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Palestinian_man_returning_home.jpg 月だけが壁を越えゆく地にありて闇にも届けよ春の樹のこえ http://d.hatena.ne.jp/usaurara/20090220/1235141488 詩人の想像力においてここでは卵は月に(おなじ円形で白いものだから)姿を変える。鳥だけが越えられる、月だけが越えられるといった比喩は洋の東西を問わずかってはとてもポピュラーな比喩だった。越えられない格差が世界の至るところにあったからだろう。いまではわざわざ詩人のために高くて高い頑丈な壁を建ててくれるような酔狂な国家、でしかそうした比喩は使えない。 >tmsigmundさんへ (1)をもう一度読んでからRESしようとして遅れております。すみません。 巨大な言説摩滅装置 さて、すべての批判を(少なくとも政治的には無化する)巨大な言説摩滅装置としてイスラエル国家とそのシンパ
【末尾にブコメへのレスを追記しました。】 村上春樹が誰に向かって何を言ったのか。この点を明瞭に押さえておく必要があるでしょう。単に、「イスラエル人に対して語った」というだけでは、十分ではないでしょう。彼は、ガザの攻撃も含めてイスラエルの政治的正当性を疑っていない人に対して、政治の一つ手前にある前提について語りました。彼は、正真正銘、生粋のシオニストに向かって、倫理を説きました。そのことの意味を、考えておきます。 「シオニストに倫理を説く」ことの必要性 シオニストに対して、倫理を説く。その必要性は明瞭だと思いますが、確認しておくべきことではあるようです。基本的なことから確認しましょう。パレスチナ問題は、いかにして解決されるのでしょうか?イスラエルの占領終結によってです。その後、どんな状態が待ち望まれているのでしょうか?イスラエル人とパレスチナ人がともに暮らす一つの国が形成されることです。 言
http://d.hatena.ne.jp/lmnopqrstu/20090223/1235394696 ごく簡単に。と思ったけど、結局、随分長くなった。 一億総懺悔とは違います 責任が、全員にたいするひとまとまりの責任としてあることは述べましたが、全員が同じように果たすべき、という話をしているのではありません。一億総懺悔の話とは、全然関係ありません。皆に責任があるということと、皆に等しい責任があるということは、別の話です。村上の責任を問うときに、自分の責任について考えるからこそ、それは本当に村上に対して問える責任なのか、ということを反省的に考えられるのです。 逆に考えますが、天皇の責任を考えるときに、日本社会に生きた一人の人間としての責任を考えないではいられません。戦後に生きてその相続者たる自分の責任を考えないわけにはいきません。それらは同じではありません。同じではありませんが、一つのあ
mojimojiさんから、わたしが書いたことへの応答と反論を以下の 「自分を棚上げにするということ、隠喩の問題」 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090222/p1 というエントリーとしていただきましたので、できるかぎりわかりやすくお答えします。 「えげつない国家」とはどこの国のことか 僕は、イスラエルを「あんなえげつない国家」と言うときに、自分が日本国籍を持つ人間であることを考えないではいられません。北朝鮮を「あんなえげつない国家」と言うときに、やはり、日本国家が不問に付されているのを見ても、違う、と思うでしょう。ここでの「どんな国も支援しません」という追記は、不可欠でさえあります。と述べたら、相対化でしょうか?僕は、自分を棚上げにするのかしないのか、という問題だと思いますけど。 mojimoiさんのご意見にある面では同意します。自分の国家のやってきたこ
「村上春樹による政治的なスピーチと、湧き上がる非政治的な解釈」@ブログのきおくそうしつ Amnesia on the Blog だいたい、断りがない限り、文章の順に引用しています。 「えげつない国家」とはどこの国のことか あんなえげつない国家に加担しないというのは、まあ、まともな感覚といえる。ただし「どんな国も支援しません」と最後に付け加えるとき、イスラエル国家のやっている極端な不正義を、村上は絶対視せず相対化してしまっている。 僕は、イスラエルを「あんなえげつない国家」と言うときに、自分が日本国籍を持つ人間であることを考えないではいられません。北朝鮮を「あんなえげつない国家」と言うときに、やはり、日本国家が不問に付されているのを見ても、違う、と思うでしょう。ここでの「どんな国も支援しません」という追記は、不可欠でさえあります。 と述べたら、相対化でしょうか?僕は、自分を棚上げにするのか
村上春樹が「エルサレム賞」授賞式で行ったスピーチをめぐって、いろいろと議論があるようだ。必要最小限のことだけ、明記しておきたい。 スピーチを受け止める側の多くが、単に村上の政治的な姿勢を問うていたはずであるにもかかわらず、たとえば「壁と卵」といういかにも村上らしい表現に引きずられて、その本来の問題提起をぼやかせてしまっていることに、かなりの違和感をわたしは感じている。ちょっとはっきりいうと、今回の村上のスピーチに賞賛を送るのは、もともとのヒューマニズムのそこの浅さが、露呈してしまっているのではないか。 確かに村上は、イスラエルのガザに対する軍事攻撃に批判的なコメントを寄せた。それに意想外の印象を受けて、「村上春樹もいいところがある」と考えるのもいいと思う。イスラエルを批判する意見が、世界に多くあることをそれなりに示す機会をつくったのだから。そこで話をやめるならいい。しかし、村上のスピーチに
村上春樹のエルサレム賞受賞については大して興味がなかったのだが、前回も書いたように、受賞スピーチへのメディアやウェブ上の賛美には本当に唖然とさせられる。 スピーチの全文は、下のリンク先にある。 http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html 翻訳はウェブ上にいくつかあるが、便宜上、その下のものを使わせていただく。 http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20090218/1234913290 村上は言う。 「しかしながら、熟考のすえ、最終的に僕はここに来ることを決心しました。僕がここに来ると決めた理由のひとつは、あまりにも多くの人々が僕に「行くべきでない」と言ったことです。おそらくほかの多くの小説家と同じように、僕は天の邪鬼です。多くの人々から「そこに行くな」、「それをしないでくれ」と警告を受けると、そこに行き、それをした
「村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチについて」 半ば名指しで批判されていることですし、応答したいと思います。 代弁の問題 驚くべきことに、村上には、「ここに来ることを決心」するにあたって、パレスチナ人に自分の受賞がどう映るか、ということを考慮した形跡は欠片もない(少なくとも、そうした点への弁明が必要だとは全く考えていない)。日本での、村上への呼びかけしか眼中にないのだ。 また、村上は、自分のスピーチが「政治的なメッセージ」でないことを繰り返し語っているが、パレスチナの民衆から見れば、イスラエルの蛮行を世界的大作家は拒絶していない、という「政治的なメッセージ」以外の何者でもないだろう。もちろん村上がスピーチで、例えば、「賞金の1万ドルは、全額ハマスに寄附する」とでも表明すれば話は変わってくるだろうが。 もちろん、「パレスチナの民衆から見れば」という視点は大事ではあるんですが、この語り方はどう
とりあえず、速報的に、気になることをいくつか。 とりあえずの感想 イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞が15日、作家の村上春樹さん(60)に贈られた。エルサレム市で開かれた授賞式の記念講演で、村上さんはイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃に触れ、人間を壊れやすい卵に例えたうえで「私は卵の側に立つ」と述べ、軍事力に訴えるやり方を批判した。 …… 村上さんは、授賞式への出席について迷ったと述べ、エルサレムに来たのは「メッセージを伝えるためだ」と説明。体制を壁に、個人を卵に例えて、「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵」を思い浮かべた時、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」と強調した。 また「壁は私たちを守ってくれると思われるが、私たちを殺し、また他人を冷淡に効率よく殺す理由にもなる」と述べた。イスラエルが進めるパレスチナとの分離壁の建設を意識した発言と
「エルサレム賞」受賞式に出席する村上春樹氏=ロイター 【エルサレム=平田篤央】イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞が15日、作家の村上春樹さん(60)に贈られた。エルサレム市で開かれた授賞式の記念講演で、村上さんはイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃に触れ、人間を壊れやすい卵に例えたうえで「私は卵の側に立つ」と述べ、軍事力に訴えるやり方を批判した。 ガザ攻撃では1300人以上が死亡し、大半が一般市民で、子どもや女性も多かった。このため日本国内で市民団体などが「イスラエルの政策を擁護することになる」として賞の返上を求めていた。 村上さんは、授賞式への出席について迷ったと述べ、エルサレムに来たのは「メッセージを伝えるためだ」と説明。体制を壁に、個人を卵に例えて、「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵」を思い浮かべた時、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側
今、あちこちで転載されているだろう「拝啓 村上春樹さま ――エルサレム賞の受賞について」の日本語版と英語版を、うちのブログでも貼り付けようと思います。ところで、いざMLや自分のブログに貼り付けるとき、紹介文を作ったり、テンプレートを整えたりって、ひと手間かかりますよね。ということで、私が実際にMLに流した紹介文付きでのっけておきます。 あと、英語版にid:toledさんの追記付き。ここがいいよね↓ No, I know there's something called reality, I was born to make a difference there, and I'm going back. And Bii's message is a secret contact device between my dream reality and my real reality. (以下、
「正戦論」の主張者として知られるマイケル・ウォルツァーは、自ら編集する『Dissent』誌のオンライン版で、イスラエルによるガザ攻撃は「不均衡/disproportinate」であるという議論に対して批判を行っている。 ■The Gaza War and Proportionality http://www.dissentmagazine.org/online.php?id=191 ウォルツァーが指摘するのは、「均衡/proportionality」という概念のあいまいさである。彼は、戦争においては「均衡」という概念は単なる「やったらやり返す/tit for tat」式の(被害の)対称性を意味しないという。戦争には常に目標がある。たとえば第二次大戦時のドイツへの空爆は、その後の想定しうるドイツの攻撃による被害を阻止するために行われた。その攻撃は多くの市民に被害を出したが、その数がどれだけな
ガザのあとで−− わたしたちは人間であることに恥を覚えることなく、「ガザ」という名を口にすることはできない。ガザ、それは人間性の臨界を意味する言葉となった。「アウシュヴィッツ」や「ヒロシマ」と同様、人間性の臨界域において現出する悲劇の同義語となった。 ホロコーストのあとで−− 「わたしたちは知らなかった」、ドイツ人たちはそう言って自らを免罪しようとした。(略) では「ガザ」は?2008年12月27日以来、ガザで起きたこと*1は? 150万人の人間を出口なしの檻のような狭い土地に閉じ込めて、世界最強の軍隊のひとつが空から海から陸から世界最新鋭の軍事兵器でミサイルの砲弾を、雨のように浴びせて殺戮する。そんなことが、わたしたちの目の前で、世界注視のなかで公然と、20日以上*2続いたのだ。まるで、「知っていたら、お前は本当に声を上げるのか?」と問わんばかりに。 岡真理「ガザのあとで」p8 現代思想
ところで、僕はエルサレム賞に関して、何を知っているだろう? それがイスラエル最大の文学賞であり、イスラエルの有力新聞とかが噛んでいて、エルサレム市長とかも列席する中で授与されるということだけだ。 言うまでもなくエルサレムはパレスチナとイスラエルが領有をめぐって係争し、それどころか過去半世紀以上にもわたって血腥い戦争を繰り広げてきた土地であり、イスラエルはパレスチナに対して相当疑問のある経済政策や軍事行動を取っている国で、イスラエル国民はその多くがそうした政府の行動を支持している人たちだ。 だから、エルサレム賞というのはまことにいかがわしく、その受賞を辞退して当然のように見える。だけど、果してそうなんだろうか?というか、それで良いんだろうか? たとえば、僕だったら、中国の人に「お前は日本人だから南京虐殺を否定しているんだろうけど、あれはな」と言われたりしたら、相当悲しい気分になる。その辺は一
バントゥースタン Bantustans 1950年代から94年まで南アフリカ共和国(南ア)にあったアフリカ人(バントゥー語系の黒人)自治区。ブラック・ホームランド、バントゥー・ホームランド、あるいはたんにホームランドともいわれた。南アの人口の大半を占めるアフリカ人に対して、アパルトヘイト(人種隔離)政策の一環としてつくられたものだった。 1950年代、南ア政府はアフリカ人を部族によって区分し、政府がそれぞれの部族にホームランドとみなした地域をわりあてた。バントゥースタンあるいはバントゥー・ホームランドという呼び名は、さまざまな部族の言語がすべてバントゥー語属に属するとみなされたことに由来する。バントゥースタンは10あり、部族にもとづいて、ボプタツワナ(ツワナ族)、シスカイ(コーサ族)、ガザンクル(シャンガーン族およびツォンガ族)、カングワネ(スワジ族)、クワンデベレ(ンデベレ族)、クワズー
バイナショナリズムとは、ユダヤ人とパレスチナ人という二つのネイション(民族・国民)が、領土を分割するのではなく一つの国をわけ合って、互いの存在を認め、一方が他方を支配することなく、政治的な平等と経済、社会、文化面での協力を推進していこうという考え方です。このような国家を、二民族国家あるいは民族共生国家と呼んでいます。 『中東 虚構の和平』講談社2004年に収録)は黙殺されるという、さんざんの結果に終わったようです。 90年代になってサイードやアラブ側の人々から提唱されるようになったバイナショナリズムは、「二国家解決」が失敗したことに原因があります。 そもそも「二国家解決」には難民の帰還権が切り捨てられるという欠陥があるのですが、それに目をつぶったとしても、この方式はすでに破綻しています。オスロ和平プロセスの10年のあいだに、イスラエルは占領地への入植を急速に拡大し、ユダヤ人専用道路をはりめ
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