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今村明恒とはの検索結果1 - 33 件 / 33件

  • 【日本の元気 山根一眞】日本唯一の「雑誌図書館」を守りたい 「大宅壮一文庫」がなければ取材や執筆は成り立たない(1/2ページ)

    大宅壮一文庫理事長は評論家の大宅映子さん。後ろの書棚の写真は大宅壮一氏と初代理事長、大宅夫人の昌さん。最近行った対談の際に山根事務所スタッフが撮影 1923(大正12)年9月1日、相模湾を震源とする関東大震災が発生した。東京都心は大火災に見舞われ、首都は壊滅。死者・行方不明者は10万5000人。その犠牲者の87%が焼死という生き地獄だった。 その関東大震災を予測し、想定焼失戸数や死者数を18年前の1905(明治38)年9月に発表した偉大な地震学者がいた。今村明恒(1870~1948年)だ。 雑誌『太陽』(博文館)に「市街地に於る地震の生命及財産に對する損害を輕減する簡法」という一文を寄稿したが、一般向け雑誌であったため大反響があり、その後「ほら吹き」という批判にさらされることにもなった。2013年には『関東大震災を予知した二人の男 大森房吉と今村明恒』(上山明博著、産経新聞出版発行)という

      【日本の元気 山根一眞】日本唯一の「雑誌図書館」を守りたい 「大宅壮一文庫」がなければ取材や執筆は成り立たない(1/2ページ)
    • かつては田園地帯だった「昭和新山」 - もっともっと北海道~もっと知りたい知ってほしい北海道

      昭和新山 昭和新山について 約2万年前洞爺湖をかたちづくる洞爺カルデラの南麓に有珠山が形成されました。有珠山は、その後何度も噴火を繰り返し、約7千年前山体崩壊が発生し、その際南側に口を開けた直径約1.8 kmの馬蹄形カルデラが形成されました。数々の噴火を繰り返した有珠山の歴史の中で、1944年~1945年の噴火が昭和新山の誕生となります。壮瞥町の東九万坪と呼ばれる地域で次第に地盤が隆起しはじめ、もとは標高100 m あまりの台地だったところが、潜在ドームの形成により250 m ほどの山となり、火口から溶岩ドームが現れ始めました。この潜在ドームと溶岩ドームは成長を続け、標高は400 m を超えました。この新山は田中館秀三*1により昭和新山と名付けられたのです。 噴火当時は第二次世界大戦の最中であり、世間の動揺を抑えるために噴火の事実は伏せられ、公的な観測を行うことはできませんでした。ところが

        かつては田園地帯だった「昭和新山」 - もっともっと北海道~もっと知りたい知ってほしい北海道
      • 関東大震災の「火災旋風」を報じた新聞記事

        このブログで関東大震災について五回に分けて書いたことがある。東京では銀座も日本橋も焼け、神田も浅草も焦土となったのだが、最大の被害が出た場所は本所区本所横綱町(現在の墨田区横綱)にあった本所被服廠跡(現:横綱公園、両国中学、日大第一中・高等学校など)で、この場所で三万八千人もの人々が焼け死んでしまった。ここにはかつて陸軍の被服廠が存在したのだが、大正八年(1903年)に王子区赤羽台に移転され、二万坪を越える跡地は大正十一年(1922年)に逓信省と東京市に払い下げられて、運動公園や学校が整備される予定であったという。 そして大正十二年(1923年)九月一日に関東大震災が発生し、東京の各地で火災が発生したため、近隣の多くの人々が家財道具を運んで本所被服廠跡に避難したのだが、なぜ広大な空き地に避難した多くの人々が焼死してしまったのだろうか。 教科書などには何も書かれていないのだが、当時の新聞には

          関東大震災の「火災旋風」を報じた新聞記事
        • 【第169回】南海トラフ地震予知の欺瞞が招くもの|世の中ラボ|斎藤 美奈子|webちくま

          ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2024年6月号より転載。 2024年1月1日、石川県の輪島市や珠洲市とその周辺を襲ったマグニチュード7.6、最大震度七の能登半島地震。火災、津波、家屋倒壊などによる死者は245人(うち震災関連死15人。ほか行方不明者3人)にのぼり、全壊家屋は8500戸超。五月になっても約4000戸で断水が続いている。 ところで、こうした大地震が列島を襲うたびに話題になるのが「次はいよいよ南海トラフ地震か」という想定問答だ。 南海トラフとは、伊豆半島の付け根の駿河湾から四国西側の日向灘沖に至る広い地域(フィリピン海プレートとユーラシアプレートが接する海底)を指し、うち紀伊半島先端の潮

            【第169回】南海トラフ地震予知の欺瞞が招くもの|世の中ラボ|斎藤 美奈子|webちくま
          • 妖精? 妖怪? 目撃相次ぐ謎生物「ケサランパサラン」とは何なのか?

            ガガイモの成熟した綿毛。植物に疎い現代人の盲点をつくように謎の生物に 科学文明が発展し、世界にある不思議な出来事や事物の謎が駆逐されていく現代。それでも未確認生物や不可解な現象の目撃は未だに後を絶たず、つい先月には、アメリカ合衆国の情報機関のトップである国家情報機関室が未確認飛行物体(UFO)の報告書を公開し、科学的に説明がつかない謎の飛行物体が実際に確認されていることを明かして話題となりました。日本でも多くの未確認生物や現象が話題となっていますが、その中のひとつにかわいらしい外見の『ケサランパサラン』があります。季節的には7月ごろから秋にかけて、目撃されることが多くなります。なぜなのでしょうか。 会いに行けるUMAケサランパサラン。その概要 セイヨウオニアザミ。風に乗ると意思があるように動き回ります 全国各地には、真贋はともかくとして河童や人魚、龍などのミイラや骨と伝わる伝説の遺物が保存

              妖精? 妖怪? 目撃相次ぐ謎生物「ケサランパサラン」とは何なのか?
            • 関東大震災100年(1)二人の地震学者と社会 平和と沈黙(2023) - tn198403s 高校時代blog

              2023年は関東大震災から100年。 この1年、関東大震災について知らずにいたことが数多くあるとわかり、そのイメージが大きく変わりました。 地震に限らず、予想を超える事態が迫る時、それを見抜く力と、それを受け入れる強い意志と柔軟な対応が大事なのだろうと思いました。そして、それを個人や家族単位だけではなく、集団として機能させる難しさ、一方で、それが事態の改善や悪化に大きく影響するとも思いました。 何回かに分けて記事にする予定です。 地震発生前 二人の学者 大森房吉 今村明恒 二人と社会の関係 二人の関係 マスコミと社会の関心 歴史年表 地震発生前 二人の学者 関東大震災が発生する前に、東京で大地震が起きることを予測した学者が二人いました。関東大地震を「予知できなかった男」と言われた東京帝国大学地震学教室教授・大森房吉(おおもり ふさきち)と、「予知した男」と呼ばれた同助教授・今村明恒(いまむ

                関東大震災100年(1)二人の地震学者と社会 平和と沈黙(2023) - tn198403s 高校時代blog
              • 10分以上揺れ続けた 関東大震災 / 地震波到達シミュレーション / 緊急地震速報、津波警報、NHKニュース、首都直下地震

                大正12年(1923年)9月1日(土) 11時58分31.6秒に神奈川県で発生した巨大地震で、約10万5000人が亡くなった日本史上最悪の震災を、関東大震災と呼びます。 字幕の表示をお勧めします。 防災教育にご利用ください。 商用利用はお断りしています。 2024年現在、首都直下地震として懸念されているのはM8クラスの関東大震災レベルではなく、その下のM7クラスになります。 JUMP 0:00 Top 0:33 注意事項 1:32 シミュレーション 1:44 緊急地震速報(本震)M7.9~8.1 2:57 NHK緊急放送開始 3:10 緊急地震速報(余震)最大震度5強程度 5:10 津波警報 放送開始 6:13 緊急地震速報(余震)M7.3 最大震度5強以上 15:00 緊急地震速報(余震)M5.6 最大震度5強以上 16:15 被害 気象庁 https://

                  10分以上揺れ続けた 関東大震災 / 地震波到達シミュレーション / 緊急地震速報、津波警報、NHKニュース、首都直下地震
                • 地震の前兆の可能性がある自然現象

                  地震の前兆の可能性がある自然現象 東北大学東北アジア研究センター 石渡 明 [東北大学東北アジア研究センター] [石渡ページ] [東北大学防災科学研究拠点] [東北大学理学部地球惑星物質科学科・大学院理学研究科地学専攻] この文章は [地震前兆現象アンケートのお願い] の説明文です [この文章のPDF] [追記1 明治と昭和の三陸地震津波の前兆] [追記2 2011年東日本大震災の前兆?] [追記3 2011年東日本大震災の前兆アンケート中間まとめ(7月13日)] [墓石転倒率] [福島原発事故後の仙台の放射線量] [アンケート最終まとめ] 1.前震 大きな地震の数日~数カ月前(短期前震)または数カ月~数年前(長期前震)に,本震の震源周辺の地域で小さな地震が頻発することがある.例としては,1872年の浜田地震の際,島根県東部では本震の発生4, 5日前から西方に鳴動が聞こえ,地震を感じた.当

                  • 関東大震災100年(2)寺田寅彦の視点と大火災 平和と沈黙(2023) - tn198403s 高校時代blog

                    2023年は関東大震災から100年。 高校時代、部屋の壁に100年カレンダーを貼っていましたが、想像もつかない長い長い時間に思えていました。1985年、20歳の誕生日以降、自分が時間を逆向きに生きたとしたらいつに当たるかと考え、終戦がずいぶん身近に感じられるようになりました。50歳になった時、100年は決して途方もない時間ではなく、祖父の子ども時代であり、良くも悪くも今に繋がっていると思いました。 この記事は前回の続きです。 地震発生直後 寺田寅彦『地震日記』より 地震直前 主要動に思われた初期微動 2度目の大きな揺れ 周囲の様子 大火災発生 寺田寅彦『地震日記』より 際立つ火災被害 火災被害が拡大した理由 火を使う昼食時であったこと 大量の火の粉、強風、燃えやすくなった屋根 揺れがおさまって安堵する人々 家財道具を持っての避難 医療の空白 その他の要因 寺田寅彦『天災と国防』より 地震発

                      関東大震災100年(2)寺田寅彦の視点と大火災 平和と沈黙(2023) - tn198403s 高校時代blog
                    • 大正末という時期の朝鮮人は、京城師範学校出身者のなかですら蔑視の対象だった -山口輝臣(編)『日記に読む近代日本〈3〉大正』を読む- - もちつけblog・はてなブログ版(仮)

                      山口輝臣(編)『日記に読む近代日本〈3〉大正』を読んだ(再読)。 日記に読む近代日本〈3〉大正 発売日: 2012/02/01 メディア: 単行本 内容は紹介文の通り、 日記が、広く国民によって書かれるようになった時代。大正デモクラシー・教養主義の風潮のなか、日記は単なる備忘録を超える。原敬・吉野作造・岸田劉生・宮本百合子・大宅壮一らの日記に、新時代の息吹を読み解く。 というもの。 日記は読み方次第だが、とっても面白い、ということがよくわかる。*1 以下、特に面白かったところだけ。 植民地へのまなざし 大正末という時期の朝鮮人は、京城師範学校出身者、将来の教員という立場の者が公刊した『凝視の一年』のなかですら蔑視の対象である。 (213頁) 村の朝鮮人たちは、日露戦争のときにそうであったように、日本軍からの「奪掠」を恐れ警戒していた。一方の現役兵たちも、相変わらず彼らを「臭い」などと蔑んで

                        大正末という時期の朝鮮人は、京城師範学校出身者のなかですら蔑視の対象だった -山口輝臣(編)『日記に読む近代日本〈3〉大正』を読む- - もちつけblog・はてなブログ版(仮)
                      • 桜島の大正大噴火 - Wikipedia

                        安永噴火の前兆現象と体験の継承[編集] 1779年(安永8年)に始まった安永噴火の前兆現象、噴火の推移は大正大噴火と似通っている[31]。現地の言い伝えでは、噴火の前に井戸水が涸れる現象が起きていた[32]。噴火前日から群発地震の発生、噴火当日には井戸水の沸騰や水位の上昇、海水の変色といった異変が見られた[21][33]。 安永噴火は1782年(天明2年)初頭まで続いた[34]、その後、安永噴火の火口から桜島島内に降灰する程度の、大噴火の余波とみられる小規模な噴火が時々起きたが、1799年(寛政11年)を最後にそのような活動も終息し、桜島は静穏期に入った[35][36][37]。19世紀以降は大正大噴火までの噴火記録も数回程度である。大正大噴火前、桜島は全山緑に覆われるようになり、噴火口からも年に数回程度噴気が観測されていた程度であった[10][36]。桜島の山頂付近まで緑に覆われるように

                          桜島の大正大噴火 - Wikipedia
                        • 罪己詔 - Wikipedia

                          罪己詔(ざいきしょう、己を罪する詔)とは、古代中国の君主及び日本の天皇が自らの過ちを反省し、政策を変更するために出した自己批判を示す詔書の一種である。日本では「御自責(ごじせき)の詔」とも呼ばれた。[1] 罪己詔は儒教の天人相関説に基づくものであり、天が人間が正しくない行いをした場合に天譴(てんけん)、すなわち天罰を下して人間に悔い改めるようにメッセージを送るという思想(天譴論)に基づいている。[2]この詔書の典拠としては、儒教経典『春秋左氏伝』荘公十一年の条に「己を罪する」という文言が有るのがあげられている。地震学者の今村明恒の研究によれば日本の天皇の「御自責の詔」では。この『春秋左氏伝』の故事が引用されるのが通例であったという。[3] 天のもっとも強烈な警告は天変地異、特に地震であり、為政者の不徳から天が地震を起こして警告を発し、罪のない民衆が犠牲になるということから極めて恥ずべきこと

                          • ドラマ「日本沈没」田所博士と世良教授の論争は、明治時代の実話をモデルにしているのでは(森田正光) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                            この秋、TBS系列で放送されているドラマ「日本沈没」は、1973年に出版された小松左京の小説を現代風にアレンジしたものです。 原作は、1912年にドイツの気象学者、アルフレッド・ウェゲナーが発表した「大陸移動説」の理論を斬新な形でSFの世界に取り入れたもので、当時、社会的ブームになりました。 今回のドラマでは原作にはない設定も当然あります。なかでも、「関東沈没」を主張する田所博士(香川照之)と、地球物理学の権威である世良教授(國村隼)の論争は原作にはありませんが、情報開示をめぐっての立場の違いは、現代的なリアリティが感じられました。 二人の主張を簡単に述べると、伊豆諸島近海の日之島(架空の島)が沈んだことや海底に異変があることなどから、「関東沈没」が近いと主張する田所博士、それに対して、その説は証拠も無いのに人心を惑わせるだけだ、と世良教授は批判しました。 物語の設定上、田所博士の主張が正

                              ドラマ「日本沈没」田所博士と世良教授の論争は、明治時代の実話をモデルにしているのでは(森田正光) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                            • 【諸磯隆起海岸(もろいそりゅうきかいがん)】 国指定天然記念物だけれども、地味なスポット。交通アクセスについて

                              今日は、神奈川県の諸磯隆起海岸(もろいそりゅうきかいがん)を紹介します。 これと、「すかなごっそ」での買物のために、公共交通機関でお得に遊べる「三崎まぐろきっぷ」を選ばず、カーシェアリング利用を選んだのです! 見学記 京急油壺マリンパークを楽しんだ後、諸磯隆起海岸(もろいそりゅうきかいがん)に向かいました。 カーナビに「諸磯隆起海岸」と打ち込んだら・・・、あれれれれ? 畑のド真名に到着。 近くに農家の方がいらっしゃったので、尋ねました。 「すみませーーん。諸磯隆起海岸に行きたいんですけれども・・・」 「あー。この崖の下よ」 なんと、カーナビで案内されたのは、諸磯隆起海岸の上でした。 農家の方に、抜け道を教えていただき(舗装されていないデコボコ道)、無事、下りることができました。 さて、諸磯隆起海岸は、地味で、目立たないです。 諸磯隆起海岸の手前左側に小さな看板があるので、それが目印です。

                                【諸磯隆起海岸(もろいそりゅうきかいがん)】 国指定天然記念物だけれども、地味なスポット。交通アクセスについて
                              • 「明和大津波」から考えよう|石垣市

                                11月5日は、第70回国連総会本会議(平成27年12月22日)で「世界津波の日」を定める決議が採択されました。この決議は、日本をはじめ142か国が共に提案したもので、11月5日を「世界津波の日」として制定されました。この決議により、津波の脅威について関心が高まり、その対策が進むことが期待されています。 石垣市でも、「世界津波の日」を鑑みて過去に甚大な被害を被った「明和の大津波」や「明和大津波」という言葉を聞く機会が増えると思います。ずっと昔に大津波が襲来したということは知っていると思いますが、実際に、どんな津波だったのかを知っていますか? ここでは、過去の津波を学び、防災や減災に活かすためのヒントを一緒に考えてみたいと思います。 その前に用語を確認しましょう。一言で津波の高さ、と言っても種類があります。 津波高:津波がない場合(平常時)の潮位から津波によって海面が上昇した高さ。 痕跡高(浸

                                  「明和大津波」から考えよう|石垣市
                                • 日本の古本屋 / 防災専門図書館 過去の災害を未来の防災につなげる<br>【書庫拝見28】

                                  天災は忘れた頃にやって来る。 毎年8月末からの防災週間が近づくと、いろんなところで目にする言葉だ。昨年は 関東大震災から100年目であることから、例年より見る機会が多かった。 寺田寅彦の言葉として伝えられており、高知市の寺田の旧宅(現在は寺田寅彦記念館に なっている)前には、「天災は忘れられたる頃来る」と刻まれた石碑がある。 たしかに寺田は「津浪と人間」「天災と国防」などで、天災に対する人間の忘れっぽさを 警告しているが、この表現通りの文章は書いていない。 ただ、弟子の中谷宇吉郎は、寺田がこれに近い言葉を話したのを聞いており、いわば「先生がペンを使わないで書かれた文字」だと説明している(「天災は忘れた頃来る」、 『中谷宇吉郎随筆集』岩波文庫)。 実際、人間は忘れっぽい。地震や台風が去ってしまえば安心し、もう一度これが来たら……という想像力が働かなくなる。 備えあれば憂いなしとも云うが、憂い

                                  • 地震予知研究の歴史

                                    地震予知研究の歴史 日本で地震の研究が始まったのは1880年(明治13年)に発生した横浜地震(マグニチュード5.8)がきっかけだった。地震の規模としては余り大きくないが、当時のお雇い外国人を大いに驚かせ、同年4月26日に日本地震学会が創立された。この後東京気象台が地震資料の収集や地震計を設置するなど地震に関する調査を開始している。東京帝国大学においても地震学講座が誕生し関谷清景が教授として担当した。このように日本地震学会、東京気象台、東京帝国大学の協力の下に日本の地震学が発展することになった。 日本が国として地震研究に取り組み始めたのは1891年(明治24年)に発生した濃尾地震の直後であった。濃尾地震はマグニチュード8.0で岐阜県南西部の根尾谷断層を震源とし、濃尾平野を中心に岐阜県から愛知県に広い範囲に被害をもたらした。濃尾地震は内陸で発生する地震としては我が国最大級のもので、死者は700

                                    • 東日本大震災から10年ではっきりしたこと - 瀬川茂子|論座アーカイブ

                                      東日本大震災から10年ではっきりしたこと わかっていることをどう利用しどう伝えるか 金森博雄さんに聞く 瀬川茂子 朝日新聞記者(科学医療部) 東日本大震災から10年が過ぎた。地震発生から6時間後、米地質調査所はマグニチュード(M)9という速報値を発表した。翌日、記者は米カリフォルニア工科大の金森博雄名誉教授に電話した。「東北沖でこれほどの巨大地震が起こるとは……」と質問しかけた途端、「そうでしょうか」と、冷静な声が返ってきた。「M9かどうかはともかく、巨大地震が起こりうると考えていた人はかなりいたと思います」。世界の巨大地震を解析してきた金森さんが当時考えたこと、10年たった今、思うことを改めて聞いた。 アウトライアーがあることは常識 ―― 東日本大震災発生当時、多くの地震学者にとって東北沖のM9は「想定外」で、巨大津波が沿岸を襲う映像に衝撃を受けていました。 過去100~200年でみたら

                                        東日本大震災から10年ではっきりしたこと - 瀬川茂子|論座アーカイブ
                                      • 大森 VS 今村論争

                                        連載:関東大震災100年・これからの100年 第4回 飯高隆 2022年9月1日 地震の研究を行うものにとって、地震の予知・予測が可能になることは、大きな目標のひとつであろう。1923 年の関東地震で予測と言えば、真っ先に頭に浮かぶのは大森・今村論争であろう。地震学に少し触れた人であれば、大森・今村論争をご存知の方は多いのではないかと思われる。大森房吉は、当時東京帝国大学地震学教室の教授であった。その時今村明恒は同じ東京帝国大学地震学教室の助教授であり、歳の差はわずか2歳であった。小説で描かれるようなドラマチックな関東地震についての2人の論争は、今村明恒による雑誌「太陽」に掲載された記事に始まる。今村が1905 年(明治38 年)の雑誌「太陽」に掲載した記事は9 月号に掲載された。そこでは、過去に江戸で起こった被害地震について説明し、平均的に100 年に1回の割合で発生していること、慶安二

                                        • 地震の話 (今村 明恒)

                                          この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫)

                                            地震の話 (今村 明恒)
                                          • 地震博士の進講原稿発見 100年前、昭和天皇に 関東大震災で緊急説明

                                            大正12(1923)年9月の関東大震災の翌月、「地震博士」として知られた今村明恒東京帝国大(現東京大)助教授が、当時、皇太子だった昭和天皇に緊急で進講した際の手書き原稿が見つかった。地殻のせめぎ合いで地震が起きるとの当時の新説を紹介し、東京の防火対策が江戸時代から退歩したと訴える内容。孫の英明さん(88)=東京都在住=が約10年前、自宅に残る遺稿の中から発見していた。 原稿「一般地震と関東大地震とに就(つ)いて」は計20枚でペン書き。昭和4年1月、地震学会誌にほぼ同じ内容を発表している。北原糸子・立命館大客員研究員(災害史)は、大正天皇に代わる摂政の激務を務めた昭和天皇は科学者でもあり「進講がある種の救いや余裕をもたらした」と推測する。

                                              地震博士の進講原稿発見 100年前、昭和天皇に 関東大震災で緊急説明
                                            • 30年以内に70~80%は水増し? 「南海トラフ地震の発生確率20%説」は本当なのか!?|ニフティニュース

                                              南海トラフ地震の発生確率が「30年以内に70〜80%」と広く知られているが、科学的根拠が乏しいという指摘がある。地震の発生確率は計算式によって大きく変わり、他の地域と同じ「単純平均モデル」を使えば、南海トラフの確率は20%程度になる。しかし、防災の観点から「高めに」評価する方針が採用され、意図的に確率を水増ししたとの指摘がある。時間予測モデルに用いられた室戸岬の隆起データの信憑性も疑問視されている。全国の地震動予測地図では、南海トラフ沿いや首都圏などの高確率地域が強調されるが、それが他の地域の安全情報と誤解されかねない。地震への備えは地域に関わらず重要で、確率の評価にはより科学的な検証が必要だと指摘されている。 2024年1月1日に発生した能登半島地震はマグニチュード7.6、最大震度7の巨大地震だった。「全国地震動予測地図」では、この地域が「今後30年以内に震度6弱以上の地震に見舞われる確

                                                30年以内に70~80%は水増し? 「南海トラフ地震の発生確率20%説」は本当なのか!?|ニフティニュース
                                              • 引き継がれる「意志」・・・ - ecopeople871’s diary

                                                あなたは、知っていましたか? 天気予報にも「冬」の時代があったことを・・・ ​ 本日の天風録で、日本の天気予報の過去に、 「冬」の時代があったことを教えてもらいました。​ 【 本日(2021.04.21)の 天風録 】 ​ ​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ 今村 明恒(いまむら あきつね)という 地震学者(じしんがくしゃ)がいた。昭和三陸大津波(しょうわさんりくおおつなみ)の 惨状(さんじょう)を 見(み)た 彼(かれ)は、南海地震(なんかいじしん)を 予知(よち)すべく 私財(しざい)を 投(とう)じる。だが 戦時下(せんじか)には 地震計(じしんけい)の 用紙(ようし)まで 底(そこ)を つく。当時(とうじ)の 記録(きろく)は「煤(すす)書(

                                                  引き継がれる「意志」・・・ - ecopeople871’s diary
                                                • 関東大震災を予見も発表せず…地震学権威、大森房吉が貫いた信念 非難された日本人初ノーベル賞候補 | 社会,催し・文化 | 福井のニュース | 福井新聞ONLINE

                                                  1906年8月5日付の米紙「サンフランシスコ・コール」。約3千人が死亡したサンフランシスコ地震を現地視察した大森房吉のコメントや写真を「世界随一の地震学者」の見出しで大きく伝えている 1923(大正12)年に起きた関東大震災から9月1日で100年となり、当時の地震学の世界的権威で日本人初のノーベル賞候補にもなった福井県福井市出身の大森房吉(1868~1923年)に再び光が当たっている。大地震の危険性を予見しながらも、社会の動揺を懸念し「確実だと信念を得るまで発表しない」姿勢を貫いた姿は、現代にも通じる地震学者の葛藤がにじむ。 関東大震災発生の20年近く前、東京帝国大(現東京大)地震学教室の教授だった大森と、2歳下で同じ教室の今村明恒助教授との間で、東京での大地震の可能性を巡り論争が起きた。 今村が「いつ起きても不思議ではない。もし火災が起きれば死者10万~20万人に達するだろう」と警鐘を鳴

                                                    関東大震災を予見も発表せず…地震学権威、大森房吉が貫いた信念 非難された日本人初ノーベル賞候補 | 社会,催し・文化 | 福井のニュース | 福井新聞ONLINE
                                                  • 歴史学からみる火山噴火|保立道久の研究雑記

                                                    『火山と日本の神話 亡命ロシア人ワノフスキーの古事記論』(桃山堂)という本に載せたものですが、もうオープンして良いだろうと思います、 すべてを火山から考える ワノフスキーの論文「火山と太陽」は興味深いものである。それは倭国神話のすべての側面、その本質に火山神話をすえて考えようという立場の宣言であった。同じような主張を最初に明瞭に述べたのは、おそらく寺田寅彦が一九三三年に書いた論文「神話と地球物理学」であろう。寺田というと「天災は忘れた頃に」という警句が有名であるが、私は、この寺田の論文の価値はきわめて高いと思う。寺田の論文は素戔嗚尊についての記述が詳しいとはいえ、「国生神話」「出雲神話」その他の論点についてもふれており、ワノフスキーはこの寺田の論文をうけて、その議論を展開しているといってよい。両者を並べて読むことによって、私たちは、この国の神話研究の問題点を探り、それを発展させていくための

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                                                    • 今村明恒の濃尾地震前震論

                                                      メタデータをダウンロード RIS形式 (EndNote、Reference Manager、ProCite、RefWorksとの互換性あり)

                                                      • 大河ドラマがしょぼすぎる : 歴史的速報

                                                        2020年08月13日19:00 大河ドラマがしょぼすぎる カテゴリ大河ドラマ waruneko00326 Comment(105) 1: 人間七七四年 2007/12/23(日) 08:46:01 ID:imIoxyOq もっと歴史スペクタルにしろ 288: 人間七七四年 2013/02/16(土) 14:37:12.10 ID:s9JfC62Q ネタ切れならいっその事中国の偉人でもやったらどうだろう。 桓公(春秋時代の晋)、始皇帝(秦)、高祖、武帝(前漢)、光武帝(後漢) 、曹操、劉備(三国時代)、太宗(唐)、太祖(北宋)、永楽帝(明)。 部下、名臣なら諸葛孔明(三国時代)、鄭和(明)などがお勧め。 中国に関わった蛮族も、冒頓単于(匈奴)、チンギスハン、フビライハン(元)、豊臣秀吉(明)、ヌルハチ(清)など一杯いる。 日本人よりずっと面白いと思うが。 289: 人間七七四年 2013/

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                                                        • 警告されていた大火災の発生。意外な発火原因と、延焼をうながした最大の原因 | 文春オンライン

                                                          東日本大震災の90年近く前、日本は大地震に襲われている。1923年9月1日、午前11時58分、関東地方を襲った地震は東京・中央気象台の観測室におかれていた地震計の針が1本残らず飛び散り、すべての地震計を破壊させてしまう規模だった。 地震直後に発生した大火災は東京・横浜を包囲し、圧死・溺死を合わせ9万人の命を奪った。この大災害をノンフィクション作家・吉村昭氏が書いた『関東大震災』(文春文庫)より都内に火災が拡がっていく様子を詳細に記した「東京の家屋崩壊」を一部抜粋して公開する。 ◆◆◆ 東京帝国大学地震学教室の今村明恒助教授は、東京に大地震が発生した折には大火災が起ると警告していた。それは、安政2年の江戸大地震をはじめ地震が火災発生をうながす前例にもとづいたものだが、殊に東京市では石油ランプ等の新しい西洋器具が入っているので火災原因が増していると指摘していた。また市内に水道は発達してきている

                                                            警告されていた大火災の発生。意外な発火原因と、延焼をうながした最大の原因 | 文春オンライン
                                                          • 太平洋における国際的な津波防災体制の成立

                                                            津波は、原因となる海底地形の変形から発生までの余裕があるため予報は可能であり、警報や避難などで対応することができる。環太平洋地震帯で起きた津波は広範囲に被害を与える可能性があり、津波防災は津波研究の国際協力を必要としている。本稿は津波研究の国際化と、太平洋の中の日本とアメリカの津波防災体制の成立をグローバル史の視点から紹介するものであり、二つの目的を持つ。第一に、津波を題材に、ローカル・国家・ グローバルの三つのレベルから防災を捉え、日本の防災体制の成立と国際的な動きとの関連性、及びその中の地域の役割を明らかにし、 第二に、科学者の防災への貢献を分析することである。科学者はエキスパートとして防災対策を助言するほか、国際協力の架け橋となる存在である。 「Tsunami」という言葉は国際的に通用するが、その背後には日本の地震学の発展と国際協力の展開がある。災害国日本は地震学の先進国として世界的

                                                            • 明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常169 震災から28年経って・・・ - 明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

                                                              こんにちは。 前回の投稿の冒頭部分で触れた高橋幸宏さんについてですが、その後の報道によると、死因は誤嚥性肺炎だったようですね。これは、食べ物や飲み物、唾液などが誤って気道内に入ってしまうことから発症する肺炎であることはよく知られています。気道に異物が入ってむせることがあっても、ある程度の体力があれば、大事には至らないことが多いのですが、高齢になり、飲み込みに関する機能が低下(嚥下障害)すると、こうした異物とともに細菌等が入り込み、肺炎が誘発されてしまうのです。日本では毎年4万人程度の方がこれによって亡くなられており、死亡原因としては第6位に位置づけられています。また、70歳以上の肺炎患者のうち、誤嚥性肺炎の患者はなんと70%にものぼるそうで、私たちにとっては、かなり身近な病気のひとつということになります。実際、私の知人にもこれが原因で亡くなられた方が何人かいらっしゃいます。 ただ、高橋幸宏

                                                                明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常169 震災から28年経って・・・ - 明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常
                                                              • たんぽぽ舎メルマガ NO.4839/「ALPS処理水」の海洋放出は許されない

                                                                ・2024総会(報告) ・レイバーネットTV(4/10) ・あるくラジオ(4/20) ・川柳班(投句「風」) ・ブッククラブ(4/6) ・シネクラブ ・ねりまの会(4/17) ・フィールドワーク(5/31) ・三多摩レイバー映画祭(6/2) ・レイバーネット動画 ●「太田昌国のコラム」第88回(2024/3/20) ●〔週刊 本の発見〕第340回(2024/4/4) ●「根津公子の都教委傍聴記」(2024/3/28) ●川柳「笑い茸」NO.152(2024/3/27) ●フランス発・グローバルニュース第7回(2024/3/20) ●「飛幡祐規 パリの窓から」89回(2023/12/31) ★カンパのお願い たんぽぽ舎です。【TMM:No4839】 2023年8月17日(木)地震と原発事故情報− 5つの情報をお知らせします 転載・転送歓迎 ━━━━━━━ ★1.「ALPS処理水」の海洋放出は

                                                                • 関東大震災に先立つ経験/災害の日本近代史(土田宏成) - 見もの・読みもの日記

                                                                  〇土田宏成『災害の日本近代史:大凶作、風水害、噴火、関東大震災と国際関係』(中公新書) 中央公論新社 2023.7 20世紀初頭は、世界的に大規模な自然災害が相次いだ時期だった。災害は他国にも報道され、国境を超えた義援、救援、調査研究などが整備されていった。本書は、まず序章で1902年のプレー山噴火(カリブ海フランス領)を簡単に紹介する。約3万人の死者を出した大災害で、フランス公使の本野一郎から、主要国はフランス政府に弔辞と義援金を送っているので我が国も送るべき、という連絡が入り、外相の小村寿太郎は天皇に意見を具申した。こうやって日本は文明国の外交を実地に一歩ずつ学んでいったわけである。 本書に取り上げられている国内外の災害は以下のとおり(◆=日本) ◆1905年秋、日本の東北地方で大凶作 ◇1906年4月、アメリカのサンフランシスコ地震 ◇1906~07年、中国の中部で水害と飢饉 ◇19

                                                                    関東大震災に先立つ経験/災害の日本近代史(土田宏成) - 見もの・読みもの日記
                                                                  • 火山の話 (今村 明恒)

                                                                    この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫)

                                                                      火山の話 (今村 明恒)
                                                                    1