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  • 仏法の種をまいた名僧、高田好胤(4) - 大和徒然草子

    皆さんこんにちは。 百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興という空前の事業を興した、薬師寺管長高田好胤とはどのような人物だったのか。 前回は、結婚、そしてテレビ出演によって全国的な知名度を得るようになり、薬師寺副住職として活躍する好胤の姿をご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 副住職になったあと、独創的な方法で精力的に仏法を広める活動を展開する好胤は、いよいよ白鳳伽藍復興に取り組むこととなります。 金堂復興の誓い 百万巻写経勧進 金堂復興の誓い 好胤の師であり、薬師寺住職であった橋本凝胤は、70歳を目前にしたころから糖尿病を患っていたこともあり、体力的な衰えを自覚するようになっていました。 そういうこともあってか、好胤には折に触れて住職をゆずりたいと言っていましたが、都度、好胤は断っていました。 橋本凝胤は南都仏教の金看板。師の引退は仏教会全体の損失と好胤は考えてい

      仏法の種をまいた名僧、高田好胤(4) - 大和徒然草子
    • 馬部隆弘『椿井文書』(中公新書) 7点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

      5月4 馬部隆弘『椿井文書』(中公新書) 7点 カテゴリ:歴史・宗教7点 副題に「日本最大級の偽文書」とあるように、江戸時代につくられた偽文書をめぐる本になります。 偽文書というと古代の津軽にヤマト政権から逃れた文明があったとする「東日流外三郡誌」のような荒唐無稽なものを想像しますが、この椿井文書は、中世の寺の絵図や大寺院の末寺を示す文書、家系図など、なんとなくありそうなもので、しかも、それらが互いに関連性をもっています。そのため、一部では貴重な史料として使われ、史跡の認定や自治体史などにもこの椿井文書が使われているのです。 本書は、その椿井文書について、著者がそれに気づいた経緯、実際の内容、なぜつくられ、なぜ受容されたのか、そして現在への影響まで幅広く論じたものになります。扱っている文書が派手なものではないため、最初は頭に入りにくい部分もあるかもしれませんが、非常に重要な問題を提起してい

      • 変わる室町時代のイメージ 応仁の乱で焼け野原は大げさ?|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞

        かつての山鉾巡行の形態をとどめる綾傘鉾。にぎやかな風流囃子物の雰囲気を伝える(17日、京都市下京区・四条通河原町交差点)=撮影・安達雅文 足利氏が京都に幕府を開いた室町時代のイメージが変わってきている。文献や考古の研究調査が進み、教科書の記述や伝承とは違った見解が示されている。応仁の乱や祇園祭山鉾巡行、北山・東山文化を例に、歴史家に知見の一端をひもといてもらうと…。 京都で「先の戦争」と評されることもある応仁の乱(1467~77年)。将軍や有力者の跡目争いや対立に端を発した争乱は幕府の権威を失墜させ、乱世のきっかけになった。この歴史的な評価は変わらないものの「京が焼け野原になった」との言い回しはやや大げさかもしれない。 近年は「応仁・文明の乱」と表記するように、二つの元号にわたって11年ほど続いたが、史料にある洛中の戦火は応仁年間の2年間に集中し、文明の9年間は劇的に減ったようだ。被害状況

          変わる室町時代のイメージ 応仁の乱で焼け野原は大げさ?|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞
        • 平家物語の建付け・構造 - やしお

          今年の2月に兵藤裕己『平家物語 <語り>のテクスト』を読んですごく面白かった。平家物語のバリエーションの違いや生成される過程も考えて、平家物語がどういうテクスト・構造になっているのかを見ていく営みになっている。 その頃はアニメの『平家物語』もやっていたり、大河ドラマの『鎌倉殿の13人』も源平合戦あたりだったり、その後アニメ映画の『犬王』が公開されたり、ちょうど平家物語に絡む作品も多く公開されていた時期でもあった。 すごく面白かったけど、本書はシーケンシャルな(あまり整理されていない)書かれ方になっていて、もう少し全体を自分なりに整理して把握したいと思って、まとめ直し始めていたものの途中で放置してしまった。整理しきれていなくても、自分で参照できるように(年をまたがないうちに)置いておこうと思った。 本書は1998年の刊行で、ひょっとすると実証的な部分でその後研究が進んで否定されている事実関係

            平家物語の建付け・構造 - やしお
          • 徳川幕府と宗教都市・京都 家光によって完成された都の景観 - こうへいブログ 京都案内と文章研究について

            本山と末寺 何千という寺院が密集する、世界的にも珍しい宗教都市である京都。 その京都に立ち並ぶ寺院の注目すべき特色、他とは違う点とはいったいなんなのでしょう。 それは、全国の子寺を統一する寺院、つまり「本山」寺院が多く存在するということがあげられます。 なかには地方に何千という末寺を持つ大規模な寺院もあり、一生に一度は本山参りといって京都を訪れる檀家の人も多いのです。 つまり、本山 ― 末寺 ― 檀家 というラインですね。 有名な神社というのも、明治になるまでは神仏習合で寺も社も一体だったのですから同じ意味合いを持ちます。 逆にいえば、そういう大寺院や大社が存在し無ければ、京都という都市は、本質的にはなんら特徴を持たない都市となってしまうわけです。 檀家とは、先祖の菩提を弔うために特定の寺を持ち、葬式や法事をするときにその寺からお坊さんに来てもらう家のことをいいます。 つまり、その寺が檀那

              徳川幕府と宗教都市・京都 家光によって完成された都の景観 - こうへいブログ 京都案内と文章研究について  
            • 仏教の戦争責任⑤ 寺に残る「砲弾」と「天皇の位牌」(鵜飼秀徳) - エキスパート - Yahoo!ニュース

              寺に残る戦争の痕跡 戦時中は多くの寺が銃後運動を熱心に推進した。その戦争の痕跡は地域の末寺にも残されている。それが「顕彰碑」「天牌」「戦時戒名」「奥津城」などである。戦利品の砲弾を祀ったり、大規模な防空壕が残っていたりする寺もある。戦争の痕跡を求めて全国の寺院を訪ねた。 戦地における勇士らを讃えた「顕彰碑」が今なお、残っている寺がある。顕彰碑は特に日露戦争時に多くつくられた。太平洋戦争が始まり戦局が悪化すると、顕彰碑をつくるための人材も余裕もなくなり、あまり顕彰碑はつくられていない。 能や歌舞伎の演目でも知られる和歌山県にある道成寺には、日清・日露戦争時の大きな顕彰碑がある。その顕彰碑の台座には、日露戦争時のロシア軍の砲弾が埋め込まれている。これは1904(明治37)年の旅順攻囲戦でロシア軍を撃破した時の戦利品だ。この顕彰碑の前では戦時中、陸軍主導で、戦意発揚のための追悼法要が実施されてい

                仏教の戦争責任⑤ 寺に残る「砲弾」と「天皇の位牌」(鵜飼秀徳) - エキスパート - Yahoo!ニュース
              • 中世大和一向宗の拠点・吉野。蓮如創建の飯貝御坊・本善寺は美しい桜と近世真宗建築の宝庫 - 大和徒然草子

                皆さんこんにちは。 吉野で仏教といえば、金峯山寺を中心とした山岳信仰のイメージが強いですよね。 その一方で、吉野が中世、本願寺教団(一向宗)門徒の一大拠点だったということを、ほとんどの方はご存知ないかと思います。 鎌倉時代に親鸞が興した浄土真宗は、室町時代に入ると本願寺8世法主蓮如により、大きく全国へその教線を伸ばしました。 しかし、古代から興福寺、東大寺といった大寺院の勢力が強かった奈良、大和国への進出は難しく、北和地域への本格的な進出は興福寺の力が衰える戦国後期まで果たせませんでした。 そんな大和で本願寺教団が最初に教線を伸ばしたのが、北和に比べて南都仏教の影響が小さかった南部の吉野地域です。 その吉野で蓮如が布教拠点として創建したのが、奈良県吉野町の飯貝御坊・本善寺でした。 本善寺は下市御坊・願行寺と並んで吉野の一向宗門徒の拠点であり、中世から近世にかけて大和国における本願寺教団の寺

                  中世大和一向宗の拠点・吉野。蓮如創建の飯貝御坊・本善寺は美しい桜と近世真宗建築の宝庫 - 大和徒然草子
                • 【泉蔵寺】東国花の寺『チューリップ寺』参拝 - ぶらりうぉーかー

                  こんにちは。神奈川県秦野市にある『泉蔵寺』へ参拝に行ってきました。 「チューリップ寺」と呼ばれる『泉蔵寺』は「東国花の寺・百ヶ寺」のひとつに選定されています。西洋的な雰囲気の花「チューリップ」とお寺の組合せもなかなか新鮮。青空の下、境内にたくさんのチューリップが咲き誇る風景が印象的でした。 泉蔵寺の駐車場付近 『泉蔵寺』の駐車場は、本堂から少し離れた場所にあります。石仏と満開の黄色いチューリップがお出迎えしてくれました。よ~く見ると、チューリップを見やる石仏の眼差しが、優し気ですね。 駐車場から坂を上って、本堂へ向かいます。 チューリップ畑 途中、綺麗なチューリップ畑が広がっていました。ここも『泉蔵寺』の敷地のようです。 チューリップ畑は、山間の静かな場所にあります。朝7時過ぎなので、まだチューリップ畑には太陽の光は差し込んでいません。日の当たる日中に開くのかな。 密集して植わっているので

                    【泉蔵寺】東国花の寺『チューリップ寺』参拝 - ぶらりうぉーかー
                  • お布施の「目安」で葛藤する築地本願寺――仏教と人々の間の大きなズレ - 薄井秀夫|論座アーカイブ

                    ホームページから消されたお布施の金額 新型コロナウイルスの感染拡大は、仏教界にも大きな影響をあたえた。特に一周忌などの年忌法要は三密の状態になりがちのため、法要を自粛するという家が相次ぎ、各地のお寺で活動が大きく停滞した。同時に、故人を偲ぶ法要が突然無くなってしまったことで、満たされない思いを残す遺族も少なくなかったようだ。 そんな中で、東京の築地本願寺がオンライン法要を始めたことは、仏教のコロナ対策としてメディアでも話題となった(拙稿「オンライン法要をめぐる憂鬱――コロナ禍で揺れる仏教界」参照)。儀式は築地本願寺で行うが、依頼者や親類は自宅にいたまま、オンラインを通してモニター越しに参列するというものだ。 僧侶とは直接会わずに法要を行うので、お布施をどう渡すかが気になるところだが、築地本願寺のホームページによると、「お布施額 3万円以上(銀行振込又は現金書留にて)」とあり、お布施を振り込

                      お布施の「目安」で葛藤する築地本願寺――仏教と人々の間の大きなズレ - 薄井秀夫|論座アーカイブ
                    • 智積院 京都府京都市東山区妙法院前側町 - 墳丘からの眺め

                      川床を堪能した夜は京都の智積院会館に泊まり、"朝のお勤め”に参加。 朝のお勤め | 真言宗智山派 総本山智積院 智積院(ちしゃくいん)の解説 智積院 真言宗智山派の総本山で全国に3000余の末寺がある。もと紀州根来山の学頭寺智積院であったが、豊臣秀吉の焼き討ちに遭い、学頭玄侑僧正は難を京都に避け、後に徳川家康の帰依を受けて慶長6年(1601)に豊国神社境内の坊舎と土地を与えられ、智積院を再興した。その後、祥雲禅寺を拝領し現在に至っている。 祥雲禅寺は、秀吉が長男鶴松(棄丸)の菩提を弔うため建立した寺で当時は都第一といわれた。 収蔵庫にある豪華な襖絵(国宝)は祥雲禅寺以来のもので、長谷川等伯並びに一門の筆といわれ、桃山時代の代表的障壁画として知られている。このほか、張即之筆金剛経(国宝)、南画の祖をいわれる王維の瀧図(重要文化財)をはじめ、仏画・経巻など多数の指定文化財を蔵している。 庭園(

                        智積院 京都府京都市東山区妙法院前側町 - 墳丘からの眺め
                      • 僧兵とは何か~中世寺院の仁義なき戦い - 大和徒然草子

                        皆さんこんにちは。 僧兵と聞いて、どんなイメージを持たれるでしょう。 記事先頭の絵巻に描かれたように、五条袈裟を頭に巻いた、裏頭(かとう)と呼ばれる装束で、薙刀や槍で武装した僧侶の姿を思い浮かべる方が多いんじゃないでしょうか。 源義経に仕えたと伝承される武蔵坊弁慶など、まさにこのイメージですね。 平安時代末期には南都北嶺と呼ばれた奈良の興福寺と比叡山延暦寺の僧兵は、時に朝廷をも屈服させる武威を振るい、中世までは諸国の大寺院は必ずと言ってよいほど僧兵を抱えて、武士とともに主要な武装勢力といえました。 寺の意に沿わないことがあれば、武装して押しかけるというイメージが強いかと思いますが、どうして彼らが強力な武力を身に着けていったのかは意外と知られていないんじゃないでしょうか。 僧兵の誕生 東大寺、興福寺の抗争 山門と寺門の争い 南都北嶺の抗争 僧兵たちの黄昏 僧兵の誕生 そもそも、本来殺生を戒め

                          僧兵とは何か~中世寺院の仁義なき戦い - 大和徒然草子
                        • Kanji for Temple: 寺 (Tera)

                          The Japanese Kanji for “temple” is 寺. The Kunyomi or the Japanese pronunciation of the Kanji 寺 is tera (てら), and the Onyomi (Chinese) pronunciation is ji (ジ). Temple’s Kanji is part of JLPT N2 and is taught in grade 2 in Japanese schools. Origin of Shape 寺 Temple’s Kanji 寺 is constructed with 6 strokes. At first glance, the construction of the Kanji 寺 seems to have two Kanji characters as follows:

                            Kanji for Temple: 寺 (Tera)
                          • 浜名湖一周して来ました!! - vhosi’s blog

                            こんばんは! 今日はひな祭りですネ~~!! 私のお雛様は何年か前に処分しました😭  スーパーにありました!! 昨日浜名湖一周してきました。 天気も良かったし~~爽快でしたyo~~!! 昨日はチラッとですが…富士山が見えましたyo~~!!🙌🙌 でもでも…昨日の一番の目的は舘山寺…eeee~~ナニ~~?? 舘山寺と云うからには…お寺があるんでは??と… そのお寺へ行ってみたかったんですyo~~!! 今までも舘山寺は何回も行ってます(主がパルパル・ロープウェイ) ロープウェイはパルパルから出てます。 舘山寺温泉もぶらついてますネ~~!! お寺が何処かにある筈と舘山寺温泉街を🚙ゆっくり走ってました~~ぁ!! 迷惑だと思うでしょう…(*´σー`)エヘヘ でもね~~ぇ~…みんなやってるんですyo~~!!←ウッソ~~??…ホ・ン・ト!! この先は…ナビを見ても前を見ても突き当りです~~… と思っ

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                            • 医王寺は”いにしえ”を感じさせてくれる「東海の苔寺」家康自ら浄財を出して再興を援助 - sannigoのアラ還日記

                              こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の家康公ゆかりの地は、静岡県磐田市鎌田にある真言宗智山派の『鎌田山金剛院醫王寺(かまださんこんごういんいおうじ)』です。ご本尊は薬師如来で遠江薬師霊場第四十六番札所にもなります。 家康公ゆかりなのはどうして?と思われるでしょう。それは、元亀3年(1572年)のあの有名な『三方原の戦い』でのこと。武田信玄勢の兵火にかかり、こちら醫王寺の伽藍はことごとく焼失したのですが、そこで、のちの天正12年(1584年)、徳川家康は兵火による焼失をいたく惜しまれ、自ら浄財を出して再興を援助されたのでした。 現在の醫王寺(医王寺)は、約8000坪もの平地に”いにしえ”を感じさせてくれる客殿や庫裡が続き、参道には石畳が敷き詰められ「東海の苔寺」といわれるだけあって、スギ苔が発しているであろうマイナスイオンをたっぷりと味わうことができま

                                医王寺は”いにしえ”を感じさせてくれる「東海の苔寺」家康自ら浄財を出して再興を援助 - sannigoのアラ還日記
                              • 總持寺で掃除した思い出+A猪木の墓+禅カフェなど - なーまんのEye-Level

                                実家の菩提寺は曹洞宗(^_^) 大本山は福井の永平寺ですが・・・ 曹洞宗にはもうひとつ大本山があります。 ここは川崎市のすぐ隣、横浜市鶴見区鶴見。 JR 鶴見駅から徒歩5分! 曹洞宗大本山總持寺にやって来ました! JR線や京急線がひっきりなしに通る横浜の下町。 禅寺の静寂とはかけ離れた場所に何故大本山が? そもそも大本山が何故二つあるのか? 曹洞宗では永平寺を開いた道玄禅師を高祖、總持寺を開いた螢山禅師を太祖とお呼びするそうですm(_ _)m 中華帝国の皇帝みたいですね (^^;; 自分は釈迦の「正法」を伝えている! 道玄の強い自負心は比叡山の弾圧を招き、鎌倉幕府の御家人波多野義重の寄進を受け、越前に永平寺を開いたのでした。 曹洞宗を飛躍的に発展させたのが四代目の瑩山禅師! ja.wikipedia.org ウィキペディアによると、永平寺に所属する寺院数は1,300で總持寺の末寺は13,8

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                                • 西教寺に涼をとりにいこう!2023納涼風鈴参道通り抜け

                                  今年の夏も猛暑が続くみたいでエアコンの効いた室内にこもりたくなりますが、そんな夏こそあえて外出してみませんか? 今回は滋賀県大津市にある天台真盛総本山西教寺の「2023納涼風鈴参道通り抜け」のイベントについてご紹介します。西教寺では2000個の風鈴による色鮮やかで涼しい景色を堪能することが出来ますよ。 天台真盛総本山西教寺ってどんなお寺? 天台真盛総本山西教寺は、正しくは天台真盛宗総本山戎光山兼法勝西教寺(てんだいしんせいしゅうそうほんざんかいこうさんけんほっしょうさいきょうじ)といいます。 聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。その後久しく荒廃していましたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。 恵心僧都も入寺、修行されたところから次第に栄えるようになりました。鎌倉時代の正中2年(1325年)に入寺された恵鎮(円観)上人は伝教大師が終生の事

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                                  • 長谷寺 奈良県桜井市初瀬 - 墳丘からの眺め

                                    前回の室生寺参拝後、長谷寺の門前町の旅館の泊まり、翌朝に長谷寺にて朝の勤行を参拝。 祈りの回廊のご案内|奈良大和路の花の御寺 総本山 長谷寺 仁王門を見上げて。 長谷寺縁起。 長谷寺略縁起 当山は朱鳥元年(686)天武天皇の御願により道明上人によって創建され、それより約50年の後、徳道上人が聖武天皇の勅願をうけ、楠の霊木をもって十一面観世音菩薩の尊像を造立し、大伽藍を建立してお祀りになりました。 御本尊は御身丈三丈三尺(10m余)右手に錫杖を持ち、大磐石の上に立つお姿で霊験あらたかなことはつとに有名である、古典文学の代表である源氏物語や枕草子などにも「初瀬詣」として語られています。 また長谷観音の信仰は全国に広まり、ご分身を奉祀する寺院は鎌倉の長谷寺など百数十ヶ寺を数えます。 花山法皇は当山に深く帰依され 「いくたびも まいる心は はつせ寺 山の誓いも 深き谷川」と一首を詠んでたたえられま

                                      長谷寺 奈良県桜井市初瀬 - 墳丘からの眺め
                                    • 地下にご本尊!?安藤忠雄氏による斬新な設計の【水御堂みずみどう】を持つ【本福寺】 - ほぼ旅かなり旅ぜんぶ旅手帳

                                      淡路島にある真言宗 別格本山 本福寺へ行ってきました。 このお寺を有名にしているのは ハスの花が咲くコンクリート製の水盤の下にある本堂。 水盤の中央から階段を降りたところが ご本尊・薬師如来を安置する地下の本堂という なんとも奇抜な設計は 安藤忠雄建築研究所によるもので 1991平成3年の竣工。 初めて写真を見たときから 寺院とかけ離れたつくりに興味を持ち 水御堂という美しい響きにも惹かれて いつか行ってみたいと思っていたのです。 それで ついに時が来た!とはやる気持ちをおさえつつ しかし4月のことで ハスの花には早過ぎることはわかっていましたけど まさか、ね? 水盤の半分が水抜き清掃中だなんて・・・・ 鉢植えがあらわになって見苦しくないですか? だけど せっかく来たんだし おそらく最初で最後かもと思い直して 有料の地下の本堂も拝観してきました。 ご本尊のある内陣は撮影不可で 建物の写真は

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                                      • 鶴岡八幡宮の神社本庁離脱で懸念され始めた伊勢神宮「式年遷宮」の危機(島田 裕巳) @gendai_biz

                                        著名神社離脱が続く恐れ 鎌倉の名所、鶴岡八幡宮が神社本庁を離脱するということがニュースになった。鶴岡八幡宮の側はその理由を明らかにしていないが、そこにここ数年続いてきた神社本庁における内紛がかかわっていることは間違いない。 この出来事は、これから述べていくように、神社界にとって重大で深刻な事態を招き兼ねないのである。 神社本庁という名称からは、公的な機関であるかのように感じられるかもしれないが、民間の一宗教法人である。宗教法人には包括法人と被包括法人の二つの種類があり、神社本庁は包括法人になる。全国にある8万社近くの神社が被包括法人として神社本庁に加盟している。仏教宗派で言えば、神社本庁が本山で、各神社は末寺にあたる。 内紛は、2015年に神社本庁が職員の宿舎を売却したことにはじまる。その売却にかんして、神社本庁の上層部と業者が癒着していることを内部告発した幹部職員がいた。神社本庁はそうし

                                          鶴岡八幡宮の神社本庁離脱で懸念され始めた伊勢神宮「式年遷宮」の危機(島田 裕巳) @gendai_biz
                                        • 柳本賢治の大和侵攻と天文一揆~大和武士の興亡(12) - 大和徒然草子

                                          1507(永正4)年の細川政元暗殺(永正の錯乱)から始まる細川京兆家家督を巡る争いで、ライバルの細川澄元を阿波へ撃退した細川高国は、10代将軍・足利義稙をも京から追い出して新将軍・足利義晴を擁立するなど、20年にわたって京都で政権を握りました。 しかし、家中の内紛から1527(大永7)年に高国政権は内部から崩れ、阿波に逼塞していた細川澄元遺児・晴元と三好元長が桂川原の戦いで将軍・義晴と高国を撃破すると、義晴、高国は近江へ逃亡。 高国政権は崩壊して晴元方が京都の支配権を握り優勢となります。 高国政権崩壊により高国の意向で結ばれた筒井氏と越智氏の同盟はほころびを見せ、1529(享禄元)年に筒井順興は領土的野心から河内の畠山稙長と結んで越智領へ侵攻。 再び筒井と越智の抗争が再燃しました。 柳本賢治の大和侵攻 梟雄・木沢長政の登場 天文の大和一向一揆 参考文献 柳本賢治の大和侵攻 桂川原の戦いで将

                                            柳本賢治の大和侵攻と天文一揆~大和武士の興亡(12) - 大和徒然草子
                                          • 朝倉郡東峰村宝珠山 岩屋神社 - 松村かえるの「かえるのねどこ」

                                            大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) 岩屋神社の境内は広く、複数の境内社があります。免許を取ってすぐ練習がてら来た場所で、高所恐怖症の身には恐ろしく、それきり足が向かなかった場所です。 「神社めぐり」シリーズも近場で未訪問の場所がどんどん減り、思い切って行くことにしました。 現在は「岩屋神社」ですが、江戸時代までは「宝珠山宝泉寺大宝院岩屋三所大権現社」という天台宗の寺院でした。 明治政府がやらかした日本史上の一大汚点、廃仏毀釈により打ち捨てられた仏像は、村人により一部が守られ、現在、首や胴体が割れた姿で山中に祀り直されています。 寺院としての歴史はながく、中国・北魏からの渡来僧 善正(ぜんせい)が、英彦山を開山した翌年(532年)に始まったといいますから、約1,500年続いていることになります。 神社の御神体である宝珠石(ほうしゅせき、星の玉

                                              朝倉郡東峰村宝珠山 岩屋神社 - 松村かえるの「かえるのねどこ」
                                            • 戦国大和の覇者・筒井順昭~大和武士の興亡(14) - 大和徒然草子

                                              畠山総州家の守護代から身を興し、河内大和を支配して畿内屈指の実力者に成長した木沢長政は、将軍・足利義晴擁立を目論み細川晴元に反逆しましたが畿内で孤立。1542(天文11)年3月、政敵・三好長慶に太平寺の戦いで敗れ、敢え無い最期を遂げました。 長政死後、同年12月には、細川晴元と細川京兆家当主を争って敗れた細川高国の養子で喜連城(現大阪市平野区)主だった細川氏綱(高国の従兄弟・細川尹賢の子)が旧高国派の勢力を糾合して挙兵。摂津、和泉、山城では細川氏の家臣団が晴元派と氏綱派に分かれ、再び細川京兆家当主の座を巡って争いが勃発するのです。 如願寺(境内は喜連城の主郭想定地) 一方、大和では木沢長政による支配がその死によって一瞬で瓦解し、長政と同盟を結んでじわじわと勢力を広げていた筒井順昭と、長政の侵攻に対抗して領土を広げていた十市遠忠が当時の大和国人衆の中では一歩抜きんでた状態となっていました。

                                                戦国大和の覇者・筒井順昭~大和武士の興亡(14) - 大和徒然草子
                                              • みんなで盛り上げる大河ドラマ館ってことで応援イラストをチョークで書いてきた - sannigoのアラ還日記

                                                こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 2023年放送予定の「どうする家康」。主役はあの嵐のマツジュンこと松本潤氏ですでに撮影が始まっているそうです。 やはり徳川家康といえば、愛知県の岡崎城、静岡県の駿府城がよく知られているのですが、じつは家康がまだ若い29~45才の頃、激しい戦いを生き延びて、やがて江戸幕府を開き現在の平和な時代を築く足がかりを掴んだ浜松城も忘れてはいけません。 「どうする家康」ドラマ館建設予定地に描かれた文字 「期待と希望の応援メッセージプロジェクト」 浜松城 浜松『家康の散歩道』 【遠州鉄道】遠州病院前からスタート 「期待と希望の応援メッセージプロジェクト」 住まいのある浜松では、6月25日(土)に令和5年にオープンする大河ドラマ館の建設敷地内で、「期待と希望の応援メッセージプロジェクト」と称して、通路のアスファルトに発光チョークを使って

                                                  みんなで盛り上げる大河ドラマ館ってことで応援イラストをチョークで書いてきた - sannigoのアラ還日記
                                                • 【骨になるまで・日本の火葬秘史】寺はもう弔いだけでは食べていけない (1/1)| 女性セブンプラス

                                                  【女性セブン連載『骨になるまで 日本火葬秘史』第11回 】多死社会を迎え「送り方」やその後の「お墓のあり方」が多様化するなか、死者のための「祈り」の形も新たな局面を迎えている。葬儀や墓を通じてしか寺や僧侶との接点を持たない人が多い現代において、弔いの簡素化により、宗教そのものも変質を迫られている。ジャーナリストの伊藤博敏氏がリポートする。 * * * 「寺院消滅」が現実化しつつある。信徒数が減少、葬儀の簡素化などで各寺院の収入が減るなか僧侶のなり手がいない。「食えない仕事」が淘汰されるのは自然の理だ。 単一宗教宗派としては日本最大の約1万4600ヵ寺を持つ曹洞宗は、昨年末に発表した「若手僧侶に関する動向調査」で、「僧侶数の縮小スピードが早まっており20年後に僧侶数は40%減少する」と推定した。 梶龍輔・駒澤大学非常勤講師も今年1月、2022年までの40年間の曹洞宗や浄土真宗大谷派(約890

                                                    【骨になるまで・日本の火葬秘史】寺はもう弔いだけでは食べていけない (1/1)| 女性セブンプラス
                                                  • お参りで「マイリ」が貯まる…信仰のポイント化へ批判「覚悟の上」(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

                                                    若者の生活様式の変化や、コロナ禍による寺社離れに歯止めをかけようと、伝統ある仏教教団や有名神社が、参拝を促すスマートフォンアプリの導入を進めている。来店ポイントのように参拝日数に応じて特典と交換できるものもあり、「お参りをポイント化」することで、信仰心の醸成につなげたい考えだ。(渋谷聖都子) 【写真】浄土宗が計画する公式アプリのイメージ 檀家(だんか)の減少に悩む仏教寺院では、浄土宗(総本山・知恩院、京都市東山区)が2024年の開宗850年に向けた事業の一環として、今年秋に無料アプリを導入する計画だ。6月から約7000の全末寺に登録を呼びかけ、これまで一般公開したことがない寺にも気軽にお参りできるようにする。 「そうだ、浄土宗寺院を巡ろう」と題し、GPS(全地球測位システム)機能で各寺へ誘導。門前にたどり着くだけで「参礼寺(まいれいじ)ポイント」が付与される。さらに本堂などでQRコードを読

                                                      お参りで「マイリ」が貯まる…信仰のポイント化へ批判「覚悟の上」(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
                                                    • 戦国時代の悲劇”21歳の若さで切腹した信康”を供養するため家康が建立した『清瀧寺』 - sannigoのアラ還日記

                                                      🕖2023/03/27    🔄2023/03/30 こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 桜が咲き始めたと喜んだのもつかの間、雨続きで満開の桜をまだ愛でることができていませんが、今週こそビール片手に夜桜を!と意気込んでいるところです。 春分の日に『JRさわやかウォーキング』で訪れた天竜二俣は、『どうする家康』によりかなりの盛り上がりを見せ、天浜線[二俣駅]や、二俣城址は人でごった返しており感動でした。 今回は、その天竜二俣で今も愛され続けている武将、家康公の長男でありながら21歳の若さで切腹した信康公が祀られている『清瀧寺』について調べていきます。 さらに、家康は、どうして『長篠の合戦』の3年後に、実の息子の信康に自害を命じなければならなかったのでしょうか?その理由についても調べていますので、のんびりご覧になってください。 清瀧寺に掲げられた扁額 清瀧

                                                        戦国時代の悲劇”21歳の若さで切腹した信康”を供養するため家康が建立した『清瀧寺』 - sannigoのアラ還日記
                                                      • 【滋賀県 2023年】 秋の絶景・風物詩10選 - 「和子の日記」

                                                        【特別篇】 ◆ 永源寺 🍁 永源寺。 寺院を彩る紅葉のグラデーション 暑い夏が過ぎ、秋風が心地いい季節。旅をしたい気持ちが 高まってきました。 紅葉や秋祭り、収穫のよろこびなど、日本には たくさんの美しい秋の絶景・風物詩があります。自粛中に、そんな日本の 魅力に気付いた人も多いかもしれません。 「いつか」ではなく、今度の旅行の参考に。私たちを待っている秋ならではの 豊かな景色をお楽しみください! 「永源寺」は、全国に127の末寺を擁する臨済宗永源寺派の大本山。 豊かな自然に包まれた寺院で、関西有数の紅葉の名所である。 立派な山門をくぐると、目の前に広がるのは鮮やかな紅葉のグラデーション。 永源寺の木々は一本一本が大きく、ダイナミックな紅葉が楽しめる。 特に開山堂前の「開山御手植の楓」や境内裏看門付近の紅葉が見事だ。 また、見ごろに合わせて、「観楓特別公開」も実施。多彩なカエデに 彩られた

                                                          【滋賀県 2023年】 秋の絶景・風物詩10選 - 「和子の日記」
                                                        • 「陶隆房と大寧寺の変」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

                                                          室町時代に防長ニ州(周防国、長門国・山口県)を含めて西中国地方や北九州を勢力下に置いた大々名大内氏の当主・義隆を、家臣の陶隆房(すえたかふさ・後に晴賢・はるかた)が、天文20年(1551)自刃に追い込んだ下剋上(げこくじょう)事件は、義隆が自刃した場所の名を取って「大寧寺(たいねいじ)の変」と呼ばれる。 この事件は結果的に安芸国(あきのくに・広島県)を本拠地としていた毛利氏の防長両国への進出に繋がり、長期の視点で見ると幕末から明治維新の長州藩の活躍に至っており、云わば山口県史の画期と言えなくもない。 湯本温泉の近くにある大寧寺には中学の同窓会の折りに訪れたことがあったり、同級生に陶氏の家臣だったとの伝承を持つ人が居たり、厚狭毛利家の菩提寺・洞玄寺(とうげんじ)は大寧寺の末寺であること等々何かと縁があり、このブログでも何度か陶隆房に触れた事がある。 昨日、山口県地方史学会の機関誌「山口県地方

                                                            「陶隆房と大寧寺の変」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
                                                          • 吉松の熊野神社・内小野寺跡、木崎原の戦いの前に島津義弘が戦勝を祈願した - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

                                                            鹿児島県北部の山間に「湧水町」という自治体がある。2005年に吉松町と栗野町の合併により発足したもので、湧水が多い地域であることから新町名もつけられている。このあたりは霧島連山の西麓に位置し、山々が蓄えた水が湧出する。湧水町内では栗野(くりの)の丸池湧水(まるいけゆうすい)、吉松(よしまつ)の竹中池湧水(たけなかいけゆうすい)が知られている。 竹中池湧水の近くにある熊野神社(くまのじんじゃ)は素敵な場所である。境内に湧水が湧き、なんとも心地良い雰囲気なのだ。かつてここには内小野寺(うちおのじ)もあった。島津義弘(しまづよしひろ)も崇敬した場所でもある。 内小野寺は明治時代初めの廃仏毀釈で廃寺となり、熊野神社のみが残る。かつての様子は『三国名勝図会』の絵図で確認できる。 『三国名勝図会』より内小野寺(国立国会図書館デジタルコレクション) 『三国名勝図会』とは鹿児島藩(薩摩藩)が編纂させた地誌

                                                              吉松の熊野神社・内小野寺跡、木崎原の戦いの前に島津義弘が戦勝を祈願した - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
                                                            • 椿井文書~奥深い偽文書の世界 - 大和徒然草子

                                                              皆さんこんにちは。 歴史や地域のブログ記事を書いていると、自治体の発行している自治体史や旧跡の案内板で、古地図や古文書による由緒などを目にすることが多々あります。 基本的にそれらを目にするとき、絵図なら本物で、由緒書きは本当にあった、もしくはそのように地域で古来伝えられてきたと認識することが多いでしょう。 特に、専門家たちの手により編纂された自治体史の記述など、疑いなく受け入れる方がほとんどではないでしょうか。 しかし、それらの記述の根拠となる史料が、後世捏造された偽文書だったとしたらと考えると、空恐ろしい気持ちになります。 そんな恐ろしいことが実際に起きてしまい、いまだにその影響が続いている事例として知られるのが、椿井文書という一連の偽文書になります。 椿井文書は江戸時代末期に、椿井政隆が「創作」し、山城から近江、河内、大和と広範な地域に膨大な数が流布した偽文書群で、多くの自治体史で史料

                                                                椿井文書~奥深い偽文書の世界 - 大和徒然草子
                                                              • 高良神社 - 神社奉拝

                                                                福岡県久留米市に鎮座する神社。 式内名神、筑後国一宮、旧国幣大社。 高良玉垂命 を主神とする。 ご神紋は「横木瓜」(ご神紋の画像は家紋市場より)。 参道と境内 境内まで 一の鳥居 社号標 御手洗橋・放生池 二の鳥居 高良山本坊跡 境内 三の鳥居 由緒書 手水舎 社務所 授与所 祈祷殿 高良大社宝物館 獅子狛犬 中門 拝殿 庇下 正殿 摂社・末社 神社概要 由緒 アクセス 出典 参道と境内 境内まで 耳納山地の西端・高良山中腹に鎮座する古社。 一の鳥居 最初の鳥居は県道750号線上に。一般的な明神鳥居ではあるが額が鳥居に対して大きめ。明暦元年(1655年)久留米藩第2代藩主 有馬忠頼が寄進。 社号標 昭和3年(1938年)6月とある。 御手洗橋・放生池 安永年間(1772 - 1780年)に久留米藩が元々谷であったこの地を整備し放生池を営んだ。享和3年(1803年)に石橋ができた。 二の鳥居

                                                                  高良神社 - 神社奉拝
                                                                • 東山文化を象徴する「銀閣寺」 - 知ってわかる日本の良さ Kazu68’s diary

                                                                  東山文化を象徴する「銀閣寺」 銀閣寺は、京都府京都市左京区銀閣寺町にある寺院です。 正式名称は東山慈照寺といい、臨済宗相国寺の塔頭寺院の一つです。 銀閣寺という名称は、京都にある金閣寺に対して銀閣寺と呼ばれるようになったのが由来です。 古都京都の文化財として世界遺産にも登録されている銀閣寺は、金閣寺、西本願寺内の飛雲閣と並んで京都の三閣と言われています。 国宝に指定されている観音殿、庭園の中でも目を引く砂山、向月台など、沢山の見どころがある銀閣寺の歴史や見どころを掘り下げて紹介します。 銀閣寺とは 銀閣寺は、京都府京都市左京区銀閣寺町にある臨済宗相国寺派の寺院です。 足利将軍家ゆかりの寺、相国寺の境外塔頭にあたる銀閣寺は、室町後期に栄えた東山文化を象徴する寺院です。 正式名称が「慈照寺」というこの寺院は、華やかな北山文化の象徴とされる金閣寺に対して、銀閣寺と呼ばれるようになったそうです。

                                                                    東山文化を象徴する「銀閣寺」 - 知ってわかる日本の良さ Kazu68’s diary
                                                                  • 出たぁ!さわやかウォーキングで立ち寄った『白岩寺』に残る「幽霊の掛け軸」の怖ーい話 - sannigoのアラ還日記

                                                                    こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 先日、いつもの「さわやかウォーキング」でバラの丘公園のコースに参加、途中かなりの急坂を登り『白岩寺(はくがんじ)』に立ち寄りお参りしてきました。が、そこで、いくつかの不穏なことばを耳にして、ゾッとした経験を書いていきます。 トレッキングシューズを履き、服装や帽子から「さわやかウォーキング」常連と思われる50歳代の女性は、「幽霊」「掛け軸」「たたり」などの言葉を発しながら、笑顔で本殿らしい建物の前を行ったり来たりしていました。お連れ様もいらっしゃるようで「おかしいね」「今回は残念だ」と話しかけています。 ちょっと怖いんですけど!幽霊が出るの?なんなの?と思いつつも、境内の景色の良い場所で友人と放しながらおにぎりをいただくと、そんなことはすっかり忘れ、その後のウォーキングを楽しみ無事に帰宅しました。 帰宅後ふとした瞬間に「幽

                                                                      出たぁ!さわやかウォーキングで立ち寄った『白岩寺』に残る「幽霊の掛け軸」の怖ーい話 - sannigoのアラ還日記
                                                                    • 福王寺 - sannigoのアラ還日記

                                                                      こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回ご紹介する地元の神社・仏閣は、静岡県磐田市城之崎にあり千年の歴史を持つ古刹『風祭山福王寺』です。 『福王寺』は真言宗高野山の末寺として734〜748(天平6〜20年)聖武天皇の勅命により行基菩薩がこの地を訪れ薬師如来の霊験ありとし、御本尊として祀ったのが始まりと伝えられています。 遠州三十三観音霊場めぐりの18番札所だからでしょうか?紅葉の時期だったからでしょうか?訪れた12月初旬はかなりの人で賑わっていました。 なんと!平安時代の984年(永観2年)開創当時に、福王寺での陰陽師安倍晴明の御祈祷によりとてつもなくなかなか治まらなかった暴風雨が鎮められ、以来山号も「風祭山」と称するようになったそうです。その時の御祈祷の旧跡が境内の西の小高い処に今も苔むして残り、毎年3月8日に風祭りの行事がおこなわれていると聞きます。

                                                                        福王寺 - sannigoのアラ還日記
                                                                      • 【麒麟がくる 第四回】ネタバレ 感想 東庵先生の大御所感が凄い | サユリスト.com

                                                                        麒麟がくる 第四回「尾張潜入指令」ネタバレ 感想 前回のおさらい 父によって夫・土岐頼純を殺された帰蝶は明智荘を訪ね、光秀や駒、牧らとつかの間の楽しいひとときを過ごし、笑顔を取り戻す。 一方、道三は、頼純に代わってより扱いやすい土岐頼芸を美濃の新しい守護として擁立しようとする。 内心道三のことを嫌う頼芸は、義龍に自分が実の父親であるかのようにほのめかす。 かねてより道三に不満を持ち、また道三が実の父でないかもしれないという疑念を持った義龍は、「道三に代わって美濃の国を支える。その折にはそなたに力になってもらいたい。」と光秀に打ち明ける。 ネタバレあらすじ 小豆坂の戦い 天文17年、今川軍と織田軍が激突した小豆坂の戦いが起こりました。 結果は引き分けで終わったが、特に織田方の痛手は大きかったようです。 道三と東庵の駆け引き 光秀が明智荘の野山で鉄砲の試し打ちをしていると、叔父の光安が呼んでい

                                                                          【麒麟がくる 第四回】ネタバレ 感想 東庵先生の大御所感が凄い | サユリスト.com
                                                                        • 信長ゆかりの古刹取り壊し問題 メディアも惑わす偽書疑惑のある書物とは?(Yahoo!ニュース オリジナル THE PAGE)

                                                                          愛知県江南市にある織田信長ゆかりの古刹「久昌寺(きゅうしょうじ)」。廃寺の過程で、安土桃山時代の天正期(1573~1592年)の古材が使われていることがわかったとして、建物の取り壊しの是非をめぐる議論が沸き起こっている。 その議論の中で新聞やテレビに頻繁に出てくるのが、信長の側室「吉乃(きつの)」という名前。しかし、この名前を巡っては、かねてより偽書疑惑が指摘されているある書物の存在が大きくかかわっている。メディアも惑わされている歴史の真偽について、当事者への直接取材などを基にあらためて検証してみた。 久昌寺は織田信長の側室で、長男、次男、長女を生んだとされる生駒家3代当主家宗の娘(戒名・久菴桂昌大禅定尼=きゅうあんけいしょうだいぜんじょうに)を弔うために、1566(永禄9)年に信長から菩提寺にするよう命じられて再建された寺で、代々生駒家が管理してきた。この生駒家は、4代の家長が信長の義理

                                                                            信長ゆかりの古刹取り壊し問題 メディアも惑わす偽書疑惑のある書物とは?(Yahoo!ニュース オリジナル THE PAGE)
                                                                          • 最上等級の神社体験!赤尾渋垂郡辺神社で心洗われる #神社 - sannigoのアラ還日記

                                                                            こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回ご参拝した神社は、袋井市最大の神社・静岡神社庁指定は最上等級という、なんとも長い名前で名誉ある『赤尾渋垂郡辺(あかべしぶたれこうりべ)神社』です。 袋井といえば、日本の伝統的な夏の風物詩の「風鈴」をモチーフに「遠州三山 風鈴まつり」で盛り上がっている「法多山・可睡齋・油山寺」を思い浮かべる方も多いでしょう。かくいう私も初詣や紅葉狩りで訪れるのは決まって「法多山」か「可睡斎」で、失礼ながらこちらの『赤尾渋垂郡辺神社』は全く存じあげませんでした。 先日家康ゆかりの『許禰神社』を訪ねた際の下調べ中に、いきなりネット上に現れた神社で、とても長い神社名が気にかかりました。こちらの神社ですが、合祀・境内社合わせてですが、なんと19柱もの神様をお祀りしているのです。 これは、最近のマイブーム「古事記」や「日本書紀」の勉強になりそ

                                                                              最上等級の神社体験!赤尾渋垂郡辺神社で心洗われる #神社 - sannigoのアラ還日記
                                                                            • 家康公は、徳川家ゆかりの長光山妙恩寺を2回も訪れているんですって - sannigoのアラ還日記

                                                                              🕖2022/12/14    🔄2022/12/27 こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 年末らしく寒くなってきた今回の家康公ゆかりの浜松は、家康公が2回も訪ねている浜松市東区天龍川町の『長光山妙恩寺』です。 浜松市民にとっては、武田信玄との一言坂での負け戦で浜松城へ逃げ帰る途中、妙恩寺に逃げ込んだ家康公が、天井裏に入って無事に浜松城まで戻ることができたという史実や、「丸に二引き」の寺紋の伝承のお寺と言ったほうがわかるかも!? では、さっそく徳川家康公ゆかりの妙恩寺は、日蓮宗のお寺ってところから始めましょう。 徳川家康が17年間居城とした青空の下の浜松城[写真AC] 徳川家ゆかりの長光山妙恩寺(ちょうこうざんみょうおんじ) 日蓮宗妙恩寺 見どころは? 妙恩寺蔵の文化財 家康とのゆかり 日蓮宗の家紋は「井筒に橘」 妙恩寺の寺紋は「丸に二引き」 《妙音寺の

                                                                                家康公は、徳川家ゆかりの長光山妙恩寺を2回も訪れているんですって - sannigoのアラ還日記
                                                                              • 加治木の長年寺跡、山号の「松齢山」は島津義弘の法名から - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

                                                                                大隅国加治木(かじき)に松齢山長年寺(しょうれいざんちょうねんじ)という寺院があった。現在の鹿児島県姶良市加治木町木田のあたりだ。ここは加治木島津家の菩提寺。寺院跡には墓所が残っている。国史跡にも指定されている。 ちなみに山号の「松齢山」は、島津義弘(しまづよしひろ)の法名「松齢自貞庵主」から。 島津義弘の位牌を置く 加治木島津家の菩提寺 長年寺の墓地へ 島津都美の墓と亀趺碑 椿窓院殿供養塔 島津義弘の位牌を置く もともとは「鳳凰山大樹寺」(「大寿寺」とも)と号し、加治木城(かじきじょう、姶良市加治木町反土)の東麓にあったという。 島津義弘は慶長12年(1607年)より加治木館(姶良市加治木町仮屋町)に住み、ここで晩年を過ごした。加治木に入った際に大樹寺に禄高などを寄進している。 その後、島津家久(いえひさ、島津忠恒、ただつね)は、父の島津義弘(法名は「松齢自貞庵主」)と母の実窓夫人(じっ

                                                                                  加治木の長年寺跡、山号の「松齢山」は島津義弘の法名から - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。