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*_Sha:社会と*_T:哲学に関するo_keke_nigelのブックマーク (4)

  • 派遣村に流れ着いた人が最初に考えるべきだった、たったひとつのこと。 - 「で、みちアキはどうするの?」

    「自分はなんのために生きているのか?」 いやまぁ、「そんな哲学で腹はふくらまねーよ」と仰りたい気持ちは重々承知ですが、ちゃんと説明しますよ。ふたたび、こちらのエントリからコピらせていただきますね。 すくらむ : 派遣村バッシングの背景にある根強い自己責任論 - 人の生存より市場原理優先の新自由主義は退場を 雨宮 しかし、「自己責任」論で、社会より自分に怒りが向くように刷り込まれてしまっているといえます。「社会のせいにするのは弱い人だ」とか、「問題をすりかえる人だ」というような言説がまかり通っている。 小森 メンヘラー(心を病み、壊れることによってやっと生きのびる人※雨宮さんによる定義)の若者や貧困にさいなまれている人たちが、「自分は生きていていい」と思えない社会になっている。 そして、どんなに理不尽な要求であっても、企業が要求してくることを、とにかくこなしていかないと、生きていくための最低

    派遣村に流れ着いた人が最初に考えるべきだった、たったひとつのこと。 - 「で、みちアキはどうするの?」
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/01/09
    その意気やよし。が、事ここに至った様々な状況や事情を漂白して「奴隷の内面化」とはぞっとしない。彼の人々は単なる集合名詞ではなく、それぞれの生活史を持つ個々の人間であると、もそもそと申しておきたい。
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/12/06
    ツッコミビリティはいろいろあるのかもしれないけれど、「一次予防」がうまくいかない際にどうしても自殺をまず止めなければならないのならこれくらいの劇薬の処方が必要なのかもしれない。
  • 宗教の存在理由と信仰の効用は分けて論ずべき - 雑種路線でいこう

    宗教は昔から統治の道具であった.政治権力が宗教を利用することもあれば,教団が権力を欲することもある.今日の成熟した宗教が,日常を淡々と守らせるように機能していることは確かだけれども,そのために宗教があるかというと微妙だ. 僕はむしろ宗教というのは,理不尽な世の中を分かった気になりたいとか,何かを信じたいといった欲望に深く根ざしていている気がする.科学も同様の欲望に根ざしているし,科学や近代国家,資主義よりも宗教が先にあり,特に基督教がそれらの成立に深く関わっていることは周知の通りである. 日も明治維新の折に近代法を持ち込んだり近代軍隊をつくる課程で,基督教に於ける神の機能に代わるものとして天皇制を再定義している.創作もかなり含まれるにせよ『象徴の設計 (文春文庫)』なんかを読むとその辺が生々しく描かれていて面白い. いまでは葬式仏教という言葉さえ死語になりつつある仏教でさえ昔は僧兵で武

    宗教の存在理由と信仰の効用は分けて論ずべき - 雑種路線でいこう
  • 日本は一次観察と二次観察とが乖離した不毛な空間 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    「サードオーダー」問題に関連する文章を書きました http://www.miyadai.com/index.php?itemid=365に関連させて…。分かりやすく言えば、一次(ファーストオーダー)の観察とは現実への観察であり、二次(セカンドオーダー)の観察とはその観察の仕方への観察である*1。例えば、マスコミが行なう事件の報道そのものは一次観察であるが、それに対してマスコミの報道する事件は偏っていると批判をするのが二次観察である。科学世界で言えば、実証研究は一次観察であり、理論研究は二次観察である*2。普通は一次観察と二次観察とがお互いに依拠しあうことによって進展する。 正確には、日には一次観察と二次観察もろくな形では存在しない。例えば、経験主義の英米系は実証研究による一次観察が盛んで、理性主義の大陸系では理論研究による二次観察が盛んだ。しかしどちらにせよ一次観察と二次観察、つまり実証

    日本は一次観察と二次観察とが乖離した不毛な空間 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
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