「女給」という響きには、どこか昭和を感じます。 この言葉が生まれたのは、昭和ではなく大正時代のようで、宇野浩二の『苦の世界』(1918‐21)には「いっそのことカフエエの女給にならうかしら」という文章があります。 それが全国区になったのは大正の終わりから。昭和に入り「カフェー」という新しく生まれた風俗産業と共に、「女給」も伝播したのでしょう。カフェーとは、横に「女給」がついてお酒を飲んで語らう場所、つまり今のキャバレーのようなものでした。 女給とくればカフェー。カフェーとくれば女給。彼女らは基本無給、客からのチップだけで生活していました。チップイコール生活費、チップ欲しさにだんだんと過激なサービスをするようになり、次第に陰で売春行為もするようになったと言います。 そして昭和はじめの不景気による先が見えないドンヨリ感もあり、カフェーは「エロ・グロ・ナンセンス」の「エロ」を担う時代の寵児となり