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*_Sei:精神医学に関するo_keke_nigelのブックマーク (6)

  • 対象aの生成過程

    対象aについて、「声」「まなざし」「乳房」「糞便」という四つのシンボルが代表として挙げられる。 今回は、象徴的去勢以前の、対象aの生成と変化の過程を見ていこう(象徴的去勢前後についてはこちらの記事で述べている)。説明に当たっては、フロイト-ラカン論はもちろんのこと、メラニー・クライン並びにジュリア・クリステヴァの論を「交錯」的に取り扱う。 まず、それは対象aとは呼べないが、対象aの前身。どちらかというと「コーラ」という言葉の方が近いかもしれない。それは胎内にいる自分である。母親との同一化が実現していた時代。「求めるだけ与えられる」時代。万能感で満たされている時代。リビドーも完全に満たされているからリビドーの生成はなされない時代。 そして胎児は出産される。この時胎児は、母親の陣痛による痛みやストレスを共有し、直後頭が変形するほど狭い産道をくぐりぬけ、へその緒を切断される。産道を通り抜けるとき

  • 対象aとは 一般の人気・最新記事を集めました - はてな

    精神分析家、精神科医ラカンの用語。基的な規定としては、「欲望の原因としての対象」。 初期の理論での小文字の他者、および、クラインの部分対象、ウィニコットの移行対象など対象関係論における対象概念が背景にある。 シニフィアンではなく「単なる文字」であって、象徴界ではなく想像界に属する。 あるいは、現実界、象徴界、想像界の結び目に位置する。 経験として象徴化された世界の背後の示唆、亀裂、欠如としてのみ経験される。 単なる事実以上の何かを孕んでいるという不確定な過剰さを喚起するもの。 http://www.shobunsha.co.jp/h-old/rakan/10.html 自らの世界の中に象徴化された欲望の対象の痕跡 http://www.puni.net/~aniki/moe2.htm 満たされない欲動の向かうところ http://www.hibun.tsukuba.ac.jp/repor

    対象aとは 一般の人気・最新記事を集めました - はてな
  • フェティシスムとひきこもり または「スキゾ的仮面」を被る若者たち

    今更ながら、こちらのブログに掲載されている斎藤環氏の「脳はなぜ心を記述できないか」講演レポートを読んでみました。 やはりひきこもり専門家である斎藤氏ですから、ひきこもり関係の言葉には重みがあります。講演レポート4になりますね。そこから一部抜粋します。 ===== ひきこもりの人は、想像的なレベルでは社会参加できていないけれども、象徴的なレベルでは社会に参加させられていると言えるかもしれない。 ===== 単純に社会参加=去勢の承認と言えるとは思いませんが、そうだとするなら実はこれフェティシスムの精神分析的構造と全く同じなのですね。 フェティシストは想像的同一化と象徴的同一化の狭間を生きています。象徴的去勢は承認し、想像的去勢を否認しているのです。 自らの想像的ファルスをフェティッシュ(フェチの対象)に換喩し、自らを「部分的に」対象aに移行させて、象徴的思考の中のある「待ち合わせ場所」におい

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/05/28
    現に鉄道車両の「幌マニア」の私としては「パラノイア的症状を防衛するためにフェティシスムという症状において妥協的に安定するわけですね。 」と言われると心の中をズタズタにされた気分に…ならなくてもいいか。
  • 統合失調症とスキゾイド

    メモがわり。 <統合失調症=分裂病=スキゾフレニー>と<スキゾイド=分裂病質>は別物だ。 統計的にも両者の症状に因果関係は認められない。 何当たり前のことを、と思われるかもしれないが、ブログだしいーじゃんよー。 じゃーなんでそんなややこしい名前になってんのさ? と思うわけだ。普通は。思わない? このブログの人とかそう思っているみたいなので、そういうものとしておこう。 っていうのは、この両者の症状の雰囲気、イメージが似ているからだ。だから、分裂病質→分裂病、みたいな「感じ」じゃね? と思われていたらしい。もちろんそれは医学的に研究され、分裂病の発症前の状態は全くスキゾイドのそれと違うことがわかったけど。 んで、その器質的なものを排除して、私なりにその違いを(ラカン的精神分析の文脈で)考えてみたのです。それが自分でおお、と思えたので、メモしとこうかな、という記事です。 まず、人間の主体(エス)

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/05/28
    頑張ってもう一回読んでみよう。
  • http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1172174836/E1634390890/index.html

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/05/02
    。「『自己責任』が大流行りのいま、なぜか『こころ』の問題は『自己責任』は任されずに指導の対象とされるようになっている。」リバタリアンが往々にして安いスコラ哲学者だったりする件について。
  • ファビョン(火病) - 私家版・精神医学用語辞典

    「ファビョン」について、改めて書いてみたい。 「改めて」と書いたのは、1年くらい前にファビョンについては一度書きかけたことがあるからで、そのときはどうにもうまく続けることができず、中途で止めてしまったのである。 そもそもそのときは書き方がまずかった。 日のネット界では、「ファビョン」ということばは、韓国人が「議論で反論に窮した場合などに冷静さを失って感情的になる」ようなときに使われる。しかし、それは悪意ある歪曲であり、実際の精神疾患としてのファビョンはそうじゃないのだ、精神科医として当のファビョンの意味を教えて上げよう、という啓蒙的なスタンスで何気なく書きはじめたのだが、よくよく調べてみれば、ことはそう簡単ではなかった。 「ファビョン」は韓国特有の「ハン」(恨)の感情に関わる疾病概念であり、韓国文化と密接につながっていたのである。つまりファビョンを語るにはまず韓国文化を知る必要があると

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/11/09
    韓国特有の精神的な疾患と言われる「火病」について。冷静かつすぐれた論考。
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