W杯を直前にしたハリルホジッチ解任劇を、ハリルにとって同郷(ボスニア・ヘルツェゴビナ)の先輩であり、日本代表監督の先輩でもある「彼」はどう見ているのか。イビツァ・オシムはオーストリア第2の都市グラーツにいた。その町の病院で半年に1回、検診を受けなければいけないのだという。「でも安心してほしい。現在の体調はいたって良好だ」というオシムを、旧知のクロアチア人ジャーナリストが直撃した。 【写真】福田正博が選んだ「今からでも勝てる西野ジャパン23人」は誰? * * * ハリルホジッチの解任以降、多くの人々が私の意見を求めてきた。私のことをよく知っている人であれば、私がこうした他人の問題に首を突っ込む人間でないことは、よく知っていることだろう。 正直、ハリルホジッチと選手、そして日本サッカー協会との間で何があったのか、私は知らない。ただ、サッカー協会が一朝一夕にこの件を決断したわけではないだろうこと
野球などと比べても、サッカーはプレーが止まる時間が短い競技だっただけに違和感は大きい。スムーズな導入に向けて課題は山積だ。 スポーツ専門のOTTサービス『DAZN』でブンデスリーガの解説を担当していると、ふと言葉に詰まるときがある。いわゆる“想定外”が起きた場合だ。そうした事態を防ごうと念入りに準備しても、クエスチョンマークが浮かぶ瞬間があるのだ。 例えば、第11節のボルシアMG対マインツで、後者のGKロビン・ツェントナーがボールを空振りしたシーン。バックパスを処理できなかったわけではない。トラップしたボールが後ろに転がっているのに気付かず、その場で右足を振り抜いてしまったのだ。担当試合ではなかったものの、この珍プレーを見たときはさすがに言葉を失った。本人曰く「ペナルティースポットがボールに見えた」とか……。 VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)も難しい。周知のとおり、ミスジャッジを
フランスのリールで行われた日本vs.ブラジルの取材を終えて、次の試合会場であるベルギーのブルージュに到着したのは現地時間11月11日のことであった。列車を乗り継いで、およそ2時間半の移動。リールもブルージュも、いずれも旧フランドル伯領に属していたので、文化的には近しいものを感じる。ただしブルージュは、ベルギーの中でもオランダ語圏のフランデレン地域に位置するため、リールに比べて英語がよく通じる。国境と文化圏、そして言語と民族がさまざまな形で交錯するヨーロッパは、どこを訪れても興味深い。 ブルージュを訪れるのは、実に17年ぶりのこと。オランダとベルギーで共同開催された欧州選手権(ユーロ)2000の会場にブルージュも選ばれており、ヤン・ブレイデルスタディオンでユーゴスラビア(当時)vs.スペインの試合を観戦している。試合そのものはよく覚えているのだが、ブルージュの街並みの記憶はほとんどない。おそ
21日に行われたサッカーのタイ国内カップ戦・準決勝で珍事があった。 バンコク・スポーツクラブ対サトリ・アントンの試合は2―2でPK戦にもつれ込む熱戦。PK戦も互いに成功し続ける膠着状態となった。 映像は19―19で迎えた20本目の先攻、バンコク・スポーツクラブの選手がシュートする場面。 左足で力強く振り抜いたボールはクロスバーを直撃してしまう。誰もが「外した」と思ったであろう。 サトリ・アントンのGKは喜びのあまり前方に走り出し、キッカーは落胆し膝に手をやった――その時である。 上空に高く上がったボールはピッチにバウンドするとゴールの方向へと進んで行ったのだ。GKは慌てて戻り始めたが、時すでに遅し。まさかのゴールインで一気に状況が逆転し、落胆していたキッカーは大喜び、GKは悔しそうにボールを地面に叩きつけた。 PK戦はこのあとサトリ・アントンが失敗し20―19で終了。バンコク・スポーツクラ
バルセロナが、騒然としている。 10月1日、以前から公言していた通り、スペイン北東部のカタルーニャ州は独立の賛否を問う住民投票を実施する。これを違憲と見なしているスペイン政府は、投票自体を阻止せんとおよそ1万人の警察官や特殊部隊を投入。各投票場の閉鎖を画策しており、すでにデモ隊との衝突がそこかしこで起こっている。 国内メディアの大方の予想は、投票は結果的に実施され、独立が大勢を占めるというもの。もしそうなれば、カタルーニャ州政府は48時間以内に独立を宣言するだろう。 サッカーファンにとって気になるのは、カタルーニャ州に本拠地を置くバルセロナ、エスパニョール、ジローナの3クラブが、リーガ・エスパニョーラから離脱するのか否かだ。米スポーツ専門チャンネル『ESPN』が、同州のスポーツ大臣、ジェラール・フィゲラスの見解を掲載している。 「どのような結果になるかは分からないが、独立に傾いた場合、プロ
「日本人かい? オシムに会いに来たのかね?」 ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで、おとぎ話の中に迷い込んだかのような錯覚に陥った。その美しい旧市街で笑顔とともに話しかけてきたのは、土産物屋の老婦人だった。この国における日本との最大のつながりは、サッカーである。自分たちの英雄が代表チームを率いた国から旅人が来たなら、声をかけたくなるのも当然だろう。イビチャ・オシムの存在は、今もボスニアの人々の誇りであるようだ。 日本を離れて3年が経った。だが、オシム氏の思いは、今も日本サッカーとともにある。今秋、その名伯楽にサラエボで話をうかがう機会を得た。 部屋に入ってきたオシム氏の手に、離日前には握られていた杖はなかった。190センチを越える長身が、ゆっくりとではあるが確かな足取りで部屋へと入ってきた。イスに腰を下ろすとまず、近くにあった2006年のヤマザキナビスコカップ決勝のプログラムに手
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