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インターネットは、数多くのローカルルールの集合体である。 これについては異論は無いと思っている。ある場所では常識であっても、他の場所で非常識であることは多々存在する事実である。 では、ローカルルールの集合体であるにもかかわらず、ブログ論と呼ばれるものがどうして存在するのだろうか。それもまた、ローカルルールの集合体であるからだと考えることができる。グループにより文化が違うからこそ、比較をして理想形を作っていこうと考えるのである。 一読者としては、はっきりいってどっちでも良いようなことでも、毎日触れているブログについていろんな人の考察が読めるので非常におもしろい。あとは占いと同じで、良いところだけを、できることだけを実行しているにすぎないのではないだろうか。 さて、そんなブログ論にも「それは違う」と思ったことは無いだろうか?一方的に否定されたことは無いだろうか?実現できそうにない夢ばかりを語っ
ミクシィユーザーはばかである。 ばかなうえに自己顕示欲の塊で正義感が強いのでたちが悪い。 はまちちゃん騒動をみればよくわかる。 『いち早く皆に教えれば、皆を助けるヒーローになれると思った』 とんだ大ばか野郎である。ミクシィに蔓延る無知の善意が引き起こした騒動だ。 Web2.0時代のゆとり世代。ゆとり乙としか言いようが無い。 未だにしぶとく流通しているなんちゃらバトンという代物もそう。 「これ面白いからやってみて!」 そんなものを面白いと思うのはやってる本人だけである。 自己顕示欲丸出しの自分を晒して恥ずかしくないのか。 日記とはいえ、不特定多数の人間に見せる事を前提として書いている以上、 何かしらのエンターテイメント性やプラスαの要素があるものを提供するべきではないか。 読む人間の立場になって考えれば分かりそうなものだが、 考えられないあたりがやっぱりばかである。 ミクシィはぬるま湯である
これまで、アクセス数を伸ばす方法というのを書いてきました。アクセスアップに興味がある方の中には、どうやったらアクセス数が上がるのだろうと興味津々に読んだかもしれません。しかし私は「アクセス数をあげたいならまずはコンテンツを充実させろ」みたいなことしか書いていません。中にはガックリきた方もいると思います。 でも、もう一度考えてください。 アクセスアップが本当の目的ですか? 「自分の考えに共感してくれる人を見つけたい」 「同じテーマについて語り合える友人を見つけたい」 「アフェリエイトで売上を伸ばしたい」 「私をわかってくれる人を見つけたい」 「友達を作りたい」 きっと最初はこんな想いだったのではないでしょうか? 例えば、「私の考えをできるだけ多くの人に聞いてもらいたい」と考えていたとしよう。しかし、気がついたら「私の考え」はどこかにいってしまい、「多くの人に」だけが残っていたりはしないだろう
アクセス数を伸ばしたいなら良い記事を書き続けなさい。 以上。 以上です。他にないと思います。 そうですね、理由も書きましょうか。 巷でよく見るアクセスアップ術。例えば、GoogleやYahoo!などの検索サイトによくひっかかるようにSEO対策を!とあります。例えば、ランキングサイトに登録した方がいいとあります。例えば、有名ブログにトラックバックを送ってアクセスのおこぼれをもらおうなんてのもあります。例えば、話題の記事を書いてニュースサイトに紹介されると一日で数千ものアクセス数に達します。 よく考えてください。 これらは、一見さんを呼び込むための方法でしかないのです。 「私はSEO対策したら一日のアクセス数が平均30hit増えました」 例えば、こんな意見。検索サイトから毎日約30人が訪問してくれているのでしょう。しかし、それは訪問者であって、読者ではないですよね?もし、毎日30人の一見さんが
3人とは、以下の通り。 1.自分(一人称) 2.相手(二人称) 3.たまたまサイトに辿りついた誰か(三人称) 1.自分に向かって書け。 未来の自分に向かって書け。このときの自分はどのように考えていたか、どうしてそのように考えていたかがわかるように書くべきである。自分に向けて書くことで、あとで読み返したときに、自分自身の連続性や変化、何に影響を受けていたのか、今と何が違うのか、どうしてそのように変わったのかがわかるであろう。 2.特定の人に向けて書け。 どんなに大きなアクセス数を誇るブログも、身内だけが集まるブログも、書いたものを読ませたい相手が存在する。これは私の推測に過ぎないが、人気のあるブログであればあるほど、たった一人の人に向けて書かれているのではないだろうか。 3.たまたまサイトに辿りついた誰かに向けて書け。 ここが一番重要で、難しい。 Webサイトというのは、書いたエントリは全世
自分のサイトを持つ者はときどき初心に戻ってみよう。 あのときの自分に、 今の自分に、 問いかけてみてください。 どうしてサイトを開設しようと思ったか。 どんなサイトにしたかったか。そして今はどんなサイトか。 どのような人に自分のサイトを見てもらいたいか。 自分のサイトを見る人にどう思ってもらいたいか。 自分のサイトを見ている人はどう思っているのだろうか。 世界中のサイト管理人たちよ、もっと悩むのです。 サイトは、一歩間違えればネットワークゲームに勝るひきこもりツールである。 しかし、自分を成長させる最高のツールにもなり得る。 小さい頃から、勉強やTVや新聞から情報をインプットすることばかり経験してきた。 しかし、アウトプットという経験を積む機会はほとんどない。 映画を見た。本を読んだ。その後に、感想をいつも述べているか? そして、自分の出した感想について、何か考えているか? 私は、自分のサ
サイト論の終着点って何だろうと、ふと考えてみた。 すぐに思いついたことは「好きなことを書けばいい」ということ。 例えば、これからブログを作ろうと考えている人に、どういうブログを作ったらいい?と聞かれたら、私は「自分の好きなことを書けばいい。同じ趣味の仲間も集まるし、それが一番楽しいよ。」と答えるだろう。 例えば、ブログのネタが尽きて更新が大変ーって思っている人には、「今、本当に好きなこと書いてる?流行に流されてない?更新しなきゃって周囲の期待に応えようとしてない?それ、本当に自分の好きなことかい?」なんて声をかけたくなる。 例えば、炎上してしまい困っている人にも、「好きなことを書けばいい。ブログは正しいことを書くところじゃない。すごいねって言ってもらうための場所じゃない。自分が思ったことを書くだけでいい。それが良いかどうかは読者が判断してくれる。もし反応が悪ければ、今気づいて良かったと思え
メタブログについて語ることを試みる、メタメタ視点なエントリー。 ■「ブログ論」はなぜウザイのか ここでは話の展開上、メタメタブログを二種類に大別します。 一つは僕のはてブのように、メタブログを集めてリンク集にした物。 (中略) もう一つは、メタブログに対して批判的な記事です。 メタブログでは「どういう記事が面白いか」「こんなブログはつまらない」という定番ネタがあるのですが、こういうものに対して「好きで書いているものに文句をつけるな、ブログ論 UZEEEEEEE!!」というスタイルのものですね。 (むだづかいにっき♂:ブログ論はもういいよ、というブログ論)えっけんさんは、gooブログ内に留まらず、ブログ界屈指のメタブログ(ブログについて語るブログ)の書き手として、独自のステイタスを確立されている方だと思います。 しかし、本記事では、話をむだづかいにっき♂に限定せず、一般に「ブログ論」が「UZ
前回、はてブについて「自分にとって、もはや必要のなくなったエントリーを自由に消してしまうことにもプレッシャーが生じる(ようになる)のではないか」と書いたけれど、今年2006年はマナーという言葉をバックに、この「はてブはずし」を心理的に抑制するムーヴメントが顕在化するのではないかと予想している。 はてブ自体は、「1人は自分のために、気付けばみんなのために」というソーシャルブックマークの理念をあらわす言葉もあるように、一人ひとりが自由にブックマークすることによって結果的に集団の意見を集約した集合知が形成されるものとされている。 マナーを口にする人たちは、この集合知の形成よりも、ブックマークしたエントリーの向こう側にいるブログの管理人の存在を気にかける。勝手にはずしたりしたら申し訳ないと考えるのだ。 興味の対象は刻々と変わるもの。興味が変わればブックマークの傾向、時にはジャンル自体も変わってくる
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