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山さ行がねがの検索結果401 - 440 件 / 468件

  • 小ネタ集

    2001.4撮影 秋田県仙北郡南外村 前回紹介した矢向峠から、10kmも行かないうちに再び峠が現れる。 それが、南外村と大内町を隔てる矢立峠である。 (矢立峠は、国道7号線の青森秋田県境の峠と同名である。そもそも、秋田の低山にはなぜか“や”の付く峠が多いのだ。) 幾分矢向峠よりも高度もあり、峠区間も長い。 現道は平成に入ってから矢立トンネルを供するバイパスへと変わっており、旧道が残っている。 峠の東(南外村)側は、殆どが新道に切り替わっており、結構な距離の旧道が存在する。 ただし、この写真の場所のように、新道に交錯したり分断したりの場所がおおく、まとまった距離を探索することが出来ず、萎えた。 また、余り古さは感じられない。 いよいよ峠が近付いてくると、やっと旧道と現道が分かれた。 写真は、ヘアピンで沢沿いを辿る旧道の上をパスする現道。 かなりの勾配とコーナーがあり、旧道は難所であったと思わ

    • 【山さ行がねが】ミニレポート 第116回 間瀬隧道

      越後を代表する信仰の山である弥彦山(海抜634m)。 その南北に長い尾根を縦走する全長13.7kmの弥彦山スカイライン(一般県道弥彦岩室線)が開通したのは、昭和45年のことである。 休日にはライダーや観光バスで賑わうスカイライン入り口の片隅に、今は使われていない小さな隧道が口を開けている。 隧道の名は間瀬隧道。 昭和8年生の、今は無き間瀬村と岩室村の間の動脈だった。 隣に出来た切り通しに道を譲ってだいぶ経つようだが、今も隧道は多くの地図に記載されている。 そのせいもあるのだろう。近隣ではちょっとした肝試しスポットになっているようで、私もまた彼らに倣って真夏の暑い日に行ってみた。 この隧道を訪問するのは、燦々と日の照りつける真夏の暑い日がいい。(夜である必要は特にない) たとえオバケがいたって隧道の中へ入りたくなること請け合いだ。 昨年8月23日。この日の天候は文句ない快晴で、アスファルトの

      • 【山さ行がねが】ミニレポート 第117回 都道503号相模原立川線 堀之内狭区

        都道503号には4カ所の重複区間と1カ所の未開通区間。 そして1カ所の、極狭区間がある。(今回レポート区間) 一般都道503号相模原立川線は、神奈川県相模原市上溝と東京都立川市錦町を結ぶ、おおよそ19kmの一般県道である。 レポートの前に起点から終点へ向けて駆け足で紹介しよう。本稿がレポートするのはそのほんの一部分だけだが、全体像を知っていた方が面白く読んでいただけると思う。 起点である神奈川県中北部の相模原市上溝を出発した本路線は、国道16号と一部重複しつつ北上、米軍相模補給廠の脇を通り境川を渡る。 ここまでは神奈川県内で、路線名も神奈川県道503号(同名)である。 東京都町田市に入るとすぐ町田街道を渡り、ここから本路線の特徴的な路線風景である多摩ニュータウンへ入る。 しかしここから暫し一般都道158号小山乞田線と重複している。 多摩丘陵上に登り切るとすばらしい4車線道路を蹴って左折、こ

        • 【山さ行がねが】ミニレポート

          2004.4.29撮影 秋田県協和町 協和町を貫流する淀川の源流である唐松地区に、1997年完成した多目的ダムが協和ダムだ。 そしてこのダムによって誕生した湖が、美山湖である。 袋小路の山中にある閑静なダム湖には毎年ニジマスなどが放流され、現在では太公望達に人気のスポットとなっている。 ダムの湛水域にもともと人家はなかったが、船岡林道が沈んだ。 その一部は、水位の変動に伴い地上に現れ、そしてまた沈んでいく。 今回は、美山湖の水没旧道をお伝えしよう。 JR羽後境駅のある協和町の中心地から協和スキー場方面へ県道28号線、宇津野からは県道316号線へ、それぞれ淀川沿いを道なりに進むこと15kmほどで、協和ダムへ着く。 正面の山並みは標高1000mちかい太平山地の壁であり、反対側には西木村や田沢湖町がひかえているものの、越える道はなく袋小路だ。 これ以上奥には集落もなく、釣り人や林業関係者、それに

          • 隧道レポート

            またひとつ、「山形の廃道サイト御提供:全国隧道リスト」に記載の隧道が、廃棄されているのを確認したので、ここに報告する。 あなたはここで、 また一つ新しい体験をする! 今回紹介する廃隧道は、郡界隧道という。 この隧道は、『隧道リスト』によれば、「一般県道 亘理大河原線」上に存在したことになっているが、現在の郡界トンネルがあるのは、「主要地方道 亘理大河原川崎線(県道番号は14)」である。 そこは、トンネルの名が示すとおりの郡界であり、トンネルの西側は柴田郡大河原町、東側は角田市(昭和33年まで伊具郡角田町)となっている。 ただ、特に古くからある峠というわけではなく、旧隧道の開通を期に使われるようになった道のようである。 阿武隈山地の北端が白石川と阿武隈川に挟まれて先細りになっていく、その過程の低い稜線に、新旧のトンネルが、並んでいる。 大河原町の中心地である大河原は、白石川の両岸にほぼ均等に

            • 【山さ行がねが】道路レポート 国道148号旧道 下寺地区

              これは当サイト最初の国道148号関係のレポートだが、今回紹介する区間はその数多く存在する旧道の中では小規模であり、代表的と言えるようなものではないので、路線の全体像については次の機会に譲ることにする。 ここでは単に、新潟県の糸魚川市と長野県の大町市を結ぶ、おおよそ70kmの一般国道であることだけを述べておく。 70kmという距離は国道としては長い方ではなく、その道筋は新潟県糸魚川市、長野県小谷(おたり)村、白馬村、大町市の4市村のみに納まっている。 今回紹介するのは小谷村北小谷は下寺地区の旧道であるが、その位置は右図の通りである。 あわせて山行が初登場である小谷村についても簡単に紹介すると、ここは典型的な豪雪の山村である。 面積の9割近くは山林、しかも東西を標高2000~2500mの山岳が画しており、ほとんどの集落は中央を流れる日本有数の清流姫川(平成12年と13年の一級河川における水質調

              • 【山さ行がねが】道路レポート 釜生林道

                【周辺地図(別ウィンドウ)】 房総半島と言うところはもの凄く林道が多いところで、半島内陸部の房総丘陵に網の目のように張り巡らされている。 しかも、これはもう房総のお家芸とでも言うべき隧道の多さ。 これが林道にまで浸透しているのだから、タマラナイ。 ほんの数キロの林道に、素堀であったり無かったりの隧道が5本以上並んでいるような、隧道連続地帯が、ざらにある。 しかし私も贅沢なもので、たくさんあるのだと知っていると、なんだかありがたみが薄れる気もする。 しかも関東という土地柄から、生半可の林道であればバイクの猛者たちが走破済みで、サイトやブログに情報がわんさか蓄積されている。 こうなると、私の生きるべき場所は限られている。 バイクでは入れなさそうな、廃林道に廃隧道だ。 というわけで、それっぽいところを地図で探して行ってみたのが、これから紹介する林道。 名前は分からないままなので、とりあえず起点

                • 【山さ行がねが】道路レポート 秋田県一般県道200号 矢坂糠沢線

                  秋田県一般県道矢坂糠沢線の路線番号は200。 各県に何本かずつはこんな“キリ番”県道があるはずだが、秋田県ではこれが唯一のキリ番らしいキリ番県道である。(100号や300号400号などは存在しない) そんな訳で、長年秋田県内の地図を見続けてきた私にとっては少し気になる道だった。 さらに、よく調べてみると、この路線は県内に合計13本ある不通区間を持つ県道“不通県道”の一つであることが判明。 不通が地図上で余り目立たないのは、その不通と指定されている延長が860mしかないためである。 この路線の全体像を簡単にお伝えしておこう。 県の道路調書によれば、起点は山本郡藤里町矢坂、終点は北秋田市綴子(つづりこ)糠沢(ぬかさわ)である。 経路は右の地図の通りだが、全体を見ると、米代川沿いの平野部の各地方都市を最短で結ぶ国道7号に対する別線(迂回路)としての性格が見て取れる。 人口の減少が著しい山間部の小

                  • 【山さ行がねが】ミニレポート第169回 JR五能線広戸駅

                    2011/12/6 16:34 国道101号のうち、能代から鰺ヶ沢まで日本海沿いを走るルートは、比較的人気のあるドライブコースなので、体験したことがある人は少なくないと思う。 しかし、如何せん長い行程(約100kmある)なので、そのほぼ中間に位置している深浦あたりでは、少々ダレることもある。 そのため、私もこの道を何度も通して走っているが、これまで何とも思わず素通りしていた景色の中に、なかなか他ではお目にかかれないレアな風景があったことに、最近初めて気がついた。 そして、もう本来ならば探索に興じるような時間ではなかったのだが、つい寄り道をしてしまった。 それは、この場所。道ばたに小さな建物があるのは、誰の目にも止まるはず。→ しかし、こんなものを素通りするのは超簡単。 車だとほんとうにあっという間である。 それは、弘南バスの広戸(ひろと)バス停だ。 なるほど、小屋の正体は北国の風物詩である

                    • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道121号旧道 非道隧道

                      三島通庸(みちつね・みっちー 1835-1888)。 私は、果たしてこの名を何度連呼しただろう。 いまや私のPCは“み”と入れるだけで三島通庸と出るまでに成長した。 国会図書館のサイト「近代デジタルライブラリー」で閲覧することが出来る『三島通庸』(平田元吉 明治31年刊)と言う書は、三島の死後10年めに書かれたもので、未だ多くの三島道が現役で活躍していた当時の記録として、きわめて貴重である。 「通庸十年の間、東北に開鑿せし道路は、其の延長実に三百五十里内外にして (中略) 其の工夫を役せしこと三百万人を下らざるべく(中略)橋梁は約百八十を架し、隧道は十個を穿てり……」 ここでは、その名称と現状だけ列挙してみようと思う。リンクが張られているものは既にレポート済みだ。 栗子山隧道  (△現存・閉塞) 二ツ小屋隧道 (○現存) 刈安隧道   (×開削) 関山隧道   (○現存) 座頭頽隧道  (

                      • 【山さ行がねが】隧道レポート 湯ノ沢の謎の穴

                        これまで、複数の山行が読者の方から目撃証言が上がっていた物件が、この地にある。 そこは、青森県と秋田県が北の動脈国道7号と奥羽本線で結ばれている矢立峠の、すぐ北側。 弘前平野を潤す平川の源流の一端である、湯ノ沢の沢筋である。 目撃者は口をそろえて、林道と沢を挟んだ対岸に使われていない隧道が口を開けているのだという。 私が秋田を離れる少し前に、細田氏と行ってみた。 現地には未踏査の森林鉄道「碇ヶ関林道」が記録(明治39年竣工、延長3.9km)されており、その関連性が疑われた。 果たして、それは何だったのか。 この日は、私にとって秋田から行く最後の探索だった。 幾多の苦難と笑いを共にした細田氏との二人旅。 余り時間のない中での日帰り探索だったが、細田氏の運転で巡る旅はいつも最高に楽しかった。 この日探索したのは2カ所。ここと、夕暮れ過ぎまで粘った石川城址の謎の穴。 この年は初っぱなから雪の少な

                        • 【山さ行がねが】ミニレポート

                          2003.11.13撮影 秋田市仁別 今回も、秋田市に住む人に送りたいローカルネタである。 秋田市周辺に住み、そこで育った山チャリストにとって、仁別地区というのは、思い出深い地だと思う。 秋田市街に最も近い「本格的な」山岳道路群の起点としても、周辺の山間に縦横無尽に伸びる林道たちを攻略する起点としても、多くの山チャリストが経由し、補給し、生還を喜び合った地だと思う。 少なくとも、私はそうだ。 そして、これはここ仁別に限ったことではないが、馴染みの土地に、新しい道、新しい空間を発見すると、なんとも得した気分になる。 自分だけの場所を見つけたような、そんな子供じみた喜びを得られるものだ。 今回紹介するのは、私にとっての、そんな場所である。 だからこそ、ぜひ、仁別を知り尽くしたと考えている人たちに、ご覧頂きたい。 あなたは、こんな場所が存在していたことを、知っていただろうか? 当サイトでは意外に

                          • 【山さ行がねが】道路レポート 国道46号旧旧道 仙岩峠(秋田側) 第一回

                            私にとって、本格的な廃道デビューの地「仙岩峠」。 秋田岩手両県にとって最も重要な交通路であるこの峠の一帯には、戦国時代よりも昔から道が存在していた。 だが、秋田県仙北郡と岩手県岩手郡の頭文字を取って名付けられたのは明治8年のことで、それまでは国見峠と呼ばれていた。 我々オブローダーにとっての仙岩峠と言えば、昭和52年に「旧道」となり、そのまま廃道化した旧国道が有名であるが、それ以前にも車道があったことは殆ど知られていない。 それこそが、明治8年に秋田・岩手両県合同で整備を開始した、初代・仙岩峠である。 もっとも、この時の道は車道と言っても馬車がようやく通れる程度の内容で、しかも秋田県側の整備は明治末まで遅れたという。 また、自動車の台頭にあってはもなすすべもなく、結局昭和37年に先の“旧国道”が完成するまで、殆ど地図上だけの道であったと記録されている。 私がこの仙岩峠“明治道”に着目したの

                            • 【山さ行がねが】橋梁レポート 旧鳥坂大橋

                              確か今年の8月7日だったと思うが、ミリンダ細田氏から電話がかかってきた。 そのときの彼の興奮ぶりと来たら、暑い盛りでぼうっとしていた私にとっては唐突すぎて、訳が分からなかった。 だが、よくよく聞いてみると… どうも彼はまた、見つけてしまったらしい。 彼自身が愛して止まない、恐ろしい廃橋を。 なんでも、この電話の前に一人で行って見てきたが、 あまりの恐ろしさで、渡れるのかどうかを確かめもせずに逃げ帰ってきた…(本人談) らしい。 話の経緯は、以下の通りだ。 彼の地道な聞き取り調査が実を結び、森吉森林鉄道の「3号橋梁」を撤去した業者が判明したという。 そのことも初耳だった(遊覧船航路の安全確保のために平成9年に撤去されたことは知っていたが、具体的な担当者や工事方法は長らく謎だった)のだが、 彼はその日のうち(つまり当日)に、さっそく撤去工事を担当した地元の某建設会社への“取材”を敢行。 「3号

                              • 隧道探険隊

                                県南沿岸部の唯一の市、本荘市。 市を南北に縦貫する子吉川の左岸に市街地は集中しており、右岸は田畑や山野が主だ。 難読知名に数えられる「二十六木(とどろき)」地区にかかる橋は、そんな対照的な両岸を結ぶ。 現在、新二十六木橋が国道107号線に供されており、昼夜を問わず通行量が多い。 しかし、元来の二十六木橋は、国道の橋の100mほど北側に架けられたものであり、これは現橋からもよく見える。 この、元祖、二十六木橋が旧道となってから、もうかなりの年月がたっていると思うが、幸いにして、この橋は未だ現役である。 驚きの、昭和8年竣工。 県内最古級の現役橋の今を、お伝えしよう。 本荘にて輪行を解いた私は、一路横手市へ向け、国道107号線の主要な旧道のトレースを開始した。 そして、この日の私にとって、最初の旧道となったのが、子吉川を渡る、二十六木橋であった。 橋の200mほど手前で、写真のように現道と別れ

                                • 隧道探険隊

                                  大正の終わり頃、岩手県の馬淵川(まべちがわ)流域に、北上山地を縦断する遠大な鉄道計画があった。 それは、現在の岩泉町門(かど)地区にあった小川鉱山の経営者達が企図したもので、東北鉄道鉱業線と言った。 計画によればその経路は、小川鉱山から北西の国境峠を越え、その先は葛巻町内を馬淵川に沿って北西に進路を取り続け、最後は一戸町の小鳥谷(こずや)で東北本線に接続するもの。 また、小川鉱山は終点ではなく、さらに岩泉町内を東進し太平洋岸の小本(おもと)にあった茂師港までも計画されていたし、さらには現在のJR岩泉線の経路を通って茂市(もいち)へと進む支線まで予定されていたと言うから、一鉱山が計画した路線としては甚だ大がかりなものであった。 土地勘のない方には地名だけ羅列されてもちんぷんかんぷんだと思うので大ざっぱに言えば、今述べた路線を全て建設すれば、総延長は120kmを超える。 さらに、この長大な鉄道

                                  • 藤琴林鉄粕毛支線の隧道群 第1回

                                    藤里町は県内有数の長大森林軌道網を有していた県北の山間の町である。 その町域は、白神山地から流れ出る藤琴川と粕毛川の二つの清流に沿って南北に長いが、北部は無人の山間部である。 これら二河川に沿って築かれていた森林軌道は、町の中心部の藤琴で川と共に合流し一本となり、藤琴川が米代川に注ぐ二ツ井に運ばれていた。 そこには、県内の他の地域同様、生活と密着した林鉄の姿があったが、藤琴より上流の路線については、昭和33年に一帯と襲った水害により壊滅的な被害を受けたまま、復旧されることもなく、県内では比較的早く、トラック輸送に切り替えられた。 今回は、その藤琴地区から、粕毛線を素波里ダムまで辿ってみた。 ここもまた、水害によって廃止されたと言われる地域である。 鉄道も高速も通らず、県内の交通網からは殆ど一本の県道だけで結ばれているに等しい藤里町。 その中心地である藤琴には、今では懐かしい存在となった商店

                                    • 隧道探険隊

                                      私がこの隧道について知っていることは、余り多くはない。 それは、私の勉強不足によるものでは、少なくともこの隧道については、ない。 何度となく図書館に通い、それなりに調べ漁ったが、結局、私の得られた情報は僅かだった。 秋田市の黒川油田といえば、同じ市内の八橋油田についで規模の大きな油田であり、また現在でも採油が続く数少ない油田の一つである。 大噴油とまで呼ばれた大正初期の全盛時には、日産2000キロリットルを誇り、これは当時日本一であったが、現在では月産50キロリットル程。 この黒川油田とは低い山地を隔てた、八郎潟に面した昭和町の豊川油田との間には、ある時期は製油軌道が、またある時期はパイプラインが敷設されるなど、深い関係があった。 なお、豊川油田は、国内で唯一天然の瀝青(アスファルト)を産出する油田であり、やはり一時期は重要視され、明治天皇も巡幸されたという。 この黒川と豊川という、山を挟

                                      • 【山さ行がねが】ミニレポート 第100回 前代未聞の橋

                                        ミニレポも今回で100回目。 東北各地の珍道・奇道ネタを中心に紹介してきたが、いまから3年と少し前の第一回では、「ど田舎の旧橋」を紹介している。 記念すべき100回目は、原点に立ち返り、やはり田舎の何気ない小橋を紹介しようと思う。 ただし、この橋は前代未聞だぞ。 秋田県北秋田市の阿仁前田は、まだ市町村合併からそう日が経っておらず、県人にとっては森吉町阿仁前田と言った方が遙かに通りがよいだろう。 これまでも山行がではあの「森吉林鉄」の総起点として何度も名前の出ている地名だが、ここにまたひとつ、山行が好みの“道”が発見された。 県道の一段下を流れる小又川に架かる、見るからに危なっかしい橋。 これはもう、行くしかない。 この橋の行き先は小又川の小さな中州である。 林となった中州の中には一棟の作業小屋が建っているが、ここの主以外は、おそらくこれまで渡ったことがないであろう橋だ。 県道からの降り口に

                                        • 【山さ行がねが】ミニレポート 第111回 奥州街道古街道 石鳥谷地区

                                          サブタイトルの通り、今回紹介する道は、これまで山行がで取り扱ってきた道の中で、おそらくもっとも古いものになる。 しかも、ちゃんと?廃道をしているのだ。(そうでなければ取り上げなかっただろう) 奥州街道については、このようなミニレポでいまさら説明するまでもないかも知れないが、山行がでは余り触れてこなかったので、やはり簡単に説明しておこう。 「○○街道」と呼ばれる道の多くがそうであるように、奥州街道もまた、江戸時代に盛んに利用された道である。 時代劇でよく出てくる、飛脚や大名行列が通る路、それが街道と呼ばれる道の一般的な光景だ。 そして、様々ある街道の中でも「奥州街道」は東北第一位の重要な路線であり、それは現在の東北地方における国道4号であり或いは東北自動車道の重要度に匹敵する。 実際に、明治時代に入ってから奥州街道の道筋を元にして陸羽街道が造られ、それはやがて国道という呼称を与えられるように

                                          • 【山さ行がねが】廃線レポート 磐越西線 松野隧道

                                            蔵の街喜多方の片隅に、いまから80年近くも昔に廃止された、一つの鉄道隧道がある。 一般の書籍などでは、おそらくこれまで取り上げられたことはなく、決して派手な存在ではない。 大正7年6月12日をもって通行できなくなったその隧道……松野隧道の廃止理由は、隧道自体の変状にあったという。 それは、決して穏やかな最期ではなかったのだ。 いまや誰も語らなくなって久しいが、おそらくそこにはかつて、慌ただしく測量する鉄道夫達の姿や、それを脇目に恐る恐る通過する蒸気機関車、近在の里々から多くの野次馬も集まったに違いないし、地域の新聞社もここを取材したかも知れない。 かつてこの場所で、……まだ真新しかった一本の隧道が廃止された。 その、痕跡を探しに、私は初めて会津の山へと潜った。 四方を山に取り囲まれ、さながら一つの国のような会津地方。 実際に近世までは一つの行政区としてこの地方は存在していたが、その北端に位

                                            • 【山さ行がねが】道路レポート 日原古道探索計画

                                              新たなる目的地は定まった。 苦難の果てに辿り着いた都道204号日原鍾乳洞線の旧道最奥部から、千尋の谷を成す日原川の対岸に目撃された複数の道らしき痕跡。 旧都道突破の美酒に酔うはずだった私を一瞬で素面に戻してしまった、「伝説」を超える……道。 後日、図書館に行って「奥多摩町史」を調たところ、この道らしき影は確かに道であった。 氷川から日原へ向かう古来“日原みち”と呼ばれたそれの険しさは、町史としても特筆すべきところがあったらしく、かなり詳しい記載があったのだ。 それによれば、私がいままで辿った旧都道でさえ、日原みちとしては6代目の道であるらしい。 日原に人が住み始めたのは遅くとも室町時代に遡るそうで、以来、道中で最も険しいこの岩場…“とぼう岩”(日原の戸口という意味だそうだ)の“越え方”を中心にして、何度も道が変遷してきている。 断崖の中腹をほぼ水平に通る姿が、かなり鮮明に見えるそれは、大正

                                              • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                国道342号線は、秋田県横手市と宮城県本吉郡津山町(現:登米市)を繋ぐ、全長約170kmの一般国道である。 道中、秋田と岩手の県境には栗駒山が横たわっており、本国道は須川【すかわ(地名)】峠にて海抜1100m以上をもって、これを克服している。 その長大難渋な峠道の岩手県側麓にあたるのが、一関市の真湯【しんゆ(地名)】温泉であり、近接する最奥集落の祭畤【まつるべ(地名)】である。 この祭畤地区で鬼越沢川を跨ぐ場所には、現在昭和52年開通の祭畤大橋が架橋されていて、一跨ぎである。 同様に、祭畤と真湯温泉との間にも、同年開通の真湯大橋が、巨大なアーチで磐井【いわい】川を跨いでいる。 このうち祭畤大橋の下に、一見して道が通じていないような別のトラス橋が存在していることが、読者情報として寄せられた。 今回はこの正体に迫ってみよう。 実は今回は、いつもながらの山チャリではない。 私の傍らに、愛車である

                                                • 【山さ行がねが】道路レポート 長野県道26号 奈川木祖線 奈川渡ダム~奈川

                                                  【周辺地図(別ウィンドウ)】 このレポートは、「道路レポート 国道158号 水殿ダム~奈川渡ダム」の続編である。 nagajis氏とタッグを組んで梓川筋の隧道・旧道・廃道を手当たり次第に攻略する旅は、その重要な経由地である奈川渡ダムに到達後、少し寄り道をすることにした。 ターゲットは、奈川渡で国道158号より分岐して旧奈川村から木祖村方面へ繋がる県道26号「奈川木祖線」にある、4本の隧道たちだ。 水殿ダムから奈川渡ダムまでの区間にも5本の隧道があったが、ダムへのもう一つの接近路である県道26号にある隧道は4本。 由来もダム工事に関する路線の付け替えということで前者と共通する。 なお、前回レポートの冒頭でも語ったとおり、私にとってこの一帯は、“トンネルではない「隧道」への目覚め”のエリアである。 特に我が家では、毎回この県道26号から梓川筋へ入っていた憶えがある。17.8年も前だから、当時

                                                  • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                    2003.6.5撮影 山形県最上郡大蔵村 南山 東北を代表する“酷”道といわれる国道458号線は、山形県内陸部を南北に縦断する路線である。 この道が、「酷道」などというありがたくないレッテルを貼られている最大の原因は、起点からそう遠くない最上郡大蔵村から寒河江市にかけての山越え「十部一峠」の存在である。 砂利道を交えつつ延々と山を越えるこの峠は、確かに国道としては異例のショボさであるのだが、個人的には、真に”酷”というほどの物かといわれると疑問が残る。 「国道なのに砂利の区間が残る」というインパクトはあるのだが、それ一発勝負というか。まあ、ぶっちゃけ走行感は、よく整備された林道と大差ないと感じられ…、なんというか期待以上ということはない道であった。 当初は、このほぼ50kmにも及ぶ長大な峠越えを「道路レポート」として紹介するつもりであったが、ちょっとテンションがもたなそうだと思ったのだ。

                                                    • 小ネタ集

                                                      2002.8撮影 秋田県平鹿郡山内村 横手市から、山内村を経て岩手県の和賀郡へと続く国道107号線には、珍しい9連橋がある。 ま、これは勝手に私が呼んでいる名なのだが、「黒沢9号橋」から「黒沢1号橋」までが、約2kmといった短い範囲に連続しているのだ。 初めは、さして珍しいとも思わなかったが、その後県内外をいろいろ走ってみても、“9号橋”を越える連番名は見当たらなかった。 それで、いまでは「もしかしたら、日本一?」とさえ、思っているのだが? はたして? 写真は、8号橋から、1号橋方向を見通す。 この一枚の写真に、(縮小されていて確認できないが) 5号橋までの4橋が写っている。 ながーい直線である。 3号橋は、最も規模が大きく、橋がそのまま秋田道の橋の下をくぐっている。 そして、この部分に、旧道と思われる廃道を発見した。 現道が橋で越えている黒沢川の右岸沿い(写真では向かって左の斜面)を、通

                                                      • 【山さ行がねが】道路レポート 国道252号旧道 駒啼瀬

                                                        平成19年5月7日 午前5時01分 私はまだ日の空けぬうちに、こっそりと宿を抜け出すと、車に積んであった自転車を取り出し、静かに漕ぎだした。 朝食までには戻らねばならないが、2時間くらいは余裕がある。 これから行く場所は、タイトルの通り、国道252号の旧道の一部である。 以前、「街道WEB」にてこの道がはじめて紹介されたときから、ずっと訪問の機会を覗っていた。 今回の旅は、普段の山チャリではなかったのだが、まだ皆が寝静まっているこのチャンスを、逃すわけには行くまい。 なにせ、私が泊まった宿とその旧道とは、まさに目と鼻の先だったのだ。 日の出は何時なのだろう。 四方を高い山に取り囲まれた、この只見川沿いの夜明けは、だいぶ遅れる。 既に旧道の入り口を過ぎ、いま足元にある2車線幅の舗装路は、難所を迎える前の、まだ平穏な旧道である。 ここの旧道は変わっていて、現道よりもかなり低い位置で峠をパスする

                                                        • 【山さ行がねが】道路レポート 国道13号旧道 栗子峠<万世大路> 再訪編 第一回

                                                          いまさら、万世大路(ばんせいたいろ)や栗子峠の旧国道について長々しい説明は不要だろう。 山行がでも03年と04年に訪れ、それぞれレポートしているし(03年「万世大路」、04年「万世大路工事用軌道」)、様々な道路系サイト、特に旧道や廃道を取り扱った多くのサイトが、この万世大路について報告している。 きわめて簡潔にこの道を紹介するならば、奥羽山脈を縦断して福島市と米沢市とを結ぶ栗子峠の旧国道で、開通当初に明治天皇より「万世大路」と言う名を与えられた、日本有数の由緒深い峠道、と言うことになる。 万世大路に関する略年表 年で き ご と

                                                          • 【山さ行がねが】隧道レポート ラサ隧道

                                                            本州最東端の街、宮古。 三陸海岸のほぼ中間地点に位置するこの港町は、内陸の田老鉱山との結び付きが深く、かつては重工業都市として有数の地位にあった。 しかし、昭和46年に同鉱山が閉山し、市街地に巨大な工場を構えていたラサ工業の高炉から火が消えると共に、街自体の活気にも衰えは隠せなかった。 現在は、県都盛岡の真東に位置し三陸交通や観光の地理的な中心地というの地位を活かし、また秋田-盛岡-宮古という北東北の新しい軸を発展の礎に据え、新生宮古市へ向けて発展の努力を続けている。 かつて繁栄を支えた精錬工業に活躍した鉄道が、いまも市内に二つの廃線跡として、その名残を留めている。 一つは、JR山田線宮古駅から閉伊川の河口部に沿って市街中心部を東西に横断、鉱石や製品の積み出しなどにも盛んに利用された宮古港に終点駅を置いていた、わずか2kmの貨物支線。 通称“宮古港線”である。 昭和19年に宮古港駅が開業し

                                                            • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道52号旧道 下山隧道

                                                              《現在地》 右の地図を見て欲しい。 画像にカーソルを合わせると、現在のほぼ同じ範囲の地図と入れ替わる。 昭和27年応急修正版の5万分の1地形図「身延」に描かれている隧道は、「下山隧道」という。 おなじみ「道路トンネル大鑑」にも収録されている“正統派”であるが、ここを通る現在の道…国道52号…に隧道はない。 その代わり、地形図にも描かれているとおり、「古屋敷洞門」が置かれている。 新旧の地図を見較べる限り、下山隧道の跡地に古屋敷洞門が有るように見える。 だが、実際はそうではなかった。 これは、諦めずに現地を踏査した者だけが見出すことの出来る、珠玉の“大正廃隧道”である。 <参考資料> ・身延町誌 ・山梨県南巨摩郡治概要(大正10年)  ほか &トリ氏 (私の知る限り、最初にこの隧道を「再発見」して私に情報をくれたのは、数年前の…トリ氏である) 2009/9/17 16:24 150m先に見え

                                                              • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道128号旧道 旧行合隧道(仮)

                                                                【周辺地図(マピオン)】 外房の海岸沿いを通り房総循環線の一部を構成する国道128号。 この地図は、勝浦市浜行川(はまなめがわ)一帯における新旧路線の比較である。 旧地形図は明治36年測図版の5万分の1「天津」を用いた。 当時はまだ国道ではなかった路線上に、2本のトンネルが連続して描かれている。 左の現行地形図と見較べても、その様子に違いはなさそうである。 だが、この何気ない地図風景にこそ落とし穴があった。 北側の行合隧道の方向と長さは、誤差で片づけられないほど現行地図と異なっている。 注意深いオブローダーであれば当然、ここには左図のような旧道と旧隧道の存在を疑うべきであった。 だが私は昨年(平成21年)3月に一度実施した「国道128号旧道巡り」において、これを華麗にスルーしていた。 この探索では「浜隧道(仮)」「向台隧道」などの成果を得ていたが、ここには気付けなかったのである。 その敗因

                                                                • 【山さ行がねが】廃線レポート 常磐線 旧隧道群11連発 その1

                                                                  これから数回にわたり紹介するのは、常磐線の旧隧道たちである。 常磐線は東京都荒川区にある日暮里駅と宮城県岩沼市の岩沼駅を太平洋岸に沿って結ぶ全長343kmあまりの幹線鉄道である。 首都圏と東北地方を繋ぐ鉄道として東北本線を補完するのみならず、福島県浜通地方や茨城県海岸沿い及び宮城県南部の動脈となっており、多くの特急列車や貨物列車が日夜疾駆するこの路線は、東北地方では東北本線に次いで歴史の深い鉄道である。 その誕生には東北本線同様、日本鉄道株式会社が深く関わっており、明治38年に日本鉄道によって現在利用されている全線が完成している。 その翌年には国有化され、それまで「磐城線」や「海岸線」などと呼ばれていた本路線は、「常磐線」が正式名称となる。 全線開通以前の明治31年に開通した久ノ浜~小高間は丘陵が海岸線に落ち込む縁に鉄道が敷かれており、これらの起伏を突破するために多くの隧道が建設された。

                                                                  • 隧道レポート

                                                                    今回の探索は、時系列的には「道路レポ 真室川森林鉄道」→「隧道レポ 真室川林鉄安楽城線 2号隧道」→ 「本レポ」 という順序になっている。 過去の二本のレポをご覧頂ければお分かりの通り、探索は困難を極め、すでに日が落ちている。 輪行して秋田へと帰る直前、もう一本だけ頑張ったのが、この「一号隧道」である。 この攻略に成功すれば、安楽城線の三本の隧道を確認したことになるのだ。 長い一日の戦いの、最終幕をご覧頂こう。 まずは周辺地図から、今回の探索対象の位置を確認しておこう。 図中の赤と青の線が真室川林鉄であり、それぞれ安楽城線と小又線である。 この二線については、同時に存在していたものなのかどうかは、はっきりしていない。 ただ、安楽城線は非常に危うい路線だったという印象がある。 一方、小又線については、それなりの保守が行われていたのではないかという印象だ。 今回は、図の三滝分岐とJR釜淵駅との

                                                                    • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                                      2004.3.14撮影 青森県青森市 東北本線の長き鉄路も終わりに近い、浅虫温泉から終点青森までの約20kmの大部分が、開業時とは異なるものであることは、比較的よく知られている。 この路線の改廃については、廃線探求者のバイブル的存在である『JTBキャンブックス刊 鉄道廃線跡を歩く』の第2刊に詳しいが、この名著を読んでいて、いつも私が気になってしまうことがある。 それは、幾度と無く出現する廃隧道について、内部の様子が紹介されていないことだ。 私だったら、隧道だったらまず入る。 行き止まりだと言われていても、反対側の坑口が存在しないことをこの目で確かめていたとしても、やはり、入る。 それは、私が隧道を好むからに他ならない。 そういうわけで、この区間に存在する「旧浦島隧道」を、内部を含め紹介しよう。 今回のレポは、東北本線を青森から出発して4つめの駅である、野内駅よりはじめよう。 この野内駅は明

                                                                      • 【山さ行がねが】隧道レポート 小坪のゲジ穴

                                                                        私は、東京に移り住んだ地の利を活かし、月に一度くらいは千代田区九段下にある国土地理院関東地方測量部というところへ通っている。そこでは、これまで発行されたほぼ全ての地形図を閲覧することが出来るし、気に入った物があったら一枚500円でコピーを購入することが出来る。 これから紹介する隧道は、そうした地道な活動の中で見付けた小さな廃隧道である。 左右の地図を見比べてみて欲しい。 ここは、三浦半島の付け根に位置する逗子市北西の小坪海岸で、地図の左上の市街地は鎌倉市の一部である。(半島内での位置図はこちら) この地名を聞いて、“出る”スポットの最古参としてマスコミにも度々登場し、余りに名前が売れてしまった「小坪トンネル」を思い出した人もいるだろう。 確かに、この小坪地区には“アノ”トンネルが存在する。 だが、今回の本題はそこにはない。 右の地図には、その一部を拡大したものを書き加えているが、今回表題の

                                                                        • 【山さ行がねが】ミニレポート第153回 国道148号旧道 山之坊橋

                                                                          申し訳ないが、今回の物件についてはお手上げだ。 これからご覧頂く橋。 一見ただの旧橋なんだが、どうにも理解できない部分がある。 とりあえず手元の資料にあたっても、謎は全く解けていない。 本当なら、自分なりに答えを見つけてから発表したかったが、ちょっと無理っぽい。 皆様のご高察を賜りたい。 助けてくれ。 で、問題の橋はここにある(→)。 姫川沿いを通る国道148号の旧道。 対岸は長野県小谷村だが、ここは新潟県糸魚川市である。 そして、橋の名前は「山之坊橋」という。 この探索は行きずりで、北から南へと進められた。 2010/5/18 11:05 現道と旧道の分岐地点。 背景の大きな山は、海抜1518mの一難場山か。 左には姫川の広い谷が口を空けている。 姫川温泉で知られる平岩の集落も遠くに見えてきた。 簡単なバリケードで塞がれている旧道に入る。 私にとっては呼吸するに等しい行動だが、そうでなく

                                                                          • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                                            国道113号線はこれまでも数度紹介してきた。 例えば、宇津峠旧道や旧旧道、それに八ツ口の旧道などだ。 また、アクシデントによりレポ化できない状況にある“片洞門”は、この国道に数ある旧道の白眉といって良い名勝である。 今回紹介する小さな小さな旧道は、片洞門のすぐ西側である明沢地区の路傍に埋もれている。 短いレポだ。 気楽にご覧頂こう。 小国町の唯一の幹線と言って良い国道113号線は3桁の国道にしては良く整備されており、新潟・山形の最短ルートであることもあり、通行量も多い。 片洞門は綱取地区にあるが、この一つ東側にあるのが、明沢地区だ。 それらの中間付近に、この小さな旧橋はある。 現国道の松栗橋からは、北側に平行する旧橋の姿を発見できる。 旧橋と、前後の旧道は、合わせても僅か30mほど。 完全に見捨てられた存在である。 橋へ接近するには、徒歩ならばどちらからも可能だが、通常は西側からだ。 東側

                                                                            • 隧道レポート

                                                                              今回は、船岡森林軌道にある、ただ一つの隧道を紹介したい。 通称:船岡森林軌道だが、正式には「大曲営林署宮田又沢林道船岡支線」であり、宮田又沢林道の中間地点である協和町滝ノ沢から分岐して淀川上流を目指す路線として、大正7年から翌年にかけてに建設された。 同14年にはさらに延伸され、淀川源流部の朝日又沢にまで伸び、全盛期には全長14823mの2級路線だった。 廃止は、他の森林鉄道同様に昭和40年代初頭である。 この路線に確認されている隧道は一つであり、それも、意外なことに山深い終点付近ではなく、人里近い宇津野地区に存在する。 名称は仮に「宇津野隧道」と呼ぶことにして、その様子を紹介しよう。 2004年3月24日、午前7時半過ぎ。 秋田市街地の雪は完全に消えていたが、二つ隣町の協和町の山寄りとなれば、まだ冬の装いだった。 ちょっと来るのが早かったかと後悔したが、まあ目的地は人家からそう遠くないの

                                                                              • 【山さ行がねが】隧道レポート 横須賀市の明治隧道たち

                                                                                横須賀市はトンネルの多い街である。 最近の調べでは、市内にある道路用のトンネルの総数は56で、神奈川県内の総数が81というから、余裕で過半数を占めている。 そして、古いトンネルが多い。 『横須賀市史』によれば、昭和30年には既に42のトンネルが供用されていたという。 多くの地域では「地域最古参」と呼ばれておかしくないような古隧道が、この街には無数にあるわけだ。 なぜ、これだけ多くのトンネルが掘られて来たのか。 それは言うまでもなく地形的な理由が第一である。 同市は全域が三浦半島に位置しているが、この半島には細かな起伏が非常に多い。 さらにトンネルは人が掘るものである。当然、人間の営みが深く関わっている。 同市域は江戸末期以降、浦賀港および横須賀軍港を中心としての市街化が大変進んだが、このことがトンネルを大量に掘らしめた。 次いで、地質的に砂岩が多く掘削に適していたと言うことも、古くから多く

                                                                                • 【山さ行がねが】道路レポート 国道49号旧道 藤峠

                                                                                  一般国道49号は、とにかく峠の多い道である。 太平洋岸と日本海岸を結ぶ“列島横断の道”だけに、さもありなんとも思うが、しかし脊梁越えを意識させられるほどの大きな峠はない。 あるのは、麓との比高がせいぜい200m程度の、まあまあ穏やかな峠の数々である。 その長い道程のうちでも特に、会津盆地の中心地である会津若松市から西へ新潟県の津川町までの区間は、峠が多く連なる区間である。 県境をなす鳥井峠を中心に、車峠や惣座峠、少し離れて藤峠や七折峠がある。 道は、大河である阿賀川(新潟県内では阿賀野川)に概ね平行するのだが、その両岸は切り立った山地が多く、車道であるべき現在の国道は、敢えて小さな峠を連ねる道を選んでいる。 江戸時代までは、この川が交易の主役であったが、今ではこの完全に舗装された国道と、さらに新しい高速道路とが、その多くを担っている。鉄道全盛の時代も、既に過去のものだ。 今回紹介する藤峠は