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  • 朝永振一郎 小津安二郎 風の又三郎 姿三四郎 岡崎五郎入道正宗 臼井..

    朝永振一郎小津安二郎風の又三郎姿三四郎岡崎五郎入道正宗臼井六郎 七郎次星野八郎太 源九郎義経椋鳩十ゴルゴ十三椿三十郎 (suggested by id:world24)直木三十五 鞴五十鈴姫命山本五十六西条八十96猫 (suggested by anond:20230618022622)九十九茄子百目鬼恭三郎. . . . 500. 五百旗頭幸男 ... 1000. 杉原千畝 ... e+8. 山上憶良 (suggested by id:htnmiki) ... e+12. 中江兆民 (suggested by id:kjin) . . . . . 0. なだいなだ

      朝永振一郎 小津安二郎 風の又三郎 姿三四郎 岡崎五郎入道正宗 臼井..
    • 「PERFECT DAYS」ヴェンダース監督語る “私と小津安二郎” | NHK

      日本時間の3月11日に発表される「アカデミー賞」では、役所広司さん主演の「PERFECT DAYS」が国際長編映画賞にノミネートされ、受賞も期待されています。 監督を務めたのは、「パリ、テキサス」などの名作で知られるヴィム・ヴェンダース監督。 日本映画の巨匠、小津安二郎監督に大きな影響を受けたと公言し、去年、東京国際映画祭のために来日した際にも、単独インタビューでその思いを語っています。 小津の魂に導かれて 「私の偉大な映画界の師、小津安二郎の祖国である日本の代表としてアカデミー賞に参加できることを大変光栄に思います。『PERFECT DAYS』は彼の魂に導かれた作品です。この作品がノミネートされたことは、私にとってこの上ない喜びです」 (アカデミー賞ノミネート時のコメントより) 作品はヴィム・ヴェンダース監督が、渋谷区で誰もが快適に使用できる公共トイレを設置するプロジェクトに共感したこと

        「PERFECT DAYS」ヴェンダース監督語る “私と小津安二郎” | NHK
      • 灰田蘆憲 on Twitter: "#好きな映画ポスターを晒す 小津安二郎『東京物語』ガーナ版。 ※なにをどうしたらこうなるのかまったくわからない https://t.co/RIhSrb4wS6"

        #好きな映画ポスターを晒す 小津安二郎『東京物語』ガーナ版。 ※なにをどうしたらこうなるのかまったくわからない https://t.co/RIhSrb4wS6

          灰田蘆憲 on Twitter: "#好きな映画ポスターを晒す 小津安二郎『東京物語』ガーナ版。 ※なにをどうしたらこうなるのかまったくわからない https://t.co/RIhSrb4wS6"
        • 変わらぬ精神性、原節子で伝えた小津安二郎 評伝で大佛次郎賞、平山周吉さん記念講演:朝日新聞デジタル

          評伝「小津安二郎」(新潮社)で第50回大佛(おさらぎ)次郎賞を受けた雑文家の平山周吉さんの記念講演会が2日、横浜市で開かれた。演題は「小津安二郎と原節子の“絆”」。大佛の小説を原作にした小津映画「宗方姉妹(むねかたきょうだい)」を入り口に、原が出演した「紀子三部作」を読み解いた。 「宗方姉妹」の… ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!--

            変わらぬ精神性、原節子で伝えた小津安二郎 評伝で大佛次郎賞、平山周吉さん記念講演:朝日新聞デジタル
          • 三重出身の映画監督・小津安二郎 生誕120年行事相次ぐ - 日本経済新聞

            1953年公開の「東京物語」などを手掛けた映画監督、小津安二郎(1903~63年)の生誕から2023年で120年を迎え、小津が青春時代を過ごした三重県で映画祭やバスツアーなど記念行事が繰り広げられる。ゆかりの地の松阪市、津市、伊勢市などで功績を伝える活動をしている団体が協力して郷土の巨匠の足跡を振り返る。小津は誕生日と没した日が同じで、2023年12月12日に生誕120年、没後60年を迎える。

              三重出身の映画監督・小津安二郎 生誕120年行事相次ぐ - 日本経済新聞
            • 「小津安二郎生誕120年記念シンポジウム」レポート 黒沢清、ジャ・ジャンクー、ケリー・ライカートが語る小津安二郎

              「小津安二郎生誕120年記念シンポジウム」レポート 黒沢清、ジャ・ジャンクー、ケリー・ライカートが語る小津安二郎 開催中の第36回東京国際映画祭で10月27日、小津安二郎生誕120年を記念する特別企画「小津安二郎生誕120年記念シンポジウム “SHOULDERS OF GIANTS”」が、三越劇場で開催された。『お早よう』(59)デジタル修正版が上映され、映画監督の黒沢清、ジャ・ジャンクー、ケリー・ライカートがそれぞれのお気に入りの小津作品について語った。 『お早よう』は、小津監督の第50作、カラー2作目の作品で、郊外の新興住宅地に住むいくつかの家族と、無邪気な子どもたちに振り回される大人たちをコメディタッチで描いた物語。 『お早よう』の感想を3人の監督はそれぞれこう語る。 黒沢監督:映像がきれいで、場所が限定されていて、同じような構図の中でさまざまなドラマが繰り広げられている。映像と演出

                「小津安二郎生誕120年記念シンポジウム」レポート 黒沢清、ジャ・ジャンクー、ケリー・ライカートが語る小津安二郎
              • ベラルーシの小津安二郎|伊藤弘了

                いま、小津安二郎が流行っている。 もちろん、映画通の方であれば「小津安二郎はここ20年近くずっと評価され続けているのにいまさら何を言っているんだ」と訝しく思うかもしれない。国内は言うに及ばず、すでに世界的な名声を獲得している巨匠に対して、何を周回遅れのことを言っているのかと。 とはいえ、世界的な評価を受けているからといって、世界中あまねくすべての国と地域で評価されているわけではない。当然のことながら、いまだ小津の映画が知られていない国も多数存在する。冒頭で言った小津の流行とは、そうした国のひとつであったベラルーシにおけるものである。 いきなりベラルーシと言われても、ピンとこないかもしれない。一般的に知られているのは、東欧に位置する旧ソ連の構成国のひとつで【図1】、いわゆる「美人」が多いことくらいだろうか。あるいは、原子力関係の問題に興味のある方であれば、チェルノブイリ原子力発電所事故の最大

                  ベラルーシの小津安二郎|伊藤弘了
                • 映画批評 小津安二郎『彼岸花』論 - 秋谷高志 批評をめぐる試み

                  小津安二郎『彼岸花』論 <里見弴/小津安二郎> 映画『彼岸花』に白と赤の文字で「原作里見弴」と流れる。だが一緒に湯ヶ原に泊り込んで、テーマと人物設定を共通項に小津と相棒野田高梧が脚本を、里見が小説を書きあげたという。『文藝春秋』昭和三十三年六月号に小説『彼岸花』は発表され、早くも九月には映画が封切られている。 小津的世界は尊敬した志賀直哉より、人情の機微をとらえた心理観察、会話のうまみ、骨董のような味わいから名人芸とされた里見に近い。 <原節子/山本富士子> ヴェンダース、吉田喜重、蓮實重彦らに逆らって、小津作品はそれほど好きではないと発言することは危険である。そのうえ『晩春』における京の宿の月夜においてさえ、原節子に泥濘に浮く蓮の花のごとき美を感じられないから、と言ってしまえば身も蓋もないのだが、原は小津の娘といってもよい目鼻立ちではないか。 『彼岸花』の魅力、それはひとえに二十七歳の山

                    映画批評 小津安二郎『彼岸花』論 - 秋谷高志 批評をめぐる試み
                  • [特別展][映像展]★小津安二郎 世界が愛した映像詩人 生誕120年・没後60年記念展 - 「観るだけ美術部」部長のブログ

                    (小津安二郎展) ★小津安二郎 世界が愛した映像詩人 生誕120年・没後60年記念展 北海道立文学館、2023年6月24日(土)-8月20日(日) (WEBサイト→) www.h-bungaku.or.jp 小津安二郎(1903年-1963年)は、日本を代表する映画監督のひとりです。東京・深川に生まれ、三重県で9歳から19歳まで過ごした小津安二郎は、1923年に松竹蒲田撮影所に入所します。そして、『大人の見る絵本 生れてはみたけれど』(32年)『出来ごころ』(33年)『浮草物語』(34年)で3年連続『キネマ旬報』のベストテン第1位を獲得するなど、戦前に映画監督としての地位を築き、そして市民の生活をテーマに自身の表現を確立させていきます。 戦後は全盛期を迎え、『晩春』(49年)『東京物語』(53年)『秋刀魚の味』(62年)をはじめ、次々と名作を生み出し、その評価は世界的に高まっています。20

                      [特別展][映像展]★小津安二郎 世界が愛した映像詩人 生誕120年・没後60年記念展 - 「観るだけ美術部」部長のブログ
                    • 「小津安二郎」 画面に潜む山中貞雄の霊の気配 朝日新聞書評から|好書好日

                      「小津安二郎」 [著]平山周吉 評者は著者の評論を『戦争画リターンズ』(2015年)で知った。画家、藤田嗣治が戦中に描いた戦争画「アッツ島玉砕」を、兵士たちが肉弾となって連なる僅(わず)かな隙間から覗く北限の島の花を手掛かりにていねいに読み解いた。そのとき藤田の戦争画はもう単なる「戦争画」ではなくなっていた。 戦争や従軍体験と小津安二郎の映画を結ぶ論点はしばしば見かける。だが、著者の目線は先の藤田の読み解きにも通じ、誰もが見逃しがちな細部へと向く。しかもこの細部は「映画の中に偶然を導入することを拒んだ小津」なら「意図に沿って画面に現(あら)われたと思うしかない」。ひとたびそのような見方を導入すると、小津の映画の見え方は根底から一新されてしまう。 たとえば代表作「東京物語」での尾道の家に咲く鶏頭(けいとう)。シナリオにないこの鶏頭を、著者は小津に先んじて中国大陸に出征し戻らなかった若く才気溢

                        「小津安二郎」 画面に潜む山中貞雄の霊の気配 朝日新聞書評から|好書好日
                      • [特別展][映像展]★小津安二郎 世界が愛した映像詩人 生誕120年・没後60年記念展 - 「観るだけ美術部」部長のブログ

                        (小津安二郎展) ★小津安二郎 世界が愛した映像詩人 生誕120年・没後60年記念展 北海道立文学館、2023年6月24日(土)-8月20日(日) (WEBサイト→) www.h-bungaku.or.jp 小津安二郎(1903年-1963年)は、日本を代表する映画監督のひとりです。東京・深川に生まれ、三重県で9歳から19歳まで過ごした小津安二郎は、1923年に松竹蒲田撮影所に入所します。そして、『大人の見る絵本 生れてはみたけれど』(32年)『出来ごころ』(33年)『浮草物語』(34年)で3年連続『キネマ旬報』のベストテン第1位を獲得するなど、戦前に映画監督としての地位を築き、そして市民の生活をテーマに自身の表現を確立させていきます。 戦後は全盛期を迎え、『晩春』(49年)『東京物語』(53年)『秋刀魚の味』(62年)をはじめ、次々と名作を生み出し、その評価は世界的に高まっています。20

                          [特別展][映像展]★小津安二郎 世界が愛した映像詩人 生誕120年・没後60年記念展 - 「観るだけ美術部」部長のブログ
                        • 山内静夫氏インタビュー――小津安二郎『彼岸花』(1958年)の製作をめぐって

                          『彼岸花』の台本について 伊藤:小津安二郎監督の『彼岸花』(1958年)について調べています。各地に所蔵されている『彼岸花』の台本を見ていくなかで、京都弁のセリフに様々な人物が修正を施している跡を発見しました。大変興味深い事例ですので、のちほどその辺りのことも山内さんにお伺いしたいと思います。まずは前提の確認なのですが、山内さんは『彼岸花』の前の『早春』(1956年)からプロデューサーとして小津組に参加されておられますよね。『早春』、『東京暮色』(1957年)の後、『大根役者』を撮る予定だったはずが、北陸にロケハンに行ってみたら積雪が少なくて撮影できそうにないので、『彼岸花』に変更になったそうですね。 山内:急遽、『彼岸花』にね。 伊藤:小津監督の日記を読んでいると、北陸地方のロケハンから戻った後に、大映の永田社長と会って話をしたという記述が出てきます。そのときに、山本富士子を借りる話が出

                          • 小津安二郎『どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う。』

                            皆が波に乗って同じ方向に進む時、一人の人間が波に向かって突っ込んだ。彼は命を落とした。しかし、そのおかげで助けられた命があった。彼はとある人間の命を救ったのだ。波に逆らって命を遂げた彼の人生を、笑える者などこの世にはいない。 モンテーニュは言った。 彼は生きながらえなかった。だが、命を救った者の心の中で、一生生き続けた。自分の命はいずれ必ず終わる。それは全ての人間が知っているはずのことだ。だがもちろん、確かに一人一人が唯一無二を主張し始めると、その意味を理解していない人間が往々にして『天上天下唯我独尊』の意味を曲解し、自分本位で利己的な行動にひた走る。 ブッダは言った。 『天上天下唯我独尊』だと。この言葉の真は、『この世に自分以上に偉い人間はいない。自分こそが絶対者なのだ』という意味ではない。『この世に自分という存在はたった一人しかいない。唯一無二の人生を、悔いなく生きるべし』ということな

                              小津安二郎『どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う。』
                            • 丸之内点景 (小津 安二郎)

                              春の夜である。 今、活動がハネたばかりで、人浪は、帝劇から丸之内の一角を通つて、銀座につゞく。「一寸、つき合へよ、アロハ・オエを一枚買つて行くんだ」 三人連れの海軍青年士官の会話(スポークン・タイト…

                                丸之内点景 (小津 安二郎)
                              • 小津安二郎 平山周吉著 映像に刻まれた戦争の疼き - 日本経済新聞

                                端正かつ厳格な映像スタイルで日常の機微を描いた小津安二郎(1903〜63)監督の映画は、世界的評価も高く、関連書も多い。映画映像論、人物論、登場する食物、骨董、衣裳(いしょう)など、いろいろな側面から小津の〈真実〉を探る。それほど豊かで深いのだ。本書が重点を置いたのは、戦後の作品に秘めやかに刻んだ戦争の疼(うず)きである。小津は37年から約2年従軍し、中国大陸を転戦。過酷な戦闘、悲惨な現場を体

                                  小津安二郎 平山周吉著 映像に刻まれた戦争の疼き - 日本経済新聞
                                • 小津安二郎(1903~1963) | 著名人の墓巡り~昭和の偉人と出会う旅~

                                  1903年(明治36年)、東京市深川区亀住町(現在の東京都江東区深川)に生まれる。3歳頃に脳膜炎にかかり、数日間高熱で意識不明の状態となったが、母が「私の命にかえても癒してみせます」と必死に看病したことで一命をとりとめた。1909年(明治42年)、深川区立明治小学校附属幼稚園に入園。当時は子供を幼稚園に入れる家庭は珍しく、小津はとても裕福で教育熱心な家庭で育った。1910年(明治43年)には深川区立明治尋常小学校(現在の江東区立明治小学校)に入学したが、1913年(大正2年)3月、子供を田舎で教育した方がよいという父の教育方針と、当時住民に被害を及ぼしていた深川のセメント粉塵公害による環境悪化のため、一家は小津家の郷里である三重県飯南郡神戸村(現在の松阪市)垣鼻に移住。同年4月、松阪町立第二尋常小学校(現在の松阪市立第二小学校)4年生に転入した。やがて自宅近くの映画館「神楽座」で尾上松之助

                                    小津安二郎(1903~1963) | 著名人の墓巡り~昭和の偉人と出会う旅~
                                  • [映画観賞会]★小津安二郎『秋刀魚の味』上映会 - 「観るだけ美術部」部長のブログ

                                    (小津安二郎展) ★小津安二郎『秋刀魚の味』上映会 北海道立文学館、2023年7月29日(土)13:30 (WEBサイト→) www.h-bungaku.or.jp 小津安二郎(1903年-1963年)は、日本を代表する映画監督のひとりです。東京・深川に生まれ、三重県で9歳から19歳まで過ごした小津安二郎は、1923年に松竹蒲田撮影所に入所します。そして、『大人の見る絵本 生れてはみたけれど』(32年)『出来ごころ』(33年)『浮草物語』(34年)で3年連続『キネマ旬報』のベストテン第1位を獲得するなど、戦前に映画監督としての地位を築き、そして市民の生活をテーマに自身の表現を確立させていきます。 戦後は全盛期を迎え、『晩春』(49年)『東京物語』(53年)『秋刀魚の味』(62年)をはじめ、次々と名作を生み出し、その評価は世界的に高まっています。2012年には、世界の映画監督が投票で決める「

                                      [映画観賞会]★小津安二郎『秋刀魚の味』上映会 - 「観るだけ美術部」部長のブログ
                                    • 監督 小津安二郎 - 映画なんて大嫌い!

                                      ■「監督 小津安二郎」 蓮實重彦 著 (筑摩書房) 蓮實さん一流のトリッキーな戦略を感じました。《主題論的な体系》を散々読者に読ませておいて、ゲームの規則へ引き摺り込もうという魂胆です。弥が上にも読者は画面を見ながら自分なりのゲームの規則を見出そうと画面に目を走らせるようになるでしょう。幾ら言葉で《説話論的な持続》を説明しようにも、なかなか理解して貰えないならば、いっそ無理矢理ゲームに引き摺り込んで、気付いた時には既に読者が体得しているというような事に……なるのかなぁ……(?)。 「序章:遊戯の規則」は、小津作品に限らず、映画作品を語る上での心得としては明快で、一人でも多くの方々に理解して欲しいと心から願う内容となっています。まずは《主題論的な体系》という“八艘飛び”からでも構わないので、実践的に作品と取り組む事のすゝめです。それが《説話論的な持続》への理解へと繋がって行けば、御の字なので

                                        監督 小津安二郎 - 映画なんて大嫌い!
                                      • 「アンダーカバー×ノンネイティブ」発売! ゴアテックス・アイテムも含むコレクションの裏テーマは小津安二郎

                                        ▶︎すべての画像を見る ファッション、アート、音楽、サブカル。さまざまな要素をまとめあげ、独自の世界観を構築する「アンダーカバー」。そして、トレンドに流されない普遍性を持つ「ノンネイティブ」。 日本発のブランド同士が手を取り、コラボコレクションを発表した。 テーマは「OZISM」で、“OZ”とは映画監督・小津安二郎を示し、彼からインスパイアされたネーミングだ。 5万8800円/ノンネイティブ × アンダーカバー(カバーコード https://coverchord.com) ウェアデザインのキーワードは「作務」で、禅の修行を行う僧にとって、清掃を始めとするあらゆる労務のことを意味する。その際に着用する「作務衣」をある種のワークウェアとして捉えてコレクションを構築している。 9万5800円/ノンネイティブ × アンダーカバー(カバーコード https://coverchord.com) 「MO

                                          「アンダーカバー×ノンネイティブ」発売! ゴアテックス・アイテムも含むコレクションの裏テーマは小津安二郎
                                        • 小津安二郎

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                                            小津安二郎
                                          • 成田凌が“もっさりひげ”で小津安二郎「淑女と髯」リメイク版に主演、監督は前田弘二(コメントあり)

                                            映画監督・小津安二郎の生誕120年を記念した企画「連続ドラマW OZU ~小津安二郎が描いた物語~」の第4話「淑女と髯」に成田凌、堀田真由、須賀健太、森田想、吉田羊が出演。「まともじゃないのは君も一緒」などで長年コンビを組んできた脚本家・高田亮と監督・前田弘二がともに参加した。 小津の初期サイレント映画群をオムニバスドラマ形式で現代リメイクする本作。第4話には1931年に公開された小津のナンセンスコメディ「淑女と髯」が選ばれた。立派なひげが原因で恋も就職もうまくいかないバンカラな大学生の人生が、ひげを剃ったことで一変するという物語だ。 リメイク版では主人公の大学生・岡嶋を成田が演じ、岡嶋と道端で偶然出会い彼のひげを褒める少し変わった大学生・広子に掘田、広子の母・奈美江に吉田、岡嶋の数少ない友人・行本に須賀、岡嶋に遠慮なくものを言う行本の妹・幾子に森田が扮する。このほか花瀬琴音、増田朋弥、山

                                              成田凌が“もっさりひげ”で小津安二郎「淑女と髯」リメイク版に主演、監督は前田弘二(コメントあり)
                                            • 12月12日 小津安二郎「俺は豆腐屋だ。がんもどきや油揚げは創るが、西洋料理はつくらないよ」|久恒 啓一

                                              小津安二郎(1903年12月12日 - 1963年12月12日)は、日本の映画監督・脚本家。「小津調」と称される独特の映像世界で優れた作品を次々に生み出し、世界的にも高い評価を得ている。「小津組」と呼ばれる固定されたスタッフやキャストで映画を作り続けたが、代表作にあげられる『東京物語』をはじめ、女優の原節子と組んだ作品群が特に高く評価されている。満60歳の誕生日に死去している。 この人は図案、色彩、文字なども描ける総合芸術家だった。浮世絵を130枚所有しており、小津映画は浮世絵は似ている。ローポジションで撮影した。 「日本的なものが、大きなことを言えば一番世界的に通用するもんなんだよ」 「安物を粗末に使うな。良いものを大事に使え」 「黒沢明は考える人、木下恵介は感じる人、小津は見る人ではないか」 「なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う」 同時代の巨匠

                                                12月12日 小津安二郎「俺は豆腐屋だ。がんもどきや油揚げは創るが、西洋料理はつくらないよ」|久恒 啓一
                                              • 「小津安二郎松阪日記 大正七年・十年」刊行のお知らせ  | 小津安二郎 新着情報 | 松阪市観光インフォメーションサイト

                                                小津安二郎監督が松阪時代に記した2冊の日記(大正7年・10年)の翻刻を刊行いたします。大正7年は三重県立第四中学(旧制)の寄宿舎で生活する2年生3学期から3年生の冬休みまで、大正10年は5年生から浪人期にあたり、全文の発表は初となります。 書誌情報、購入方法については下記のリンクから松阪市HPをご参照ください。 歴史民俗資料館での販売のほか、市役所文化課でも取り扱います。 「小津安二郎松阪日記 大正七年・十年」刊行(文化情報)

                                                  「小津安二郎松阪日記 大正七年・十年」刊行のお知らせ  | 小津安二郎 新着情報 | 松阪市観光インフォメーションサイト
                                                • 『朝永振一郎 小津安二郎 風の又三郎 姿三四郎 岡崎五郎入道正宗 臼井..』へのコメント

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                                                    『朝永振一郎 小津安二郎 風の又三郎 姿三四郎 岡崎五郎入道正宗 臼井..』へのコメント
                                                  • NHK『歴史秘話ヒストリア「小津安二郎 日常というドラマ」』10月6日再放送 - amass

                                                    「東京物語」「晩春」「麦秋」…独自の演出で珠玉の家族物語を世に送り続けた映画監督・小津安二郎。名作の陰には過酷な戦争体験があった。名優・岩下志麻が語る撮影秘話。9月9日にNHK総合で放送された『歴史秘話ヒストリア「小津安二郎 日常というドラマ」』の再放送が決定。総合で10月6日(火)放送 ■『歴史秘話ヒストリア「小津安二郎 日常というドラマ」』 初回:NHK総合 2020年9月9日 再放送:NHK総合 2020年10月6日(火) 午後3:08〜午後3:55(47分) 娘の結婚、老い、家族の日常を描き続けた小津安二郎。監督昇進のチャンスが来たのはカレーライスをめぐる大ゲンカからだった?働き盛りで届いた召集令状。過酷な日中戦争で見た地獄、そして心の友との別れが小津の作風を変える。戦後陥ったスランプ、助言を求めたのは脚本家。その家族との不思議な共同生活が小津を苦境から救う。なんとNG100回超!

                                                      NHK『歴史秘話ヒストリア「小津安二郎 日常というドラマ」』10月6日再放送 - amass
                                                    • 小津安二郎『秋日和』(1960/日) - 海外文学読書録

                                                      秋日和 ニューデジタルリマスター 原節子 Amazon ★★★★ 夫の七回忌を迎えた未亡人の秋子(原節子)には24歳の娘・アヤ子(司葉子)がいる。夫の友人である間宮(佐分利信)、田口(中村伸郎)、平山(北竜二)の3人はアヤ子の縁談を気にするのだった。間宮はアヤ子に後藤(佐田啓二)を紹介する。ところが、アヤ子は母が一人になるのを気にして縁談を受けない。そこで間宮たちは秋子を再婚させようとする。 『晩春』を換骨奪胎した映画。共依存の切迫感に満ちた『晩春』に比べると、本作は随分と余裕のある雰囲気である。『晩春』よりも喜劇としての色彩が濃厚で、特に3人のおじさんたちの空回りと百合子(岡田茉莉子)の大立ち回りが楽しい。ややもすると軽薄になりがちだが、そこは原節子がどっしりと構えていて重しになっている。個人的には『晩春』のほうに軍配を上げるが、本作みたいに肩肘張らずに見れる映画も悪くない。ちょうどいい

                                                        小津安二郎『秋日和』(1960/日) - 海外文学読書録
                                                      • 小津安二郎さんのこと/補完[となりの人からきいたこと そして私がおもうこと]

                                                        天野さんが 小津安二郎の行軍記録について調べてくださいました。 小津安二郎についてもうちょっと調べてみたら、 野戦瓦斯第二中隊(甲)の所属であったようで、 昭和13年10月頃に上海から中国に入って、 少なくとも昭和14年3月下旬くらいまでは中国にいたみたいでした。 その3月には武漢から南東に300kmにある南昌での作戦に参加した後、 武漢から南に200kmくらい、南昌からは西に150kmくらいの修水という場所での 作戦に参加していたようです。 咲間さんや祖父が昭和14年の9月に上海に入ってるので、約半年の時間差ですね。 ここのブログで色々触れられていました! どうも、話したがらなかったらしいワリには日記に残していたらしく、 そのあたりはまとめられて刊行されているようですね。 アマゾンで1冊、『小津安二郎周游』という本を頼んでみました。 また、別の方の話としてたまたまみつけたのが、 野戦瓦斯

                                                        • 「Wikipediaブンガク9小津安二郎」開催報告

                                                          22 May 202323 May 2023 by Mayonaka no osanpo and Araisyohei, 2003年よりウィキペディアン。その後、2020年からウィキペディア日本語版の管理者となる。日本でのウィキメディアのアウトリーチ活動などにも携わっている。 2023年4月23日、「Wikipediaブンガク9 小津安二郎」を開催した。「Wikipediaブンガク」は、ウィキペディアタウンにおける“まちあるき”の代わりに、日本・横浜にある神奈川近代文学館の企画展を観覧し、展示にちなんだ内容について神奈川県立図書館で所蔵している資料を中心に調べてウィキペディアの記事を書く、というイベントである。 https://ja.wikipedia.org/wiki/プロジェクト:アウトリーチ/GLAM/Wikipediaブンガク https://commons.wikimedia.o

                                                          • 映画監督 小津安二郎 青春の町 松阪 | 松阪市観光インフォメーションサイト

                                                            1903年 12月12日、東京市深川区亀住町(現・深川1丁目)肥料問屋「湯浅屋」の支配人である父・小津寅之助と母・あさゑの次男として生まれる。 両親はともに三重県出身。 1910年 東京市深川区立明治尋常小学校(現・江東区立明治小学校)に入学。 1913年 飯南郡神戸村垣鼻(かいばな)785番地(現・松阪市愛宕町2丁目)に一家転居。 松阪町立第二尋常小学校4年に編入。 1916年 三重県立第四中学校(在学中に宇治山田中学校と改称、現・宇治山田高校)に入学。 寄宿舎に入る。 1920年 7月「稚児(ちご)事件」発生。事件にまきこまれ停学処分を受け、寄宿舎を追放される。 学校の監視から遠くなり、映画への傾斜が強まる。 1921年 宇治山田中学卒業。神戸高商(現・神戸大学)、名古屋高商(現・名古屋大学)を受験するも不合格。受験中も映画館を観て歩く。 1922年 三重県飯南郡宮前尋常高等小学校(現

                                                              映画監督 小津安二郎 青春の町 松阪 | 松阪市観光インフォメーションサイト
                                                            • ローアングラー小津安二郎

                                                              ローアングラー小津安二郎

                                                                ローアングラー小津安二郎
                                                              • ホレボレ小津安二郎|ちくま文庫|山田 太一|webちくま

                                                                小津映画はストーリーやテーマより、なんだか好ましい頑固な「美的秩序の世界」として中野翠さんの前に現われた。 「見ている時はただもう気持よく、すんなりと受け容れてしまうが、よく考えるとヘンなのだ。とても不自然。異様と言ってもいいくらい」 土手下に小さな建売住宅が並んでいる(「お早よう」一九五九年)。そこに住む四人の主婦が全員普段きものを着ている。もう洋装が主流だったのにである。しかもそのきものが縞と格子のいずれかで趣味がいい。現実には「まったく同じ趣味の主婦ばかり隣り合って暮らすなんて、あり得ない。絶対に不自然だ。完璧、反リアリズム」 だからいけないなんていう話ではない。そう思いながら中野さんは「よそゆきではなく、ふだんのきもの姿のオンパレードにわくわくしてしまう」。 しかし、やっぱり「ヘンだ」と、たとえば「彼岸花」(一九五八年)について「異様なのは女たちの帯だ」と中野さんは考えてしまう。「

                                                                  ホレボレ小津安二郎|ちくま文庫|山田 太一|webちくま
                                                                • ◆構図至上主義(6)−映画界のセザンヌ | 監督 小津安二郎

                                                                  一定期間更新がないため広告を表示しています

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                                                                  • 「秋刀魚の味」あらすじ解説【小津安二郎】|fufufufujitani

                                                                    「秋刀魚の味」は小津安二郎最後の映画です。カラー映画ですし、見慣れた女優も出ます。「東京物語」と「秋刀魚の味」さえみておけば、まず小津安二郎は攻略済みと思って大丈夫です。「東京物語」と同じく、裏が分厚いストーリーです。小津安二郎は「裏ストーリーの分厚さ」に全てを賭けた監督なのです。 まずは表のストーリー紹介です。 「妻を亡くした父が、娘を嫁にやります」 表のストーリー紹介終わりました。短いですね。小津映画のほとんどがこれです。ワンパターンです。逆に言えば、このストーリー自体は、ほとんど意味が無いです。 つぎに裏のストーリー 小津安映画の研究は、裏ストーリーの研究が全てです。 この映画ももちろん、神話的な内容を持っています。 この人が神様です。主人公の同級生のような顔をしています。主人公も同級生と思っています。しかし神様なのです。 神のお告げは「私の紹介する男と、主人公の娘を結婚させるべきだ

                                                                      「秋刀魚の味」あらすじ解説【小津安二郎】|fufufufujitani
                                                                    • 1953年  東京物語   小津安二郎   2023.12.25 - 藤田昌志 比較文化のブログ

                                                                      藤田昌志 比較文化のブログ 和・洋・中を比較文化学的に考察する。トピックは音楽、映画、本の紹介、歴史、文学、評論、研究等 多岐にわたる。 1953年  東京物語   小津安二郎 原節子主演の紀子(原の役柄)三部作、1949年「晩春」1951年「麦秋」1953年「東京物語」は小津安二郎の戦後の代表作である。 それらを戦争との関係で読み解くのは青地伯水京都府立大教授・欧米言語文化ドイツ 「小津安二郎の遺言」(京都新聞 2023.12.12 夕刊「現代のことば」)。「晩春」は妻に先立たれた父親を思う娘と一計を案じて娘を嫁がせる父親の物語で、戦争の影は乏しいが、占領軍や映画界の検問あるいは商業的な要請からかもしれないと青地氏は言う。「麦秋」では紀子の兄が戦死しており、紀子は兄の面影を求めて兄の友人に嫁ぐ。人の心に落とした戦争の影は濃い。「東京物語」では紀子の戦地から帰らぬ昌二がキーパーソンであった

                                                                        1953年  東京物語   小津安二郎   2023.12.25 - 藤田昌志 比較文化のブログ
                                                                      • 『●原節子をめぐる三人の男③小津安二郎篇』

                                                                        小津は原節子に喪服を付けさせ、「もう結婚しない」と言わしめた。『秋日和』 映画を読み解くとは、共通項を見つけ出し、監督の秘められた意図を掬い出すことである。 原節子と小津安二郎監督の共作は6本。そのうち、「晩春」(49年)、「麥秋」(51年)で頂点を極めた後の4本の作品には、2つの共通点がある。まず原は4本すべてで喪服を着ているのだ。「東京物語」(53年)の義理の母の葬式、「東京暮色」(57年)の自殺した妹の葬式、「秋日和」(60年)の亡き夫の法事、そして「小早川家の秋」(61年)の義理の父の葬式における喪服である。 これはもう小津の頑なな好みとしかいいようがない。黒い喪服は、女性を最も官能的に引き立てる衣裳だと見なす言い方がある。悲しみの中で、それでもなお凛とした緊張感を保とうとする女性には、ある種のエモーションと色気が醸し出される。小津は原にこの官能的な衣装を着せたかったのだ。映画を通

                                                                          『●原節子をめぐる三人の男③小津安二郎篇』
                                                                        • 『従軍日記』 小津安二郎 - 指田文夫の「さすらい日乗」

                                                                          1939年1月13日(金) 今日から城外に慰安所ができる。金曜日がZ(野戦瓦斯隊)で開店早々のうちの部隊が当たる。慰安券が二枚 星秘膏 ゴムなど若干配給になる。半島人三名支那人一二名 計十五名の大雛だ。 慰安券に曰く *慰安所に於ける酒食を禁ず。*泥酔者の慰安所に出入を禁ず*軍機を厳守し之を遺漏せざる様万全の注意を要す。*時間の厳守*衛生に注意*自隊日割り外の出入を禁ず*性病者及び切符を所持せざる者の出入を禁ず。とあり、応城野戦倉庫之印の捺印がある。 兵隊ハ十三時から十六時まで半時間1円、下士七時から一九時まで三十分一円五十銭一時間二円。兵ハ一時間一円五十銭。高橋伍長試みに出かける。 点呼後二小隊に出かけて雑談。 これは小津安二郎の中国での『従軍日記』に記録されているものである。このように小津は、この日は慰安所に行かなかったようだ。 このZは、実はZの上に○が付いているのだが、私は書けない

                                                                            『従軍日記』 小津安二郎 - 指田文夫の「さすらい日乗」
                                                                          • 性格と表情 (小津 安二郎)

                                                                            表情がうまい、というだけでは、いけないと思うんだ。悲しい表情、うれしい表情が巧みに出来る――つまり顔面筋肉の動きが自由自在だ、というだけではダメ、それならヤサシイと思うんだ。 いまの、日本の映画俳優…

                                                                              性格と表情 (小津 安二郎)
                                                                            • 小津安二郎『お早よう』感想※愉快なオナラで彩られた ふくよかな日常のスケッチ - まめやか映画館

                                                                              映画『秋刀魚の味』(1962年)感想※喜びと寂寥が混じりあったふくよかな無常感 『秋刀魚の味』動画を見ての感想、雑感。家族のドラマをつくり続けてきた小津安二郎の最後の作品。初老の父が、身を固めない妙齢の娘に気を揉んで、もたつきながらも縁談を進めていく姿を、さらりとした水彩画のごときタッチで描いたホームドラマ。娘が嫁いだ夜の父の寂寥は、見るもの心を激しく震わせる。何度見ても見飽きることのない『秋刀魚の味』に魅力をご紹介。 『お早よう』の動画を視聴しての感想 『お早よう』を見て感じた印象を筆のすさびで表現 起伏なきがゆえの「優美さ」 タイトルバックは目の粗い厚手の布地。BGMは格調高いモーツァルトの交響曲41番《ジュピター》かとおもいきや、全身から力が抜けるような曲調に転じて物語は始まる。巨匠・小津安二郎監督の作品のなかでは、軽やかで可愛らしい小品といえるだろう。 不思議なのは、自分がまだ生ま

                                                                                小津安二郎『お早よう』感想※愉快なオナラで彩られた ふくよかな日常のスケッチ - まめやか映画館
                                                                              • 朝永振一郎 小津安二郎 風の又三郎 姿三四郎 岡崎五郎入道正宗 臼井..

                                                                                100までは2017年にTVでやっていた。 「名前が数字の人、一から百まで存在する説」 https://twitter.com/tbs_pr/status/933168633156583424

                                                                                  朝永振一郎 小津安二郎 風の又三郎 姿三四郎 岡崎五郎入道正宗 臼井..
                                                                                • 【第11弾】蘇る六代目の舞台、小津安二郎『鏡獅子』を次世代へ。 - クラウドファンディング READYFOR

                                                                                  舞踊部分の撮影は昭和10[1935]年6月、興行中の歌舞伎座で、25日の終演後から翌日の10時まで夜を徹して行われました。また、舞踊の前に挿入されている楽屋での六代目菊五郎の姿は、翌昭和11[1936]年5月、歌舞伎座で『春興鏡獅子』が上演された折に撮影されました。 映画の冒頭には、当時の歌舞伎座の正面玄関、客席、舞台や花道など場内が映され、大正13[1924]年に建てられ昭和20[1945]年に戦災で焼失してしまった第三期歌舞伎座の姿が、貴重な映像として残っています。 小津安二郎監督 ©松竹株式会社 当館所蔵スクラップ 映画『彼岸花』より この映画は、名匠・小津安二郎監督の撮った唯一の記録映画であり、また初めてのトーキー映画でもあります。当館が管理している映画は、昭和25[1950]年に再編集されたもので、全体で約24分となっており、うち舞踊部分は18分ほどです。当時国内での一般公開は行

                                                                                    【第11弾】蘇る六代目の舞台、小津安二郎『鏡獅子』を次世代へ。 - クラウドファンディング READYFOR