内田が、攻守でワンランク上を目指す。5日にあった今季最終戦のヤクルト戦で1軍デビューしプロ初安打をマーク。「もっと1軍の試合に入っ...
きのこ雲の下でおきたこと 【きのこ雲の下でおきたこと】 午前8時15分 1945年8月6日、月曜日の広島の朝は快晴でした。深夜零時過ぎに空襲警報が出 たが、何ごともなく、午前2時10分に解除。しかし、午前7時9分にまた警戒警報 が出ました。これも7時31分に解除されました。ほっとした人々は戦時下の朝食を 済ませ、それぞれの1日を始めていました。その時、午前8時15分、上空にセン光 が走ったのです。 7時過ぎの警戒警報の時、実は原爆投下のために気象観測をするB29が1機、広 島に飛来していたのです。しかし、人々はそれを知らないまま、真夏の街で行動を 始めていました。 学校の生徒は主に中学1・2年生の男女合わせて約8,400人が建物疎開を手 伝うことになっていました。近郊の町や村の義勇隊約1万人も広島に入り、現場に 到着しつつありました。軍需工場に動員された生徒も、学校で勉強しようとしてい
1964年広島県生まれ。音楽評論家。2005年に本拠を東京から故郷広島に移してからも、ヒロシマ平和映画祭実行委員、連続ティーチ・イン沖縄実行委員、成蹊大学講師などを勤め、日本中を飛び回っている。著書に『全-世界音楽論』(青土社、2003)、『国境を動揺させるロックン・ロール ソウル・フラワー・ユニオン』(ブルース・インターアクションズ、1998)、『ラテン・ミュージックという「力」』(音楽之友社、2003)、『おんなうた』(インパクト出版会、2004)、『違和感感受装置』(冬弓社、2004)など。(――『ヒロシマ独立論』より) 1964年、広島生まれ。[……]2005年から広島市在住。帰郷してみると、なかなかに手強い郷里であり、軍都=平和都市という、空虚な日本近代が凝縮したデルタを漂いつつ白昼夢にふける日々。広島、沖縄、それぞれについての本がずっと難航中。最近の唯一の趣味は、テキトーに作る
■東 琢磨「(コラム)緑地帯」(全8回),『中国新聞』2006/05/19,20,23~27,30 1 組織嫌い 「あらゆる組織は大嫌い」。師とも姉とも慕う韓国人女性の政治学者が放った一言である。フリーランスライターになってはや八年、パートタイムの大学教師もやるようになって数年がたつ私もしごく同感である。 広島に生まれ、人生のちょうど半分を東京で過ごし、再び郷里に戻ってきた。その間、大学生、今でいうフリーター、サラリーマンといろいろ経験してきた。 私の本業は音楽評論ということになっている。専門的には、カリブ、ラテンアメリカ、ラティーノアメリカ(米国の中のラテンアメリカ系)、沖縄のそれといったところだろうか。いわゆるJポップについて書いたものもあれば、ジャズや現代音楽についても論じている。さまざまな大学や講座で請われるままに、いろいろな切り口で話もしてきた。 音楽を芸術と考える人も、娯楽と割
ヒロシマは、人類史上最初の原子爆弾による被爆体験を原点に核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けています。 ここでは、原爆被害の概要や、2020年までの核兵器廃絶を目指し展開している様々な取組、被爆体験の風化が懸念される中で力を入れている被爆体験の継承・伝承に関する取組などを紹介しています。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く