百人一首第73番目の歌の作者は前中納言匡房さきのちゅうなごんまさふさです。 後三条天皇、白河天皇ら諸天皇に使えました。 漢学者としては当代随一と言われました。 今回は前中納言匡房について紹介します。 前中納言(大江)匡房とは 生年が1041年、没年は1111年。 大江匡衡と赤染衛門(百人一首59番目の歌の作者)の曾孫です。 大江家は代々学者の家系。 国房もまた学者として高く評価されていました。 子供の頃には神童とも呼ばれていました。 後冷泉天皇、後三条天皇、白河天皇、堀河天皇、鳥羽天皇らに支えました。 特に白河天皇期および退位後の院政期には、その意見が重用されていたようです。 晩年、大宰権帥を務め上げ正二位に叙位されます。 任期後に、所領をめぐり興福寺西金堂衆と対立し、荘園を襲われるということがあったようです。 その後、再び大宰権帥に任官されますが、病気もあって下向できず、しばらくして亡く