海辺の記憶 石巻湾周辺・湊 水産加工場並び栄える 湊の川岸には昭和の後半まで多くの水産加工場が並んでいた。石巻漁港の完成により工場の立地地域も変わった。手前は造船所が集中した中瀬=1955年6月 <江戸期は蔵の町> 旧北上川の左岸から牧山の西麓にかけて形成された旧湊村は、ともに河口部の港町を構成した石巻、門脇の両旧村よりずっと歴史が古い。鎌倉末期には既に「牡鹿湊」と呼ばれ、16世紀後半に対岸の石巻が肩を並べるようになるまでは牡鹿郡の「顔」だった。 湊のほぼ中央部にある神社の一皇子宮に、建武の新政で知られる後醍醐天皇の皇子が逃れてきたとする伝説が残されているのもこのためだ。 先祖が300年以上前に移り住み、湊で生まれ育った須田吉三郎さん(82)は「帝のゆかりもあり、戦前は護国神社として扱われた。祭りでは、神様が動かすとされた『荒れみこし』を住民が畏敬の念を抱いて担いだ」と懐かしむ。