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松岡正剛の検索結果1 - 40 件 / 67件

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松岡正剛に関するエントリは67件あります。 思想社会 などが関連タグです。 人気エントリには 『(訃報)松岡正剛 逝去のお知らせ | 編集工学研究所』などがあります。
  • (訃報)松岡正剛 逝去のお知らせ | 編集工学研究所

    松岡正剛は、2024年8⽉12⽇(⽉)、東京都内病院にて肺炎のため逝去いたしました。⽣前のご厚誼に深謝し、謹んでお知らせ申し上げます。 通夜および葬儀は近親者のみにて執り⾏われましたので、訃報のご連絡も法要後とさせていただきました。何卒ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。 また、誠に勝⼿ながら、ご遺族の強い意向により、ご供花、ご供物、ご⾹典、ご弔電、ご弔問等は固くご辞退させていただきます。何卒よろしくお願い申し上げます。 記 故⼈⽒名:松岡 正剛(まつおか せいごう) ⽣年⽉⽇:1944(昭和19)年1⽉25⽇(享年80) 出⾝地:京都市 死亡⽇時:2024年8⽉12⽇ 午後1時53分 死因:肺炎 なお現時点で⽇時・場所等の詳細は未定ですが、後⽇「お別れの会」を予定しております。 <略歴> 編集⼯学者。編集⼯学研究所所⻑、イシス編集学校校⻑、⾓川武蔵野ミュージアム館⻑。 70 年代に

      (訃報)松岡正剛 逝去のお知らせ | 編集工学研究所
    • (訃報)松岡正剛 逝去のお知らせ | セイゴオちゃんねる

      松岡正剛が、2024年8月12日(月)午後1時53分、東京都内の病院で肺炎のため逝去しました。 すでに松岡自身が「千夜千冊」で明らかにしてきましたように、松岡は2017年に肺癌の手術を受けて以来、幾度かの癌再発に見舞われてきました。そのたびに治療のため一時的に仕事を中断したものの、退院後はただちに仕事の前線に戻り、さらに苛烈な編集・執筆を自分に課すという生き方を貫きました。そうして、最初の肺癌以降、じつに40冊もの書籍を世に送り出すという多産ぶりを発揮してきました。 今年になってまた新たな癌を抱えることになりましたが、あいかわらず休養もせず、日々、言葉を紡ぎ、イメージを編み、それを多くの場で多くの人びとに伝え続けました。2カ月前に肺炎を患ってからは療養生活が続いていましたが、それでも片時も本とペンとノートを手放したことはありませんでした。 松岡は、つねにたくさんの計画を携えていました。書籍

      • ♯8:松岡正剛さん | ele-king

        たとえば林檎を描くとする。赤い林檎をそのまま正面から描くか、ひと口かじったそれを描くか、あるいは緑の林檎にするか、それとも半分に割った林檎にするか、その描き方にはいろいろある。編集者というのは、「(ほかの描き方も複数あるが)今回はこの林檎でいこう」だ。35年前に松岡さんから聞かされたこの喩えが、いまでも頭にこびり付いている。流動性のなかにこそ編集の極意あり。存在の流動化、存在から存在学へ、ほうき星の存在学。編集者は、言うなれば仮面から仮面へ、惑星から惑星へ、そして灰から灰へと渡り歩くことができる。だが、真を追求するアカデミアの研究者はそうはいかない。だからこの発想には両義性がある。 編集者のテクニックのひとつに、コピーライティングがある。松岡さんは権威的な文体や難読漢字の多用を嫌い、メディアの武器であり資本主義の道具でもあるこの文章技術に入れ込んでいた。目次に凝るのが好きで、ときには雑誌の

          ♯8:松岡正剛さん | ele-king
        • 地上的絶望ではなく遊星的失望に向けて——追悼・松岡正剛|後藤護

          『中央公論』2022年10月号掲載の松岡正剛×高山宏対談の収録風景。高山先生が猫柄シャツを着ていて、自分は虎柄シャツを着ていたのもあり、帰り際に「師弟でシャツのセンスが似てるな(笑)」と松岡さんに言われたのを、とてもよく覚えている。またお会いできると思っていた。 画像出典:『セイゴオちゃんねる』【PUBLISHING】セイゴオのメディア掲載情報(9月~10月)あがた森魚、高山宏、138億年のかけら https://seigowchannel-neo.com/publishing/4772 8月16日に學魔・高山宏先生から届いた手紙にこうあった。 12日、小生の半生を引っくりかえすような事態生じ、すっかり考えこみ、落ち込んでゐる。十日もすれば読書界が引っくり返るよ!きみとも関係なくはない話!荒俣も小生も、どうすることになるのか。 2024年8月14日消印「荒俣も小生も」という部分でなんとなく

            地上的絶望ではなく遊星的失望に向けて——追悼・松岡正剛|後藤護
          • 松岡正剛×村井純 スペシャル・ロング対談: 日本とデジタル――新型コロナパンデミック、デジタル庁始動に寄せて <第1話>「技術先進国のはずがいつの間にか後進国」

              松岡正剛×村井純 スペシャル・ロング対談: 日本とデジタル――新型コロナパンデミック、デジタル庁始動に寄せて <第1話>「技術先進国のはずがいつの間にか後進国」
            • 「松岡正剛は何をした人なの」と聞かれたらなんと答えればいいのか|bxjp

              松岡正剛が8月12日に肺炎で亡くなりました。80歳。悲しい。100歳まで生きるんじゃないかと思っていました。 「著述家」などと書いてありますが、なんですかね、著述家って。文章を書くことが松岡正剛の仕事の中心だとでも言うのでしょうか。もし知っている人が肩書をつけるならば「編集者」だと思います。 松岡正剛は間違いなく「編集」に特化した人物です。この「編集」の意味が世間一般的な意味とはズレるため、わかりにくいことは認めます。一般的には「複数の素材を取捨選択・関連付けて配置し、一つの企画にまとめること」だと思います。では松岡正剛の「編集」とは何なんでしょうか? その話の前にひとつ。村上春樹が佐々木マキの作品を初めて見た時のショックについて後年書いたテキストで印象深い一節があります。 僕が佐々木マキのマンガから感じたのはこういうことだったーーのだろうと僕は今思う。つまり〈表現すべきことがない時、人は

                「松岡正剛は何をした人なの」と聞かれたらなんと答えればいいのか|bxjp
              • 松岡正剛の千夜千冊

                先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

                • 松岡正剛の千夜千冊

                  先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

                    松岡正剛の千夜千冊
                  • 松岡正剛×村井純 スペシャル・ロング対談「デジタルで一変する世界の景色」 日本とデジタル――新型コロナパンデミック、デジタル庁始動に寄せて<第2話>

                      松岡正剛×村井純 スペシャル・ロング対談「デジタルで一変する世界の景色」 日本とデジタル――新型コロナパンデミック、デジタル庁始動に寄せて<第2話>
                    • 外国人が見抜いた「日本」を「変な国」にさせている「3つの原因」…日本を支配する「フィクション」(松岡 正剛)

                      日本文化はハイコンテキストである。 一見、わかりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。「わび・さび」「数寄」「まねび」……この国の〈深い魅力〉を解読する! *本記事は松岡正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。 日本を支配するフィクション カレル・ヴァン・ウォルフレンに『日本/権力構造の謎』(早川書房)という二冊組の本があります。ウォルフレンはオランダの新聞の極東特派員をながく務めて、「フォーリン・アフェアーズ」の1986~89年の冬号に書いた「ジャパン・プロブレム」が評判になったので、これを機に本格的に日本の権力構造の歴史と現在にとりくんだジャーナリストです。 ウォルフレンの言う「ジャパン・プロブレム」とは、80年代の日本に疑問をぶつけたもので、自動車をはじめとする日本の輸出品の優位がアメリカの怒りを招き、いわゆる

                        外国人が見抜いた「日本」を「変な国」にさせている「3つの原因」…日本を支配する「フィクション」(松岡 正剛)
                      • 松岡正剛の訃報について - 関内関外日記

                        私たちは一人一人がイメージ・プロセッサーである。外から入ってきた情報をいつのまにかプロセッシングをしている。これを情報処理という。どのように処理しているのであろうか。 ごく一般的には、最初に外界からの入力刺戟があり、そこで入力済みの情報の呼び出しと検索がおこり、その中から情報の連合のためのパターン・マッチングをおこしていると考えられる。これがコンピュータ・サイエンスや認知科学が承認している処理方法だ。 しかし、私は〈編集〉はそこから先でこそ活躍するものだと思っている。パターン・マッチングまでなら従来のコンピュータでも可能であるが、そこから先が重要なのだ。だいたい「情報処理」という言葉が気にいらない。〈情報編集〉とすべきだ。私たちは一人一人がイメージ・エディティング・プロセッサーであり、イメージ・プロセッシング・エディターなのである。 『知の編集工学』 知の編集工学 増補版 (朝日文庫) 作

                          松岡正剛の訃報について - 関内関外日記
                        • 松岡正剛×村井純 スペシャル・ロング対談「人類とデジタルと日本」 日本とデジタル――新型コロナパンデミック、デジタル庁始動に寄せて<第3話>

                            松岡正剛×村井純 スペシャル・ロング対談「人類とデジタルと日本」 日本とデジタル――新型コロナパンデミック、デジタル庁始動に寄せて<第3話>
                          • 松岡正剛の千夜千冊

                            先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

                              松岡正剛の千夜千冊
                            • 松岡正剛の千夜千冊

                              先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

                                松岡正剛の千夜千冊
                              • 1766夜 『近代の〈物神事実〉崇拝について』 ブリュノ・ラトゥール − 松岡正剛の千夜千冊

                                先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

                                  1766夜 『近代の〈物神事実〉崇拝について』 ブリュノ・ラトゥール − 松岡正剛の千夜千冊
                                • 外国人が見抜いた「日本」を「変な国」にさせている「3つの原因」(松岡 正剛)

                                  日本文化はハイコンテキストで、一見、分かりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。「わび・さび」「数寄」「まねび」……、この国の「深い魅力」を解読する! *本記事は松岡 正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。 日本を支配するフィクション カレル・ヴァン・ウォルフレンに『日本/権力構造の謎』(早川書房)という二冊組の本があります。ウォルフレンはオランダの新聞の極東特派員をながく務めて、「フォーリン・アフェアーズ」の一九八六~八九年の冬号に書いた「ジャパン・プロブレム」が評判になったので、これを機に本格的に日本の権力構造の歴史と現在にとりくんだジャーナリストです。 ウォルフレンの言う「ジャパン・プロブレム」とは、八〇年代の日本に疑問をぶつけたもので、自動車をはじめとする日本の輸出品の優位がアメリカの怒りを招き、いわゆるジ

                                    外国人が見抜いた「日本」を「変な国」にさせている「3つの原因」(松岡 正剛)
                                  • なぜ「日本」は「ヤマト」と呼ばれたのか…「国の名前」をめぐる意外な歴史(松岡 正剛)

                                    日本文化はハイコンテキストで、一見、分かりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。「わび・さび」「数寄」「まねび」……、この国の「深い魅力」を解読する! *本記事は松岡 正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。 国号「日本」の成立 ニホンかニッポンか、どう発音するかはべつとして、「日本」という国号はどこで決まったのかというと、七世紀後半から八世紀あたりです。それまでは「倭」です。自称していたわけではなく、中国の歴史書の『後漢書』倭伝、『魏志』倭人伝、『隋書』倭国伝などが、日本のことを「倭」と、日本人を「倭人」と示したので、それに従っていたのです。「倭の五王」のように中国の皇帝から将軍名をもらっていた時期もありました。 当時の倭国は、朝鮮半島の百済や半島南端の加羅(加耶)諸国と軍事的にも交易的にもアライアンスを結んでいて

                                      なぜ「日本」は「ヤマト」と呼ばれたのか…「国の名前」をめぐる意外な歴史(松岡 正剛)
                                    • 追悼・松岡正剛氏 「本とは何か」インタビュー再録

                                      2024年8月、松岡正剛さん逝去の報を受け、深い喪失感の中にいる。「編集工学」を提唱し、縦横無尽に日本文化などを論じた“知の巨人”。享年80。ここに掲載するのは2012年春、松岡さんに「本とは何か」をテーマに語っていただいた記事である。書評「千夜千冊」をライフワークとした“読書の達人”の言葉は干支が一巡りする時を経てもなお、古びず冴えてしなやかに、“知の海”へ漕ぎ出さんとする者を力づけ、誘う。心よりの哀悼の意を表しつつ、紹介したい。(聞き手:坂巻正伸/写真:尾関祐治/初出:日経BP「日経ビジネスアソシエ」2012年5月号) 本は思考の始点 正解を求めるな 本とは何か。いかにつき合うべきか。編集工学研究所所長の松岡正剛さんに聞いた。「本は裏切る」「つながりで捉えよ」「全身で読め」。その真意を、じっくりと。 読書に懐疑的な人たちは「丸々1冊読む時間がもったいないし、役に立たない本だったら時間の

                                        追悼・松岡正剛氏 「本とは何か」インタビュー再録
                                      • 松岡正剛の千夜千冊

                                        先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

                                          松岡正剛の千夜千冊
                                        • 松岡正剛の千夜千冊

                                          先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

                                            松岡正剛の千夜千冊
                                          • Amazon.co.jp: 情報の歴史21: 象形文字から仮想現実まで: 編集工学研究所 (著), イシス編集学校 (著), 松岡正剛 (監修), 編集工学研究所 (編集), イシス編集学校 (編集): 本

                                              Amazon.co.jp: 情報の歴史21: 象形文字から仮想現実まで: 編集工学研究所 (著), イシス編集学校 (著), 松岡正剛 (監修), 編集工学研究所 (編集), イシス編集学校 (編集): 本
                                            • 松岡正剛さん死去、80歳 著述家、編集工学者 | 共同通信

                                              Published 2024/08/21 10:29 (JST) Updated 2024/08/21 15:26 (JST) 「編集工学」を提唱し、情報や宗教、美術など幅広い分野で日本文化を論じた、著述家の松岡正剛(まつおか・せいごう)さんが12日午後1時53分、肺炎のため東京都の病院で死去した。80歳。京都市出身。葬儀は近親者で行った。後日、お別れの会を開く予定。 早稲田大を中退し、1971年に雑誌「遊」を創刊。「編集工学」を提唱し、87年に編集工学研究所を設立した。 2000年には、インターネット上で毎日1冊ずつ紹介する読書案内「千夜千冊」を開始し、ライフワークになった。 20年に開館した文化複合施設「角川武蔵野ミュージアム」(埼玉県)の館長を務めた。

                                                松岡正剛さん死去、80歳 著述家、編集工学者 | 共同通信
                                              • 1757夜 『ブッダが考えたこと』 リチャード・ゴンブリッチ − 松岡正剛の千夜千冊

                                                先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

                                                  1757夜 『ブッダが考えたこと』 リチャード・ゴンブリッチ − 松岡正剛の千夜千冊
                                                • 1785夜『現代アートとは何か』小崎哲哉|松岡正剛の千夜千冊

                                                  ヴェネツィアで見て、バーゼルで買う。 これが現代アート業界の合言葉だ。ヴェネツィア・ビエンナーレで品定めをし(隔年開催)、アート・バーゼルでめぼしい作品を手に入れる(毎年開催)。2つのフェアの開催地と開催期が近いこともあって、いつのまにかここにアートビジネスのグローバルな日付変更線だか変動相場制だかが、賑やかに、曰くありげに、生き馬の目を抜くようにできあがっていた。 ヴェネツィア・ビエンナーレは国単位で出展される。各国のパビリオンには毎年コミッショナーやディレクターが選ばれてコンセプトやテーマを設定し、それにふさわしいアーティストたちが制作にあたる。一方のアート・バーゼルには世界中の300近いトップギャラリーが参加するが、招待状がなければ入れない(いまはアート・バーゼル香港、アート・バーゼルマイアミ・ビーチもある)。 どちらも画商とお金が動くが、むろんそれだけではない。アーティストも批評家

                                                  • 1787夜 『ネガティブ・ケイパビリティ』 帚木蓬生 − 松岡正剛の千夜千冊

                                                    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

                                                    • 松岡正剛の千夜千冊

                                                      先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

                                                        松岡正剛の千夜千冊
                                                      • 松岡正剛が語る、日本文化に必要な心意気と長い文章の強み 「過激な表現があってこそ、中道も見えてくる」

                                                        編集工学研究所所長/イシス編集学校校長として、編集技術のあらゆる可能性を追求してきた松岡正剛が、自身のライフワークでもある書評サイト「松岡正剛の千夜千冊」にて、書評を通じてコロナ禍に対する考えを述べている。2020年3月18日には『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)を、6月12日には『千夜千冊エディション 宇宙と素粒子』(角川ソフィア文庫)を上梓するなど、著述家としてもますます精力的に活動する松岡正剛に、今の日本文化に必要な心意気、「松岡正剛の千夜千冊」が常に重厚な読み物となっている理由、同サイトでも言及したコロナ禍についての意見、そしてこれからの編集者の心構えについてまで、たっぷりと話を訊いた。(編集部) トゥーマッチな表現を追求する力がなくなってきている ――『日本文化の核心』では、例えば第11講「かぶいて候」で「いまの日本社会にはバサラ(中世の派手な

                                                          松岡正剛が語る、日本文化に必要な心意気と長い文章の強み 「過激な表現があってこそ、中道も見えてくる」
                                                        • 「日本」は「一神教の国」でも「多神教の国」でもない…あまりに不思議な「その実態」(松岡 正剛)

                                                          日本文化はハイコンテキストで、一見、分かりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。「わび・さび」「数寄」「まねび」……、この国の「深い魅力」を解読する! *本記事は松岡 正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。 多神多仏の国 日本は一神教の国でもなく多神教の国でもなく「多神多仏の国」です。神国でもなく、仏国土でもありません。そのように主張した人々はいましたが、その思いや狙いはべつとして、結果として多神多仏なのです。 その「結果として」は、けっこう昔からのことでした。八世紀や九世紀に神宮寺ができて、神前読経が始まったころから(神の前で仏教の経典を読んでいたのです)、多神多仏なのです。八百万の神々がいるだけではなく、そこに仏教、道教、民間信仰のイコン(聖像)たちがまじりあってきた。石ころも鰯のアタマもまじってきた。 そのせ

                                                            「日本」は「一神教の国」でも「多神教の国」でもない…あまりに不思議な「その実態」(松岡 正剛)
                                                          • 松岡正剛が読み解く、「日本文化の核心」に迫るための手がかり(松岡 正剛)

                                                            「ワビ」「サビ」など、難解でわかりにくいと思われがちな日本文化。その核心にはなにがあるのか、「濃い日本(ディープ・ジャパン)」の特色とはなにか。日本文化に精通した「知の巨人」松岡正剛氏が語る。 日本文化としての「たらこスパゲッティ」 1970年代のおわりのころだと思いますが、渋谷の「壁の穴」という小さなお店で「たらこスパゲッティ」を初めて食べたとき、いたく感動してしまいました。バターとたらこでくるめたパスタに極細切りの海苔がふわふわと生きもののように躍っている。それをフォークではなく箸で食べる。なにより刻み海苔がすばらしい。よしよし、これで日本はなんとかなる、そう確信したものです。そのうち各地の小さなラーメン屋が独特ラーメンを次々につくりだした。 まもなくコム・デ・ギャルソンやイッセイやヨウジがすばらしいモードを提供しはじめました。世界中にないものでした。また井上陽水や忌野清志郎や桑田佳祐

                                                              松岡正剛が読み解く、「日本文化の核心」に迫るための手がかり(松岡 正剛)
                                                            • 松岡正剛の千夜千冊

                                                              先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

                                                                松岡正剛の千夜千冊
                                                              • 松岡正剛の千夜千冊

                                                                先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

                                                                  松岡正剛の千夜千冊
                                                                • 著述家 松岡正剛さん死去 80歳「編集工学」の方法論など | NHK

                                                                  「編集工学」の方法論や、書籍紹介サイト「千夜千冊」などで知られる著述家の松岡正剛さんが今月肺炎のため亡くなりました。80歳でした。 松岡さんは京都市の出身で、早稲田大学を中退したあと、1971年に雑誌「遊」を創刊し編集長を務めました。 1987年には編集工学研究所を設立、生命や歴史、文化などさまざまな情報を編集して組み合わせる「編集工学」の方法論を提唱したほか、日本文化を独自の視点で読み解く著作を次々と発表しました。 2000年からはウェブサイト上で書籍を紹介する「千夜千冊」の連載を始め、先月までに合わせて1850冊を取り上げました。 また「編集工学」についてオンラインで学べる学校を立ち上げたほか、埼玉県にある「角川武蔵野ミュージアム」の館長も務めていました。 松岡さんの事務所によりますと、松岡さんはがんを公表してからも活動を続けてきましたが、2か月前に肺炎を患い今月12日に東京都内の病院

                                                                    著述家 松岡正剛さん死去 80歳「編集工学」の方法論など | NHK
                                                                  • 1833夜 『日本の数学 西洋の数学』 村田全 − 松岡正剛の千夜千冊

                                                                    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

                                                                    • 1768夜 『文化の「発見」』 吉田憲司 − 松岡正剛の千夜千冊

                                                                      先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

                                                                        1768夜 『文化の「発見」』 吉田憲司 − 松岡正剛の千夜千冊
                                                                      • 松岡正剛の千夜千冊

                                                                        先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

                                                                          松岡正剛の千夜千冊
                                                                        • 中国人には予想もつかなかった…!日本人が起こした「前代未聞の表現革命」の中身(松岡 正剛)

                                                                          日本文化はハイコンテキストである。 一見、わかりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。「わび・さび」「数寄」「まねび」……この国の〈深い魅力〉を解読する! *本記事は松岡正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。 中国語を「リミックス」する 『日本書記』の推古天皇28年(620)に、聖徳太子と蘇我馬子が『天皇記』と『国記』の編述にとりくんだという記事があります。どんな人物が筆記したのかはわからないのですが、180部をつくり、臣や連、伴造や国造に配る予定でした。 このとき、おそらく中国語ではない「中国的日本語のような記述」が誕生したのだろうと思います。いわばチャイニーズ・ジャパニーズです。ただし、この『天皇記』と『国記』は乙巳の変(大化改新)のとき、蘇我蝦夷の家とともに焼けてしまった。 まことに残念なことですが、さいわい

                                                                            中国人には予想もつかなかった…!日本人が起こした「前代未聞の表現革命」の中身(松岡 正剛)
                                                                          • 1802夜 『日本仏教入門』 末木文美士 − 松岡正剛の千夜千冊

                                                                            先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

                                                                            • 松岡正剛の千夜千冊

                                                                              先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

                                                                                松岡正剛の千夜千冊
                                                                              • 松岡正剛の千夜千冊

                                                                                先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

                                                                                  松岡正剛の千夜千冊
                                                                                • 1764夜 『ホモ・デジタリスの時代』 ダニエル・コーエン − 松岡正剛の千夜千冊

                                                                                  先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

                                                                                    1764夜 『ホモ・デジタリスの時代』 ダニエル・コーエン − 松岡正剛の千夜千冊

                                                                                  新着記事