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アタテュルクの検索結果1 - 40 件 / 47件

  • ムスタファ・ケマル・アタテュルク - Wikipedia

    ムスタファ・ケマル・アタテュルク[注釈 1][注釈 2](トルコ語: Mustafa Kemal Atatürk、1881年5月19日[注釈 3] - 1938年11月10日)は、オスマン帝国軍の将軍、トルコ共和国の元帥、初代大統領(在任1923年10月29日 - 1938年11月10日)。 概要[編集] 第一次世界大戦で敗れたオスマン帝国において、トルコ独立戦争とトルコ革命を僚友たちとともに指導してトルコ共和国を樹立。宗教(イスラム教)と政治を分離しなければトルコ共和国の発展はないと考え、新国家の根幹原理として政教分離(世俗主義)を断行。憲法からイスラム教を国教とする条文を削除し、トルコ語表記をアラビア文字からラテンアルファベットへ変更[注釈 4]、一夫多妻禁止や女性参政権導入[2]、スルタン制廃止などトルコの近代化を推進し、トルコ大国民議会から「父なるトルコ人」を意味する「アタテュルク

      ムスタファ・ケマル・アタテュルク - Wikipedia
    • “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(7) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

      「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 →(6)からの続き 前回の記事で、こんな↓ことを書きました。 もし今後、あちらのメディアにより詳細な情報がもたらされ、この騒ぎが“銅像が売りとばされた時点から”詳細に報道されたとしたらどうなるでしょうか? (中略) 一応は現在のトルコ共和国の象徴であるものが、明らかにトルコそのものへの関心の低さから粗末に扱われていることを知れば、最右派のイスラーム主義者でも不快に感じるのではないかと思われます。 というのも、2007年10月にこの銅像事件の第一報を伝えたトルコの新聞「サバフ」紙や「ラディカル」紙が、たかだかこの程度の事件のため独自に記者を出し、取材を行ったとは思えなかったからです。記事のソースは、主に在日トルコ大使館や日本でこれを報じた産経、あるいは例の市議みたいにこの事件を“

        “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(7) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
      • アタテュルクを知らざる者、日本人にあらず? - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

        「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 前々回の記事のコメント欄で“真実の目”氏から御指摘があったのですが、ちょうど一ヶ月くらい前、トルコの複数のニュースサイトで、こんな↓記事が流れていたようです。 --------------------------------------------- 「日本大使曰く:アタテュルクを知らない者は、日本人とはみなされない」  2009年5月9日 原文:Japon Büyükelçi: Atatürk`ü Bilmeyen, Japon Olarak Kabul Edilemez http://www.lpghaber.com/Japon-Buyukelci--Ataturk`u-Bilmeyen--Japon-Olarak-Kabul-Edilemez--haberi-207474

          アタテュルクを知らざる者、日本人にあらず? - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
        • “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(1) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

          「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 最近までよく知らなかったのですが、ネット上でこういう↓珍しい騒ぎが持ちあがっているらしい。産経に詳しい記事があったので、ちょっと長いですが、全文引用してみます。 「トルコ建国の父」救え 銅像の寄贈先破綻…「友好危機」ネットで署名活動 2009.5.6 http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090506/trd0905060153000-n1.htm 屈指の親日国、トルコ共和国の親日感情が悪化しているのを憂慮し、インターネット上でつながった有志が立ち上がった。トルコから新潟県柏崎市のテーマパークに寄贈された建国の父、ムスタファ・ケマル・アタチュルク初代大統領(1881~1938年)の銅像の行き先がテーマパーク破綻(はたん)をきっかけに決まらない問

            “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(1) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
          • “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(9) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

            「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 →(8)からの続き このような社会的不満に対して、世俗主義者たちは少しでもイスラーム復興を求める人々については“反動”あるいは“遅れた人たち”として、クルド独立派に対しては“反土的な外国(古くは英国、後にはソ連、最近だとアルメニアとか)の手先”もしくは“テロリスト”として、切り捨ててきました。教育が普及して誰もが“アタテュルクの正しい教えを”学べば、そういう“間違った人たち”は勝手に消えていくものと考えられたわけです。実際には、そう簡単な話ではなかったんだけども。 前に少し触れましたが、トルコの社会というのは、日本など比較にならないような格差社会です。国全体で言えば“西高東低”‐欧州に近い西部は豊かで東部は貧しいのですが、社会の上層と下層の差も、特に大都市では凄まじい。で、世俗

              “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(9) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
            • “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(2) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

              「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 →(1)からの続き この都合の良い勘違いというか、もとい“美談”的な傾向は、上のラディカル紙の記事を引用した他の新聞の記事で、さらに加速することになります。その5日後、2007年10月14日にアップされた、日刊紙“ワタン”の記事は以下の通り。 ------------------------------------------------------- 「アタテュルクへの敬意と日本の例」 ワタン紙 2007年10月14日 ムスタファ=ムトル記者 原文:Atatürk’e saygı ve Japonya örneği! http://w9.gazetevatan.com/haberdetay.asp?detay=0&tarih=12.05.2009&Newsid=141764&

                “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(2) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
              • “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(4) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

                「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 今回の“銅像事件“ は、日本に於いては専ら産経新聞をはじめとする“保守派”の媒体から取り上げられているわけですが、その論調と言うか報道の傾向は、 この↓“チャンネル桜“の番組に集約されているように思えます。 これはニコ動のものなんですが、物凄い再生回数ですね。人気があるんだなあ。 要約すると、まず日土間には以下のような↓交流の歴史があった、と。 1890年オスマン帝国(今のトルコはその一部だった)の軍艦が和歌山県串本村の沖で遭難=「エルトゥールル号事件」 ↓ 串本村民がその生存者を救助。民間と海軍を中心に多額の義捐金が寄せらる。 ↓ 政府は生存者の送還と遠洋航海訓練を兼ねて、海軍の軍艦2隻をオスマン帝国の首都、イスタンブルに派遣。宮廷を中心に、首都のオスマン人士の間で評判となる

                  “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(4) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
                • “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(3) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

                  「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 →(2)からの続き “ラディカル”紙やこの“ワタン”紙の記事を引用した掲示板は他にも沢山ありましたが、こちらが見た限りでは、コメントの内容は大方同じでした。件の銅像事件について日本人を非難するようなものや、ナショナリズムを煽るような記述は全く見受けられません。 そういうのはあくまでネット上の話であって、現実社会だと事情は違うのではないか?と言う方もあるかもしれませんが、これらの会社が実際に出している新聞の記事にしても、内容は基本的に同じであるはずなのです。 それに、十数年前ならいざ知らず、ある程度ネットが一般にも普及しつつあるトルコ社会で、ある国に対するイメージを一変させるような事件が、ネット界に一切反映されないことなんてあり得ない。 たとえば、2006年2月にデンマーク等で起

                    “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(3) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
                  • “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(6) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

                    「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 →(5)からの続き 市議のブログによれば、氏が銅像をどうにかしようとしているのは、これを政争の具とするためではなく、両国民の友好の維持を願ってとのこと。確かに、この人物の地道な活動がなければこの問題が一般に認知されることもなかったわけですが、氏のブログでのトルコの新聞報道を、その内容を無視して都合よく利用しているのを見る限り、どうも素直には信じられないですかね。 本気で両国の友好を案じているのであれば、とりあえず記事の内容は(トルコ語が読める人間に依頼するとか)どうにかして確認しようとするのではないでしょうか?翻訳ソフトを使っても大意は分かるはずで。 例えば、こんな感じ↓です。 --------------------------------------------------

                      “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(6) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
                    • “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(5) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

                      「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 →(4)からの続き ところで、今回の銅像事件に関する保守派媒体の報道で気になったのは、事件の責任者としてやり玉に上げられている柏崎市の行政のトップ、会田市長と社民党の関係が何だか過剰に強調されている点でした。 例えばこんな↓具合です。 宮崎正弘の国際ニュース・早読み - メルマ!“より http://www.melma.com/backnumber_45206_4471738/ 払い下げの経緯は不明だが、会田市長は全共闘の出身で、心情は社民党と同じ。テヘランへの自衛隊機派遣を潰して日本が国の恥を晒したのを社民党は手を打って喜んだ。それと同じにトルコが怒り、日本の評判が落ちるのはむしろ彼は望んでいるようにすら思える。 この記事自体は引用されたもので、書いたのはメルマガの主とは別の

                        “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(5) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
                      • “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(まとめ・前編) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) &lt;ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА&gt;

                        「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 →(10)からのつづき 気付いてみたら、このシリーズもアタテュルクが生前に行った革命総括演説(述べ6日間、演説自体は36時間)よりもはるかに長くなっていました。まずいですね。ロシア語ネタがいくつか後につかえているというのもありますし、そろそろまとめに入りましょう。 Q.“銅像事件”によって、トルコ国民の対日感情は悪化したのか? A.無いでしょうw。あちらのメディアでは、年がら年中国内のどこかで起きている“アタテュルク像絡みの事件の一つ”として報道されたに過ぎないし、それも〝日本人はかくもアタテュルクを尊崇しているのだ〝みたいな美談調です。悪化のしようがない。むしろ、“美談効果”で人によっては好感度が上がったかもしれないほどで。 冷静に考えれば、今回の事件は不況や地震といった不可

                          “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(まとめ・前編) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) &lt;ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА&gt; 
                        • 【Croatia旅2017⑯】Lounge Istanbul イスタンブール・アタテュルク国際空港 ターキッシュエアラインズ ビジネスラウンジ - I love Komiža in Croatia

                          ▼前回の記事はこちら www.komiza-sumitai.com 人生初のビジネスラウンジとビジネスクラスを体験し、イスタンブールに到着。 さてここからは、もっとすごい体験が待っています。 夢だったアタテュルク国際空港のターキッシュエアラインズビジネスラウンジ 私がANAマイルを貯めることにした理由のひとつがこのラウンジ。 ANAマイルを貯めれば、同じスターアライアンスに所属するターキッシュエアラインズのビジネスクラス特典航空券を発券することができ、さらにイスタンブールで乗り換えれば、このラウンジを使うことが出来るからです。 ですが実際はそう甘くなく、日本⇔イスタンブールのビジネス特典航空券が、探しても探しても出ない。 これがステータス無しの平会員の実力か...とあきらめ、別の航空会社でクロアチア行きの特典航空券を探し始めました。 紆余曲折あり、偶然見つけたのが、ターキッシュエアラインズ

                            【Croatia旅2017⑯】Lounge Istanbul イスタンブール・アタテュルク国際空港 ターキッシュエアラインズ ビジネスラウンジ - I love Komiža in Croatia
                          • “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(8) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

                            「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 →(7)からの続き 解放戦争の勝利と共和国の成立後、トルコでアタテュルクが主導して行った革命というのは、一言で言えばトルコの非イスラーム化であり、“脱回入欧”でした。トルコ語で“世俗主義”を意味する“ライクリック”はフランス語“ライシテ(宗教からの独立)”から借用したと言われますが、当初はアラビア語による造語“ラー(非)・ディーン(宗教)”という、もっとミもフタもない言葉が使われる予定だったとか。 その当時、オスマン帝国の旧領であったアラブ地域はことごとく列強の植民地もしくは半植民地となっていました。イスラーム圏の他の地域も同様。解放戦争に勝利してギリシアやアルメニアの干渉軍を駆逐したことで、どうにか小アジアは確保しているとはいえ、いつまた列強の侵略を受けるか分からない状況です

                              “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(8) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
                            • アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(6) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

                              「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 →(4)からの続き どこからツッコミを入れるべきか少々迷う所ですが..... まず、ここで引用・要約されているあちらの新聞記事は、英文のも、トルコ語のも、いずれも大手新聞“ヒュリエット”紙のセルカン=デミルタシュ記者によって書かれたものです。他の新聞に載っているものも同様。 中には、タイトルが別だったり、デミルタシュ記者の署名が無いものもありますが、内容はまったく同じですね。 何故か“要約”しかしない市議の代わりに、全文を訳してみましょう。 トルコ語の方は、長い版と短い版の2つがあるのですが、 まず、短い版はこちら↓ ---------------------------------------------------- 「アタテュルク像、串本へ」  ヒュリエット紙 2009年

                                アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(6) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
                              • アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(1) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

                                「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 この所、トルコの生んだ稀代のコラージュ職人にして未確認アニメ原作者、セルカン氏にかまけ過ぎたお陰ですっかり遅くなってしまいましたが、ようやくこの↓話題です。 --------------------------------------------------------- 「トルコ建国の父、アタチュルク銅像 新潟から和歌山・串本に移設へ」 2009年12月18日 産経新聞 http://sankei.jp.msn.com/life/trend/091218/trd0912182002012-n1.htm トルコ共和国政府が新潟県のテーマパークに寄贈したものの、閉園などによって、屋外に放置されたままとなっていたトルコ建国の父、ムスタファ・ケマル・アタチュルク初代大統領の銅像が和歌

                                  アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(1) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
                                • Amazon.co.jp: トルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争: トゥルグット・オザクマン (著), 新井政美 (読み手), 鈴木麻矢 (翻訳), 新井政美 (監修): 本

                                    Amazon.co.jp: トルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争: トゥルグット・オザクマン (著), 新井政美 (読み手), 鈴木麻矢 (翻訳), 新井政美 (監修): 本
                                  • アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(5) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

                                    「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 →(4)からの続き それにしても、一連の“セルカン事件”の流れを追っていて思ったのは、これだけネットが発達し、しかも自動翻訳ソフトの精度が日々向上していることを考えれば、単純に日本語と他言語間の“言語障壁”を利用した“だけ”の詐術というかインチキは、今後は通用しづらくなるのではないかということでした。 もし仮に、その言語が、翻訳ソフトなんて存在しなさそうなマイナー言語であっても同じでしょう。現に今回のように、その気になって探せば、ネット上には古代シュメール語が読める日本人すらいた訳で。 ただまあ、セルカン氏が他人の発想やデザインをパクれたのも、コピペ論文で博士号が取れたのもまた、発達したネットのお陰なんでしょうけどね。 その意味では、氏は自己実現というか、成り上がるためにさんざ

                                      アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(5) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
                                    • アタテュルク図書館貴重書のデジタル化

                                      イスタンブル広域市図書館・博物館局に属するアタテュルク図書館に収められているアラビア語やペルシャ語、そしてオスマン語で出版された4万冊の貴重書が、デジタル化されて公開された。(今後は)手書きの書籍に「katalog.ibb.gov.tr」のURLから無料でアクセスすることができるようになる。 イスタンブル広域市は、貴重書の閲覧を望みながらも遠くに住んでいたり、行く時間のない研究者らのために新たなプロジェクトを立ち上げた。図書館・博物館局に属するアタテュルク図書館に収められたアラビア語やペルシャ語、そしてオスマン語で出版された4万冊の貴重書が、デジタル化され、公共サービスとして提供された。これらの書籍の目録化並びにデジタル化と公開は、準備期間として12ヶ月間を要したプロジェクトとして実施され、出版物という文化的遺産の保存や閲覧の容易化、そして次世代への継承を目的としている。 書籍の破損も防止

                                      • アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(3) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

                                        「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 →(2)からの続き しかし、そもそもセルカン氏が串本町と関わりを持つようになったきっかけって何なのでしょうか? 氏のブログの記事などを読む限り、どうやら氏の側から積極的に串本町に接触したらしい。 2007年6月10日のトルコ語版ブログには、以下のような記述があります。 ------------------------------------------------------------- http://anilir.blogcu.com/japonya-da-bir-turk-sehri/1762786 今週、“インフラ・フリー”システムの日本での適用性を調査するために、和歌山県の串本市を3日の日程で訪問しました。 研究のため串本市を選んだのには、重要な理由が二つありました。

                                          アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(3) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
                                        • アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(2) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

                                          「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 →(1)からの続き “串本大使”については、前回引用したものとは別の地元紙、“紀伊民報”の記事↓により詳しい説明がありました。 --------------------------------------- 「大使第1号にアニリールさん 串本町が委嘱」     2007年09月03日 http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=131002 (前略) 串本大使の取り組みは、町のPR以外に情報や助言をもらうことで町の活性化に役立てるのが狙い。町出身者や縁があったり、応援してくれたりする人に依頼する。大使の中から1人を講師に招いた講演会を、年4回ほど開く。  近く大使に委嘱する8人は次の皆さん。 前田弘信

                                            アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(2) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
                                          • “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(10) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

                                            「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 →(9)からの続き ネット上でも、“アタテュルク”、“銅像”等の単語で検索すれば、その手のニュースがじゃんじゃん出てきます。大手の新聞“ヒュリエット”紙のサイトで興味深い記事を見つけたので、ちょっと訳してみましょう。 - -------------------------------------------------- 「アタテュルク像をめぐる衝撃的な論争」 ヒュリエット紙 2008年3月8日 原題:Atatürk heykelinde şok tartışma http://hurarsiv.hurriyet.com.tr/goster/haber.aspx?id=8403345&tarih=2008-03-08 デニズリ(←トルコ西部、地中海沿岸の都市)市の共和人民党の郡

                                              “アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(10) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
                                            • アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(8) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

                                              「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 →(7)からの続き 2010年の1月4日にアンカラで開かれた“トルコにおける日本年”の“オープニング式典”で、岡田外相は“開幕宣言”以外にいかなる発言を行ったのか?とりあえず、ネット上の日本語情報の中にそれが分かるようなものはありませんでした。 一方、トルコ語の方はどうかというと、各新聞ともこの式典の模様を派手に報道しています。ただし、その焦点は岡田外相よりも、専ら、同じく式典に出席していたトルコ側の代表者、エルトゥールル=ギュナイ文化・観光相に当てられていますね。 今回の“トルコにおける日本年”の運営は、日本側は外務省が中心になっているのですが、対するトルコ側は“文化・観光省”です。このギュナイ文化・観光相は、同省のトップなのですよ。 日本の外務省のサイトでは、こう↓あります

                                                アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(8) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
                                              • アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(4) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

                                                「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 →(3)からの続き セルカン氏(+“チーム・セルカン”?)による“エルトゥールルの恩返し”物語の有効利用はまだまだ続きます。 “串本大使”になった後、2007年11月1日の日本語版ブログには、あの有名なイラン・イラク戦争時のトルコ航空機による、在イラン日本人の国外脱出の話が出てくるのですが、 --------------------------------------------------- 「影のヒーロー 」 2007年11月1日 http://blog.anilir.net/?month=200711 | 1985年3月19日、今は故人となった元イラク大統領サダム・フセインが 突然、イラン上空通過航空機の無差別爆撃を表明しました。イラン・イラク戦争の勃発です。イラン在住の

                                                  アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(4) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
                                                • アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(7) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

                                                  「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 →(6)からの続き そういう細かい点はさておき、注目すべきは記事の日付けの方でしょう。 三井田市議は、トルコの新聞に例のアタテュルク像絡みの記事が載ったのが4日から5日であることを根拠に、 「2010年トルコにおける日本年」のオープニング式典において“アタチュルク像問題についての経過説明と謝罪が岡田外務大臣からあった”と“推測できる” としているわけですが、 日本の外務省のサイト↓によれば、 ----------------------------------------------------------------- 岡田外務大臣のトルコ訪問(概要と評価) 平成22年1月5日 http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_okada/turkey

                                                    アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(7) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
                                                  • アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(9) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

                                                    「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 →(8)からの続き さて、詐欺師やデマゴーグの話はこれぐらいにして、“アタテュルク像の串本移設”(というか、実質的には“アタテュルク像の串本建立”ですが、)を報じたあちらの新聞記事への一般トルコ人の反応を見てみましょう。 ヒュリエット紙のサイトに載っていた短い版の記事(「アタテュルク像、串本へ」)には、結構たくさんコメントがつけられていました。 ------------------------------------- <ハルクのコメント> 論評ハルク1号 残念なことだ!我が国の救い主たる偉大な領袖のことを、日本人ほどに気遣えないとは。日本人たちがアタ※の銅像を建てようとしている時に、こっちじゃそれを倒そうと頑張ってる奴らがいるわけで。 ※“アタテュルク”の愛称。 論評ハルク2

                                                      アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(9) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
                                                    • アタテュルクのCM (トルコ興業銀行) - Wikipedia

                                                      トルコ興業銀行(テュルキイェ・イシ・バンカス)のアタテュルクCMは、トルコ共和国の建国の父とされるムスタファ・ケマル・アタテュルクの在りし日を再現したCM。アタテュルクの69回目の命日にあたる2007年11月10日に、初めて放映された。アタテュルクを使った初めてのコマーシャルともなった。 撮影[編集] コマーシャルは、レトロ色を出すためにモノクロで撮影された。コマーシャル製作時にうたわれたスローガンは、「あなたが育てた薔薇は、今日、喪に服す」であった。50名のスタッフにより製作されたコマーシャルの製作は、事前準備に3週間、撮影に3日を要し、時代考証のため歴史家かつ映像作家でもあるルドゥヴァン・アカルの意見が参考にされた。 子供の役をハーカン・ビュユクトプチュ、アタテュルクをハールク・ビルギネルが演じた。ハールク・ビルギネルの特殊メイクは、ヴィットリオ・ソダーノとスタッフにより、40時間かけ

                                                        アタテュルクのCM (トルコ興業銀行) - Wikipedia
                                                      • ムスタファ・ケマル・アタテュルクとは (ムスタファケマルアタテュルクとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

                                                        ムスタファ・ケマル・アタテュルク単語 35件 ムスタファケマルアタテュルク 1.8千文字の記事 12 0pt ほめる 掲示板へ 記事編集 生涯トルコの国父批判関連動画関連商品関連項目掲示板ムスタファ・ケマル・アタテュルク(Mustafa Kemal Atatürk)とは、トルコ革命の指導者、トルコ共和国建国の父である。 「ケマル」は幼年兵学校時代に数学教官から与えられたあだ名で、「完全な」を意味する。 生涯 1881年、オスマン帝国のセラーニク(現・ギリシャ共和国テッサロニキ)に生まれる。 1901年に士官学校を、1905年に参謀学校(陸軍大学)を卒業。オスマン帝国軍人として、イタリア-トルコ戦争(1911)、バルカン戦争(1912-13)、第一次世界大戦(1914-18)などに参加する。第一次世界大戦では英仏軍のガリポリ上陸作戦を迎え撃ってイギリス軍の進軍を食い止めるなどの活躍を見せ、「

                                                          ムスタファ・ケマル・アタテュルクとは (ムスタファケマルアタテュルクとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
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                                                            東洋と西洋が出会う国トルコ。 親日国家として我々日本人には馴染み深い一方で、「その歴史は?」となるとほとんどの方があまり存じ上げない気がします。 1881年(明治十四年)3月12日は、”トルコ建国の父”と言われるムスタファ・ケマル・アタテュルクが誕生したとされる日。 本稿では、トルコの歴史(オスマン帝国)とアタテュルクについて見てみていきたいと思います。 文明の交差点アナトリア半島アナトリア半島は別名小アジアともいい、四大文明には含まれていないながら、古くから文明が存在していた土地でした。 地図で見ると、日本からは中国を突っ切ってひたすら西にいったところにあります。 緯度的には台湾あたりからまっすぐ西と言ったほうが正しいですかね。 地図か衛生写真を見ていただくとわかりやすいかと思いますが、ここは各文明の交差点ともいえる場所です。 南にはメソポタミア・エジプト。 東にはインドや中国。 北西に

                                                              親日トルコの歴史(オスマン帝国)を学ぼう!建国の父・アタテュルクに注目だ
                                                            • 文明史から見たトルコ革命 | アタテュルクの知的形成 | みすず書房

                                                              約600年存続したイスラム帝国オスマンは、第一次世界大戦での敗北を受け1922年に消滅した。列強の干渉を退ける独立戦争を経た翌年、近代的国民国家として発足したトルコ共和国はイスラムと決別してゆく。この一大革命を主導したケマル・アタテュルクは建国の父として崇められ、「ケマリズム」「アタテュルク主義」というイデオロギーが形成されるまでになった。それは次第に影響力を減じながらも、今もトルコの公式イデオロギーであり続けている。 建国に際してアタテュルクは、科学主義、理性崇拝、世俗主義といった近代西洋の理念を礎として、言語から服装まで徹底的な改革を断行した。本書はそのアタテュルクが、西洋のどのような書物を読み、どのような学説を支持し、どのような影響を受けて自らの建国思想を形成したのかを追究するものであり、これまでにない角度からアタテュルク像を描く。さらに、ヨーロッパ発祥の近代文明史にトルコ革命を位置

                                                                文明史から見たトルコ革命 | アタテュルクの知的形成 | みすず書房
                                                              • アタテュルク・フォント、発表!-アタテュルクの字になります

                                                                ブルサのある企業家が、アタテュルクの筆跡をマイクロソフトのワード文章で使用可能なフォントにした。 ヒュッリイェト・デイリーニュースのエルデム・ギュネシュ記者によると、ムラト・オズバルジュという名の企業家は「何千もの様々なフォントがある中、アタテュルクのフォントがつくられていなかったことは一つの不足」と話している。オズバルジュ氏は、文字の著作権を求めないとして、「ただ、このフォントを創り、インターネットでの使用を始めた人間として認知されたい」と話した。 オズバルジュ氏は、アメリカの「アート・アンド・サイン・スタジオ」という会社と協働した。3カ月間にわたりアタテュルクの筆跡を研究した後、フォントを創りだした。 オズバルジュ氏は、「一人のトルコ人としてこのフォントを使いたかった。このためトルコでこのフォントを創ることのできるプログラミング会社を探したが、ひとつも見付けられなかった」と言う。このフ

                                                                • アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(10) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА>

                                                                  「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。 →(9)からの続き 論評ハルク9号 日本人ですら偉大な我らがアタの価値を知っているというのに、我らが同胞にまだ知らないのがいるというのは、何とも悲しいことじゃないか? 論評ハルク10号 メルスィンには「串本」通りがある。 論評ハルク11号 地方に住む日本人ですらアタテュルクの価値が分かっているというのに、こっちじゃ分からない奴がいるんだな。 論評ハルク12号 偉大なる領袖ムスタファ=ケマル=アタテュルクは今なお全世界で評価され、尊敬もされているし、銅像も建てられている。 でも、我が国だと、特に近年は極端な敵意の中に置かれているな。銅像は破壊を被ったり、変な色のペンキで塗られたりしているわけで※。 ※ トルコでは全国各地のある程度以上の大きさの町には必ずアタテュルクの像が建ってい

                                                                    アタテュルク像の串本移設報道に対するトルコ人の反応(10) - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 
                                                                  • 小笠原弘幸『ケマル・アタテュルク』(中公新書) 7点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

                                                                    12月15 小笠原弘幸『ケマル・アタテュルク』(中公新書) 7点 カテゴリ:歴史・宗教7点 『オスマン帝国』(中公新書)で、オスマン帝国600年以上の歴史を新書に収めめてみせた著者によるトルコ建国の父・ケマル・アタテュルクの評伝。ケマルという人間とその周囲の人間に焦点を当てた比較的オーソドックスな評伝になります。 本書を読むと、オスマン帝国という巨大な帝国が欧米列強によって食い荒らされていく中で、「トルコ」というアイデンティティによって国家を作り上げたケマルの手腕は卓越していますし、激動に満ちた時代を追体験することができます。  一方、ケマルという人間に関しては本書を読んでも良くわからないところも残りました。このあたりはトルコ国内においてケマル・アタテュルクに対する批判が法律で禁じられているという影響もあるのかもしれません。 それでも、終章ではケマルの死後から現在のエルドアン政権を見通すよ

                                                                    • 『ケマル・アタテュルク』/小笠原弘幸インタビュー

                                                                      今年10月29日に建国100年を迎えたトルコ。同国を建てたのは、ムスタファ・ケマル(1881~1938)だ。オスマン帝国時代に救国の英雄として活躍した彼は、帝国崩壊後に新国家の建設に邁進し、議会から「アタテュルク(父なるトルコ人)」の姓を与えられる。『ケマル・アタテュルク』の評伝を記した小笠原弘幸さんに、執筆の意図などを聞いた――。 ――今回、ケマル・アタテュルクを書こうと思ったきっかけは何だったでしょうか。 小笠原:トルコを訪れた方なら誰しも感じることだと思いますが、トルコには、あらゆるところにケマル・アタテュルクの肖像があふれています。ランドマークとなる場所にはだいたい彫像が立っていますし、レストランや商店に肖像画が飾っているのは珍しくありません。たしかに、他の国でも現役の独裁者が、むりやり国民に肖像を飾らせていることは、いまでもあるでしょう。しかし、100年前の人物に、現在の国民が深

                                                                        『ケマル・アタテュルク』/小笠原弘幸インタビュー
                                                                      • トルコ人「日本にはトルコ建国者アタテュルクの銅像があるらしいぞ!」 : 海外の万国反応記@海外の反応

                                                                        スレッド「日本の串本町にあるアタテュルク像」より。和歌山県にあるトルコ共和国建国者のアタテュルク像が海外で話題を集めていたので反応をまとめました。※トルコ語を英語に機械翻訳したので細かいニュアンスは間違ってるかもしれないですがご了承ください。 引用:Reddit

                                                                          トルコ人「日本にはトルコ建国者アタテュルクの銅像があるらしいぞ!」 : 海外の万国反応記@海外の反応
                                                                        • ケマル・アタテュルク - Wikiquote

                                                                          ムスタファ・ケマル・アタテュルク(1881年 - 1938年)はトルコ共和国の初代大統領。現ギリシャのテッサロニキ生まれ。オスマン帝国の軍人だったが第一次世界大戦後トルコ革命の指導者となり、トルコ共和国を建国。トルコの近代化改革を推進した。 帰せられるもの[編集] 祖国に平和、世界に平和。 "Yurtta sulh, cihanda sulh." 一般に「内に平和、外に平和」と訳され、トルコ共和国の外交政策のスローガンになっている。 主権は無条件に国民のものである。 "Egemenlik kayıtsız ve şartsız milletindir." トルコ共和国憲法にも取り入れられた文言。 自由と独立は我が特質である。 "Özgürlük ve bağımsızlık benim karakterimdir." トルコの子供が先祖をよく知れば、より大きな仕事を為すために力を自分たちの

                                                                            ケマル・アタテュルク - Wikiquote
                                                                          • ケマル・アタテュルク オスマン帝国の英雄、トルコ建国の父 (中公新書 2774)

                                                                            内容紹介(出版社より) トルコ建国の父、ムスタファ・ケマル(1881〜1938)。オスマン帝国が列強からの脅威にさらされるや救国の英雄として活躍し、帝国崩壊後は大統領に就いてトルコ共和国を建てた。民族主義と世俗主義を掲げて、新国家の建設を権威的に進めたケマル。議会から「アタテュルク(父なるトルコ人)」という姓を与えられ、今なお国民から敬愛される彼の実像を、家族、友人、同士とのかかわりとともに迫る。 内容紹介(「BOOK」データベースより) トルコ建国の父、ムスタファ・ケマル(1881〜1938)。オスマン帝国が西欧列強からの脅威にさらされるなか救国の英雄として活躍し、帝国崩壊後はトルコ共和国を建国し大統領に就任する。民族主義と世俗主義を掲げて新国家の建設を進めたケマルは、議会からアタテュルク(父なるトルコ人)という姓を与えられた。今なお国民から敬愛される彼の実像を、愛する家族や、戦いを共に

                                                                              ケマル・アタテュルク オスマン帝国の英雄、トルコ建国の父 (中公新書 2774)
                                                                            • 【世界の機内食】成田空港~トルコ・イスタンブル アタテュルク国際空港(トルコ航空 THY)

                                                                              世界の機内食をご紹介する『世界の機内食』シリーズ。今回は、成田空港からトルコ・イスタンブルのアタテュルク国際空港まで飛行しているトルコ航空(THY)のコンフォートクラスの機内食をご紹介したい。 ・今回のフライトの料理内容 料理内容は、ローストビーフ、地中海風サラダ、メインはローズマリーソースのチキンブレストか、ほうれん草のクリームチーズのカネロニから選択。これに、洋ナシのムースとプチデザートとパンがつく。飲み物は、アルコールやソフトドリンクなど好きなものを選ぶことができる。 ・サラダもローストビーフも味が薄い 地中海風サラダには、トマト・キュウリ・レタス・パプリカが入っている。これにバルサミコ酢をかけて頂くのだ。野菜は正直、あまり新鮮とは言えない。だが、機内でみずみずしい野菜を食べられるのは有難いことだ。ローストビーフも似たような盛りつけで、こちらにはアボカドとオリーブが入っていた。いずれ

                                                                                【世界の機内食】成田空港~トルコ・イスタンブル アタテュルク国際空港(トルコ航空 THY)
                                                                              • ケマル・アタテュルク -小笠原弘幸 著|新書|中央公論新社

                                                                                オスマン帝国の英雄、トルコ建国の父 小笠原弘幸 著 トルコ建国の父、ムスタファ・ケマル(1881~1938)。オスマン帝国が西欧列強からの脅威にさらされるなか救国の英雄として活躍し、帝国崩壊後はトルコ共和国を建国し大統領に就任する。民族主義と世俗主義を掲げて新国家の建設を進めたケマルは、議会からアタテュルク(父なるトルコ人)という姓を与えられた。今なお国民から敬愛される彼の実像を、愛する家族や、戦いを共にした同志との人間模様を交えて活写する。 書誌データ 初版刊行日2023/10/23 判型新書判 ページ数320ページ 定価1100円(10%税込) ISBNコードISBN978-4-12-102774-0 書店の在庫を確認 ❑紀伊國屋書店 ❑丸善&ジュンク堂書店 ❑旭屋書店  ❑有隣堂  ❑TSUTAYA

                                                                                  ケマル・アタテュルク -小笠原弘幸 著|新書|中央公論新社
                                                                                • ケマル・アタテュルク

                                                                                  概要プレスルーム著作権お問い合わせクリエイター向け広告掲載開発者向け利用規約プライバシーポリシーとセキュリティYouTube の仕組み新機能を試してみる© 2024 Google LLC

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