昭和天皇との対話を記した初代宮内庁長官の「拝謁記」には、当時の吉田茂総理大臣について「吉田ハカンで動く人間ハ六ヶ(むつか)しいね」と述べるなど、昭和天皇から見た歴代総理大臣の人物評が頻繁に記されています。 「拝謁記」を記していたのは民間出身の初代宮内庁長官だった田島道治で、日本国憲法のもとで昭和23年から5年半にわたり、宮内庁やその前身の宮内府のトップを務め、在任中、600回余り延べ300時間を超える昭和天皇との対話を詳細に記録していました。
「魏(ぎ)」といえば夏侯といわれるほど縁の深い一族。 夏侯和(かこうわ)は、その将軍である夏侯淵(かこうえん)の4人目の子どもとして生を受けました。ここでは史実を中心に夏侯和の深謀遠慮(しんぼうえんりょ)なキャラクターに迫っていきます。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑 雄貴) PC関連プロダクトデザイン企業のE
歴代総理大臣の人物評 詳細 昭和天皇から見た戦前から戦後にかけての歴代の総理大臣の人物評が頻繁に登場するのも「拝謁記」の特徴の1つです。 特によく出てくるのが、日中戦争開戦や日独伊三国同盟の締結、そして御前会議で対米戦争の方針を実質的に決めた際に総理大臣を務めていた近衛文麿です。 近衛について昭和天皇は、(昭和24年11月30日)「毒ヲ以テ毒ヲ制スル主義デ色々ナ一寸(ちょっと)変リモノヲ好ク癖ノアツタ/信頼出来ル長所ハアツタガ政治的識見ヲ欠イタ」、それに(昭和27年4月5日)「意思が弱いし、悪まれたくないし(にく)聞き上手で誰れにもかつがれる」などと人物評を述べたと記されています。 昭和27年5月28日の拝謁では、昭和天皇は愚痴みたいだがと前置きしたうえで、「私と近衛とが意見が一致してたやうに世の中は見てるようだが、これは事実相違だ。/近衛ハ公卿(くぎょう)華族であり又心安く話も出来た為め
立川志らく公式ホームページより 秋の番組改編で、低視聴率が続く朝の情報番組『ビビット』を打ち切り、代わって新情報番組『グッとラック!』をスタートさせるTBS。MCには、『ひるおび!』で辛口コメンテーターとして頭角を現した落語家の立川志らくと、同局アナウンサーの国山ハセンを起用することが発表されたが、放送前から早くも“炎上”が危ぶまれている。 志らくといえば、立川談志の弟子として知られるが、その談志さんはブラックユーモアと毒舌で独自の世界を作り上げた“落語界の風雲児”。ただ、数々の言動で落語界からは異端児扱いされ、1983年にはそれまで所属していた落語協会と袂を分かち、立川流を立ち上げた。 「弟子から上納金をとったり、家元制度を導入したりして賛否を集めましたが、そのブラックユーモアと毒舌に相通じるところがあったビートたけしが弟子入りしたことでも話題を集めました。芸能人では、他に上岡龍太郎や高
子供の頃に観ていたアニメを大人になってから見返すと、当時と全然違った印象を受けることは少なくありません。そこで今回は当時は嫌だったけど、今見ると印象が大きく変わったキャラクターについて掘り下げます。 子供の頃の印象が一変! ロボットアニメながら、複雑な人間模様が描かれている名作「劇場版 機動戦士ガンダム Blu-ray トリロジーボックス プレミアムエディション」(バンダイビジュアル) 子供の頃、夢中になって観たTVアニメ『機動戦士ガンダム』を大人になってから見返すと、いろいろな発見があります。例えば内向的な主人公だと思いこんでいたアムロは意外と熱血漢な面があり、かなりの努力家であることに気づいたりもしました。 他にも、ずっと嫌なキャラだと記憶していた人物に、まったく逆の感想をいだくケースも。自分にとってその筆頭が、地球連邦軍のルナツー方面軍を指揮するワッケイン司令でした。 彼は命からがら
続いてヤンの性格編。 基本的には怠惰な面が目立ち、生活もグータラなため、養子となったユリアンにはみんなが同情した。私生活においてはユリアンが完全に面倒を見る形となったため、彼がヤンの元を離れてフェザーンに行くときには誰もがヤンの生活を心配した。 勤労精神においては明らかにラインハルトと差があり、ラインハルトは義務感で皇帝の政務に精励していたが、ヤンは「有給休暇は必ず全部消化」し、「定時になれば残業のそぶりも見せず」にさっさと帰り、しないですむなら呼吸もしたくない、というほどである。 容貌もぱっとせず、フレデリカとの結婚では「姫と従者」と言われ、メルカッツといると、「メルカッツがヤンの上官に見える」といわれ、ラインハルトとの会見にユリアンを同行させないと、「ユリアンの随員と相手に見られる」からと言われる。 このように、個人的な部分では欠点ばかりが目に付いてしまうが、チュン・ウー・チェンが言っ
<政治への関心がますます低下し、特に若者の無関心が指摘される。しかし、候補者の顔がよく見えない上に、そもそも選挙がおもしろくない理由のひとつは、報道そのものにある> どうも日本の選挙は盛り上がりにかける......ながらく、そう言われてきた。 確かに欧米などと比べればそう言えるが、祝祭的な雰囲気が薄いだけで、一定以上の関心は集めてきたはずだ。しかしながら、近年はそうとも言えない状況にある。 前回2019年7月の参院選の投票率は48.8%。90年代の後半以降、参院選の投票率は50%台で推移していたが、それが50%を割り込んだ。今回2022年7月の参院選では投票率がどうなるかわからないが、10代から30代が選挙に関心を持たないという従来の傾向は変わらないだろう(*1)。 10代から30代の投票率が低い理由は、多岐に及ぶ。たとえば、労働者としての経験が浅く、家庭を持つ人も相対的に少ないという青年
昭和天皇との対話を記した初代宮内庁長官の「拝謁記」には、当時の吉田茂総理大臣について「吉田ハカンで動く人間ハ六ヶ(むつか)しいね」と述べるなど、昭和天皇から見た歴代総理大臣の人物評が頻繁に記されています。 「拝謁記」を記していたのは民間出身の初代宮内庁長官だった田島道治で、日本国憲法のもとで昭和23年から5年半にわたり、宮内庁やその前身の宮内府のトップを務め、在任中、600回余り延べ300時間を超える昭和天皇との対話を詳細に記録していました。 「拝謁記」には戦前から戦後にかけて、昭和天皇が接してきた歴代の総理大臣の人物評が頻繁に登場します 近衛文麿と東條英機 特によく出てくるのが、日中戦争開戦や御前会議で対米戦争の方針を実質的に決めた際、総理大臣を務めていた近衛文麿と、その後任で、太平洋戦争開戦時の総理大臣として戦後、A級戦犯として処刑された東條英機です。 昭和27年5月28日の拝謁では、
自動車保険の保険金不正請求問題で中古車販売大手「ビッグモーター」が大炎上している。創業家が社長・副社長を辞任し、「新体制」になったことで幕引きを図ろうとしているが、父子の影響力は消えるどころか──。 【写真】約3mの外壁やシャッター付き車庫、奥にそびえる家も総石張り…ビッグモーター・兼重宏行前社長宅(ボカし処理あり)。他、別アングルや、巨大な幹線道路沿いの店舗も ビッグモーターで不正が横行するようになった背景には、過剰なノルマや異常な降格人事があったという。「コストカッター」としてそれらを主導したのは、兼重宏行・社長(71、7月26日付で辞任)の息子・宏一副社長(35、同日付で辞任)だと指摘されている。同社の問題を長く取材してきた自動車生活ジャーナリストの加藤久美子氏はこう語る。 「宏一氏は早稲田大学を卒業し、海外でMBAを取得するなど極めて優秀な経歴の持ち主で、工業高校卒の父からすれば、
外務省が12月20日に公開した計17冊、6518ページに及ぶ平成4(1992)年の外交文書の中には、米大統領の「告白」や日本の外交官の外国首脳に対する率直な評価、はたまた「こんなことまで書き残すのか」といった記録もあった。まだ紹介できていない秘話を「極秘文書」からピックアップした。 4年1月31日、国連安全保障理事会首脳会議に出席するため、米ニューヨークに滞在していた当時の宮沢喜一首相は、会議の開始直前、中国の李鵬首相と短時間、立ち話を行った。 話題は同年が日中国交正常化20周年に当たることに及び、宮沢氏が「江沢民(共産党)総書記にも日本においでいただくことになっている」と話すと、李氏はすかさず「天皇陛下の御訪中については如何か」と切り出した。天皇陛下(元上皇陛下)のご訪中を極めて慎重に進めていた宮沢氏は「政府内で真剣に検討(している)」と確約はせず、「ブッシュ大統領と会われれば人権問題が
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