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ブックマーク / nubaotoro.hatenablog.com (67)

  • (私考)内勤の会社員が陰嚢を護ることを考えるときに、内勤のリーマンの語るいくつかのこと - 白井山羊太郎日記

    2014-01-10 (私考)内勤の会社員が陰嚢を護ることを考えるときに、内勤のリーマンの語るいくつかのこと 新年も十日をすぎようとしていますが、みなさまいかがおすごしでしょうか。さて、余は仕事始めから怒濤のように溜まった仕事を片づけているわけですが、こうして十五年も座って仕事をしていると、気にかかることのひとつやふたつもあるというものです。その最たるものが陰嚢まわりですね。昨年などは座っているだけで血尿を出してしまいましたし、自分だけは無事だと思っていても身体は突然異変をきたすこともあります。そこで陰嚢まわりの健康維持について素人なりに考えたいと思います。 ノーパンやトランクスが健康にいい 昨今、ノーパン健康法であったりブリーフよりトランクスのほうが健康にいいのだ、というような言説を見かけます。このような言説の根拠のひとつに通気性の確保、温度管理をあげることができるようですが、その時間の

    (私考)内勤の会社員が陰嚢を護ることを考えるときに、内勤のリーマンの語るいくつかのこと - 白井山羊太郎日記
    nuba
    nuba 2014/01/10
    快調に更新しています。
  • 本年の抱負 - 白井山羊太郎日記

    2014-01-07 年の抱負 日記 数ヶ月前、twitterにおいてフォローしようとした見知らぬ人に既にブロックされていたという事実を知ってしまいました。余はそのひとに言及した記憶もないし、まあ不可思議なこともあるものだな、と吃驚したものです。気になってみずからの行動をさぐってみたところ、以前、その方のブログエントリをはてなブックマークで褒めたことがあったのですね。そのブックマークコメントが「いちいちグッとくる」というものでした。「いちいちグッとくる」はもちろん余にとって上級讃辞ですが、ブロックされる謂われがあるとすればその方にとってその言い回しが気に障ったことが原因に違いないのでした。余にとっては何気ないひとこと、ましてや褒めて阿ったつもりのひとことでも、相手を傷つけていることがある。生を受けて35年以上、はてなをはじめて5年以上が経過するわけですが、いまごろになって語句のひとつひと

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    nuba 2014/01/07
    ブログ更新。いいペースです。
  • 天満宮のある町の風景 - 白井山羊太郎日記

    2014-01-05 天満宮のある町の風景 天満宮へ至る道はひとつではありません。 駅からつながる道はもとより、近隣の有料駐車場から徒歩で向かうこともできる。この時期、町のあちこちから初詣のために天満宮へ向かう人の足が絶えることがなく、中心の磁石に砂鉄の引き寄せられるように人がひとつところに集まる。天満宮付近は行列となり、甲州街道の下り一車線は駐車待ちの車列が、歩道には参拝待ちの人が列を為す。人は新年に思い、志を新たにする。ある信仰が芽生え、利己に、あるいは利他のために祈る。賽銭に思いを託す。初詣には人のかずだけ思いがあります。 近隣には内外の人がまばらながら溢れる。余の住まうあたりも見慣れる人波が幾たびか流れ、絶えてしんとしてはまた人波があらわれる。そのあいまを縫うように散歩をしていました。余はべつだん初詣をすることもないので、町のあちこちから初詣へとむかう人波、あるときはそれに沿う

    nuba
    nuba 2014/01/05
    今年2回目の更新。頑張ってます。
  • 鍋をめぐる歴史と元日のこと - 白井山羊太郎日記

    2014-01-02 鍋をめぐる歴史と元日のこと 明けましておめでとうございます。年も白井山羊太郎をよろしくお願い申し上げます。 年は日記の毎日更新を目指すことを静かに宣言しますが、早くも元日の更新をサボりました。 結婚生活とはおしなべて異文化衝突の摩擦の歴史ということができますが、両家とも大阪出身の白井家の家庭でさえ、生活の有り様というものには微細の違いがあり、幾度も幾度も摩擦を繰り返したものです。 そして当初、細君ともっとも歪みあったのは鍋の方法論についてでした。 余の実家では鰹出汁に野菜を入れ、豚肉を入れる。あとは空いたところに好き好きに具材を入れ込み、最終的に満足するまで工程を繰り返し、鍋をひととおり上げたところで雑炊へと至る。具材にこだわりはなく、べたいものをべたいだけ鍋に入れる。実家では父は蛤、母は鱈、余は豚と三者三様に具材を持ち込み、折にあわせて鍋が具で詰まったり

    鍋をめぐる歴史と元日のこと - 白井山羊太郎日記
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    nuba 2014/01/02
    というわけではてなブログを更新。amazonアフィリエイトウィジェットを貼ろうと思ったが無料プランだと反映されないのね…
  • はてなブロググループを作成しました。 - 白井山羊太郎日記

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    nuba 2013/12/13
    新グループ結成のお知らせです。
  • 剛力彩芽の彼岸 - 白井山羊太郎日記

    2013-10-07 剛力彩芽の彼岸 電車内広告をみていると「お、深田恭子が出るのか。引眉お歯黒の恭子も美しいではないか…」と得心したものですが、正体を知って驚きました。諸兄は最下段の引眉の姫役の女優を誰だと思われますか。彼女こそまさに誰あろう、今をときめく剛力彩芽そのひとだったのです。 界隈のアイドルについては思うところもあり、たとえば以前インタビューズというサイトにおいて武井咲ちゃんについて言及したこともありました。そももそも余は若き日の上戸彩という存在にもその口元の軽薄さというか品のなさについて快く思っていないところがありましたが、時代は余の思いと裏腹に上戸彩を受け入れ、彼女の名声は今に至るわけです。自らの先見の明のなさにあきれるばかりではあります。 以前どなたかが言及しておられたとおり、剛力彩芽さんの澄ました表情や押し黙った表情、凜とした冷たさを感じる表情などをみていると往年の山

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    nuba 2013/10/08
    遂に剛力彩芽さんファンの方に捕捉された
  • 怪談えほん(3)いるの いないの 京極夏彦 - 白井山羊太郎日記

    nuba
    nuba 2013/08/03
    昨晩、みなさんがバルス!している中ひっそり更新しました。
  • The Power Bar for the Apple Magic Trackpad で快適なMac生活、のこと - 白井山羊太郎日記

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    nuba 2013/07/23
  • 黒タイツ、その足音 - nubaotoro

    2012-11-21 黒タイツ、その足音 今朝、公園へ行く途中に黒タイツが二組でアンケートを収集していた。彼女らは白い用紙を挟んだファイル片手に乳母車を引く若い母親に話を聞いていた。ひとりはスーツスカート、ひとりはハーフパンツ、どちらも60デニール。スーツスカートの彼女のほうは運動部に所属してでもいるらしく脹ら脛の発達に分がある。一方、ハーフパンツの彼女のほうは大腿、膝、脹ら脛の肉の厚みに抑揚がなく、ふっくらとその柔和の感触を容姿に留めているようである。大腿、脹ら脛の肉の厚い部分の黒タイツの生地に白い肉の膨らみが透けて見え、膝や足首のあたりは黒さが深みを増す。その陰影で彼女らの両脚は女性的であり続ける。おそらく学生なのだろう、そのタイツの選択は間違いのないもので、余は心のなかでうんうんと頷き、彼女たちを追い越して信号待ちに立ち尽くすのだった。彼女らの声が後ろから聞こえる。横目で黒タイツを見

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    nuba 2013/07/03
    これもTwitterで言及いただいて読み返した。いいじゃないか…(自画自讃)
  • 性的なるもの - nubaotoro

    2012-12-18 性的なるもの 雑記 性的であるということは観念がそうさせるということに他ならない。観念がそうであるということのみならず、性的であるという認識と高揚はその観念と目に映る対象との距離の遠さによって発露するところとなる。そして観念と対象の印象が一致するとき、ひとは絶頂を感じ、すべてを虚無のごとく捨て去る。距離の遠さの始まりとは処女であり、終わりとはすなわち死である。川端康成の眠れる美女はこのエロティシズムの概念を完璧に物語と化した傑作である。 「処女も小鳥も犬も、自らは語り出さない、絶対に受身の存在の純粋さを帯びて現はれる。精神的交流によつてエロティシズムが減退するのは、多少とも会話が交されるとき、そこには主体が出現するからである。到達不可能なものをたえず求めてゐるエロティシズムの論理が、対象の内面へ入つてゆくよりも、対象の肉体の肌のところできつぱり止まらうと意志するの

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    nuba 2013/07/03
    半年以上前の余の記事、今朝ブクマいただいて読み返すなど
  • 十年愛、または恋 - nubaotoro

    2012-12-03 十年愛、または恋 二人の同僚女性があり、共に余と同年である。ということはもう33になる。彼女らがそういう年齢になっていることに驚く。余は彼女らを女として意識した最後はもう七八年も前になるから、彼女らの女としての年齢もまた、余の裡ではそのくらいから変化していなかったのだ。— 白井山羊太郎(七代目)さん (@nubaotoro) 11月 3, 2010 だから驚いた。彼女らがもう33にもなったのか、と。なるほど、彼女らの尻は丸みに柔らかさが見え、頬もまたしなやかに余の視線を受け止めているようにみえる。或いは気のせいかもしれない。それは余のそういう、視線のこちらがわにある観念の仕業というだけではないか。— 白井山羊太郎(七代目)さん (@nubaotoro) 11月 3, 2010 しかし、余はその年月を彼女らの肌のおもてに感じた。その経年の過ぐ証の、彼女らの在りように

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    nuba 2013/01/06
  • はてなダイアリーからはてなブログへ - nubaotoro

    nuba
    nuba 2012/11/28
    移転しました。よろしくお願いいたします(告知忘れてた)
  • 黄葉 - nubaotoro

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    nuba 2012/11/24
    はてなブログに記事をインポートしてみました
  • 可奈子 - nubaotoro

    その前に誰が出演したかはその女の登場によって 少なくとも余にとっては忘却のものとなってしまった。 柳原可奈子(以下、可奈子と表す)、その存在のまぶしさがそうさせた。 可奈子はグレイのワンピースを着ている。 舞台奥から赤いカーペットを体した舞台に向けて歩み迫る可奈子 可奈子と客席のあいだにはロウテーブルが容易されている。 彼女はテーブルのむこうがわに座っているであろう友人に話しかける。 はじめは立ったまま、 次に腕をテーブルにつき膝立ちに、 最後に正座の姿勢で肘をテーブルにおいた。 ワンピースはノースリーヴに袖を解放しており、 可奈子の豊満の上腕が露わになっている。 テーブルに肘をつく姿勢のもと 可奈子の丸々とした肉体が捩れては緩み、 捩れてはまた緩む。 その繰り返しが可奈子の流暢な台詞まわしのあいだ 大洋を巡る潮流のごとく揺れている。 大きくぶるんと、ときに小さくふるふると震える可奈子の肉

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    nuba 2012/10/14
    詩を書きました。
  • 八月のための歓送詩 - nubaotoro

    S高校の女子高生がふたり、はす向かいに立っている。通勤電車の混沌のなかで、その姿は一輪の秋桜のようにも思える。厚めの生地を採った夏服の半袖にはほんのわずかにブラジャーの薄桃色と水色が透けて並んでいる。スカートの長さは膝下丈と決まっているのか、それより上下は存在しない。化粧を知らない彼女らの牧歌の無表情は参考書に目を落としており、貧弱の睫毛がときおり、パサパサと音を立てるように瞬きをする。  車内湿度の高さが彼女らの涼やかな立ち居姿を鮮明にさせているようにも思える。彼女らは一様に両足のあいだに鞄を置き、左手で吊革を摑み、右手に参考書を取る。朝の陽光がUVカットガラスから僅かに差し込み、彼女らの素面の、肉の膨らみや微かの筋肉の動きを映している。幼さのむこうに、抜ける空の高さがある。もう秋である。そういう九月の初旬に、僕は物憂さを背負ったまま勤めに出る見えない自らの姿を、少し恥じるように彼女らか

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    nuba 2012/09/19
    更新しました。
  • 深海 - nubaotoro

    深夜の街路を宛てなく歩いていた。通りすぎるコンビニの煌々とした明るさに酔いかけて立ち止まり、横断禁止の標識を避けるようにして植え込みを飛び越える。片側二車線のしんと静まりかえった道路のむこうへ飛び渡る。断末の蝉の音が桜並木に響いた。そのくらいの静けさ、そのくらいの闇のなかにも営みは確かにあるように思われた。更ける夜はしかしまだ、僕とYを現のむこうへと誘うように包む。  木漏れる空のむこうが、薄く光を帯びている。深海の底のような異質の空の下、雲が鱗のように厚く立ちこめ、ほんのうすあかりが雲の重さを映している。この空と同じような十年前のあの夜、Yの流した涙を指さきに感じたような気がした。少し湿り、すぐに乾いたような気がした。甘く香り、渋く舌に残る香料のような後悔。そう、夏とは後悔であり、暑さとは終焉である。夢のあとさきに僕は汗をし、また寝覚めの悪さのごとく奇声する。夏に花は咲かない。夏は花を熟

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    nuba 2012/08/20
    ありがとうございます
  • 奥さん、あなたが留守のあいだ旦那はこんなことをしていますよ - nubaotoro

    日記 諸々の用事で細君が大阪に帰った。他所の家庭だとこうもゆかないところも多いのだろうが、余の家庭は余も細君も実家が大阪に在るため、大阪に帰るだけで一日のうちに両の家に挨拶をしてまわることができる。このような意味においては大変に便利な環境であるけれど、どちらか一方に用事があるだけなのに折角大阪に来ているのだからと結局両家に顔出ししなくては義理が立たないという不便さのあることもまた確かであり、これは如何ともし難いところである。  冬の過ぎ去りし日々とはいえまだ四月である。旦も5時となれば薄明るく空もまどろむばかりのころ、細君がこぎれいな格好で余に二、三言声を掛けて、余はそれでようやく目覚めたのだった。非現実的なばかりの静けさはいかにも早朝然としているし、しかし確かにここは日常のままなので、余は不思議な心地で朝み、ほどなく細君を見送りに団地の思い鉄扉を開け、手を振り、鉄扉を閉めた。ようよ

    nuba
    nuba 2012/04/22
    更新しましたよ
  • 冬月 - nubaotoro

    nuba
    nuba 2011/12/21
    はてなブログにも同様の文章をアップしました。お尻のハナシdesu
  • 神代植物公園、秋 - nubaotoro

    iPhone写真日記 ツイートする

    nuba
    nuba 2011/10/19
    id:plugged ありがとうございます!
  • 旧朝香宮邸 - nuba

    日記  朝香宮邸の庭園は秋を思わせる柔らかで、すこし寂しげな光の薄さに包まれていました。子を遊ばせる母らしき女性の鈍重な尻の重さが跳ねるたび、僕はそのやさしさに触れたくて目を細めるのでした。朝香宮邸の建築のたたずむ芝生の園は20世紀の昔のようであり、そのノスタルジイのなかで誰も時を過ごしているようです。そういう午后でした。  木陰のむこうは既に現実の喧騒に支配されていて情緒の欠片も漂うことのなく、しかしその様相も気にすることなく数人の老人連れがテーブルに持ち寄ったサンドイッチやらサラダやらドリンクを広げて談笑していました。すぐ脇の木陰のベンチでは若い男女が肩を寄せ合って接吻をし、それから互いの身体をまさぐっているのを、誰も気にする素振りを掻き消す乾いた笑いが庭園を見渡す秋空の広さのなかに谺します。老人達は若い男女を気にするそぶりもみせずに談笑し、します。若い男女の身体の密着は時を追う毎緊

    nuba
    nuba 2011/10/11
    これからボチボチiPhone写真日記をつけようと思います。