、そこから石川啄木って有名?って話しになって、俺は「いや普通石川啄木知らんだろ、名前程度で」って言ったら娘反論。啄木はメジャーだと言い張り一歩も譲らない。じゃあってんで周りの奴に聞いてみた。石川啄木ってどうよ? 友「あーあれだろ、蟹の」 娘「そうそう!ほら知ってる知ってる!!!」 友「なんだっけ、蟹と」 俺「【白河の 水の清きに耐えかねて 我泣き濡れ
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
中原 中也(なかはら ちゅうや、1907年〈明治40年〉4月29日 - 1937年〈昭和12年〉10月22日)は、日本の詩人・歌人・翻訳家。旧姓は柏村(かしむら)。 代々開業医である名家の長男として生まれ、跡取りとして医者になることを期待されていた。小学校時代は学業成績もよく神童とも呼ばれたが、8歳の時、弟が風邪により病死したことで文学に目覚めた[1]。中也は30歳の若さで死去したが、生涯で350篇以上の詩を残した。その一部は、結婚の翌年刊行した第1詩集『山羊の歌』および中也の死の翌年出版された第2詩集『在りし日の歌』に収録されている。訳詩では『ランボオ詩集』や、数は少ないがアンドレ・ジイドの作品などフランス人小説家の翻訳もしている。日本大学予科、中央大学予科などを経て東京外国語学校(現在の東京外国語大学)専修科仏語部修了。 生涯[編集] この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていな
アルチュール・ランボー、またはランボオ(Arthur Rimbaud、1854年10月20日 - 1891年11月10日)は、フランスの詩人。アルベール・ティボーデにより、ヴェルレーヌ、マラルメ、コルビエール、ロートレアモン伯爵と並び「1870年の五人の異端者」の一人に数えられた。早熟な天才、神童と称された彼は、15歳のときから詩を書き始め20歳で詩を放棄するまでのわずか数年の間に「酔いどれ船(フランス語版)」などの高踏派、象徴派の韻文詩から散文詩集『地獄の季節』、散文詩・自由詩による『イリュミナシオン』(一部を除いて没後出版)まで詩の伝統を大きく変えた。彼の詩論、詩人論として知られる「見者の手紙(フランス語版)」において「詩人は、あらゆる感覚の、長期にわたる、広大無辺でしかも理に即した錯乱により、見者となる」と語り、ブルジョワ道徳をはじめとするすべての因習、既成概念、既存の秩序を捨て去り
1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/10/10(水) 10:00:35.72 ID:zK5ViUJ80 暇だ 続きを読む
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く