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_はてな匿名Dと議論に関するo_keke_nigelのブックマーク (11)

  • 『韓流が多いのは通販番組が多いのと一緒』へのコメント

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    『韓流が多いのは通販番組が多いのと一緒』へのコメント
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2011/08/05
    ツリー部分で。「公共」というキーワードで、3つのレイヤー(オフィシャル/オープン/コモン)の何を重視するか(言い換えれば「オープン」にどれだけ関心を払っているか)をチェックすれば色々透けて見えてくる。
  • 韓流が多いのは通販番組が多いのと一緒

    コンテンツ、人件費が安い割りに、視聴率がそこそことれる。 そんだけの話。円高もそれに拍車をかけている。 昼間の再放送の枠が全部韓流になったなとか、通販ばっかだなと個人的に思うことはある。 しかし、通販番組がこれだけ多いのは裏に何か巨大な組織がいるのだろうか。 高田社長は実は悪の枢軸で、裏で何かつながりがあるのだろうか。 通販番組特権なるものがあるのだろうか。 ない。コンテンツを生み出す能力がないなかで、安いコンテンツで枠を埋めれるものがそれだからにすぎない。 メイドインチャイナが身の回りの物を占めることと同じ。 ある程度の品質のコンテンツが物価の安い国から出てくればこうなることは必然だった。 文化集団的に言えば、かつてだったらビジュアル系のファンになっただろう少女がボーカロイドに吸収されているように かつてであればビルボード洋楽、ジャニーズに憧れるようなファン層がK-POPに引き寄せられて

    韓流が多いのは通販番組が多いのと一緒
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2011/08/05
    確かにこれは「フジのやり方」なのは昔から同じ。F1&バーニーならネタで流しても、K-POPには公共性の侵害だとペタに反応した人々が湧いて出たでござるの巻。でもフジも「高岡ICBM」は想定外だったろう。
  • 議論が好きだ

    正確には、議論が許される場が好きだ。だから2chの議論できるスレや増田が好きだ。 俺は直接見てきたわけではないが、大正デモクラシー前夜の電車で演説をぶつ人や新聞上での議論を連想する。 ただ、議論をしない社会というのも尊重しなければならない。議論が息苦しいという人の気持ちも分かるからだ。例えばはてなハイクはゆるい空気だからこそいいとなる。それを議論で汚染されたくない人の気持ちは痛いほど分かる。 でも、両者を住み分けしようとすると、議論しない場は排他的になり、議論する場はどんどん公共性を失い、醜悪なものになる。そんな議論ならやらない方がましだ。 では住み分けしないとなると、議論しない場は議論する場に汚染されることを避けられない。議論する(1)としない(0)を足したら1になるわけだ。議論したくない人たちの気持ちは無視されることになる。 議論しない人と議論する人の共存はどうすればいいかということを

    議論が好きだ
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2010/08/02
    ハイクで議論をすることが「ハイクの空気を汚染する」と解釈する人々の狭量さにむしろ頭がくらくらする。「議論する側の公共性」が失われる、とは公共性のオープンネスのレイヤーを軽く見積っているのではないか。
  • 死ぬほど英語を勉強してきたからわかる、英語学習の限界

    6/21追記: http://anond.hatelabo.jp/201006210004476/21追記2: http://anond.hatelabo.jp/20100621194920俺は英語学習オタクだ。これまでの人生の中で大量の時間を英語学習に費やしてきた。中学校から始めて、日にいてできる英語学習法は殆ど試したと思う。高校時代には学習参考書や問題集を二百冊以上終わらせた。ネイティブの個人家庭教師がついていて、さらにマンツーマンの英会話スクールにも通った。大学は迷わず英語学科を選んだ。大学在学中にTOEFLのスコアは640を超えた(厳密には覚えていないが、目標が640でそれを超えたのは間違いない)。 大学を卒業後、アメリカの大学院の博士課程に留学した。ここでも俺の英語は「通用した」。授業に問題なくついて行き、ディスカッションにも十分に参加できる。タームペーパーや授業でのプレゼンの

    死ぬほど英語を勉強してきたからわかる、英語学習の限界
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2010/06/30
    本記事ではなくてツリー記事だが、中国語とハングルへの見積もりが甘すぎる(中国語もハングルもそれぞれ入りやすい部分があるが、どちらも日本語にない音が多く、中国語については統語法が全く違う)のが気になる。
  • ・ミソジニーなひとたち ・中身とは切り離してネタ=メタ=構造=テンプレ..

    ミソジニーなひとたち ・中身とは切り離してネタ=メタ=構造=テンプレ=ガイドラインとして楽しんでいるひとたち ・流れに便乗してるひとたち 下二つだって一番上と同じだろう。三十路ニーでないならこの流れに乗りたくならないだろうし、メタだというのはただの予防線であって、それを隠れ蓑にして自分は悪人でないと思い込もうとしてる分一番上より二番目が圧倒的に悪質。

    ・ミソジニーなひとたち ・中身とは切り離してネタ=メタ=構造=テンプレ..
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/06/28
    「メタだというのはただの予防線」→c.f.http://d.hatena.ne.jp/jouno/20050604/1117882968 「無粋だ、と自分の勝手に決めた内輪の暗黙の了解を明示的にしようとすることとみなして、抑圧し嫌がるのはくだらない。」
  • んー。ここが一番の意見の相違点だと思うけど、ネット上においてはコンテ..

    んー。ここが一番の意見の相違点だと思うけど、ネット上においてはコンテンツの中身の真意は 極論すればどうでもよくて、プラットフォーム=構造こそが重要。 たぶんネタとして扱ってるひとたちはそのプラットフォームの変化を楽しんでると思う。 気でミソジニーなひとたちだけじゃない。 だからこの元増田の記事について ・ミソジニーなひとたち ・中身とは切り離してネタ=メタ=構造=テンプレ=ガイドラインとして楽しんでいるひとたち ・流れに便乗してるひとたち この三者でこの元増田から発したネットワークは構築されてるって考えている。

    んー。ここが一番の意見の相違点だと思うけど、ネット上においてはコンテ..
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/06/28
    「ネット上においてはコンテンツの中身の真意は極論すればどうでもよくて、プラットフォーム=構造こそが重要」
  • ・本気でやってるが、指摘されたときはネタだと言い張る これによって自..

    気でやってるが、指摘されたときはネタだと言い張る これによって自分だけ傷つかずに好き勝手言える それで通じると思ってるのは言う方だけだがね 性別関係なく、これを使ってる人を見かける。

    ・本気でやってるが、指摘されたときはネタだと言い張る これによって自..
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/06/28
    「本気でやってるが、指摘されたときはネタだと言い張る」
  • 崖から落ちそうな人がいました

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/12/02
    はてブ※「県警のヘリ」webで飛ばせる人はいない/でもマスコミのヘリならたくさん。中にはギャラリーに放水やうんこ投げるものも…そこで「我に帰る」人あり、石を投げる人あり、対空ランチャーを撃ち込む人あり。
  • 「批判を受け入れる」ってどういう状態のことなの?

    同意したり非を認めたりなだめすかしたりしても「お前は批判を受け入れていない!」って言い続ける人にからまれてからよくわかんなくなった。単純に嫌いだっていうなら理解はできるし、発言を削除しろ、とか謝罪と賠償を要求、とかなら対処のしようがあるんだけど…。 一般的に「批判を受け入れる」ってどういう状態のことなの?

    「批判を受け入れる」ってどういう状態のことなの?
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/06/13
    その絡み方なら「批判者の自尊心を満たしてあげる」ということだろうな。「受け入れろ、受け入れろ」と批判者も深追いしていけば臨界点でゲリラに襲われることになる。
  • インターネットにおける議論の進め方の一典型

    [blog]インターネットにおける議論の進め方の一典型非常に常識的な事ですが、世の中に批判を免れるような価値観というのは一切存在しません。例えば「職業に貴賎はない」というテーゼすら批判される余地のあるものです。 批判されるべきではない価値観などは存在せず、常に批判にさらされ磨かれるからこそ、そういう価値観が普遍化もするし説得力を増すものと私は考えております。 インターネット上で議論していて気になるのは、一部の批判を認めてしまうと、全てが否定されてしまったように思う人がいること、あるいは一部分で論破できたからといって、相手の全てを論破し得たなどと勘違いしている人がいることです。 自分の側に論理的におかしなところを認め、その上でこれとこれについては認めるべきだと主張すれば、うまくいけば批判する側を味方につけることができます。自分の側に論理的におかしなところがあることに目をつぶり続ける限り批判は

    インターネットにおける議論の進め方の一典型
  • もしもそうならやな時代だなあ、と。

    吉田アミさんなんかに典型だけど、「何かを嫌いっていう時間に好きなものを楽しむ努力をしたい!」みたいな発想がアニメファンや音楽ファンやらマンガファン――要するにサブカルチャー好き全体に広まって行ってる様子なのかしらん。東浩紀さんも昔SFセミナーでトラブルがあったときに「批判がしたけりゃ自分がいないところでやってくれ」みたいなことを言ってましたっけ。なんだかなあ。 たしかに、頭ごなしに駄作認定してネガティブキャンペーンを張るのはよろしくない。そんな暇があったら好きなものを楽しむ努力をした方がいい。しかし分析的に、理由を挙げながら批判(≠批難)をしているものにまで「そんな暇があったら――」と言ってしまうのは精神的ひきこもり症状ではないのかなぁ。そこには成長がない。「成長」という言葉遣いに抵抗があるなら、「変化」と言い換えてもいい。ひとが忙しい毎日の中で、わざわざ時間を割いてサブカルチャーに接する

    もしもそうならやな時代だなあ、と。
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