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ブックマーク / mojimoji.hatenablog.com (58)

  • 道徳的詐術とは何か - モジモジ君のブログ。みたいな。

    発端。「「当は、できるでしょう?」の原初的風景」@G★RDIASより。 たとえば、私がコンビニで200円のおやつを買おうとするという状況を想定する。/目の前に、募金箱がある。そこには「アフガニスタンの人達は、4人家族で200円あれば1日暮らしていける」と書かれてある。/それでも、その文字が目に入りながらも、私はおやつを買うとする。/このときに、私が「募金できない」と言うのは端的に誤っている、ということである。ただ単に私は「募金しない」だけである。/仮に、その200円がないために、アフガニスタンの家族がその1日を生き延びられず、死んだとしよう。すると、事実として「間接的ではあろうが、私は人殺しである」と言えよう。/私は、そういうことを「まずは」嘘をつつみ隠すことなく言おう、と提起している。/これは、「正論の倫理学」なら主張するであろう、「その200円を募金すべきだ」という主張とは全く違う。

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  • メタメタゲームを降りてみる - モジモジ君のブログ。みたいな。

    この前ダーウィンの悪夢という映画を見ました。アフリカの貧しさとその上に成り立ってる先進国の幸福を切り口にした映画でしたが深い感銘を受けました。しかし私はそんなアフリカに対して何もしませんでした。映画を見て切なくなり、自己反省しただけのナルシストだと思いました。/ホームレスを見て嫌悪感を示す人、ホームレスなんて怠け者なんだから自業自得、と切り捨てる人がいます。そして、ホームレスに無関心な人、どうせおれらは何もできないんだから、心痛めたってしょうがない、という人もいます。/そして、私のようなタイプですが、ホームレスをヒトゴトとして捉えず、しかし助けることもしないが、心を痛めてる人もいます。そしてそんな卑怯な自分を責めています。/ホームレスを嫌悪するでもなく、他人事とするでもなく、せめて何もしてあげられないまでも自分の卑怯さを直視している立場はまだましだ、と思っていました。/しかし、それは最近違

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  • 隠蔽/暴露のためのメタ語り - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「語法を語る語法について - 猿虎日記(さるとらにっき)」、およびそこにつけられたid:Mr_Rancelot氏のブックマーク・コメント。 でもこれもまたメタな話になっている。 Mr_Rancelot氏のこのコメントは、sarutoraさん(およびそこにコメントをつけている僕)がメタ語りを一般的に批判していると理解した上で、そういうsarutoraさん(および僕)もメタ語りをしているのではないか、という批判だと受け取った。応答したい。 sarutoraさんのエントリが問題にしていることは、(少なくとも僕の読むところでは)メタ語り一般ではない。「ある種の」メタ語りを、それとは異なるメタ語りによって批判している。そこにどんな区別があるのか。僕の考えるところでは、立ち位置を隠すためのメタ語りと立ち位置を暴くためのメタ語りがある。前者は徹底的に批判されるべきだと思う*1。 内容について見解を示さな

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    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/04/17
    「立ち位置を隠すためのメタ語りと立ち位置を暴くためのメタ語りがある。前者は徹底的に批判されるべきだと思う。」
  • 不十分さについて - モジモジ君のブログ。みたいな。

    昨日に続いてid:inumashさんの別記事へのコメント。 http://fragments.g.hatena.ne.jp/inumash/20060331#1143813245 より。 僕は単に「正義」や「倫理」をそれほど信用していないだけです。僕は精錬潔白な人間ではないし、悪意や負の感情を抱えている。で、それによって物事を見ること、表現する事の快楽も知っている。 それをクリアさせるのに、「倫理」や「正義」を語るだけでは不十分なのではないか、というのが僕の意見です。「悪意による快楽」に代わるインセンティブを、「倫理」や「正義」によって十分に担保することができるのでしょうか。残念ながら、僕はそうは思えないのですが。 僕はここでinumashさんが前提にしていることに反対しない。僕は正義や倫理を「それほど」信用していないし、それを語るだけで「不十分」だと思うし、悪意による快楽に代わるインセン

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  • 倫理のダイナミクス - モジモジ君のブログ。みたいな。

    id:inumashさんへのコメント。 http://fragments.g.hatena.ne.jp/inumash/20060330#1143693234より。 「いじめ、カッコワルイ。」ではなくて、id:mojimojiさんの言う事も分かるんだが、彼の理想とする「正しい社会」が実現されたとして、あんまし楽しそうじゃないなぁ、と思ってしまう。 問題なのは倫理が徹底されていない事ではなく、倫理を破る快楽そのものが既に認知されてしまっていることで、そういう人達にいくら倫理の正当性を主張したところで何の意味がないんだよね。 これは後日また書くと思うけど、いじめや差別のような問題に法だけで対処して十分ではないし、法だけで対処しなければならないわけでもない。十分ではない、というのは男女雇用機会均等法などが存在する現在の状況を考えてみればいい。 他方、倫理の正当性を主張することだけで十分ではないけ

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    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/04/17
    「表現を表現として肯定することと、そこに示された悪意を倫理の座標の中で肯定することは別。だから、ここには幾つもの混乱が隠されていると思うよ。」
  • アイヒマンは、いつでもその身を隠す(2006/04/08) - モジモジ君のブログ。みたいな。

    id:otsune氏へのコメントへの応答。 おかしいのは「実態にあっていない規則」のほうであって、たとえ「命に関わることを要求して座り込む」人に対して、窓口の担当者が立場的にルールに沿った発言した出来ないとしても、窓口の人がルールを守って職務を遂行していることを非難するのはおかしいでしょう。 ……と、私(otsune)の価値観では考えますよ。それをmojimojiさんの価値観では非難しますよ。という事ですよね。 非常によく理解できます。 otsune氏は、ここで支持する/しないを、「座りこみをする人を支持するor担当者を支持する」というフレームワークに封じ込めたところでしか思考しない。あるいはできない。そして、そのように封じ込めることによって、otsune氏のような発想は維持される。彼は、異議申し立てを、頭からはねつけたりはしないのだ。少なくとも主観的には。つまり、otsune氏のような人

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  • DQN系クレーマーという表象(2006/04/03) - モジモジ君のブログ。みたいな。

    id:otsune氏のブックマークコメントについて。 うわっ。mojimojiって人はDQN系クレーマーを支持する思想なのか A氏は怒るし、場合によってはその場に座り込んだりするわけです。他方、役人の方は、あくまでも自分の応答が規則に即しているかどうかのみを語るわけです*1 今まで書いたことの復習みたいなもんだけど。命に関わることを要求して座り込む人を僕は支持し、「ちょっと言葉遣いが気に入らない」というようなことで座り込む人を僕は支持しない。つまり、主張の内容によってコミットしたりしなかったりするのであり、「座り込む」という行動にコミットしているわけではない。 otsune氏が僕のところのコメント欄でグルグルグルグル同じところを回っているのは、この区別をしない、あるいはできないからだ。彼はそこで語られていることの意味内容を理解しない、あるいはできない。イジメや差別を行う人の厚顔さは、この区

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  • 律法主義者の習性・まとめに代えて - モジモジ君のブログ。みたいな。

    (1:41加筆修正) まだわかんないみたいですね。>id:otsune氏 otsune氏は次のように言えばいいんですよ。 「決して愉快そうにしているわけではない相手の誕生日を祝う会を勝手に開くという十二分に悪趣味なイベントについて馴れ合って事実上承認することに、何の問題もない」 どうしてこう述べないのか。こんだけ長いやり取りをしていても、まるでそれだけは言っちゃいけないことを知っているかのように、このような言い方だけはしないのですよ。otsune氏や、こういう類の人たちは。 僕は、otsune氏がやったことの意味において、それはイジメと判断されるべきことだ、と主張しているのですが、それはおっしゃるとおり、僕の判断です。otsune氏が従うべき理由などありません。だから、あなたの判断において、あなた自身がしたことをきちんと記述的に踏まえて、その上で「それはイジメではない」と言えばいいのですよ

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  • 律法主義者の浅はかさを哂う - モジモジ君のブログ。みたいな。

    id:otsune氏からコメント。速攻レスします。 犯罪行為になるのでなければ何をやってもいいわけではないでしょう。 それはmojimojiさんの倫理感ですね。明文化されていない不文律をさも「そのぐらい当然気を使うべきだ。それをしないのだから非難するのだ」と無理筋で根拠にされても「はい。そうですか。でも私は法を根拠にした倫理観で行動しているので、価値観の違いですね」としか言えません。 つまり「otsuneは法的な倫理観が有るが、mojimoji的倫理観にはそぐわない」と言っているのだという意味ですよね。 それは同意しますよ。別に問題だとは思いません。(ギャラリーの目からは、そんな明文化できない根拠の無い事で騒ぐmojimojiさんの異様さが際立ちますし) http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20060330/p1#c1143691541 そーらきた。という感じです

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  • あなたがしていたのは議論「以上の」ことでしょうに - モジモジ君のブログ。みたいな。

    otsune氏へ、import otsune from Hatenaからの僕へのTB記事について。 彼に限らず、ネットでの議論は年齢・性別・職業・能力などで差別しないようにしていました。 語るに落ちますよね。syujisumeragi氏はrir6氏の誕生日を勝手に祝うと公言し、何人かとそれを実際に行い、そのときの会話の内容を自分のブログに貼り付けています。>ここ あなたはこのエントリを読んでいます。まず、普通の人間の感性なら、この時点で相当に悪趣味な、rir6氏に不快感を与えるためになされたイベントであると感受するはずです。それとも何でしょうか。こういうことは人によって感性が異なることだから、云々と、おっしゃるつもりでしょうか。「また誕生日イベントが、犯罪行為となりうるほど問題な「つきまとい」だと、その時点で見抜くのは無理でしょう」と言いますが、犯罪行為になるのでなければ何をやってもいいわ

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  • 考える場所として確保された領域で思考停止する人たち - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「http://d.hatena.ne.jp/Mr_Rancelot/20060329/p3」をいただいた。即答しておく。 …読んだが、結局、id:mojimoji氏の「これは僕の勝手な想像だけど、しかし、かなり当たっていると思うけど、キーワード登録の動機はrir6氏をイジろうと考えたことにあり、イジられるrir6氏の反応を見てたのしもうとするところにあったんだろう。」という想像であり、キーワード設定の一定の基準を示すでもなく、具体的な問題を指摘しているでもなく、特定の個人の内面を憶測しているようだ。 憶測がどこに成り立っているかを見ないからこういうことを呑気に言っていられる。「キーワードを登録する積極的理由を示す人が誰もいない」という事実があるからこそ、このような憶測を主張する余地が有るわけだ。二度までして出てこないから確実だろう。この人たちは、キーワード登録をすることの積極的理由なんて

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  • 個人を対象としたキーワードを作る件について - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「http://d.hatena.ne.jp/Mr_Rancelot/20060329/p1」について。 混乱しているところを整理 「結果的にブログ閉鎖を引き起こす」ことを、一般的な意味で批判したりはしないし、していない。 ただ、ブログ閉鎖するときに、閉鎖する人を批判しない。 今回の件に限って言えば、id:syujisumeragi氏を中心に、実際にストーキングした人&それを煽った人については、ストーキング被害を生みだしたこと(今回の件について言えば、ブログ閉鎖も含む)について批判する。 個人を対象としたキーワードを作る件について mojimojiさんが現在、明言されている範囲で言えば、はてなのキーワードでrir6という項目を作ったことを批判されている。なぜこれが批判に値するのかが分からないので、その理由をお聞きしたいのだが、特定の個人に関する項目を作ること自体が問題なのか、あるいは項目の

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  • RIR6君がブログをたたんだことを支持する - モジモジ君のブログ。みたいな。

    RIR6君がまたブログをたたんだ件について。いろいろ話になっているらしい。個人的に残念だけど、僕は彼の選択を支持したい。最初に白状しておくけど、関連するやり取りを全部読んだわけではないし、とりあえずid:using_pleasureさんへidTBしておくけれども、using_pleasureさんへの批判ではない。ただ、rir6氏について幾つか述べておきたいことがあったので。必要なことは「支持すること」ではないだろうけど、とりあえず支持しておく。 基的な前提としての僕の認識。 rir6氏は文句なしに、優秀な人物であり、彼が高校生であったことは少なからず驚きであった。 もちろん、彼の議論のすべてに賛成なわけはなく、僕自身と彼の考え方のズレについて検討すべき点が幾つかあるなぁ、と思いながら見ていた。ただ、少なくとも彼の書いたものを読むことは、実りの多いものであったことは疑いない。 彼に粘着して

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    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/04/17
    なのか否なのか:道路元標。
  • ポールさんのようになれるか、と問う前に - モジモジ君のブログ。みたいな。

    言葉だけ「やめなよー」とか言いながら正義ぶって、でも内心ではニヤニヤしながらひとが窮地に陥ったり差別があったり暴力を振るわれている状況を憂える自体を「楽しんで」いる。私はそういう人間でしかないのだともう認めようと思う。 http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060327/p4 僕も認めよう。てゆーか、否定したことがない。ポールさんのようになれるくらいなら、もっともっとずっとずっと手前で、できることが沢山あるはずで、僕はポールさんのようにはなれないから、だから今こうして自らが信ずることを吐いている。それともう一つ。ほんの少しでもエリアを広く取るならば、そもそもこの「ポールさんのようになれるか」という問い自体がどこかずれている。僕らは今まさに他者を見殺しにしながら、毎日たのしく暮らしてる。この問いを問うのがおかしいとは言わないけれども、今・ここでまさに見殺しにして

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  • keya1984氏への私信──沖縄戦「自決強制」関連 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「「空気」を気にする日人の精神主義的教育論@Backlash to 1984」に対して、コメントつけたら、反論されたので、返事を返す。たいした内容じゃありません。 米軍はソ連軍とは違い、投降しておれば救われた命は多かったでしょうね。しかしそれは結果論でしょう。「恐怖を煽って」と言いますが、ソ連軍は強姦も拉致も殺害も略奪もし放題だが米軍は投降すればそんなことは少ないよ…などと敗戦前にどうやって知ることができたのですか? 都市への無差別の空襲などを見るにつけ、当時の日人なら「鬼畜米英とはまことであった」と感じていたに相違ありません。 責任転嫁はやめましょう。そんな知ることができたかどうか以前に、日軍としては投降されては不都合だという状況があり(陣地構築などで住民を徴用し、機密が広く知れ渡っていたため)、そのために組織的に投降阻止することを軍の方針にしたんです。それが「軍官民共生共死の方針

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    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/04/03
    コメント欄について。枕詞の言葉尻に噛みついて煽り口調というのはいささかいただけない感あり。ただkeya1984氏の「意図」は「サヨクの反戦観」をdisることだろうと思われるのでお互いそうなるのか。
  • 「勝ち組」が「勝ち組」に向けて語る

    赤木論文は、「負け組⇒勝ち組」のメッセージ。このメッセージに対して応答するとは、二つの応答が必要だと考える。一つは「勝ち組⇒負け組」で、それが「「勝ち組」からの応答──赤木論文を検討する」。いろいろブックマーク・コメントをお寄せいただいてます。ありがとうございました。そこでid:kmizusawaさんも指摘しているように、これは「身も蓋もない話」だ。しかし、「負け組」とは、定義上、「奪われた人」なのだから、「負け組」に何ができるわけでもなく、「勝ち組」であるにせよ私一人に今すぐどうこうできるわけでもなく、あのように答えるしかない。しかし、その身も蓋もなさを確認することは大事な出発点である。というのも、この身も蓋もなさを確認することによって、「勝ち組である私」と「負け組」というフレームワークがそもそも間違っているのだ、ということに気づかざるをえないからだ。そこで、赤木論文への応答としては、「

    「勝ち組」が「勝ち組」に向けて語る
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/03/24
    ここにもまた優れた「インテレクチュアル・オネスティ」の持ち主がいた。じっくりとかみしめておきたい。
  • 「勝ち組」からの応答──赤木論文を検討する - モジモジ君のブログ。みたいな。

    正直、これできちんとした応答になっているのか自信はない。ないけれども、素通りもできないので考えたことを書いてみる。赤木智弘(id:ClossOver)「「丸山眞男」をひっぱたきたい」について。 今日、飢えて死ぬ人がいる。今日、凍えて死ぬ人がいる。etc...。多少なりとも手を伸ばし、誰かの役に立つような何かをちょこちょことやってはみても、まだ全然足りない。一人の力はとても小さいから、また他人よりは自分のことの方が大事だから、できることをそれなりにやったとしても、いつでも全然足りない。だから、社会の仕組みそのものを変えようと考える。うまくいくかどうかさえ分からないのだが、しかし、仮にこれがうまくいったとしても、そのうまくいったその日までに死に行く人には間に合わない。明日、何もかもがうまくいくとしても、今日、死に行く人には間に合わない。 左派であるとは、こうした状況を変えようとする、ということ

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  • 野宿者を怖がること - モジモジ君のブログ。みたいな。

    暗い夜道でたまたま女性と通り道が同じになり、中途半端な距離を保ちながら歩くめぐり合わせになってしまったりすることがある。そういうときに、たまーに、駆け足になられたりすることがある。悲しい気持ちになるが、少なくとも腹は立たない。てゆーか、申し訳ない気持ちになる。当に危害を加えられるような可能性は、少なくとも確率的な問題としては、圧倒的に低い。しかし、こういうときに生じる怖さというのは確率的なものとは無縁のものであって、怖さを感じてしまうこと自体は人にもどうにもならないところがある。 野宿者に対して「怖い」と感じる感情も、同様のどうにもならないところに発するものは確かにあるのだろう。山田花子のコメントにしても、分からないではない*1。少なくとも、「怖い」に対して、「当は怖くないよ」を対置しても、それだけでは残されてしまうものがある。そう言われてしまうところはあると思う。 このような意味で

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    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/03/14
    「恐れつつ、しかし、排除しないことは、理性的には可能なことだ。」腑に落ちる考察。ここが「異質な他者」を理解するギリギリのラインだと思う。