倍速鑑賞について、私が当初考えていたことはこうだ。 作者の意図するところではないやり方で鑑賞することは、ふつうは、美的に落ち度があり、道徳的に落ち度がある。つまり、ちゃんと見れておらず、失礼である。〈見るからにはちゃんと見るべし〉も〈失礼なことはするな〉ももっともらしい規範なので、ふつう、倍速で見ることは美的・道徳的な非難に値する。ふつう、映画を倍速で見ることはわるいのだ。 しかし、「ふつう」と書いたように、これらの落ち度を打ち消すような要因がある。鑑賞が回復可能な場合、つまり等速で見た場合にキャッチしたであろう事柄を十分キャッチできる範疇での鑑賞である場合(そうかどうかは個人の認知能力の問題)、ちゃんと見れてないわけでも失礼でもない。方法としてちゃんとしていようがいまいが、結果として同じものをキャッチしたのであれば、総合的にはちゃんと見れているし、失礼でもない。なので、美的な非難にも道徳