あの90年代の切羽詰まった憂鬱はいかに生まれたのか?そして終わったのか? 90年代初頭には栄華を誇っていた任天堂のカウンターとして切り込み、単なる娯楽やおもちゃのレベルだったゲームと言うジャンルをニューメディアとして捉えた、ソニーのプレイステーションの初期は、もう本当に玉石混合の、実験的でもある様々な可能性を含んだゲームをリリースしていた。そこがもともとゲーム屋ではないソニーと、長らくゲーム屋だった任天堂やセガのハードでリリースされる作品の違いになったと思う。 しかし、90年代の折り返しの1995年のオウムのテロや阪神大震災以後、世紀末へ向かう時代と世相がそんな最初のプレステが行っていた新たな可能性の時代と混ざり合ったとき、そこにはもうアクションもアドベンチャーもRPGといったジャンルが意味を為さず、正直ゲームとしての完成度にも疑問符が付きながらも、忘れるがたく印象深い、あの時代でだけ成立