1945年8月6日広島に、そして8月9日に長崎に原子爆弾が投下された。今年は、3月29日に映画『オッペンハイマー』が公開され(現在、8月2日より全国でアンコール上映中)、改めて原爆投下について考える動きがあった。しかし、アメリカと日本では原爆投下に関して温度差も大きい。 「アメリカでも第二次世界大戦について語られることはありますが、ヒットラーやユダヤ人大虐殺についてが中心です。そして、映画やドラマといったメディアで題材として多く扱われるのは、その後の冷戦に突入してからのロシアとの駆け引きばかり。原爆投下に関しては、“投下した”という事実以外はほとんど語られることがありません。実際にあのとき、広島や長崎にいた人々が体験した、人間としてのストーリーは語られることがほとんどないのです」というのは、『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)、新刊『うつを生きる 精神科医と患者
「二度と来なくていい」「原爆投下への無反省」長崎平和式典 米・英はじめ相次ぐ出席拒否…“イスラエルへの配慮”に殺到する怒り 社会・政治FLASH編集部 記事投稿日:2024.08.08 19:10 最終更新日:2024.08.08 19:53 8月9日、長崎市が開催する平和記念式典に、少なくとも6カ国の駐日大使が欠席する意向を示していることに、様々な声が寄せられている。 「広島市は6日の式典にイスラエルを招待しましたが、長崎市は現在、パレスチナ自治区ガザを攻撃するイスラエルを招待しないことを判断しました。この対応に不満を示したアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、カナダの6カ国の駐日大使が一斉に欠席する意向を示しているのです。 【関連記事:「不毛なコピペ挨拶」岸田文雄、広島平和記念式典の挨拶が安倍元首相の “丸パクリ” で「もっと自分の言葉で話して」】 鈴木史朗長崎市長は
原子爆弾が広島、長崎に投下されてから79年。アメリカ映画『オッペンハイマー』がアカデミー賞を受賞するなど、米国内の原爆に対する意識も変わりつつあると言われる。作家の山我浩さんは「しかし、この間、アメリカはその責任を負おうとせず、戦争犯罪である原爆投下の実態を覆い隠してきた」という――。 ※本稿は、山我浩『原爆裁判 アメリカの大罪を裁いた三淵嘉子』(毎日ワンズ)の一部を再編集したものです。 8月6日の原爆投下後、広島の惨状をラジオが世界に伝える 1945年8月15日、日本は無条件降伏を受け入れ、太平洋戦争、第二次世界大戦は終わった。 長崎への原子爆弾投下後も、アメリカは第三の原爆を落とす準備に入ろうとしていたが、日本の降伏により、投下はされなかった(もはや一発も残っていなかったとの説もある)。広島への原爆投下後、日本は短波放送で広島の惨状を世界に伝えた。 「原爆が投下されたとき、小学生は校庭
海運関連株増田として喧々諤々して貰った増田です。 実はあの日、利確していてアレがそのまま当方の利益となっている。 もちろん元手400万円くらいだけでココまで増えた。いわゆる追い銭はなし。 買っていた銘柄トラバやはてブの中で銘柄言ってないから論があったので言うけれど、主に買っていたのは以下のとおり。 海運日本郵船、川崎汽船、商船三井など 製造トヨタ、デンソーなど 重工業川崎重工業、三菱重工業など 製鉄日本製鐵など デイトレードはしていた「デイトレードでもしないと無理」のように言われてしまったことが逆に意外だったが「四半期短信ごとに上昇」や「出来れば中長期でやろう」と言及していたわけで、主に四半期短信が発表される前後で株価の動向を日々確認して前述の銘柄をグルグル回していた。 つまり、四半期短信の前後という期間を絞ったものではあるけれどデイトレードと言える程度には頻繁に売買をしていた。 なぜ今の
広島に原爆が投下されて8月6日で79年となります。国際情勢が緊迫化し、核兵器廃絶に向けた道のりが厳しさを増す中、被爆地・広島では、核兵器が二度と使われてはならないという思いを強い危機感を持って国内外に訴えます。 広島に原爆が投下されて79年となる6日、広島市の平和公園には、朝早くから被爆者や遺族が訪れ、祈りをささげていました。 40代の孫とともに平和公園に来た広島市安佐北区の95歳の被爆者の女性は、「女学生のときに被爆しました。広島の街の中は皮が剥げた人が大勢いて、ひどいありさまでした。20代のころから欠かさず8月6日には平和公園を訪れていますが、来年は来られるかどうかわかりません。世の中が幸せになってくれればと願っています」と話していました。 また、20歳で被爆した母親がことし亡くなったという広島市の75歳の男性は、「これまではいたたまれない気持ちで慰霊碑に来たくなかったが、ことし母が亡
戦後79年の今夏、漫画「はだしのゲン」を基にした講談を語ってきた講談師の神田香織さん(69)が、広島への原爆投下から終戦までを題材にした「総集編―ふまれても麦のように生きろ!ゲン」を18年ぶりに口演する。きっかけは昨年、広島市の子ども向け教材「ひろしま平和ノート」から、ゲンの漫画が削除されたこと。「私自身の生き方を否定されたよう。正当な理由がないのなら元に戻して」。8月2日、思いを込めて高座に上がる。(ライター・神野栄子) 香織さんは1986年以降、広島に原爆が投下された8月6日の惨状のくだりを講談にした「本編」の口演を続けている。一方、投下から終戦までの「総集編」は、被爆して差別されるアマチュア画家の政二(せいじ)をゲンが世話をする話が中心。2005年に故郷の福島で初演したが、「原爆投下に焦点を当てた本編のリクエストが多かった」と、06年以降は演じてこなかった。
文=Business Journal編集部、協力=増田幸美/日本プルーフポイント・チーフエヴァンジェリスト KADOKAWAの臨時ポータルサイトより ハッカー集団からマルウェアを含むサイバー攻撃を受け情報漏洩が起きているKADOKAWAは12日、ハッカー集団が公開した情報の拡散行為を行う者に刑事告訴・刑事告発をはじめとする法的措置を取る方針を表明した。250人体制でシステムの再構築に取り組むなか、システムのセキュリティに関する高いスキルを持つエンジニアに月額報酬300万円を提示して採用しようとしているとの報道も出ているが(11日付「SmartFLASH」記事より)、求人サイトでも全社的なセキュリティ対策のマネジメントを担う人材を応募しており、従前からの同社のセキュリティ対策面での人的投資・体制整備が疎かになっていたのではないかという指摘も出ている。 KADOKAWAにサイバー攻撃を行ったと
原爆の被害者には被爆者援護法が適用されるが、この法律が成立したのは1994年で、終戦の49年後と遅い。作家の山我浩さんは「1955年から三淵嘉子裁判官らが担当し『原爆投下は国際法違反』とした原爆裁判の判決は、日米両政府が原爆の責任から目をそむける中で下された画期的な判決。その後の被害者救済にもつながった」という――。 ※本稿は、山我浩『原爆裁判 アメリカの大罪を裁いた三淵嘉子』(毎日ワンズ)の一部を再編集したものです。 広島、長崎の被爆者が国家に賠償を求めた有名な裁判 「原爆裁判」は、昭和30年代、原爆投下の違法性が初めて法廷で争われた国家賠償訴訟の通称名である。その資料は担当した松井康浩弁護士から日本反核法律家協会が預かり、現在は会長の大久保賢一弁護士の事務所で保管されている。 本来裁判所が保管すべきものだが、近年、全国の裁判所で裁判記録の大量廃棄が明らかになっている。この原爆裁判の記録
Military & Defense Team [原文] (翻訳:まいるす・ゑびす、編集:Business Insider Japan) Aug. 09, 2024, 07:30 AM 国際 79年前の今日、1945年8月9日、米軍は長崎に原爆を投下した。3日前の広島に続いて —— 。 「ファットマン」「リトルボーイ」で知られるこれらの原子爆弾は、日本の南、北マリアナ諸島のテニアン島にあるノースフィールド飛行場で積み込まれた。 これまで、原爆が投下される前の様子はあまり知られていなかった。 Business InsiderのMilitary&Defenseチームは、AlternativeWars.comがまとめた投稿を参考に、これまでに公開されている画像を集めた。 これは、核兵器が実際に使用された、唯一の事例の貴重な記録だ。 現代史における最も重要な瞬間に備える人々の姿を捉えた画像を、紹介
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く