敗戦後、マッカーサー総司令官は、わが国の核科学者たちを公職追放しなかった代わりに、核兵器開発にも向かわせなかった。GHQは、実験装置を破壊し、一旦日本の核実験研究全体を停止させた。理論などの基礎研究のみを最初に、その後核の平和利用分野に限定した研究を認めた。こうして日本の核兵器開発を敗戦後、GHQは封印した。そしてわが国の核科学者たちは核の昭和史に沈黙した。 しかも、米国は湯川秀樹をプリンストン高等研究所に招聘し親米家にしつつ、アインシュタインとともに、世界の反核兵器運動家に誘導する高等手段を実行した。こうして戦後の日本人科学者たちは自国の置かれている現実を直視することなく、核兵器の脅威を「核兵器廃絶」という一言で、昭和二十年の歴史の一こまに閉じ込めてしまったのだった。これが核の現実を考えさせない国内世論を形成し、米国の当初の狙いは成就することとなった。 つまり、戦後すぐはアメリカ(GHQ