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*_G:言語帝国主義に関するo_keke_nigelのブックマーク (11)

  • 無題ドキュメント

  • 大石俊一『「英語」イデオロギーを問う』 - Living, Loving, Thinking, Again

    英語」イデオロギーを問う―西欧精神との格闘 作者: 大石俊一出版社/メーカー: 開文社出版発売日: 1990/12メディア: 単行 クリック: 2回この商品を含むブログ (2件) を見る http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071012/1192195684で「英語帝国主義」論について云々した後で、「英語帝国主義」についてよく発言していた方で、大石俊一という人のを以前古屋で買って、さらに中国にまで持ってきたことに気付き、『「英語」イデオロギーを問う――西欧精神との格闘――』(開文社出版、1990)を読んでみた。 I 「英語」をめぐる心理的葛藤 II 日における「英語」「英会話」素描 III 「英語」帝国主義に抗して IV 「英語」抑圧装置に抗して V 「東」と「西」の真の平等性にむけて――西欧普遍主義の克服のために―― 参考資料 あとがき 著者は英文

    大石俊一『「英語」イデオロギーを問う』 - Living, Loving, Thinking, Again
  • 英語帝国主義とジェンダーその他 - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/terracao/20071008/1191850296で「英語帝国主義」云々を巡って、津田幸男という人のが批判的に言及されている。津田氏については、かなり以前に慶応大学の言語文化研究所の紀要に載っていた流麗な英語で書かれた論文を読んだっきり、そのテクストを読んでいないので、何だか懐かしいなと思った。このエントリーを読んでいて、何だかその英語の論文と同じような内容だなと感じたのだが、よく見てみると、このとその論文の刊行時期は1年か2年かの時差しかなかった。それで、「ホスト狂いの25歳OL」のterracaoさんによると、津田さんのロジックは「(フロイトもビックリの!)フロイト理論の酷使」であるそうな。津田さんが参考文献に挙げているかどうかはわからないけれど、岸田秀の精神分析的日論ということになるのか。既に岸田秀というのは棚にあるのが暴露さ

    英語帝国主義とジェンダーその他 - Living, Loving, Thinking, Again
  • 横森 (1998)

    EIL論に基づくオーラル・コミュニケーションAの教科書分析 An Analysis of Oral Communication A Course Textbooks Key Words: EIL論 / 英語帝国主義論 / 異文化理解 横森 昭一郎 YOKOMORI Shoichiro I. はじめに 現代は政治経済をはじめあらゆる分野でグローバル化が進みつつあり、異文化間コミュニケーション教育の充実が一層求められる社会である。こういった時代の要請に応えるべく、オーラル・コミュニケーション科目が5年前より、高校で教えられ始め、異文化理解を深めるための教材、カリキュラム、教授方法の研究が盛んにおこなわれている。 その一方で、国際政治、経済、教育、マスコミなど様々な分野において英語の通用度が高まっており、国際通用語の機能を唯一はたしているかのように思われる。近年では社会学的な視点から、その

  • チョムスキー「言語について語る」 英語帝国主義と少数言語の復活

    チョムスキー、言語について語る 英語帝国主義と少数言語の復活 (『チョムスキー21世紀の帝国アメリカを語る』明石書店、2004:170−173) Q:ご承知のように、クルド人の言語はトルコでは抑圧され、教育制度から排除されてきました。個人のアイデンティティと母語の関係は何なのでしょうか。一方の側では、グローバルな言語として広範囲に渡って英語の使用があります。もう一方の側では、グローバリゼーションの反対の流れとして地方の言語の復活があります。こういった文脈の中で、あなたはヨーロッパや他の地域での母語の復活をどのように評価されますか。 チョムスキー:フランコ体制下のスペインでは、地方の言語は抑圧されました。人びとはバスク語やカタロニア語や他の言語を話すことができませんでした。それらの言語はスペイン語ではなく、別個の言語です。バスク語はスペイン語とは何の関係もありません。ファシズムが打ち負かされ

  • 英語帝国主義と「自由主義」史観

    誌 (週刊金曜日)に関する読書会で「「自由主義史観」の人々は「英語帝国主義」の批判はしないんですか。」という疑問が出された。 「英語帝国主義」批判には大きくわけてふたつの論調がある。ひとつは徹底した言語平等主義にもとづく批判である。世界中のあらゆる言語は同等の価値をもっているのだからそのうちのひとつの言語に特別に高い価値や低い価値が与えられるべきではないという考え方である。 いまひとつは英語による支配のみを批判するものである。この立場の人々は「英語帝国主義」に実力で異議申立を行おうとする。そこで用いられる武器は日語である。彼らは、話者の数、背景にある経済力など英語に対抗できるだけの資質が日語にはあると考え、日語を海外に普及することによって英語に対抗しようとする。要するに「英語帝国主義」に「日語帝国主義」で対抗しようというのである。ここから想像されるのは戦前日の植民地における日

  • 英語帝国主義論の根深さ  「ニッポンの英語」再考(その4) | ごきげんようチャンネル

    英語教育の目的についての三番目の見方は、英語帝国主義論である。 英語は日文化(日人としてのアイデンティティ)を破壊する帝国主義の一部だとして、英語教育そのものに警戒的ないしは否定的な議論である。望田幸男氏や大石俊一氏が代表的な論者であろうが、一見極端にみえるこの主張には、潜在的に多数の支持者がいる。 長年、明治大学で英語を教えてきたピーターセン氏は、次のように観察している。 「日人には、英語に対して感情的になる人は少なくないようだ。中学の時から強制的に国民全員に英語を覚えさせようとするやり方を改めない限り、感情的な反応はなくならないだろう。」(マーク・ピーターセン『英語の壁』文春新書、2003年、69頁) 日における英語への反感は、今にはじまったことではない。 「英語という言語じたいが、帝国主義的な権力を常に発動する質を持っているとは考えられない。にもかかわらず、英語が広く流通し

  • 私が「反・英語帝国主義」にコミットしないわけ - 女教師ブログ

    英語, 言語無性に書きたくなったから勝手に書くシリーズ第二弾。id:t-hirosakaさんから「英語帝国主義」関連で質問を受けた関係で日頃の思い(の一部)をまとめてみたくなった。 ★ 私は「英語帝国主義」というコトバ自体が気に入らない、むしろ「言語帝国主義」のほうがいい「英語帝国主義」というコトバは、なんでなのか知らないけれど、独特のコノテーションを持っている。たとえば...「英会話に精をだしてる子女はみっともない」「英米カブレってダサい」「不必要に英語つかいまくって、ルー大柴みたいwww」このあたりは「英語崇拝」に関するウィキペディアの記事を見ればわかるだろう。こうした「英語帝国主義」批判の根底には、結局のところ、「感情的にキモい」という程度の根拠しかない。私は端的に「ほっとけ!」と思う。「お前、他人様のことばづかいに指図できるなんて、どんだけ偉いんだよ!」とも思う。「英語帝国主義」を

  • 英語帝国主義

    講義「社会思想史」では、ことばによる支配ということを教えています。英語コンプレックスに悩まされている人が、支配を受けています。この記事は、それを正す目的で書きました。 特 別 講 義 <日人が英語ができなくとも恥ではない> →特別補講  →上達の秘訣  →さらに発展 なぜなら… 日語と英語の違いは、あまりに大きすぎるからです。元の文書がそうだから、以下「である」調ですが、慣れて下さい。 喩えるなら、幅100m、深さは底が知れないほどの、断崖絶壁のものすごい奈落である。こんなものを全員に越えろと要求するなど、あまりといえばあまり、無茶すぎる。大半の人間が途中で力つき、底へまっさかさま、という結末になるに決まっている。かろうじて向こう岸のヘリに手をかけた者も、大学でサボって訓練を怠るので、知らないうちに下に落ちてしまっている! テストがないから自分で気づかないだけで…。 だから英語アレルギ

  • 言語帝国主義 - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 信頼性について検証が求められています。確認のための情報源が必要です。(2010年12月) 正確性に疑問が呈されています。(2010年12月) 言葉を濁した曖昧な記述になっています。(2010年12月) 雑多な内容を羅列した節があります。(2010年12月) 言語帝国主義(げんごていこくしゅぎ)とは、ある地域で特定の外国語が、その政治・経済・文化・軍事力により圧倒的な影響力を持つこと。 「言語帝国主義は、ある支配的な言語への乗り換えで必ず他者を巻き込む。基的にその支配言語への乗り換えは、伝統的に軍事力だけでなく、現代世界においては経済力といった権力の表出であって、支配的文化の面々はたいていその支配言語とともに乗り換えられる。」(ブリタニカ百科事典)[1] 概要[編集] 言語による「文化支配」の一種であるこの現象

  • 英語帝国主義 - Wikipedia

    英語帝国主義(えいごていこくしゅぎ)は、現代社会における英語の広範な使用が引き起こしているさまざまな問題を、歴史的な観点から捉えた概念である。 歴史的概観[編集] 英国の英語帝国主義[編集] 12世紀ごろからイングランドの歴代王家はブリテン諸島で、初めはアイルランド島の西部で、次に1282年に征服されたウェールズでも、そして最後にスコットランドで、拡大政策を実行していった。これらの征服はいくつもの挫折を経験したが、最終的には1707年にイングランド王国とスコットランド王国の間で結ばれた合同法によってその征服は完了した。そうした中、スコットランドはイングランドという強大な隣人と向かい合って何世紀にもわたって生き延びてきた。一方イングランドでは、主にフランスとの戦争が原因でフランス語の威信は衰退していった。その結果、1362年に英語は議会における唯一の言語であることが宣言された。しかし、実際に

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