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economicsとPoliticsに関するprisoneronthewaterのブックマーク (85)

  • 「獲得による普遍化」という解決──センのアプローチをどう読むか/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS

    「獲得による普遍化」という解決──センのアプローチをどう読むか 松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 経済 #リスク・責任・決定、そして自由!#セン ここまでのところで、流動的人間関係にふさわしい政治哲学を探求する中から、リバタリアン思想の内部矛盾を解いてそれを徹底することを試みました。 その結果、理性や主義主張や制度などが暴走して人間を犠牲にすることを防ぐには、「自由」の主体は第一義的には理性ではなく、あくまで生身の個々人でなければならないということに至りました。 すなわち、能や肉体や感覚を持って具体的な暮らしや労働の現場で生きている「感性的個人」でなければならないということです。しかしこの個々人が、互いに矛盾、対立しあわずに、望む通りに自由が実現できることはどうしたら可能なのでしょうか。 そこで前二回はマルクスの解決を見ました。暮らしや労働の現場で生きている「感性的個人」

    「獲得による普遍化」という解決──センのアプローチをどう読むか/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS
  • マルクスによる自由論の「美しい」解決/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS

    前回から、カール・マルクスの思想を検討しています。 私たちは、リバタリアンの自由論を自己矛盾のないように徹底した結果、能や欲求や情動や肉体などとしての「生身の個人」を主人公とする自由概念に到達しました。その「生身の個人」の望みが、人間の「考え方」──理性、計画、法令、慣習、ルール、評価、価値観等々のあり方──のせいで妨げられることを、「自由の侵害」とみなすべきだということになりました。 前回確認したのは、この立場は、マルクスが、先行するヘーゲル左派哲学やアナーキズム思想から引き継いだ立場にほかならないということでした。特に、ヘーゲル左派のフォイエルバッハは、生身の感性的な人間を主人公とみなしたうえで、社会的な「考え方」(フォイエルバッハのとりあげたケースでは「神」)が、その主人公の自由にならない外的なものになって、かえって生身の人間を抑圧してくることをもって、「疎外だ」と言って批判しまし

    マルクスによる自由論の「美しい」解決/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS
  • 「生身の個人にとっての自由」の潮流の中のマルクス/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS

    ここまでのところで、リバタリアンの「消極的自由」論の内包する自己矛盾について、二点確認しました。ひとつは「個人の言動を縛るのも、意識的でない縛りならOK」とする理屈についてで、もうひとつは「理性ノ自己実現コソ自由ナリとするのは抑圧のもと」とする認識についてです。 第一の論点については、「お上」の明確な意志なんかなくても、フラットな個々人の間の意図されざる縛りあいでも、個人の自由への抑圧になるのではないかという批判が成り立ちます。人身御供の因習でも、「イジメ」や差別でも、主戦論が高まって戦争になるときも、そんなケースはたくさんあります。 よく考えれば、暴君の支配だって、「多くの他者が暴君に忠実だろう」と、軍人や警官を含むめいめいが予想することで、みんなで自分を守るために縛りあって維持されている秩序だと言えます。結局は、フラットな個人間での、因習のような相互束縛と図式は同じです。そうすると、「

    「生身の個人にとっての自由」の潮流の中のマルクス/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS
  • 理性による自己支配という自由概念の恐怖──リバタリアンは消極的自由論に徹しているか?/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS

    理性による自己支配という自由概念の恐怖──リバタリアンは消極的自由論に徹しているか? 松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 経済 #バーリン#リバタリアン ここ数回、流動的人間関係にフィットした政策を支える思想は何かを探るために、最有力のリバタリアン思想を検討しています。リバタリアンは個人の自由を最大限尊重する思想ですが、これまで一般には、困った人を助けるために公的な保障をする政策や、不況対策を嫌う傾向がありました。 しかし私は、この連載前半をまとめた『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』(PHP新書)の最後にもまとめましたように、手厚いベーシック・インカムで貧困をなくすことや、インフレ目標政策で不況のときには景気拡大策をとることを主張してきました。個人の自由を尊重するリバタリアン的な立場に立ちながら、なおかつこのような福祉政策や不況対策が正当化できる理屈づけはないのでしょうか。そ

    理性による自己支配という自由概念の恐怖──リバタリアンは消極的自由論に徹しているか?/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS
  • (クルーグマンコラム@NYタイムズ)富裕層への減税案 「経済効果も支持も」の幻想:朝日新聞デジタル

    (米大統領選の共和党有力候補である)ドナルド・トランプ氏が税制案を発表した。富裕層に気前よく大幅減税を実施し、財政赤字を膨らます内容だ。 (同党のもう一人の有力候補の)ジェブ・ブッシュ氏の案と照らし合わせてみよう。ジェブ案は、富裕層に気前よく大幅減税を行い、財政赤字を膨らます。(同党の別の有力候…

  • もう一つの感染リスク、ギリシャがユーロ圏離脱後に繁栄したら - Bloomberg

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    もう一つの感染リスク、ギリシャがユーロ圏離脱後に繁栄したら - Bloomberg
  • 「いいとこ取り野党」がなぜ現れないのか/『日本経済はなぜ浮上しないのか』著者・片岡剛士氏インタビュー - SYNODOS

    ―― 再増税反対を唱える野党も、財源のプランを明確にできれば勝負はできると思うのですが。 そうですね。消費税への傾斜を今回の選挙でひっくり返すのは難しいのかも知れませんが、野党はそこに力を入れてほしいですね。 安倍首相が解散権を口にしたとたんに、民主党も含めてみんなが雪崩を打つように増税延期に傾いてしまった。争点が消失してしまったわけですね。「大義なき解散」という人は、争点のなさを問題にしているわけです。 しかし、私は消費税の延期にみんなが賛成したとは思っていません。首相の会見でも、延期はしても社会保障と税の一体改革の流れは堅持すると明言されていました。つまりこの道は、いずれにしても消費税は上がるという道なんです。仮にリーマン・ショック級のショックがあったとしても、どこかの時点で10%までは確実に上がる、これは動かしがたい現実です。 この現実を打破するような政党が現れるかどうかが一つのポイ

    「いいとこ取り野党」がなぜ現れないのか/『日本経済はなぜ浮上しないのか』著者・片岡剛士氏インタビュー - SYNODOS
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 事前的ルールを選ぶ自由──リバタリアンはハイエクを越えよ/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS

    事前的ルールを選ぶ自由──リバタリアンはハイエクを越えよ 松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 経済 #リバタリアン#ハイエク この連載では、ここ数回、「固定的人間関係がメジャーだった世の中から、流動的人間関係がメジャーな世の中への転換に合わせて、それにフィットした政策を支える思想も転換しなければならない。それは何か。」ということを見ています。新自由主義も第三の道も、それぞれナショナリズム、コミュニタリアニズムという、固定的人間関係にフィットした思想を採用したために矛盾に陥ってしまったのでした。 そこで前回から、流動的人間関係にフィットした思想として最有力の、リバタリアンの思想を検討しています。リバタリアンと言えば、「税金なんか払わないよ」と言っている人たちというイメージが強いのですが、「左翼リバタリアン」と呼ばれる一派は、困った人のために税金をとることを正当化しています。彼ら

    事前的ルールを選ぶ自由──リバタリアンはハイエクを越えよ/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS
  • 流動的人間関係原理からみた課税の正当化原理――左翼リバタリアンの理屈/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS

    流動的人間関係原理からみた課税の正当化原理――左翼リバタリアンの理屈 松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 経済 #リスク・責任・決定、そして自由!#リバタリアン 前回は、固定的人間関係から流動的人間関係にメジャーなシステムが転換した際に、それにのっとる役回りを果たしたはずの路線が、かえって固定的人間関係の方にフィットした思想を、自分の正当化のための原理として取入れてしまった矛盾について確認しました。 流動的人間関係がメジャーなシステムへの転換にのっとる役割を果たした路線というのは、新自由主義と「第三の道」のことですが、それぞれ、新自由主義はナショナリズム、「第三の道」はコミュニタリアニズムという、いずれも個人より集団を優先させる思想を取入れたわけです。 前回大事な論点なのに書くのを忘れてしまったのですが、私見では、「第三の道」が「小さな政府」路線を志向してしまった大きな原因の

    流動的人間関係原理からみた課税の正当化原理――左翼リバタリアンの理屈/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS
  • 固定的人間関係原理から見た解釈の矛盾──新自由主義と「第三の道」の場合/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS

    固定的人間関係原理から見た解釈の矛盾──新自由主義と「第三の道」の場合 松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 経済 #リスク・責任・決定、そして自由!#ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼 前回は、1970年代までの国家主導的なシステム、とくに、アメリカリベラル派や旧来の社会民主主義の担った福祉国家システムが、固定的人間関係原理と流動的人間関係原理との「幸せな総合」によって根拠づけられていたということを見ました。この「総合」を可能にしたのが、社会契約説の理屈で、前回はとくにアメリカリベラル派の代表的政治哲学者、ジョン・ロールズの「無知のベール=天使の社会契約」の論理について検討しました。 こうした社会契約説の理屈付けはたしかにフィクションですが、私は、1970年代までの先進国の状況の中では、人々に自然に受け入れられる現実的根拠を持っていたのだと述べました。しかし、そのあと1980

    固定的人間関係原理から見た解釈の矛盾──新自由主義と「第三の道」の場合/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS
  • 「自己決定の裏の責任」と「集団のメンバーとしての責任」の悪いとこどり/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS

    「自己決定の裏の責任」と「集団のメンバーとしての責任」の悪いとこどり 松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 経済 #小さな政府#自己責任 この連載は昨年10月に始まり、当初毎月一回一年間続けたものを書籍化する予定でしたが、PHP出版さんのご意向で、前回までの分で一旦出版し、続きについてはその一年後にまた出版することに決まりました。 そこで、シノドスさんには連載期間をその分延ばしていただき、一回あたりの分量を、これまでの半分ほどに減らして、ゆっくりしたペースで掲載していただくことになりました。読者のみなさんには、気長におつきあいいただけましたらうれしく思います。 連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 さて、ここまでのところでは、70年代まで普通だった国家主導型のシステムが、その後世界的スケールで崩れていった転換の質は、「リスク・決定・責任は一致すべきだ」ということだったこと

    「自己決定の裏の責任」と「集団のメンバーとしての責任」の悪いとこどり/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS
  • クルーグマン氏が決定的役割-安倍首相の増税延期の決断で - Bloomberg

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  • 流れた研究会用のメモ - shinichiroinaba's blog

    「新自由主義neoliberalism」という思考停止用語について 何でもかんでも憎らしいものに対してレッテルを貼っているだけではないか? ☆例えば―― バブル崩壊前の日経済についての理念的モデルとしての「日的経営」「日型企業社会」と「産業政策」「護送船団行政」の組み合わせ その組み合わせを破壊し、退廃した安定を崩してより大きな混沌へと導いたのが「新自由主義」である――というのがバブル崩壊以降、ことに21世紀に入ってからよく聞かれる話 「ネオリベ」という頭の悪そうな略称が出現したのは21世紀? しかしながらそもそも「新自由主義」の語自体はもっと古い。 フーコーはすでに70年代、「福祉国家の危機」の時代に用いている。 石油ショック、財政危機、スタグフレーションから貿易摩擦の時代には大流行 80年代には定着 ただしその時代は――「ジャパンアズナンバーワン」 ケインズ政策への懐疑とマネタリ

    流れた研究会用のメモ - shinichiroinaba's blog
  • 今頃の東京都知事選挙分析

    松尾匡のページ14年3月23日 今頃の東京都知事選挙分析 前回のエッセー「右腎臓全摘しました」を書いた翌日の17日の夕方、無事予定通り退院しました。ご心配をいただいたみなさまありがとうございました。 帰宅したら15日付けの市の広報の束がある...。うちは今年度自治委員の当番なので広報を近所に配らなければならないのです…というわけで、早速市の広報を配ることから始まり、そのあとネコのトイレを片付けたり、ちょっと掃除機をかけたり、夕の後片付けをしたりという日常生活が待っていました。 と、入院中溜まっていた郵便物の中に、京都の不動産屋の封筒があるではないか。新年度からの単身赴任のための部屋の賃貸契約書類が届いていたのです。読んでみたら翌日18日が返送期日になっている!えらいこっちゃ。 18日は朝から別件で採血検査に出かけ、終わったら市役所で必要書類を入手し…等々と、いきなりあちこち歩き回るはめに

    今頃の東京都知事選挙分析
  • ド・ブロムヘッド&アイケングリーン&オルーク 「1930年代の大恐慌下において極右勢力の台頭を支えた要因は何か?」

    ド・ブロムヘッド&アイケングリーン&オルーク 「1930年代の大恐慌下において極右勢力の台頭を支えた要因は何か?」(2012年2月27日) ●Alan de Bromhead, Barry Eichengreen and Kevin O’Rourke, “Right-wing political extremism in the Great Depression”(VOX, February 27, 2012) 世界中を巻き込む経済危機が長引くにつれて、1930年代と同じように、政治的な過激主義が勢いを増すのではないかとの恐れが広がりつつある。①民主主義を採用してからの歴史が浅く、②極右政党が既に議会でいくつか議席を得ており、③新政党が議会で議席を獲得するハードルが低い仕組みの選挙制度が採用されているようだと、政治的な分裂が生じたり過激主義が台頭したりする危険性が高まる傾向にあるが、④景気

    ド・ブロムヘッド&アイケングリーン&オルーク 「1930年代の大恐慌下において極右勢力の台頭を支えた要因は何か?」
  • ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS

    ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から 松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 経済 #リスク・責任・決定、そして自由!#コルナイ#ソ連型システム さて、30年前ぐらいから世界中で迫られた「転換X」の正体は何か──国家主導体制が崩れて、「小さな政府」に転換することだと思われていたけど、そうでなかったのなら何だったのか──ということをこれからお話ししていくわけですが、これを、当時この転換を提唱していた経済学者の言っていたことを振り返ってみる中から、確認したいと思います。 このときキーワードになるのは…… リスクと決定と責任 ということです。 さらにもう一つ、 予想は大事 ということも覚えておいて下さい。 それで、まず、一番典型的だったソ連型の経済システムがなぜ崩壊したのかを検討することから始めたいと思います。 ソ連も崩壊して20数年になりますので、若い人たちには

    ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS
  • 「小さな政府」という誤解/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS

    この連載では、これまでの三十年ほど、世界中でみんなが「大きな誤解」をしてきたという話をします。 「誤解」というのは何かと言うと、「小さな政府」というスローガンのことです。こないだ亡くなったイギリスのサッチャーさんから始まって、小泉さんとかブッシュさんとか、このかんずっと、世界中でいろんな政権が追求してきましたよね。 最初はいま名前をあげた人たちなんかが、大きな企業が自由におカネもうけできるようにしよう、もっと競争を激しくしようということで、「小さな政府」の路線を進めました。「新自由主義」政策と呼ばれています。 これが、格差だとか貧困だとか、地域の人々の絆の崩壊だとか、金融危機だとかをもたらしたというわけで、今度は、イギリスのブレア政権とか、アメリカのクリントン政権だとかが、もう少しマイルドにした路線をとりました。新自由主義でも、これまでの福祉国家でもない、「第三の道」だとかと自称していたも

    「小さな政府」という誤解/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS
  • 「中央銀行の独立性」とか「アイデアの政治経済学」とか - Irregular Economist 〜hicksianの経済学学習帳〜

    特段仲が悪いわけでもないのになかなか都合があわずに1〜2年まったく顔を合わせないことがあるかと思うと、ちょっとしたきっかけで頻繁に顔を合わすようになって連日のようにランチをともにしたり、という経験はままあるものです。そうです。一方的に喋りまくるあの知人と街中でばったりと出くわして今日もまた彼と一緒にランチに向かったんです。というわけで、その時の会話の様子を再現してみる(話題があっちこっち飛んだもので内容にまとまりがあるかどうかはわかりませんが)。 ○「中央銀行の独立性」と「民主主義」との関係 安倍自民党総裁の発言もあってか、ここ最近はネットのニュース記事なんかを見ていても「中央銀行の独立性」の話題をよく目にするよね。 そういえば、アラン・ブラインダーがこの論文で「民主主義」社会における中央銀行の「独立性」のあり方(「中央銀行の独立性」が「民主主義の原理」と矛盾しないために満たすべき要件)に

    「中央銀行の独立性」とか「アイデアの政治経済学」とか - Irregular Economist 〜hicksianの経済学学習帳〜
  • 何度も書くが、共同体主義は不倶戴天です!

    松尾匡のページ12年11月14日 何度も書くが、共同体主義は不倶戴天です! このかんエッセーを更新する暇がホントにないのですが、そうも言っていられないので取り急ぎ。 毎日新聞大阪版の日付け朝刊の、「おおさか発・プラスα 文化」で、拙著『新しい左翼入門』にからめて、ボクの考えをお取り上げいただいています。 大きくお取り上げいただいたことは大変ありがたく、早速アマゾンでも動いていて、当に感謝の至りです。 それはいいのですが、全体がこんなふうなまとめかたになっているとは知らなかったので、読者に誤解されないかと心配になっています。といっても、このサイトを長くご覧いただいているかたには無用のことでしょうから、こんなところに釈明を書いてもしかたないかもしれませんね。でも、ほかに手段がありませんので…。「拡散希望」ということで。 記事の文章は、ネットでも読めます。次のリンク先をご覧下さい。 カルチャ

    prisoneronthewater
    prisoneronthewater 2012/12/03
    じゃあ、微力ながら。