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坂本一亀 三島由紀夫の検索結果1 - 22 件 / 22件

  • 大学3年生で初めての結婚、美輪明宏の伴奏をするバイトで生活費を稼いだ日々…若き音楽家・坂本龍一を驚かせたのは“はっぴいえんどのベーシスト”だった | 文春オンライン

    45年にわたり日本の音楽シーンをリードし続けた坂本龍一。71歳を迎え、記念発売される『坂本龍一 音楽の歴史』より彼の足跡を一部抜粋。三島由紀夫の担当編集者でもあった父・坂本一亀の長男として生まれ1970年代、東京藝大に入学した日々を辿る。(全2回の1回目/後編を読む) ◆◆◆ 「学校の外の路上では何十万人規模のデモ隊と機動隊がぶつかりあっているのに…」 藝大に入学した坂本龍一は音楽学部の雰囲気に猛烈な違和感を感じたそうだ。とくにクラシックを学ぶ同級生たちは品の良いお嬢さん、お坊ちゃん的な空気を纏まとう学生が多く、自分のようなタイプの人間はそこでは異質な存在と思えた。

      大学3年生で初めての結婚、美輪明宏の伴奏をするバイトで生活費を稼いだ日々…若き音楽家・坂本龍一を驚かせたのは“はっぴいえんどのベーシスト”だった | 文春オンライン
    • FILT NO SMOKING NO LIFE 細野晴臣

      失われかけているものの中にこそ、かけがえのないものがある。ミュージシャン・細野晴臣が、今後も「遺したいもの」や、関心を持っている「伝えたいこと」を語る連載の第11回。一つ一つの言葉から、その価値観や生き方が見えてくる。 消えないスピリット。 最後に会った日。 2023年になってから、本当にいろいろなことがあったね。幸宏、鮎川誠くん、岡田徹くん、そして教授。みんな立て続けだったから、気持ちが追いつかなかった。落ち着いてひとりひとりにさよならも言えない、仲間が戦死していくときの気持ちってこういうことなのかな、と。 幸宏の印象はいまも2019年当時のまま、その後の4年のあいだ止まってる。僕がロサンゼルスでライブをしたとき、幸宏が観にきてくれて、そのあと呼ばれたDJパーティにも幸宏が来た。ちょうど幸宏の誕生日だった。だからバースデー・パーティになってね。そのときの元気な印象が強く残ってる。それから

        FILT NO SMOKING NO LIFE 細野晴臣
      • 坂本龍一 - Wikipedia

        日本コロムビア / Better Days (1978年) - 1979年)) アルファレコード(1978年) - 1983年)) MIDI / SCHOOL(1984年) - 1986年)) CBS・ソニー / TERRAPIN (1987年) ) ヴァージン・レコード(1989年) - 1991年)) 東芝EMI (1991年) - 1993年)) FOR LIFE / güt(1994年) - 1997年)) タワーレコード / güt bounce (1996年) - 1997年)) ワーナーミュージック・ジャパン (1998年) - 2006年)) commmons(2007年) - 2023年)) 坂本 龍一 (さかもと りゅういち、Ryūichi Sakamoto、1952年〈昭和27年〉1月17日[5] - 2023年〈令和5年〉3月28日[6][7][8])は、日本の作曲

          坂本龍一 - Wikipedia
        • 坂本龍一、咽頭がんで演奏活動休止 創作活動は病床で継続 (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

          世界的音楽家の坂本龍一(62)が中咽頭がんの治療に専念するため、演奏活動を全面的に休止することが9日、分かった。10日に自ら公表する。 【写真】「NO NUKES」とプリントされたTシャツを着て12年7月の「さようなら原発集会」に参加した坂本龍一  米ニューヨーク在住の坂本が喉に違和感を覚えるようになったのは、6月に入ってから。そこで精密検査を受けたところ、7月初めに中咽頭がんと判明した。 咽頭は、喉の鼻の奥から食道までの、食べ物と空気が通る部分のこと。食事と呼吸という生命維持に不可欠な機能を担っているほか、社会生活に重要な声によるコミュニケーションを取るための機能も担うなど、極めて重要な場所。上中下に分類され、口を開けたときの突き当たりに相当する部分を中咽頭という。 咽頭がんは、たばことの関連が深い。坂本も長年の愛煙家で、かつては周囲に「胸が苦しい」と漏らしたこともあった。それが9年

            坂本龍一、咽頭がんで演奏活動休止 創作活動は病床で継続 (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
          • 坂本龍一はなぜ京都を愛したのか“盟友”明かす素顔

            今年3月に亡くなった音楽家・坂本龍一さんが、一時移住を考えたほど京都を愛したのはなぜか。通り一遍の観光を嫌ったという「教授」の実像を“盟友”たちが語った。 シンポ「坂本龍一の京都」 「坂本龍一の京都」と題した追悼シンポジウムが6月18日午後、京都芸術大学の京都芸術劇場春秋座で開かれた。定員400人で事前に予約を受け付けると、すぐにいっぱいになり、関心の高さをうかがわせた。 訃報から約3カ月。「いろいろなメディアで坂本さんについて紹介されているが、まだ統一像を結ぶに至っていない」 坂本さんとの交流が40年近くに及んだという京都芸術大学の浅田彰教授はシンポでの冒頭、企画した意図を説明した。 坂本さんが細野晴臣さんと高橋幸宏さんと結成した音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)は1983年に「散開(解散)」した。その年、京都大学人文科学研究所の助手だった浅田教授は著書『構造と力

              坂本龍一はなぜ京都を愛したのか“盟友”明かす素顔
            • 音楽家の坂本龍一さん死去 71歳 がん闘病中 脱原発訴え、神宮外苑再開発にも反対:東京新聞 TOKYO Web

              音楽ユニット「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO」)のメンバーで、世界的に活躍した音楽家・坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんが3月28日死去した。71歳。東京都出身。2014年7月に中咽頭がんを、21年1月に直腸がんを公表し、闘病を続けていた。 1952年、東京都生まれ。父は河出書房で伊藤整や三島由紀夫らの作品を手掛けた文芸編集者をした坂本一亀(かずき)。3歳からピアノを、10歳から作曲を学んだ。 東京芸大大学院修了。78年、アルバム『千のナイフ』を発表してデビュー。同年、細野晴臣さん、高橋幸宏さんと3人で結成したYMOにキーボード奏者として参加。シンセサイザーを駆使した電子音楽「テクノ・ポップ」で注目を集めた。

                音楽家の坂本龍一さん死去 71歳 がん闘病中 脱原発訴え、神宮外苑再開発にも反対:東京新聞 TOKYO Web
              • 大岡昇平 - Wikipedia

                『俘虜記』(1948年) 『武蔵野夫人』(1950年) 『野火』(1952年) 『花影』(1961年) 『レイテ戦記』(1971年) 『中原中也』(1974年、評伝) 『事件』(1977年) 『小説家 夏目漱石』(1988年、評論) 大岡 昇平(おおおか しょうへい、1909年(明治42年)3月6日 - 1988年(昭和63年)12月25日)は、日本の小説家、評論家、フランス文学の翻訳家・研究者。 東京牛込に生まれた。父は相場師で、社会的身分の変動が激しく、それが自我の目覚めを早熟にしたという。戦前はスタンダールを研究した。 フィリピンのミンドロ島での俘虜経験をもとにした『俘虜記』(1948年)で作家の地位を確立。『武蔵野夫人』(1950年)などの恋愛小説の秀作も書くが、その目は一貫して戦争に向けられていた。戦記文学『レイテ戦記』『野火』が代表作である。1972年に日本芸術院会員に推された

                  大岡昇平 - Wikipedia
                • 坂本一亀 - Wikipedia

                  坂本 一亀(さかもと かずき、1921年12月8日 - 2002年9月28日[1])は、日本の編集者。坂本龍一の父。 来歴・人物[編集] 福岡県甘木市(現:朝倉市)生まれ。愛称は「ワンカメさん」。 旧制福岡県立朝倉中学校を卒業後、上京。1943年に学徒出陣により、日本大学法文学部文学科(国文学専攻)を繰上卒業し入隊。佐賀と満洲の通信隊にいたとされる。福岡県筑紫野の通信基地で敗戦を迎え[2]、3ヵ月後に復員。故郷に帰り、近所の鋳物工場でなどで働く。文学書に読み耽りながら『朝倉文学』という小さな同人誌をやっていたところ、甘木に療養に来ていた元河出書房社員の眼にとまったのがきっかけとなり、1947年1月に河出書房に入社[1]。1947年7月、待望の編集部に移り、『ドストエフスキー全集』の訳者米川正夫の担当となる。同月、伊藤整、瀬沼茂樹、平野謙の三人を揃えて文芸評論全集を企画。 以後、野間宏『真空

                    坂本一亀 - Wikipedia
                  • 『坂本龍一ヒストリー前編 ~ 幕末からのルーツ 誕生からミュージシャンへの軌跡  〜』

                    Kou音楽雑感と読書感想を主に、初老の日々に徒然に。 ブログタイトル『氷雨月のスケッチ』は、はっぴいえんどの同名曲から拝借しました。 自分は四十年ほど前、坂本龍一の存在を知りました。彼がデビューする前、スタジオ・ミュージシャンだったころ、多くのアルバムのクレジットでその名をよく見かけました。ファースト・アルバムも、リアルタイムで買いました。 坂本龍一の音楽としては、ピアノソロや、民族音楽っぽいものが好きでよく聴きます。いまも曲を流しながら書いています。ただテクノ・ポップといわれる、彼を一躍メジャーに押し上げた、YMOのような機械的な音には、正直ついていけませんでした。また難しい音楽論もよくわかりません。興味があるのは坂本龍一という音楽家の、人間的な側面です。 坂本の自伝である『音楽は自由にする』は、その貴重な記録です。もう十年近くも前の本ですが、生い立ちから始まるミュージシャンへの軌跡が克

                      『坂本龍一ヒストリー前編 ~ 幕末からのルーツ 誕生からミュージシャンへの軌跡  〜』
                    • 大学3年生で初めての結婚、美輪明宏の伴奏をするバイトで生活費を稼いだ日々…若き音楽家・坂本龍一を驚かせたのは“はっぴいえんどのベーシスト”だった(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

                      45年にわたり日本の音楽シーンをリードし続けた坂本龍一。71歳を迎え、記念発売される『坂本龍一 音楽の歴史』より彼の足跡を一部抜粋。三島由紀夫の担当編集者でもあった父・坂本一亀の長男として生まれ1970年代、東京藝大に入学した日々を辿る。(全2回の1回目/ 後編を読む ) 【画像】2010年、YMOで共に一世を風靡した高橋幸宏、細野晴臣と演奏する坂本龍一を見る ◆◆◆ 藝大に入学した坂本龍一は音楽学部の雰囲気に猛烈な違和感を感じたそうだ。とくにクラシックを学ぶ同級生たちは品の良いお嬢さん、お坊ちゃん的な空気を纏まとう学生が多く、自分のようなタイプの人間はそこでは異質な存在と思えた。 「学校の外の路上では連日何十万人規模のデモ隊と機動隊がぶつかりあっているのに、音楽学部の中はお花畑のようで、安穏とした雰囲気の中でお互い“ごきげんよう”なんて挨拶している世界(笑)。なるべく近づかないようにして

                        大学3年生で初めての結婚、美輪明宏の伴奏をするバイトで生活費を稼いだ日々…若き音楽家・坂本龍一を驚かせたのは“はっぴいえんどのベーシスト”だった(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
                      • <追悼・坂本龍一>「ぼくが死んだ後は…」直腸がんで闘病生活を送っていた教授の知られざる“最期の願い” | 文春オンライン

                        授業をさぼり、名画座、ジャズ喫茶に入り浸った新宿高時代 坂本さんは1952年1月17日に東京都中野区に生まれた。父は埴谷雄高や三島由紀夫を手掛けた高名な文芸編集者の坂本一亀。幼稚園のときにピアノに触れ、やがてピアノ、作曲の道に進むことになる。中学、高校時代は音楽に夢中になっていたという。 <自分が夢中になっている音楽の話を共有できるような友だちは、周りにはいませんでした。学校にもいなかったし、家に帰ってもいなかった。譜面を見ながら自分でぽろぽろ弾いてみて、どうしてこんな音がするんだろう、なんて思っていた。ひとりで音楽と語らっているような感じでしたね>(2009年。自伝『音楽は自由にする』より) 10歳のときから日本を代表する作曲家、松本民之助に師事し、高校生の頃にはすでに周囲から神童と評されていた。新宿が日本のサブカルチャー、カウンターカルチャーの中心地だった頃、新宿高校に通い授業をさぼっ

                          <追悼・坂本龍一>「ぼくが死んだ後は…」直腸がんで闘病生活を送っていた教授の知られざる“最期の願い” | 文春オンライン
                        • 成功するオウンドメディアにあって失敗するオウンドメデイアにないもの

                          2018年にLIGに入社したエディターのきょうこ(@cloverbooks)です。メディア事業部で、クライアントのオウンドメディアの運用やコンテンツ制作をしています。 イースト・トーキョー台東区から全世界へ向けて発信しているグローバルなLIGブログなので、初登場にあたり、ご挨拶の気持ちをこめてトラディショナルな民族衣装にしてみました。ちなみに、この日の着物は、水色の刺繍付下げと七宝柄の名古屋帯です。 大好きな着物屋さん「くるり」で誂えました。 LIGブログ編集部のケイさんから「最初に書くLIGブログは、自己紹介的な内容を」と言われ、お手本として示されたのが、「残念なイケメン」もりすけさんの入社記事。 え……。 もりすけさんはTwitterのフォロワー27万人以上の人気コメディアンですよ! いきなりハードル高すぎ。 ちなみに、もりすけさんの席は私の向かい側なので、会社にくるとこんなキラキラし

                            成功するオウンドメディアにあって失敗するオウンドメデイアにないもの
                          • 第2回 「教授」以前の彼(その1)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま

                            比類なき輝きを放つ作品群を遺すとともに、「脱原発」など社会運動にも積極的に取り組んだ無二の音楽家、坂本龍一。その多面的な軌跡を「時代精神」とともに描き出す佐々木敦さんの好評連載、第2回の公開です! 坂本龍一は、1952年1月17日、東京都中野区に生まれた。父親は河出書房/新社の文芸編集者だった坂本一亀、母親は帽子デザイナーの坂本敬子。龍一はひとりっ子である。 両親と幼少時の思い出を坂本龍一は何度か語っている(『音楽は自由にする』2009年、『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』2023年、吉村栄一が坂本に長期間にわたりインタビュー取材を行って著した『坂本龍一 音楽の歴史』2023年、など)。 1 近くて遠い存在だった父親 三島由紀夫の『仮面の告白』(1949年)を始めとして、埴谷雄高、高橋和巳、野間宏、椎名麟三、井上光晴、中村真一郎、小田実、丸谷才一、いいだ・もも、辻邦生など戦後文学の重要作

                              第2回 「教授」以前の彼(その1)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま
                            • #625 坂本龍一さん――父の怒声が聞こえてくる : lumière de raison d'être

                              7月1 #625 坂本龍一さん――父の怒声が聞こえてくる カテゴリ:音楽 坂本龍一さん――父の怒声が聞こえてくる(食の履歴書) 2009/3/28付 日経プラスワン 坂本家恒例「夜明けのお茶漬け」 「伝説の編集者」の思い出 ご飯に熱いお湯をさっとかけたお茶漬けを食べると、音楽家、坂本龍一は今は亡き父の姿を思い出す。その記憶は、まだ坂本が小学生だった時分にさかのぼる。 「おい。お茶漬け!」。夜ごと酒場を飲み歩き、泥酔した父は明け方、帰宅すると必ず母にお茶漬けをつくるように命じた。どんなに遅くても、近所に聞こえるような怒鳴り声で歌いながら帰ってくる。 不安になった坂本は眠い目をこすりながら、そっと寝床を抜け出し、様子を見に行くのが常だった。「父は血の気の多い九州男児でね。いつも怒っているような軍隊口調で話すんです。とにかく怖くて、高校に上がるまで、まともに目を合わせたことがなかった」 泣く子も

                              • 音楽の可能性に挑戦し続ける先駆者・坂本龍一

                                イエロー・マジック・オーケストラの一員として日本発テクノポップを世界に発信した坂本龍一。以来、約40年にわたり、ジャンルを超えて新たな音楽世界を切り開いてきた「挑戦者」の軌跡を振り返る。 坂本龍一は、現代の音楽界でも最も重要な1人だ。クラシックからジャズやロック、現代音楽に民族音楽とその音楽は多岐に及ぶが、その何処(いずこ)にも属することなく、坂本龍一という名の音楽図鑑を編み続けている。殊に、美しい旋律で、音楽に秘められた静かな力を表現することでは、世界広しといえども彼をおいて他にいない。しかし何よりも、彼を際立たせているのは、いついかなるときも緊張感を欠かさず時代と向き合い、音楽を奏で続けてきたということだ。 日本ポップミュージックの先導者1952年1月17日、東京生まれの作曲家、編曲家、ピアニスト、音楽プロデューサー。そもそも、父親の坂本一亀(かずき)は戦後の日本文学の礎を築いた伝説の

                                  音楽の可能性に挑戦し続ける先駆者・坂本龍一
                                • ファミリーヒストリーで紹介された坂本龍一の父 真実の姿を伝える「伝説の編集者 坂本一亀とその時代」|Web河出

                                  前書き 文藝 文学 文庫 - 随筆・エッセイ ファミリーヒストリーで紹介された坂本龍一の父 真実の姿を伝える「伝説の編集者 坂本一亀とその時代」 田邊園子 2018.04.23 坂本龍一の父・一亀は「文藝」の編集長を務め、三島由紀夫や高橋和巳を世に送り出した伝説の編集者でした。 本書は坂本編集長による「文藝」復刊時に河出書房新社に入社した文藝スタッフ・田邉園子氏が、なんと子息である坂本龍一氏に直接、「父が生きているうちに父のことを書いて本にしてほしい」と依頼を受け記された一冊です。 本書よりNHK「ファミリーヒストリー」放映を記念し、まえがきを公開します。 ***************************************** はじめに 坂本一亀は、二〇〇二年九月二十八日、八十歳と九か月でその生涯を終えた。何年も透析に通っていた自宅近くの病院で、安らかに息を引きとったという。彼

                                    ファミリーヒストリーで紹介された坂本龍一の父 真実の姿を伝える「伝説の編集者 坂本一亀とその時代」|Web河出
                                  • 水上勉 - Wikipedia

                                    日本探偵作家クラブ賞(1961年) 直木三十五賞(1961年) 文藝春秋読者賞(1965年) 菊池寛賞(1971年) 吉川英治文学賞(1973年) 谷崎潤一郎賞(1975年) 川端康成文学賞(1977年) 毎日芸術賞(1984年) 日本芸術院賞・恩賜賞(1986年) 文化功労者(1998年) 親鸞賞(2002年) 贈正四位・旭日重光章(2004年、没時叙位叙勲) 水上 勉(みずかみ つとむ[1]、1919年3月8日 - 2004年9月8日)は、日本の小説家。福井県生まれ。社会派推理小説『飢餓海峡』、少年時代の禅寺での修行体験を元にした『雁の寺』、伝記小説『一休』などで知られる。禅寺を出奔して様々な職業を経ながら[2]宇野浩二に師事[3]、社会派推理小説で好評を博して[4]、次第に純文学的色彩を深め[5]、自伝的小説や女性の宿命的な悲しさを描いた作品で多くの読者を獲得[6]。その後は歴史小説

                                      水上勉 - Wikipedia
                                    • 人は死んで文を残す - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

                                      追悼文を読むのが好きだ。とりわけ作家を追悼した文章に目がない。先頃編集をした随筆集(敬愛する編集者が丹精を籠めて書かれたもの)にも数篇の追悼文が収められてい、いずれも一読忘れがたい余韻を残す。それをいうなら追悼と銘打っていない文章でさえ、和田芳恵や山本健吉や三島由紀夫やについて書かれたものなどはおのずと追悼の意味合いを帯びて胸を打たれる。文芸編集者の文壇回顧録のたぐいは少なからず読んだが、それらとこの本とが一線を劃するのは対象への愛情の深さによるのだろう。知られざるエピソードを語るさいにも著者の筆致はこのうえなく抑制がきいて下世話に堕することはない。好い本になったと思う。近々書店に並ぶだろう。 頃日、一冊の追悼文集を拾い読みしていた。『水晶の死』というA5判500頁を超す大冊。「一九八〇年代追悼文集」の副題どおり、1981年から89年までに亡くなった五十余名の作家たちに捧げられた百五十篇以

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                                      • 【彼の死は納得できない】生物学者・福岡伸一氏インタビュー「生物とがんと親友・坂本龍一さんのこと」

                                        生物学と音楽というまったく異なるフィールドで活躍してきた“ハカセ”と“教授”は志を同じくする生涯の友だった──生物学者として“生命とは何か”を問い続ける福岡伸一さんは坂本龍一さん(享年71)が旅立ったことをどう受け入れたのか。福岡さんにインタビューした。 「生物学者として繰り返し、“死は最大の利他的な行為である”という生命哲学を表明してきた私ですが、いざそれが非常に近しい友人の身の上に降りかかったとき、一般的な理論とは違う“個別性”についてまざまざと感じさせられました。 自分というひとりの人間にとって、坂本さんが旅立ってしまったことの欠落や喪失は簡単に埋められないですし、彼の死は納得できない。いまだに『坂本さんだったら、こういう問題をどう考えただろうな』としばし思いにふけることがあります」 長く親交を育んできた音楽家の坂本龍一さん(享年71)のことをこう振り返るのは、青山学院大学教授・米ロ

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                                        • ベストバイ2022 - 塀の備忘録

                                          はじめに FASHIONSNAP.COMが毎年12月に公開しているベストバイ企画が大好きなので自分でもやってみる。 余談だが、先日取材を受けた際に繊研新聞の記者さんにも「ベストバイ企画お好きですよね」とバレていて恥ずかしかった。 衣料品・ルームアイテム Carol Christian Poellのオーバーロックサルエル CCPのアイテムは今まで1つも持っていなくて、オーバーロックやデッドエンドのアイテムを買ってみたかった。 本命はオブジェクトダイスニーカーだったが、偶然試着したらしっくりきたのでサルエルを購入。 CCPというかアルチザンブランド全般に言える話だが、基本的にアルチザンブランドの服は作りがタイトだ。特に海外の製品はおしなべてタイトで、アームホールに腕すら通らないこともある。CCPも定番ジャケットなどタイトな作りだが、このサルエルは比較的ゆったりしていたので買ってもいいかな、と思

                                            ベストバイ2022 - 塀の備忘録
                                          • 「坂本龍一」生んだ伝説の編集者 父・一亀の業績に脚光 - 日本経済新聞

                                            この人がいなければ、三島由紀夫は『仮面の告白』を書いていなかったかもしれない。この人が父でなければ、3月に死去した坂本龍一さんは、世界的な音楽家になっていなかったかもしれない。坂本一亀。旧河出書房の名編集者として知られ、三島のほか野間宏や高橋和巳、埴谷雄高ら戦後文学を彩る作家たちの作品を世に送り出した。息子の龍一さんが亡くなり、一亀の業績にも改めて光が当たっている。その猛烈で、情熱的な仕事ぶ

                                              「坂本龍一」生んだ伝説の編集者 父・一亀の業績に脚光 - 日本経済新聞
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                                              失われかけているものの中にこそ、かけがえのないものがある。ミュージシャン・細野晴臣が、今後も「遺したいもの」や、関心を持っている「伝えたいこと」を語る連載の第11回。一つ一つの言葉から、その価値観や生き方が見えてくる。 消えないスピリット。 最後に会った日。 2023年になってから、本当にいろいろなことがあったね。幸宏、鮎川誠くん、岡田徹くん、そして教授。みんな立て続けだったから、気持ちが追いつかなかった。落ち着いてひとりひとりにさよならも言えない、仲間が戦死していくときの気持ちってこういうことなのかな、と。 幸宏の印象はいまも2019年当時のまま、その後の4年のあいだ止まってる。僕がロサンゼルスでライブをしたとき、幸宏が観にきてくれて、そのあと呼ばれたDJパーティにも幸宏が来た。ちょうど幸宏の誕生日だった。だからバースデー・パーティになってね。そのときの元気な印象が強く残ってる。それから

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