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*紹介と史料に関するpkerattaのブックマーク (3)

  • 《広島原爆投下》あの日内閣では何が語られていたのか「保証なく皇室をまかすことは絶対に反対である」「戦争を終結させるほかはない…」 | 文春オンライン

    東京にある日の中枢で、広島壊滅の報をいちばん早く知ったのは海軍省である。8時30分、呉鎮守府よりの第一報がとどいたのである。海軍省は正午ごろには調査団の派遣を決定している。陸軍中央がこの報を知ったのはずっと遅かった。広島の通信網が完全に破壊されたため、第二総軍司令部(在広島)からの報告は、呉鎮守府経由で送られてきたのである。 陸軍省から内閣書記官長迫水久常(さこみずひさつね)をとおして、内閣に広島の第一報が知らされたのは午後も遅くなってからである。天皇もまた、同じころ蓮沼蕃(はすぬましげる)侍従武官長から広島市全滅の報告をうけた。たった一発で広島市が死の町と化したという。天皇は顔を曇らせたが、それ以上たずねようとはしなかった。 翌7日朝、アメリカからのラジオ放送はトルーマン大統領の声明として「われわれは20億ドルを投じて歴史的な賭けをおこない、そして勝ったのである……6日、広島に投下した

    《広島原爆投下》あの日内閣では何が語られていたのか「保証なく皇室をまかすことは絶対に反対である」「戦争を終結させるほかはない…」 | 文春オンライン
  • ジュール・ブリュネが、オールグレン大尉のモデル - Tomomi's

    映画『ラストサムライ』で、トム・クルーズが演じた人物には、実在のモデルがいる。フランス軍人、ジュール・ブリュネ大尉だ。フランス軍事顧問団として来日したジュール・ブリュネは、函館戦争で、旧幕府軍とともに官軍と戦った。 函館で撮影された、榎軍とフランス軍人。前列、左から2人目が、ジュール・ブリュネ。 ナポレオン3世が、徳川幕府に派遣したフランス軍事顧問団(前列右から2番目が、ジュール・ブリュネ)。幕府の形勢が不利になると、すぐにフランスは中立の立場をとり、軍事顧問団の帰国を命じる。 しかし、旧幕府軍に共感した、ジュール・ブリュネ大尉たち5人は、フランス政府の命令に反して、軍事顧問団を脱走して、旧幕府軍に合流する。 ほかに、横浜に住んでいた元軍人の3人のフランス人と、旧幕府軍の侍たちに共感して、フランス海軍を脱走した2人の水兵が、榎軍に加わった。つまり、榎武揚を総裁とする旧幕府軍には、10

    ジュール・ブリュネが、オールグレン大尉のモデル - Tomomi's
  • 『信長公記』と作者太田牛一|ちくま学芸文庫|金子 拓|webちくま

    織田信長の家臣だった太田牛一が信長の生涯をまとめた『信長公記』。その記述は詳細かつ正確で、長篠の戦いを始めとするいくつもの出来事の様子をまざまざと伝えています。そんな『信長公記』の史料的性格、そして現代語訳を読む際のアドバイスについて書かれた、金子拓氏(東京大学史料編纂所准教授)による文庫版解説を公開します。 『現代語訳 信長公記(全)』は『明智光秀』『毛利元就』といった歴史小説で知られる作家榊山潤氏による『信長公記』の現代語訳である。 作者太田牛一について、また『信長公記』の特色については訳者解説でも触れられているから再説を要さないのだが、書元版が刊行された1980年(昭和55)以降、牛一やその子孫、そして『信長公記』自体の研究が大きく進展し、様々なことがわかってきている。そこで、以下ではそれらの点にとくに注意を払い、太田牛一の事跡や『信長公記』の史料的性格を述べ、最後に現代語訳のあり

    『信長公記』と作者太田牛一|ちくま学芸文庫|金子 拓|webちくま
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