◇規模20万平方メートル、国史跡目指す 羽咋市寺家町の寺家遺跡の平安時代(9世紀)の地層から、掘っ立て柱建物の柱穴や墨で文字のようなものが書かれた土器などが見つかった。同市教委が11日、明らかにした。同遺跡は近くの気多大社の前身だった可能性が強く、同市教委は今回の調査結果が裏付けになるとみている。 寺家遺跡の調査は、能登有料道路の造成工事に伴い、78年から始めた。これまで宮司の社務所とみられる大型建物群や、銅鏡などの祭具が大量に見つかっている。 今年見つかった柱穴は直径80センチで、計3カ所あった。建物は平安前期に建てられたと推測され、祭祀(さいし)関係者の住居だった可能性があるという。土器の底には漢字の「三」のような3本の線が書かれていた。また祭具を焼く際の道具や、焼いた跡とみられる焼土が確認された。 同市教委はこれまでの調査で、遺跡が20万平方メートルの広大な敷地に広がっていたとみてい