先日、テレビを見ていると、「明智光秀が生き延びて天海になった」という説を紹介していた。大変驚いて倒れそうになったが、たしかな根拠のないデタラメである。以下、なぜデタラメなのか考えてみよう。 ■そもそも天海とは 天海は、生年不詳。天文5年(1536)誕生説が有力で、寛永20年(1643)に亡くなった。これが事実ならば、100歳を超える長命だった。とにかく長生きしたのは事実だ。 なお、光秀も生年不詳。享禄元年(1528)誕生説が有力なので、天海より10歳ほど年長である。ほぼ同時代に生きた人物なのは、たしかなことであろう。 天海は天台宗の僧侶で、徳川家康の側近として活躍し、懐刀といわれたほどである。さらに、秀忠、家光の3代にわたって徳川家に仕え、江戸幕府の宗教政策に貢献した。 光秀が天正10年(1582)6月の山崎の戦い後も、生き延びて天海になったという説は、大正15年(1916)に刊行された須