日本におけるアイヌ学の権威と言えば金田一京助がまず思い浮かぶだろう。金田一によるアイヌ学について少し考えてみたい。 金田一とその弟子に当たる知里幸恵・知里真志保については丸山隆司氏の『〈アイヌ〉学の誕生ー金田一と知里と』(彩流社、2002年)に多くを拠っている。 金田一京助はアイヌ研究に入るきっかけを次のように述べている。 普通に行つてゐたら国語の研究者とでもなつてゐた所だつたらうと思ふ。が国文学に行かず、国史に行かず、国語から滑つてアイヌ語の専攻へ這入つたのは、やはり一には自分の性分からであらうが、又一には不思議な縁が自分を此の方向へたぐつてゐた事が、今に至つてはつきりとたどられる。 夢多き青年時代をわけもなく酔はした「天才」というような語のひびきが、いつしか我々を酔はしめなくなった時、英雄時代の夢から醒めて平凡な全体性、「民衆」といふものの力がより多く我々の注意を惹き我々の心をうつやう
児童ポルノ法施行以前に販売されていた、児童ポルノが掲載されていたエロ本はもう古本屋でも手に入らない。 今後、単純所持も禁止となると、後世に日本の性風俗史(少なくともその一部)を復元する際、もう史料は関係者の記憶くらいしかないんだなあ。いくらオーラル・ヒストリーが注目され始めているとはいえ、何か残念な気がする。しかし、児童ポルノの存在そのものが児童虐待であるという理屈には反対できない(二次元作品はまた別の話だが)。 さて私増田、実は1999年10月末ごろに大阪・日本橋(大阪の電気街)に用事で行ったことがある。当時は児童ポルノ法施行前夜で、ビデオショップは一斉に最後の勝負に出ていた。増田も好奇心から立ち寄ってみたが、「児童ポルノってこんなにあったのか!?」という感じだった。 当時も当然、無修正のものは違法だったので局部修正はしてあったのだろうが、ビデ倫などの審査は通してなかっただろうと思う。
※2年も前の記事がはてなに拾われてしまったので、文中のおかしな点を一部修正しました。 宗教のユルさは日本に限った事ではないらしく、世界の常識となりつつあるような気がしないでもない。 先日、マイクロマガジン社から発売される 「板橋本」(※) の取材のために、地元のバングラデシュ料理の店に行ったのだが、そこの従業員とこんな会話をした。 【日本の特別地域3 板橋区】 ※↑お陰様で、発売から2年も経つのに売れ続けております。 (参加者:ロザリー 、バングラデシュ人A、バングラデシュ人B、オレ) ロザリー 「ちょっと聞いてよ、この人たち平気で牛食べるのよ。」 オレ 「ああ、でもバングラはヒンドゥ(牛NG)とイスラム(牛OK)と両方いるでしょ?」 従業員A 「わたし、ヒンドゥだよ。」 オレ 「え?それで牛食べるの?」 従業員A 「日本にいる時だけね。国に帰ったら食べないよ!」 オレ 「でもそれって付き
米国暮らしの長い友人が言いました。 「米国人に“米国人離れしているね”と言ったら、“どういう意味だ!”とエライけんまくで怒り出すに違いない。でも日本人に“日本人離れしてますね”というと逆に褒められたと思って喜んでいるだろう、ヘンだと思わないか?」 その通りで日本人は、ヨーロッパ人や米国人のようであるといわれると喜んでいる節があります。何故なのでしょう? 明治維新後の欧化、敗戦後の米国化によって、日本人であることが劣等意識として植え付けられてしまったのでしょうか。日本人の意識は文明開化による「優勝劣敗」という一元的な価値観の世界で下位に序列化されてしまったのでしょうか。欧米人がこの国をどう思っているか、とても気になるのが日本人なのです。 この極東の島国へは、まず大陸から「仏教」という渡来宗教が席巻し、やがて「儒教」という政治思想が支配層をリードする。そして次が欧米の技術や思想による「合理主義
文化庁と国立新美術館、CG-ARTS協会が主催するコンテンツの祭典「第11回文化庁メディア芸術祭」が、2月6日から東京・国立新美術館で開幕した。会期は17日までで、入場は無料。 アート・アニメ・マンガ・エンターテイメントの4部門を中心に、国内外の優れたコンテンツを紹介・表彰する文化庁メディア芸術祭――今年は会場を国立新美術館に移し、より大規模な展示を展開するほか、作品の上映やシンポジウムの開催など、会期中にはさまざまなイベントが用意されている。 海外作品が比較的多く見られたアート部門では、イタリアのソニア・チッラリさんの作品「Se Mi Sei Vicino(If you are close to me)」(セ ミ セイ ヴァチーノ/イフ ユー アー クロース トゥ ミー)に注目が集まっていた。装置中央のパフォーマーに人が触れたり近づいたりすることで、背景のグラフィックがさまざまに変化する
中国では、日本の人気アニメの登場人物を違法にコピーした商品が大量に出回っているが、浮世絵など知的財産権の対象になりにくい日本の伝統文化にも中国の業者が着目した格好だ。(共同) アニメなどの知的財産権の対象を違法にコピーしてもらってはもちろん困るんだが、浮世絵については(本物と偽らなければ)何の問題もない。「知的財産権の対象になりにくい」などという言い方はおかしくて、そもそも対象ではないはず。誰がコピーしたって一向にかまわないわけです。ていうか、ミロのヴィーナスの複製とか、モナリザの複製とか、いくらでもあるじゃないですか。 確かに記事はハッキリとは批判していないけど、書き方に嫌味が滲んでますよね。中国人が日本のものを利用して儲けてる、けしからん、という気持なんじゃないかと。冷静に考えれば誰の権利も侵害されていないけど、なんかムカつく、といったところでしょうか。 この記事を書いた人のように「日
以前から疑問に思っていたのですが、最近それが再び話題になり、みなさんに聞きたいこともあってエントリしてみます。 それは「オタクは本当に差別されていたのか?」「差別されていたなら、それはいつ頃からか?」という疑問であります。 こないだの月曜日にやったロフトのイベントで、会場の参加者から壇上の我々に向かって質問がありました。どういう発言だったかディティールを忘れましたが、オタク差別に関する内容でした。どなたか補足してくだされば幸甚です。 それを受けて東浩紀君が 「確かにオタクは差別されていた。それは認めよう。でもオタク差別といっても、女性差別や人種差別のような差別とは違う。よくオタク遺伝子というものがあって、世界のどこへ行ってもオタクはすぐにわかるという議論があるけど、本当にそんな遺伝子なんてあるのか」 というような発言をしたんですよ(※記憶で書いてます。間違いがあれば訂正します)。 「オタク
これまで東京・秋葉原で多くのメイドカフェを取材してきたが、店長の多くが「あそこはいいですよ」と口をそろえ、隠れ家的に利用している究極のメイドカフェがある。観光客相手に「萌え」を前面に押し出したキャピキャピのカフェとは違い、「ドイツ民家の屋根裏を再現したテーマパークのような落ち着いたカフェ」らしい。足を踏み入れたそこは、別世界のようだった。(安岡一成) ドイツ語で「宝箱」の意味の「シャッツキステ」というその店を探そうと、「歩いてたら見つかるだろう」ぐらいの軽い気持ちで街に繰り出した。しかし、探しても探しても、それらしい店は見つからない。小一時間ほど迷ったところで観念。店のホームページで確認して翌日、再び向かった。 ジャンク屋やパソコンショップが並ぶ通りにある古い雑居ビルの入り口に「Schatzkiste」と小さく書いた看板が控えめに出ているのを見つけた。非常に分かりにくい場所だった。暗く狭い
日本音楽著作権協会(JASRAC)や実演家著作隣接権センター(CPRA)など著作権者側の87団体は1月15日、「文化」の重要性を訴え、私的録音録画補償金制度の堅持を求める運動「Culture First」の理念とロゴを発表した。「文化が経済至上主義の犠牲になっている」とし、経済性にとらわれない文化の重要性をアピールしながら、補償金の「適正な見直し」で、文化の担い手に対する経済的な見返りを要求。今後は新ロゴを旗印に、iPodなども補償金制度の対象にするよう求めるなど、政策提言などを行っていく。 「iPod課金」は「文化を守るため」――権利者団体が「Culture First」発表 - ITmedia News 何たる馬鹿げた話か。文化が経済至上主義の犠牲?文化を利用して飯を食ってきた奴が何言ってんだ?経済性にとらわれた文化を作り出してきたのは自分らじゃねーか。インディペンデントの連中が常日頃
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