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ブックマーク / medt00lz.s59.xrea.com (20)

  • 悪役には「ずれ」がある。主役には欠落がある - レジデント初期研修用資料

    漫画原作者である小池一夫 さんの「主人公には弱点を。敵役には欠点を」という教えは、シンプルなのにとても深いなと思う。物語を作る側ではなく、読む側からそれを改変すると、主役には「欠落」を、敵役には「ずれ」を、になるのではないかと思う。 悪の組織は素晴らしい 主人公に立ちはだかる「悪の組織」を束ねるのは、理想の上司と形容されるような素晴らしい人物でないといけない。 「ブラック企業」に代表されるような、部下をこき使う、魅力のかけらもないような人物を悪の黒幕として設定すると、主役の戦いに大義が生まれない。 ブラック企業上司は、部下となった人たちから選択肢と睡眠時間を奪う。部下に対して、組織に賛同する意思を引き出すのではなく、「組織に賛同しない」という選択肢を奪おうとする。物語ではたいてい、主人公は悪の組織に何かを奪われた存在として描かれるけれど、「ブラック企業」的な組織の末端には、やはり大切な何

  • 「なぜ?」 の効用 - レジデント初期研修用資料

    従順な現場に支えられた組織は効率がいい。利益に向かって、現場が自発的に「暴走」して、あまつさえ自己責任で法を破ることも厭わないのなら、利益は勝手に増えていく。リーダーはメディアに向かって、きれいな理念を賢しげに語ってみせるだけでいい。 暴言の効果は少ない 暴言で部下を従わせるやりかたや、あるいはみんなを集めてスローガンを叫ばせるようなやりかたは、暴力的な見た目の割りに、実際の効果は少ない。 「絶対にやれ! 」 なんて暴言を行使する上司は、現場の側からは「嫌な奴」に見える。「嫌な奴」の命令に心から従う人は少なくて、明示的な悪役として振る舞う誰かの存在は、現場の空気に対して、一種の安全弁として機能する。 人間をとことん追い詰める、無理の限界をはるかに過ぎて、それでも働くことをやめられない、体を壊したり、亡くなってしまったりする領域に誰かを到達させるためには、暴言だけでは威力が足りない。そうし

  • 不思議なものとのつきあいかた - レジデント初期研修用資料

    「不思議なもの」は、今の世の中にだってたくさんある。それが証明された事実なら利用すればいいし、虚偽なら否定すればいいけれど、「不思議なもの」はそのどちらでもないものだから、距離を置いて「つきあう」ことが大切になる。 「不思議なもの」と対峙して、それをあたかも事実であるかのように利用を試みてしまったり、逆にあらゆる不思議を虚偽と断じて否定したりすると、たいていはろくでもない結果が待っている。 ビールの原理 自分にはたとえば、「ビールがたくさん飲めること」が、未だに不思議に思える。 ネットをちょっと引っ張ると、これは「アルコールが胃から吸収される」からという説明が為されているのだけれど、ビールのアルコール濃度は6%程度だから、これ胃から拡散吸収できたところで、自分が体感するビール特有の「いくらでも」とは、ずいぶんかけ離れているように思えてしまう。 アルコールと人体との関係は、医学が一番詳しいは

    osaragi1999
    osaragi1999 2011/07/16
    哲学だなぁ。
  • 下段の間合いを削る人 - レジデント初期研修用資料

    誰かに病状説明をするときには、その人と自分との「間合い」に気をつけるようにしている。とても丁寧な応対を繰り返しつつ、間合いを削ってくる人と、間合いの全く変わらない人とがいて、間合いを削ってくる人には、企業を運営している人からラーメン屋さんまで、漠然と「自営」で生活している人たちが多い印象を持っている。 間合いを削る人 「自営」の人たちはみんな愛想がよくて、「どうぞ一つ、よろしくお願いします」なんて、笑顔で頭を下げる。空気は最後まで和やかなのに、話し合いの時間をかけて膝と膝との距離を詰められる気がする。何か脅すだとか、何かの取引を強要されるだとか、そうしたことは全くないのだけれど、何となく間合いが詰められた感覚を覚えて、あとからカルテを見直すと、漠然と「自営」圏の人であった、ということがけっこう多い。 仕事というものを、大ざっぱに「自営」と「非自営」とに分類すると、「非自営」圏の人企業に勤め

  • 悪い奴らは来なかった - レジデント初期研修用資料

    病棟で3年過ごした昔、上司の書いた処方箋を見て、「こうすればもっといいのに」なんて批評家気取りができるようになった頃、島に飛ばされた。邪魔な上司の指示が入らない、「こうすれば」を自分の責任で行える機会がいよいよ巡ってきて、それをやろうとして、手が動かなかった。 決断のお話。 実戦は怖い 島への派遣が決まったとき、粋がって英語ばかり持ち込んだ。世界的に権威のある教科書だから、信頼性なら完璧なのに、いざそれを使おうとして、それを翻訳するのが自分であることに思い至って、そのがいきなり信用できないものに変わった。普段は馬鹿にして、ろくに読みもしなかった日語の「今日の治療指針」がありがたくて、それに頼ってようやく病棟を回すことができた。 畳の「へり」なら転ばず歩けるのに、それが地上10m の高さに置かれたそのとたん、足がすくんで動けなくなる。模範解答を知っていることと、実際に決断ができること

  • 体質改善は怪我に効かない - レジデント初期研修用資料

    「根的な体質改善」はたしかに大事かもしれないけれど、たとえば怪我をしてまだ血が出ている状況においては、「絆創膏」のほうが役に立つ。 問題の解決には、状況に応じて選択されるべきやりかたは異なっていて、「根的」な解決というものは、もっと元気になってからでないと意味がない。 変革のありかたについて。 町の風景には意味がある 災害復興について、「委員会」みたいなものが作られて、議論が続いている。こういうところで提案された「画期的な解決」は、たいていの場合なにか別の問題を生み出して、個人的にはなるべく無難な提案に落ち着くといいな、と思う。 町の風景には、そうなった理由というものが必ずあって、変化を求める特別な需要もないときに、たとえば何かの事故みたいなものをきっかけに、一気にそれを変えようとするのは間違っている。どれだけ高邁な思想に基づいていたとしても、根的な変革というものは、必ずどこかに無理

  • 理不尽にやると上手くいく - レジデント初期研修用資料

    ちょっと前、「ジューサーの中に金魚を入れる」という現代美術の展示があった。 ジューサーの中に金魚と水が入っていて、スイッチだけリモコンで、観客の側に置かれる。観客は誰もがそのスイッチを押すことができるようになっていて、「いつでも金魚を殺せる」という、その感覚が展示になっていた。 金魚の寿命を延ばすもの この展示で、実際にボタンを押せた人はたぶんいないのだろうけれど、これをたとえば、ジューサーに入れた金魚をインターネットで公開して、ネットの向こう側にいる誰もが、匿名のままそのボタンをクリックできるようにしておくと、誰かがボタンを押してしまう。多数決ルールを導入して、「ボタンを押した人が累計で10人を超えたら、ジューサーの電源が入ります」という看板を出しておくと、ボタンが押される閾値はますます下がる。 匿名ルールを廃して、たとえばTwitter のような、押した人をある程度トレースできるメディ

  • 希望を捨てて覚悟する - レジデント初期研修用資料

    何年たっても、当直業務というものはやっぱり怖い。研修医だった頃、平然と業務をこなす上の人たちを見て、自分もいつかああなれると信じていたのだけれど、怖いものはやっぱり怖くて、年次を重ねて、恐怖はむしろいや増した。 希望を捨てることについて。 尋問には希望が必要 戦争で捕虜になった人を尋問するときだとか、あるいは刑事事件で容疑者を尋問するときもたぶん同じだろうけれど、尋問や拷問のような手法を使うときには、何らかの希望を見せながらでないと、効果がなくなってしまうのだという。 それが尋問であれば、相手をどれだけ執拗に問い詰めたところで、話したところで状況が変わらないのなら、尋問を受ける側には意味がない。尋問を行うときには、まずは「答えてくれればこんなところからさっさと抜け出せますよ」とか、「早く帰って、子供さんと一緒に話がしたいですよね」だとか、そこから抜け出せる可能性をまず提示して、手を伸ばせば

  • 否定の深度について - レジデント初期研修用資料

    「いい仕事してますねぇ」の、「なんでも鑑定団」に出てくる鑑定人、中島誠之助の語りが素晴らしいと思う。いかがわしさと人当たりのよさと、矛盾が見事に同居しているようなあの話芸は、出品されたものが「贋作」であったときに、出品者を否定するときに威力を発揮しているように思える。 欠けているものと過剰なもの 鑑定を依頼された何かが「偽物」であったときには、鑑定人の人たちはたいてい、「これは物ではありません」と、冒頭に宣言する。宣言したあと、「依頼品にはこの要素が欠けています」と、物に比べて、足りないものを指摘する。やりかたとして、これは全く間違っていないけれど、鑑定を依頼した人は、「欠けている」その依頼品を嫌いになってしまう。 中島誠之助が偽物を鑑定するときには、「もしも」から入る。 「もしも物だったら」で語りをはじめて、それが素晴らしい価値を持つこと、当時人気があったこと、現存していればすごい

  • 理念とは卑怯の提案 - レジデント初期研修用資料

    30年以上も昔、担任の先生が産休に入って、代打要員として、音楽の先生が県から派遣されてきた。ちょうどその頃、県の音楽コンクールが重なっていて、「どうせでるなら勝ちましょう」なんて、いろんなことを教わった。 柔らかい音を出す 「トライアングルを柔らかく鳴らしましょう」というのが、演奏の課題として取りあげられていた。 どれだけの感情を込めたところで、あれだけシンプルな楽器を「柔らかく」鳴らす術は分からなかったのだけれど、その先生は、「柔らかいとは、紐の根を固く持つことだ」なんて教えてくれた。「柔らかい」というのは、要するに響きの減衰が早いことと同義であって、トライアングルを吊っている持ち紐の、トライアングルに一番近い場所を固く握ることで、音は「柔らかく」鳴るのだと。 縦笛を鳴らす人は、パートが終わった瞬間に両手を膝の上に置くときれいに見えること。シンバルを叩く人は、叩いたあとでシンバルごと「

  • 嫌われる相手のことを考える - レジデント初期研修用資料

    製品の開発であっても、サービスであっても、何か新しいものを作るときには、誰かに好かれるようなものよりも、むしろ誰かに嫌われるようなものを探していくと面白いような気がする。 大手からシェアを奪いに行くときには、どこかに「敵」を設定すると上手くいくのだという。大昔のペプシは、「ペプシジェネレーション」というキャンペーンを行って、高齢の世代を「敵」であると定義した。ペプシジェネレーションは若さの象徴になって、ペプシは高齢の世代から嫌われて、その代わり、若い世代と、「まだまだ若い」人たちからの支持を勝ち取った。 嫌われている人に学ぶ 誰かから「嫌われている人」を探して、その人から学ぶといいのだと思う。 どの世代からも支持されるような人はたくさんいるけれど、そういう人からは学べない。あの人たちは、単に「素晴らしい人物」だから支持されているだけで、そこから何かを学ぼうとしたところで、「世の中には、すご

  • 努力には正しい方向がある - レジデント初期研修用資料

    どこかに就職したり、何か会社を興してみたりといった体験を持たない、生まれついての「プロの政治家」という人たち、 学校を出て、最初から政治家として活動して、努力した人たちが、そのまま最上階まで行ってしまうのは、恐ろしいことだと思う。 努力した人はしがみつく 何かの目的を持った人、目標を「これ」と決めて、それを実現するためのやりかたを考えた経験を持つ人は、 あらゆる場所が通過点になる。目標を達成したなら、たぶんまた別の目標が見つかって、やるべきことや、必要な資格なんかは、その都度変わってくるだろうから。 漠然と「努力」を重ねて、努力の「ご褒美」として、一番高い椅子を手に入れてしまった人には、もはや「上がりの先」を想像することができない。努力をもっとやろうにも、 そこにはもう、問題集とか、次のご褒美を用意してくれる誰かはいないから、先が見えない。 こういう人が頂点に座ってしまうと、今度はじゃあ、

  • オムライスの底力 - レジデント初期研修用資料

    オムライスというべ物は、ファミリーレストランが外の代名詞だった昔、「2番手」を代表するようなべ物だった。 オムライスは、どこの洋屋さんであっても、材料の順列組み合わせで作り出すことができたから、 どこに行っても、メニューの片隅には、たいていオムライスが載っていたけれど、 レストランという「ハレ」の場にあって、オムライスはどこか日常を引きずっていて、 外に出向いて、あえてそれを頼む人は、当時は必ずしも多くない印象だった。 オムライスの専門店が流行ってる で、現代になって、「オムライスの専門店」というものがうちの県内にはいくつかあって、どこもけっこう繁盛している。 全国チェーンの支部もあれば、地元の養鶏所とタイアップしているのか、卵を売りにして、その中にオムライスの専門店を 置いているところもあるけれど、いずれにしてもメニューとしては洋一般、でも看板はあくまでもオムライスが主役であ

  • フィクション欠乏症について - レジデント初期研修用資料

    「大人になること」というのは、「何かに飽きる」ことと同義であって、ある分野に対して飽きることに失敗したまま、 資金力や実行力ばかりが身についた「大きな子供」は、しばしば暴走して、とんでもないことをしでかしてしまう。 オカルトの摂取は大切 たとえばオカルトを恒常的に摂取している人たち、今でもムーを欠かさない自分みたいな人間は、オカルトというものを楽しみこそすれ、 それを心から信じ込んだり、何かのオカルトグッズに全財産をつぎ込んだりといった行動は、逆に出来ない。 オカルトがどれだけ魅力的でも、20年もつきあっていれば飽きが来るし、人間の想像力には限界がある以上、 オカルトマニアがどれだけ想像力を駆使したところで、新しい神秘はなかなか出てこないものだし。 「飽き」という現象は、恐らくはオカルト以外のどんな分野にもあって、力を持てない子供のうちに、そうした極端なフィクションをたくさん摂取して、 そ

  • 診断学の方法論 - レジデント初期研修用資料

    お客さんの知らない技術を使って、「こんなことをやりませんか?」と提案しようにも、 それを知らない人には、そもそも未知技術の使いかたが分からない。 知らない人の「こんなことがしたい」という欲求は、たいていの場合漠然としすぎていて、顧客と技術者と、 どれだけ長い時間語り明かしても、顧客の側からは、「こうじゃない」ばかりが増えていく。技術者の求める「これが欲しい」は、なかなか聞き出せない。 「お客様位」はうまくいかない 顧客というのは基的に「無知」であって、だからこそ「技術者」という、技術に対する知識を持った人が必要になる。 ところが「お客様位の交渉」という考えかたは、顧客の側にも技術者の側にも、 お互いに何か「分かっているものがある」ことが前提になっているところがあって、新しい技術を扱う業界には、 しばしばそんなものは存在しないから、要件定義が迷走する。 診断学の考えかた 医療の業界には

  • 医療過誤裁判というもの - レジデント初期研修用資料

    手元に集めたいくつかのを読んで考えたこと。自分はもちろん、法律畑は全くの素人で、 幸いなことに、今までのところ、患者さんとの大きなトラブルに巻き込まれた経験はないものだから、 以下に書いたことは全て推測。 訴訟というもの 民事訴訟は、平成9年から平成18年までの10年間で、597件から912件へと大幅に増えている 審議に必要な期間は、東京地裁に医療集中部ができてから、平均30ヶ月かかっていたものが、15ヶ月程度に短縮されつつある 証拠保全から始まる 原告側弁護士の人も、相談を受けて、まずは資料を集めないと話にならない。医療過誤裁判の場合、資料は全て病院の中にあるから、 訴状を作る前に、まずは証拠保全をして、資料をコピーして、話はそこから始まる 原告の人が「あいつを訴えよう」と思ったら、まずはそれ以降の主治医との交渉を、止めないといけないのだという。 証拠保全の手続きというものは、病院に、

  • 接遇の交戦規定 - レジデント初期研修用資料

    対価をもらってあるサービスを提供する仕事において、危機管理のありかたとして、「平等である」というのは外せないし、平等を実現するためには、そもそも自分たちが提供しているサービスとは何なのか、それを文章化して、全ての職員で共有しておかないといけないのだと思う。 接遇の訓練は、危機管理の側面として学ばれる必要がある。「正しい接遇」というものは、お客さんのためというよりも、むしろ現場の職員を守るために、有事の際に、マネージャーに相当する人が、お客さんに「ここから出ていけ」というカードを切るために、欠かせないものになる。 良さの過剰は悪徳 特定のお客さんに不快感を与えた職員は、プロ失格なんて言われるけれど、特定のお客さんにだけ、想定していた以上の満足を与えてしまった職員もまた、同じようにプロ失格であって、その人の振る舞いは、見直されないといけないんだろうと思う。 「誠意を持って、丁寧に対応しましょう

  • いい人の脆弱性 - レジデント初期研修用資料

    今は誰もがネットワークでつながっていて、自分がどれだけ気をつけたところで、つながりを持った誰かから、漏れてはいけない情報は、簡単に漏れてしまう。 情報が漏れたところで、そもそもそれが問題にならないような振る舞いをしていれば大丈夫なはずなんだけれど、「漏れた」という事実を受け取る側も、やっぱりネットワークでつながっているものだから、「こんな話を聞いた。御社は一体どうなっているのか」なんて、攻撃者が、別の誰かにそのことを告げたときに、その人が、ネットでの自分の振る舞いを、額面どおりに受け取ってくれるとは限らない。 知らない人ほど恐怖する ネットに疎い人は、ネットを気持ち悪いと思うし、ネットの評判を必要以上に怖がる。 掲示板での叩きみたいなものは、たいていの場合は他愛のない悪口で、笑い飛ばせば、話はそれで終わる。よしんばそれが、犯罪性を持ったものであったとしても、ネット世間は忙しい。黙って口をつ

  • 動作が意識に先行する - レジデント初期研修用資料

    「動作には文脈があって、身体というものは、頭から、あるいは環境から入力された動作文脈に対して予測された次の動作を返す、 一種の推測変換エンジンである」と仮定する。 生まれたばかりの生き物は、恐らくは空っぽのデータベースしか持っていない。人間の子供は、だから手足をばたばたと動かして、 試行錯誤の結果として、はいはいとか、歩行といった動作を獲得していく。この獲得は、動作の拡張というよりも、むしろ 無駄な動作をそぎ落とすことによって行われる 様々な動作には、それに意味があったのかどうか、意識による重み付けが行われる。どこかにたぶん、状況ごとに推測されるべき、 「次の動作」のデータベースみたいなものがあって、意志だとか、外界からの環境刺激がそこに入力されると、 身体は、それまでの動作文脈から推測された、次に来るべき動作を返す。「推測」という工程を入れることで、動作が先、 意識はそれを追認するという

  • むかつく人のこと - レジデント初期研修用資料

    自分の人間性に問題があると言われれば、これはもうそのとおりとしか言いようがないんだけれど、 いろんな人と喋ったり、何かをお願いする機会があって、「この人は使える」なんて感じる人と、 話していてもなんだか暑苦しいというか、「この人は使えないな」なんて感じる人とが明らかにいる。 誰かの評判が、医局で話題になることは滅多にないんだけれど、その人の使える、使えないという感覚は、 他の先生がたを見ていても、ある程度共通しているように思えて、その感覚は一応、 個人的な好き嫌いとは、異なっている気がする。 恐らくはたぶん、その人の「使える度」というものは、仕事の成果だとか、成功率なんかとは、事実上無関係なのだと思う。 どうしたってバイアスがかかる 当直をするときには、いろんな職種の人と一緒に泊まることになる。ものすごく気がつく人もいれば、 何かをお願いして、けっこうな確率でそれを忘れてしまう人もいる。

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