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ブックマーク / mzsms.hatenadiary.org (2)

  • 疑似科学批判・批判の補足 - mzsmsの雑記

    こういう状況を想像してみてください。 ある疑似科学的な主張が社会に流布し、信じこむ人がいて、効果のない医療方針によって疾病を悪化させる人が大勢でたとか、何か不都合なことが起きた。科学者が「疑似科学だ」と批判したところ、その主張者は「私たちは『科学的だ』と主張しているわけではない。これは非科学的ではあるけども、真理だ」と反駁した。そして、その主張を信じ込む人は減らず、やはり疾病を悪化させる人が減らないなど、不都合なことは継続したままである。 このとき、疑似科学批判は、何ができるのでしょうか? 主張者が非科学的であることを認めたから、それで満足なのでしょうか? もし、そうであるならば、疑似科学批判は社会の人々の不利益についてよりも、「科学」という名称の使い方、「科学」という縄張りについて関心があったのだといわれてもしかたないでしょう。 そうではなく、「彼らは、自ら『非科学的』だといっているが、

    疑似科学批判・批判の補足 - mzsmsの雑記
    parallel-world
    parallel-world 2009/04/10
    中島敦の「名人伝」思い出した。
  • 陰謀論 - mzsmsの雑記

    古い神話・伝承では、魔法のたぐいの話は尽きないが、多くの宗教ではむやみやたらと魔法の類を使うことを禁じている。古い神話・伝承で強力な魔法を操る登場人物がおうおうにして異国人だったり、辺境の人間だったりすることからすれば、やはり古代から中世の人々にとっても、魔法とはやはり「魔術」「妖術」といいえるようなものであって、よくいってエキゾチック、悪くいえば「野蛮人がなにか怪しげなことをしている」というイメージのものであったかもしれない*1。 陰謀論も良く似ている。 *1:すべてがそうとはいえないだろうが。旧約聖書のお話によれば、モーゼも、必要があったとはいえ、たんなるコケオドシのための「奇跡」を行っている。

    陰謀論 - mzsmsの雑記
    parallel-world
    parallel-world 2009/04/10
    ? すみません仰ってる意味が分かりません。というか、曖昧すぎて論旨が把握できません。
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