発端。「「本当は、できるでしょう?」の原初的風景」@G★RDIASより。 たとえば、私がコンビニで200円のおやつを買おうとするという状況を想定する。/目の前に、募金箱がある。そこには「アフガニスタンの人達は、4人家族で200円あれば1日暮らしていける」と書かれてある。/それでも、その文字が目に入りながらも、私はおやつを買うとする。/このときに、私が「募金できない」と言うのは端的に誤っている、ということである。ただ単に私は「募金しない」だけである。/仮に、その200円がないために、アフガニスタンの家族がその1日を生き延びられず、死んだとしよう。すると、事実として「間接的ではあろうが、私は人殺しである」と言えよう。/私は、そういうことを「まずは」嘘をつつみ隠すことなく言おう、と提起している。/これは、「正論の倫理学」なら主張するであろう、「その200円を募金すべきだ」という主張とは全く違う。