那覇市にある「世界遺産」の首里城跡に復元された首里城で起きた大規模な火災では、「正殿」など主要な建物が全焼し、琉球王国時代から伝わる貴重な収蔵品の多くが焼けたものとみられています。警察などは、あす(1日)午前から現場で検証を行うなどして詳しい出火原因を調べることにしています。 31日未明から那覇市にある首里城で11時間にわたって続いた大規模な火災では、城の主要な建物の「正殿」や「北殿」、それに「南殿」などが全焼しました。
田村淳さんが文化放送の番組で「松本城のお堀の水が汚い」と発言したことを受けて、城塞考古学者の千田嘉博先生が反論したお話 千田嘉博_城郭考古学 @yoshi_nara 田村淳さん、誤解しています。湧水を水源にした松本城の水堀は透明度が高く、堀底の土が見えているのです。汚くありません。さらに石垣の基礎に胴木を用いた松本城の堀の水を安易に抜いてはいけません。「田村淳、松本城のお堀が汚すぎて『池の水ぜんぶ抜く』に企画を提案」 jtame.jp/jtame/119382/ 2023-11-26 10:09:36 田村淳 @atsushiTSK はじめまして田村淳と申します。 考古学者の千田さんからSNSを通じて名指しでのご教授痛み入ります。石垣の基礎に胴木を用いてる為、お堀の水をなかなか抜くことが難しいと…大変勉強になりました。ありがとうございます。そしてお堀の水は湧水を使用してるから綺麗であると…
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なぜ現存する天守は12しかないのか。歴史評論家の香原斗志さんは「大きな要因は明治政府が出した廃城令にある。彼らに文化や歴史的景観を守るという発想はまったくなかった」という――。 なぜ日本の城は無配慮に破壊されたのか 仕事柄、ヨーロッパに行くことが多いが、帰国後に日本の城を訪れると、いつも残念な気持ちになる。ヨーロッパの旧市街や城は保存状態がいい場合が多いのにくらべ、日本の城がいかに破壊されてしまっているか、あらためて気づかされるからである。 たとえば、世界遺産の姫路城(兵庫県姫路市)にしても、内郭を取り巻いていた中堀は南側が埋め立てられ、外堀も南部は埋められたうえ、一部残る場所も土塁は崩されている。建造物は、内郭を除けばまったく残っておらず、内郭にしても、たとえば広大な三の丸に建ち並んでいた御殿群は、明治初期にすべて取り壊されている。 姫路城でこうなのだから、残りは酷いものである。天守が現
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焼夷弾で焼き尽くされた「国宝」 江戸時代に存在していた天守の多くは1873(明治6)年、城を封建時代の遺物と断じた明治政府がいわゆる「廃城令」を出したのち、取り壊されるなどして姿を消した。それでも1945(昭和20)年を迎えるまでは、全国に20の天守が残っていた。 しかし、城は軍の駐屯地であったりして、米軍の空襲の標的になりやすかった。直接の標的にはならなくても、米軍は密集する市街地に焼夷弾攻撃を繰り返したので、火はあっという間に城にまで燃え広がった。 焼夷弾とは、火のついた油脂をまき散らして、あたり一面を焼き尽くすもので、米軍はこれを人口密度が高く木造家屋が密集する市街地に落とした。飛び出した油脂は90メートルも飛んだので、あっという間に火の海に囲まれてしまった。 まず5月14日に名古屋城天守が焼け落ちた。有名な金の鯱を避難させようとして組んであった足場に焼夷弾が引っかかり、そこから火が
今回は日本中世史が専門の研究者、谷口雄太さんと上町の近くに住むデイリーポータルZライターのべつやくれいさんと歩く。本気の日本史研究者と街を歩くとどれだけへぇへぇ言わされるのだろうか? ※元となった動画はこの記事の最後に。記事で大事なところを紹介するのでネタバレしたくない方は先に見てください。 左から審判の林雄司さん、日本中世史の研究者谷口雄太さん、上町の近くに住むべつやくれいさん。谷口さんは大学講師としてもご活躍中の本気の方 吉良家のお膝元上町駅を歩く 東急世田谷線上町駅からスタート。日本史の先生と歩く!とはいえ地元知識のべつやくさんもだまってはいない。 べつやくさんから出た知識は「東急世田谷線の忘れ物センターは始点の三軒茶屋と終点の下高井戸にくわえてここ上町の3つ」というもの。渋すぎる地元知識でへぇゲット。 へぇ~と審判が言うとへぇ獲得 谷口さんに「中世っていつのことですか?」と聞くと「
「中世ヨーロッパの城のトイレがどこにあるか知ってる?」→こんな構造だったとは… 中世ヨーロッパのお城に憧れる人は多いですが、現代人が生活するとなると、特に衛生面が厳しいと言われています。 多くのお城に備わっているトイレの構造をご覧ください。 Toilets in a Medieval Castle : Reddit Toilets in a Medieval castle. pic.twitter.com/aG4NsCXC04— Ben Hattie (@Ben_Hattie) December 17, 2022 外壁に出っ張っりがあり、その下の穴から城壁の外に垂れ流し。中世ヨーロッパの多くの城に備え付けられているそうです。 クールなお城ですが、当時の外壁には近寄りたくないかも……。 現代とは大違いですが、これでも城の外に出すだけ衛生面では優秀だったとのこと。 こちらはイングランド、ダービ
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杉山城の馬出し曲輪/緻密な縄張りで「芸術品」にもたとえられる杉山城だが、実は誰がいつ築城したのか、諸説あって明らかになっていない謎の城だ。 一見、「天守や櫓がなく、土と山だけ」と思われがちな山城。しかし開発にさらされがちな平城等に比して保存状態が良く、ほぼ往時の姿をとどめている山城も多い。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.17』では、「戦国の山城の歩き方」を特集。3人の専門家に「オススメの山城」を推薦してもらった。今回の推薦者は、城郭考古学者で山城ファンの千田嘉博さん。選定のテーマは「絶対に城攻めしたくない山城」だ。 【千田さんが選ぶ「攻めたくない山城ベスト10」詳細と写真はこちら!】 * * * ――山城にもさまざまな楽しみ方があると思います。当時の武将の視点で、「絶対攻めたくない城」をご紹介ください。 城はとても美しく壮大で、鑑賞するのはとても楽しいです。しかしそもそも城は戦いのため
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日本全国に三万以上もあるといわれる城。その大部分は中世に築かれた山城であり、険しい地形を利用して土を掘ったり盛ったりして造成されている。 それらの中でもシラス台地が広がる九州南部の中世城郭は一味違う。垂直に切られた空堀がまるで迷路のように入り組んでおり、他地域の城には見られない独特の迫力を醸しているのだ。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:日焼けの色はぶなしめじ! > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 空掘を巡らせて敵を阻む土の城 一般的に城というと堅牢な石垣や荘厳な天守がそびえる姿を思い浮かべるかもし
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木造復元に向けて入場禁止となる日を前に、大勢の「駆け込み来場者」でにぎわった名古屋城天守閣=名古屋市中区で2018年5月5日午後2時23分、兵藤公治撮影 「テーマパークにする気はない」 名古屋市の河村たかし市長が肝いりで進めている名古屋城天守閣の木造復元事業。市はバリアフリー対策として車いす使用者が乗れる小型昇降機を設置する方針を打ち出している。どの階まで昇れるかが焦点となる中、河村市長は毎日新聞の取材に「名古屋城は文化財。テーマパークにする気はない」と述べ、障害者団体が要望する最上階までの設置を明確に否定した。 名古屋城天守閣は5層の屋根を有する「5層5階地下1階」の建造物。市は「地上から天守1階まで」を最低条件として小型昇降機を設置し、市民の意見を聞きながら、さらに上層階まで昇れるかどうか検討を進めている。 名古屋城天守閣の木造復元に関し、河村市長は取材に「文化財の国宝を目指す」と強調
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