大澤真幸が読む 1911(明治44)年に出版された西田幾多郎の『善の研究』は、日本人によって書かれた最初の哲学書である。それ以前にも、西洋哲学の翻訳や紹介はなされてきた。しかし、西洋哲学からの刺激を、日本的・東洋的な知の伝統に反響させながら、自ら独自に思索し、固有の世界観を提示した日本語の書物としては、これを嚆矢(こうし)とする。自分で物を見て、考えている、と見なしうる哲学書が、初めて日本人によって書かれたのだ。 本書のキー概念は「純粋経験」である。純粋経験とは、主観と客観が分化する以前の意識の統一状態のことだ。こんな感じである。波打ち際に立って水平線に沈む太陽をうっとりと眺める。この瞬間、こちらに見る主観が、あちらに海や太陽といった客体があるという意識はない。裸の自然の情景が喜びの感情を帯びてたち現れるだけだ。 この純粋経験こそが真実(ほんものの実在)だとして、ここからすべてを、道徳や宗