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  • 国葬の日 | ele-king

    監督 大島新 取材・撮影 [東京]大島新 三好保彦 [下関]田渕慶 [京都] 石飛篤史 浜崎務 [福島]船木光 [沖縄]前田亜紀 [札幌]越美絵 [奈 良]石飛篤史 浜崎務 [広島]中村裕 [静岡]込山正徳 [長崎]高澤俊太郎 編集 宮島亜紀 整音・効果 高木創 監督補 船木光 制作スタッフ 中村有理沙 プロデューサー 前田亜紀 制作 ネツゲン 配給 東風 2023 年/日本/88 分/DCP/ドキュメンタリー ©「国葬の日」製作委員会 【現在公開中です】 9 月 16 日(土)より[東京]ポレポレ東中野、 9 月 23 日(土)より[大阪]第七藝術劇場、[愛知]名古屋シネマスコーレほか全国順次 ちょっと前にグラフィック・デザイナーの石黒景太と話をしていたら「まるで安倍晋三なんかいなかったみたいだ」という話になった。TVを観ているととくにそう思うし、安倍晋三という人は初めからいなかったよう

      国葬の日 | ele-king
    • 「50年以上前の本なのに、まったく古さを感じない」――なぜ高坂正堯の本は、令和の大学生にも読まれ続けるのか|田所昌幸×細谷雄一×小泉悠 特別鼎談:田所昌幸,細谷雄一,小泉悠 | 記事 | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト

      『国際政治』(1966年刊)、『世界地図の中で考える』(1968年刊)など、国際政治学者・高坂正堯(1934~1996年)の本は、刊行から半世紀が過ぎても、いまだに版を重ね、読まれ続けている本が多い。 そして、高坂が逝去してから27年となる今年、新たな講演録『歴史としての二十世紀』(新潮選書)が刊行され、話題を集めている。 国際情勢は目まぐるしく変化を続けているにもかかわらず、なぜ高坂の本は読まれ続けるのか――国際政治と安全保障を研究している田所昌幸(国際大学特任教授)、細谷雄一(慶應義塾大学教授)、小泉悠(東京大学専任講師)の3氏が鼎談した。 *  *  * 古さを感じさせない秘訣 細谷 慶應義塾大学の細谷ゼミでは、毎年、国際政治に関する本をたくさん読みます。それで学年の最後に「面白かった本」のアンケートを取ると、必ず高坂先生の『国際政治』が1位になる。正確に言えば、私が書いた『国際秩序

        「50年以上前の本なのに、まったく古さを感じない」――なぜ高坂正堯の本は、令和の大学生にも読まれ続けるのか|田所昌幸×細谷雄一×小泉悠 特別鼎談:田所昌幸,細谷雄一,小泉悠 | 記事 | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト
      • ヴェンダースが音楽を教えてくれた。最新作『PERFECT DAYS』もその選曲は健在 | NiEW(ニュー)

        「光」を歌い、「環世界」をつなぐ音楽 本作に流れる音楽を再び聴いてみよう。すると、一つ気づくことがある。それは、夕暮れやうっすらと差し込む朝日、気だるい午後の太陽、夜明けの光など、日の光について歌った曲が複数使われているということだ。映画の幕開けにかかるThe Animals “House of the Rising Sun”をはじめ、オーティス・レディング “(Sittin’ On) The Dock Of The Bay”、The Kinks “Sunny Afternoon”、ニーナ・シモン “Feeling Good”といった曲たちが、それぞれの仕方で日の光の機微を歌っていることと、映画本編において木漏れ日や朝日、夕日のモチーフが再三にわたって映し出されるのは、単なる偶然ではないだろう。日の光が風に揺れる木立に差す、そのときだけに現れる彩。あるいはまた、日の光が作る影の重なり合いと

          ヴェンダースが音楽を教えてくれた。最新作『PERFECT DAYS』もその選曲は健在 | NiEW(ニュー)
        • 素材の手触り──新海誠作品の唯物論的構造分析|みなかみ | 週末批評

          Feeling of Materials: Structural Analysis of Animated Movies of Makoto SHINKAI|Minakami 文:みなかみ はじめに アニメの画面に描かれている諸要素は、我々の瞳を強く刺激し続ける「素材」としての輝きを放っている。無論アニメの作り手たちはセルで描かれたキャラクターでもいいし、背景美術でもかまわないが、いかにそれらの持つ(というか持たざるを得ない)物質性から遠く離れてフィクションを構築しうるかを常に思考=志向している。ゆえに画面に映り込むセルやBG(バックグラウンド=背景)や3DCGの関係は相対的に結ばれていき、ひとつのカットとして意味を持ち、物語を語ることができる。 その作り手たちの実践をただ単純に解体していき、すべてを素材に還元する行為を人は批評とは呼ばない。その相対的な結び目をほどきながら、どのようにカッ

            素材の手触り──新海誠作品の唯物論的構造分析|みなかみ | 週末批評
          • 仕事中にスミスなんか聴くから…『ザ・キラー』(配信) - Commentarius Saevus

            デヴィッド・フィンチャー監督の新作『ザ・キラー』を配信で見た。 www.netflix.com 主人公の殺し屋(マイケル・ファスベンダー)はパリで大事な仕事に失敗してしまう。警察から逃げて急いでドミニカ共和国の自宅に帰ったところ、自宅が襲撃されてパートナーが大けがを負っていた。主人公は自宅を襲撃した者たちやその責任者を突き止めて始末すべく、アメリカ中を駆け回る。 ネオノワールっぽい雰囲気の話なのだが、内容は仕事に大失敗してその尻拭いをするだけで、わりと単純である。さらにこの主人公の殺し屋というのが曲者で、なんかすごい真面目にプロらしく振る舞ってるわりには肝心なところが抜けている。ほとんど他人と話さないのだが、ひとりでいる時はほぼずっとモノローグが続いている感じで、人前では無口なのにひとりでいる時は超おしゃべりだ。さらにその一人おしゃべりの内容の大半が仕事についての細かいこだわりとかプロ意識

              仕事中にスミスなんか聴くから…『ザ・キラー』(配信) - Commentarius Saevus
            • パーフェクトデイズ、作品としてはほんとうによい。けれど、これを楽しんで良いのか?という不安が募ってつらい。誰かを犠牲にしている気がするのは、映像の向こう側に行政や大企業の影が見えるからで、そいつらのナラティブやプロパガンダに回収されてしまう気がする。その理由を話してから寝ます。

              • 若者が富裕層有利な社会を希望すると聞いての一私見|shinshinohara

                大学教員の方から、富裕層に有利な社会であることを望んでいる学生が多いという話を聞いた。ホリエモンなどの動画の影響が大きいのでは、とのこと。富裕層は努力し才能もあったから豊かになった、貧乏なのは努力しなかったから、という論理を真に受けている若者が大変多いらしい。 動画の世界では、20年前から続く新自由主義の考え方がまだ主流にあるらしい。動画という新しいメディアにガンガン出てるのはいかにも活躍してる感じだし、今の若者はYouTuberに憧れてるとも聞くし、自分もそうした富裕層に仲間入りできる、と考える若者が増えるのも不思議ではないかも。 でもこれ、なんだかデジャブ。90年代後半から「悪平等」という言葉が流行るようになった。日本は頑張った人間に報いない、頑張った成果をみんなに配ってしまい、努力した人間にはせいぜい金一封。これでは努力した甲斐がないと言われ始めた。やがて2000年代に入ると、この考

                  若者が富裕層有利な社会を希望すると聞いての一私見|shinshinohara
                • 国のために死ねるか、人のために生きられるか。戦後右翼も左翼も超えてゴジラが平和と愛国を問い直す! - Something Orange

                  映画『ゴジラ-1.0』(以下『マイナスワン』)を批判する動画を見ました。 非常に面白い。 ある種の政治的観点からこの映画を批判する意見は当然、出て来ると思っていました。 単なる難癖に過ぎないような批判は無数にあるけれど、この動画はきわめてロジカルだし、非常に説得力がある感じ。 そしてその上で、まったく共感できない(笑)。 この動画は主に映画の「リアリティ」と「人間ドラマ」について批判しているのですが、物凄く丹念に批判されているにもかかわらず、ほとんど納得がいかない。 ほんとうに作品の本質が理解されていない、何ひとつ伝わっていないんだなあといっそ感心するくらい。 そしてまた、山崎貴という監督はほんとうに舐められている、あなどられているんだということもあらためて感じますね。 小説でもマンガでもそうだけれど、カルト的に「とがった」作家に比べ、一見して「わかりやすい」エンターテインメントを展開する

                    国のために死ねるか、人のために生きられるか。戦後右翼も左翼も超えてゴジラが平和と愛国を問い直す! - Something Orange
                  • 果物の王様「ドリアン」を食べる | オモコロブロス!

                    知り合いからドリアンをもらったので食べるぞ! 会社で勝手に! 袋から出しただけで香り立ち充満する独特の臭気にたじろぐ野次馬たち。 「かをり果樹園」が栽培している、マレーシア産の高級ドリアンとのこと。 付属の説明書によると、ドリアンはおしりにある星型のマークに包丁を入れるとキレイに切れるとのこと。ジョースター家の印と同じですね。 言われたとおりにやってみたら意外と簡単に切れました。ただ見ての通り外皮がトゲトゲなので、油断していると手が傷だらけになります。ヨッシーアイランドでいうと一撃でヨッシーが死ぬタイプのトゲに似ています。軍手があれば使ったほうがよいでしょう。 中にはこういう形の房がいくつか入っています。「黄色いタラコ」みたいな感じの、しっとりした質感。 全て取り出すとこんな感じ。星型の印に沿って切ったおかげで、傷つけることなく房を出せました。 怖いものみたさで集まってくる野次馬たち。意外

                      果物の王様「ドリアン」を食べる | オモコロブロス!
                    • ファミマの3990円スウェットをバカにして大炎上。ほんとに「ファミマのアパレル」は質が悪いのか | 日刊SPA!

                      メンズファッションバイヤー&ブロガーのMBです。洋服の買いつけの傍ら、「男のおしゃれ」についても執筆しています。連載第462回目をよろしくお願いします。 “コンビニエンスウェアで3990円のスウェットを買うなら33000円で生地の良いスウェットを買ったほうが安いと思う。これが分からない人にはどれだけ言葉を尽くしてもきっと何も分かってもらえない。” 先日、ファッション関係者のそんなツイートが炎上していました。ここで言う「コンビニエンスウェア」とはファミマのプライベートレーベルのこと。最近リリースされた3990円スウェットシリーズを指します。 投稿者本人はおそらく(説明不足なだけで)悪意はないと思いますし、まさか今時「3990円のスウェット買うやつはアホだ」みたいな思考を持ってる業界人なんていないと信じていますが……それはさておき。 ここで話題になってる「ファミマのアパレル」ってどんなものでし

                        ファミマの3990円スウェットをバカにして大炎上。ほんとに「ファミマのアパレル」は質が悪いのか | 日刊SPA!
                      • AIを用いた対話型司書(検索)サービス「クジラ」4月15日リリース

                        AIを用いた対話型司書(検索)サービス「クジラ」4月15日リリースゲンロンカフェのイベント1800時間分と東浩紀の著作およそ300万字分を読み込んで制作された、従来のキーワード検索と異なる対話型検索サービス 株式会社ゲンロン(本社:東京都品川区)とともに株式会社クジラ(本社:東京都品川区)は、AIを利用した新たな司書(検索)サービス「クジラ」(https://kujira.ai/)のβ版を2024年4月15日にリリースしました。 クジラは、株式会社ゲンロンが合同会社シラス(本社:東京都品川区)、AI研究家の清水亮(shi3z)氏らとともに立ち上げた、新しい司書(検索)サービスを開発するプロジェクトです。 現在の検索を支えるページランクのアルゴリズムは、被参照数に応じてコンテンツの優先度を決定するものですが、それだけでは人文知の豊かさに対応することができません。哲学や文学の世界では、だれも訪

                          AIを用いた対話型司書(検索)サービス「クジラ」4月15日リリース
                        • クリエイターは「反生成AI」の毒矢をどう解毒するか|しらいはかせ(Hacker作家)

                          うっかり反AI派のヘイトの矢が胸に刺さって 何もできないモードに入ってしまった。 https://twitter.com/o_ob/status/1710823526067007547 ソーシャルメディアの毒が回って鬱麻痺状態になる(画像はイメージです)せっかく窓の杜の新作を超スピードで公開して、 social good な活動をしてきたというのに、その疲れて帰ってきた瞬間の出来事だ。 新作、超スピードで書いたよ! 実録RTA! 無料で最新画像生成AI「DALL-E3」を使って実用レベルの画像を出力 #AI年賀状2024 - 生成AIストリーム - 窓の杜 https://t.co/g9jcQdgB67 #DALLE3 — Dr.(Shirai)Hakase (@o_ob) October 6, 2023 参加者さんから素敵な参加報告動画を頂いたその前後で、 ついうっかり毒矢を開いてしまっ

                            クリエイターは「反生成AI」の毒矢をどう解毒するか|しらいはかせ(Hacker作家)
                          • 【後編】ボカロ文化と批評のあり方(についてのいくつかの所感)|Flat

                            自己批判とWikipediaについて散々人にケチをつけておいて、お前はどうなんだと思うかもしれません。実際、私も過去にかなりのミスを犯しています。例えば、先述したドラムンベースについての言及。私も同じことをしています。私がReal Soundで連載していた「ボカロ曲の流行の変遷と「ボカロっぽさ」についての考察」から、じんについての文章を見てみましょう。 じんは2011年2月17日投稿の「人造エネミー」でボカロPとしての活動を始める。この楽曲も2作目の「メカクシコード」も共にドラムンベースであった(中略)が、同年9月30日投稿の3作目「カゲロウデイズ」でロックに方向転換、ブレイクを果たす。 Flat「ボカロ曲の流行の変遷と「ボカロっぽさ」についての考察(3)kemuとトーマ、じんが後続に与えた影響」(Real Sound, 2020)https://realsound.jp/2020/09/

                              【後編】ボカロ文化と批評のあり方(についてのいくつかの所感)|Flat
                            • しの on X: "「本当にこれを無邪気に楽しんでいいのか?」というのは常に必要な視点だと思うし、そういう指摘は自分が見えてなかったものを整理して自分のなかで折り合いをつけて作品を楽しむ上でもとても有益だと思うんだけど、それを「水を差している」としか受け止められないのは勿体ないし危険だとすら思う"

                              • 『ボーはおそれている』 聖母の息子は童貞|うまみゃんタイムズ

                                アリ・アスター映画におおむね共通するテーマは、精神疾患と機能不全家族ルーツだ。出世作『ヘレディタリー/継承』にしても世代間の悲しみの継承が主題にされている。キャリア史上もっともよくわからないと評判の『ボーはおそれている』にしても、このあたりは明示的だ。 ボーはいちじるしく成長を阻害された男だ。彼の心のなかには、未解決のものや理解できていないことがたくさん転がっている。不安に苛まれて塞ぎ込んでいて宙ぶらりんな、基本的に思春期のような状態(アリ・アスター) 北米版プロダクションノート 成長を止められた男であるボーは、親に植えつけられた罪悪感を抱えながら自己決定を回避していく典型的なアダルトチルドレン像。監督が指摘したように、彼の描写で重要なのは、意図的に持参しなかったフロスをあとになって必須の忘れ物かのように扱いはじめたことである……おそらく本当は母親に会いたくないが、言動を否定されつづけたト

                                  『ボーはおそれている』 聖母の息子は童貞|うまみゃんタイムズ
                                • 明治大正期の「浮世絵」をめぐって

                                  1. 藤懸静也と大正の浮世絵派大正7年11月の『錦絵』に、美術史家の藤懸静也が「板画と肉筆画」という文章を寄稿している[1]。冒頭を抜粋する。 文展は相も變らず秋の上野を飾り、美人畫はいつも文展を賑わす材料となつて居る。吾人は今、この美人畫と、徳川期の浮世繪との比較を試みやうとするのである。 これは文展における鏑木清方、池田輝方、上村松園らの美人画の台頭に対する反応である。池田蕉園の名がないのは前年に没しているためである。この時期の文展の美人画について、笹川臨風が「文展で俗衆がわいわい云つて大騒ぎをするのは、美人畫である。此美人畫と云ふ奴は大概浮世絵である」と書いており、当時美人画が浮世絵から来たものだという了解があった[2]。 冒頭の藤懸の文章は、以下のような断言によって特徴づけられる。 同年の文展における、鏑木清方、池田輝方、上村松園などの絵は「浮世絵」の系譜をひいているが「浮世絵」で

                                    明治大正期の「浮世絵」をめぐって
                                  • これだけ読めば戦は勝てる/中表紙

                                    • 日本社会は「“あいつはしょうがねえ”枠」で生き抜け!…養老孟司・茂木健一郎・東浩紀の「実体験からの結論」(養老 孟司,茂木 健一郎,東 浩紀)

                                      日本社会の生きづらさは、いったいどこからくるのか? 「歪(ひず)み」に満ちたこの社会を、どう生き抜けばいいのか…。 ​養老孟司、茂木健一郎、東浩紀の3氏が、実体験をもとに語り合う! 【*本記事は、養老孟司・茂木健一郎・東浩紀著『日本の歪み』(9月21日発売)から抜粋・編集したものです】 「日本の歪み」は世界的普遍性を持つテーマ 茂木 養老先生との雑談で心に残っていることがあります。日本は明治維新と敗戦で二度、これまでの自分たちのやり方を変えなくては生きていかれない経験をしていて、そのストレスや歪みがわれわれにはあるが、それをきちんと言語化することができたら、それは同様のことが起きている世界にとって有益な知見になる。だから、日本近代の歪みの問題は、日本の固有の問題であると同時に普遍性もあるテーマなのかもしれない、という話です。 日本の歪みの本質を考え抜けば、それは、きっと世界のさまざまな方々

                                        日本社会は「“あいつはしょうがねえ”枠」で生き抜け!…養老孟司・茂木健一郎・東浩紀の「実体験からの結論」(養老 孟司,茂木 健一郎,東 浩紀)
                                      • 『君たちはどう生きるか』という悪夢──治者としての宮崎駿|noirse | 週末批評

                                        ※本記事は、『ビンダー8号 特集:宮崎駿』(ククラス、2023)所収の noirse「陰謀論者の見た夢──治者としての宮崎駿」を一部加筆・修正のうえ、転載したものです。 Hayao Miyazaki, as an Ambivalent Ruler: The Nightmare of The Boy and the Heron |noirse 文:noirse 平成 平成という時代が幕を閉じて数年が経過した。けれども今でも何かが終わったとか、何かが変わったという実感はない。「平成は失敗の30年」1で、「けっきょく『昭和』を清算しきれなかったネガティヴな時代」2という思いがあるからだろうか。 けれど平成初期に様々なカルチャーに触れ、現在の嗜好や関心の地盤を築いていった人間としては、時代が悪かっただけとは思いたくない。そこで忘れられないのがジブリだ。スタジオジブリは1985年に発足した。平成より

                                          『君たちはどう生きるか』という悪夢──治者としての宮崎駿|noirse | 週末批評
                                        • 全世界興行収入は10億ドル超え…ディズニーの大ヒット作『ズートピア』があえて描かなかった“問題”とは? | 文春オンライン

                                          『ズートピア』は、ここ20年の間に制作されたウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの長編作品の中でも、出色の1本だ。『ロビンフッド』のような、擬人化した動物が登場する作品を、というアイデアからスタートした本作は、キツネが主人公のスパイアクションというアイデアを経由して、ウサギとキツネのバディ・ムービーという形で完成した。映画のために動物のリサーチを進めたスタッフは、最終的に、動物キャラクターを通じて、固定観念や偏見を扱う物語にたどり着くことになった。 ◆ ◆ ◆ ウサギとキツネに向けられるステレオタイプな見方 進化した肉食動物と草食動物が平和に共存する都市ズートピア。主人公は、ズートピア初のウサギの警察官となったジュディ。彼女は「ウサギは警察官になれっこない」といわれながらも、子供の頃からの夢をついにかなえたのだ。初仕事が彼女の意欲の大きさには見合わない駐車違反の取締りではあったけ

                                            全世界興行収入は10億ドル超え…ディズニーの大ヒット作『ズートピア』があえて描かなかった“問題”とは? | 文春オンライン
                                          • 初期分析美学における芸術創造論 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

                                            ヴィンセント・トマスの"Creativity in art"および周辺の文献をちょっと調べたので備忘録的に残しておく。 Tomas, Vincent (1958). Creativity in art. Philosophical Review 67 (1):1-15. ヴィンセント・トマスのこの文献に関しては、少し前に出た村山正碩「意図を明確化するとはどういうことか: 作者の意図の現象学」が詳しい。 村山はトマスの論文を、以下の「トマスのパズル」を提示するものとしてまとめている(p.105)。 芸術制作は芸術家によってコントロールされている。 行為者が自分の行為をコントロールする典型的ケースでは、生み出したい結果を意識し、目の前の現実がその結果と一致するように作業を進める。 しかし、芸術制作では、芸術家は生み出したい結果を(現実がそれに一致すれば、作品が完成するほど)十分に意識しているわ

                                              初期分析美学における芸術創造論 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
                                            • 「男になれない」男とユダヤ的ユーモア。映画『ボーはおそれている』レビュー(評:藤田直哉)

                                              強い父が不在のエディプス・コンプレックスフロイトの精神分析的な主体化の構図が現在では変わってしまっていることを寓意的に描く神経症コメディであり、おそらくはユダヤ民族の歴史と深く関わる寓話であろう。 フロイトの図式では、男の子は母を独占する父と対決し、象徴的に殺すことで一人前の大人として主体化する、とされてきた。その過程で、男の子は、父からの近親相姦の禁止を内面化し、法や倫理の命令の源泉として個人の中に「超自我」が形成されるとした。そこには、母親との近親相姦の欲望と、それへの懲罰としての去勢という脅迫が関わっている。これらが複合した葛藤を「エディプス・コンプレックス」と呼ぶが、本作は、まさにそのようなコンプレックスを映像化したような作品である。ただし、もはや強い父はおらず、強大な母がおり、息子も反抗や対立もしない(現代人も、そうなってきているように)。

                                                「男になれない」男とユダヤ的ユーモア。映画『ボーはおそれている』レビュー(評:藤田直哉)
                                              • 未だ充分に尽くされていない「近代絵画」の可能性について(おさらいとみらい)

                                                画家・評論家の古谷利裕による連続講座「未だ充分に尽くされていない「近代絵画」の可能性について(おさらいとみらい)」を2024年1月より開催いたします。制作集団・出版版元「いぬのせなか座」と劇団「Dr. Holiday Laboratory」が共同主催。

                                                  未だ充分に尽くされていない「近代絵画」の可能性について(おさらいとみらい)
                                                • アニメ『江戸前エルフ』感想(ネタバレ)…神道のオタクウォッシングを考える

                                                  宗教アニメ…ですよね? 日本人は宗教に無関心だと言われがちですが、その人の関心がどうであれ、日本社会は想像以上に宗教の影響があちこちにあります。なのにそれを「宗教」と認識することがあまりないような…。やっぱり日本人は単に宗教“音痴”みたいなものなんでしょうか。それとも宗教を暗黙のうちにタブー視しているのでしょうか。 例えば、アメリカの映画などの作品を観ていると、キリスト教の影響を感じさせるものは珍しくなく、それを指摘しながら「これは“宗教”的な作品だ」と言及する日本人は普通にいます。 でも自国の作品に対して「これは“宗教”的な作品だ」とはなかなか言っている人は見かけません。カルトとかを直接題材にでもしていない限り、“宗教”的な作品ということにならなかったり…。それってちょっと変だなと思います。日本の作品でも仏教や神道を土台にしている作品が結構たくさんあるんですけどね。 日本人はどうも宗教を

                                                    アニメ『江戸前エルフ』感想(ネタバレ)…神道のオタクウォッシングを考える
                                                  • 映画制作者と舞台・映像関係者の方へ

                                                    このホームページを、英語・中国語・韓国語へ機械的に自動翻訳します。以下の内容をご理解のうえ、ご利用いただきますようお願いします。 1.

                                                    • 【いま、何も言わずにおくために】#001:意味の考古学 前編|森脇透青|堀之内出版ブログ(公式)

                                                      ※こちらのnoteは森脇透青さんの不定期連載「いま、何も言わずにおくために」第一回の前編です。他の記事はこちらから。 はじめに いま、私たちの身の回りにはフィクションおよびフィクションに関する言説が溢れている。それに触れずに生きることはもはや困難である。そのフィクションの濁流こそが現代を特徴づけていると言ってもいい。 このnote連載で私は、現代において「フィクション」が持つ機能と意味を、さまざまなアーティスト、批評家、研究者たちとの対話を通じて探究していこうと思う。この第一回では連載全体の前置きあるいは基調報告のようなものとして、私の立場を簡単に示しておきたい(noteの仕様上、脚註は最後にまとめてある)。フィクションをめぐって、いま何が問題となるのか? 先に言ってしまえば、私は、いま「批評」の課題は、フィクションをめぐる状況全体を批判的に考察することにあると考えている。それは同時に、現

                                                        【いま、何も言わずにおくために】#001:意味の考古学 前編|森脇透青|堀之内出版ブログ(公式)
                                                      • 中島岳志 戦後日本が「縄文」に見ようとしたもの

                                                        『中村屋のボース』『秋葉原事件』『「リベラル保守」宣言』『親鸞と日本主義』など数々の著書で日本という国について、新たな、独自の視点で論じてきた政治学者・中島岳志さんによる本格論考連載がスタート。初の著書『ヒンドゥー・ナショナリズム』が出版されてから節目の20年目の2022年に始まる論考のテーマは「縄文」。人は「原始」の中に「イノセントなもの」を見出し、いま生きる社会の閉塞を突破しようとする。「縄文論」は、ヒッピームーブメントとも接続する一方、右派的なスピリチュアリズムとも結びつく。いまの時代こそたどるべき、「縄文」から読み解くまったく新しい「縄文と日本」の系譜学。 火起こし器に魅了される小学校2年生の夏休みだったと思う。 当時、私の祖母が静岡に住んでおり、お盆休みを利用して家族で遊びに行った。祖母の家は居心地がいいものの、子供はすぐに時間を持て余す。私は、親に「どこかに連れて行ってほしい」

                                                          中島岳志 戦後日本が「縄文」に見ようとしたもの
                                                        • 【批評】矢野利裕「近代社会でウケること――包摂と逸脱のあいだ」|文學界

                                                          現代のリベラル傾向 10年まえに笑えていたことがもう笑えなくなっている。いや、10年まえどころではない。ほんの数年まえに楽しんでいたはずのテレビやラジオの番組でさえ、久しぶりに観/聴きなおしたら、その不用意な発言や振る舞いに気持ちがざわついてしまう。ましてや、YouTubeで昭和のヴァラエティ番組なんか観たら、ジェンダーや人種といった問題に対してあまりに配慮のないことに驚いてしまう。ここ1〜2年、多くの人が少なからずそのような経験をしているだろう。 人権意識やハラスメント意識が高まったこの社会において、笑いに対する意識は確実に変化した。芸能の野蛮なありかたに郷愁をもつ者は、この変化に対して批判的になるだろうが、とはいえやはり、この意識の変化はもう前提である。セクシャル・マイノリティや有色人種に対して、その属性を笑いの対象にすることはできない。あるいは、発達障害を想起させるようなキャラクター

                                                            【批評】矢野利裕「近代社会でウケること――包摂と逸脱のあいだ」|文學界
                                                          • Mr.Children『miss you』評:自問自答の末に表出した“自己への嫌悪” 桜井和寿と鏡のメタファーを考える

                                                            表現を「見る・聴く・読む・触れる」とき、オーディエンスは作家の環境や性格や物語をどうしても仮構してしまう。それと鏡あわせのように、作家は鑑賞者が仮構したイメージを、自己のイメージに取り込んで再仮構してしまう。自らの名を掲げて不特定多数に表現を届ける主体となった者は、仮構された二つの「自らの姿」の重ね合わせを、多かれ少なかれ強いられる。そうした重ね合わせへの強烈な執着を示してきた作家として知られるのが、ご存じMr.Childrenである。 彼らにとって21枚目にあたる新作アルバム『miss you』で、なにかが変わった。歌詞が暗い? 当然それも大きい。しかし、それだけではない。音の鳴りが違う。1曲目の「I MISS YOU」冒頭、右側から聴こえるアコースティックギターのアルペジオと、左側から聴こえるピアノの伸びからしてすでに違う。演奏の響きが、秘密めいた親密さを伴っている。決定的なのは、桜井

                                                              Mr.Children『miss you』評:自問自答の末に表出した“自己への嫌悪” 桜井和寿と鏡のメタファーを考える