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牧野省三の検索結果201 - 240 件 / 301件

  • 東京エスノ : 「金光教」教祖の末裔を逮捕 高2男子に買春行為

    2011年05月20日11:15 「金光教」教祖の末裔を逮捕 高2男子に買春行為 カテゴリニュー速+ 【社会】 「金光教」教祖の末裔、高2男子を買春…広島 1 :☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★:2011/05/19(木) 20:39:04.29 ID:???0 金光教教祖の末裔が高2男子に買春行為 広島県警福山東署は19日、男子高校生にいかがわしい行為をしたとして、児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で、岡山県浅口市金光町、宗教団体「金光教」職員金光国広容疑者(62)を逮捕した。 逮捕容疑は、4月15日、広島県福山市内のホテルで、高校2年の男子生徒(16)に数万円を渡し、いかがわしい行為をした疑い。 同署によると、今年1月に携帯電話の出会い系サイトを通じて知り合い、事件前も数回会っていた。事件後に生徒の保護者から相談があり、発覚した。 金光教によると、金光容疑者は教祖の末

      東京エスノ : 「金光教」教祖の末裔を逮捕 高2男子に買春行為
    • 圧巻!ラストの十数分にも及ぶ大立ち回り 「雄呂血」

      【牧野省三没後90年 よみがえるマキノ映画の神髄】 日本映画の父、牧野省三は1908年、日本初の職業映画監督となり、尾上松之助の忍者映画などで人気を得た。しかし荒唐無稽で大仰な見得をきる歌舞伎調の松之助映画は次第に時代遅れとなっていく。 日活を退社し、マキノ映画を設立した牧野は、独立プロとして新たなスターを世に送り出す。バンツマこと阪東妻三郎だった。 代表作『雄呂血』(1925年)は牧野が総指揮をとったチャンバラ無声映画の傑作だ。 主人公の下級武士、久利富平三郎(阪東)は恩師の誕生日祝いの席で、家老の息子に嫌がらせをされて、ケンカ騒動を起こす。しかし家老に遠慮する周囲の証言で、結局平三郎が騒動の張本人とされてしまう。その後、恋しい恩師の娘を中傷した侍を懲らしめたところ、恩師からも誤解されて破門となった彼は無頼の暮らしを送ることに。ところがスリ、侠客(きょうかく)、関わる者たちに次々と裏切ら

        圧巻!ラストの十数分にも及ぶ大立ち回り 「雄呂血」
      • 真如堂にある京都映画誕生の碑

        京都市左京区の神楽岡の南東に真如堂(しんにょどう)というお寺が建っています。 正式には真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)といい、春の桜や秋の紅葉が観光客に人気があります。 境内は、日本のお寺らしい建物や石碑がいくつも建っていますが、中にはお寺らしくないものもあります。 例えば、「京都映画誕生の碑」ですね。 本能寺合戦撮影の地 真如堂は、市バス停「錦林車庫前」から西に5分ほど歩いた辺りに建っています。 境内の中央に大きな本堂が建ち、周囲には多くのカエデが植えられています。 その本堂の左前に植えられている夏椿の近くに京都映画誕生の碑が置かれています。 碑文によると、映画(シネマトグラフ)は、1895年にフランスのリュミエール兄弟によって発明され、2年後の1897年に実業家の稲畑勝太郎が日本に持ち込んだそうです。 そして、初めて映画が上映されたのが、ここ京都だったのです。 当初の映画は、すでに存

          真如堂にある京都映画誕生の碑
        • 金光と大本教が崇める鬼は岡山の温羅(うら)=桃太郎の敵! 黒住と金光と天理教=幕末三大新宗教=和風キリスト教(グノーシス寄り異端派)は全て世界連邦推進派!『うらたろう』『ねじまきカギュー』『トラウマイスタ』

          世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi 05 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 07 ↓金光教と大本教が崇めている艮の金神=うらたろう。 ヤングジャンプで連載してた「うらたろう」の第2部スタートしましたね〜。正直、道中をすっ飛ばして、いきなり黄泉比良坂まで行ったときは打ち切りコースかと思ったんですけどね。前作の「ねじまきカギュー」が結構好きだったんで、第2部期待したいですね。 pic.twitter.com/FyFLsN3re3 — サザナミ (@sazanamoon) 20

            金光と大本教が崇める鬼は岡山の温羅(うら)=桃太郎の敵! 黒住と金光と天理教=幕末三大新宗教=和風キリスト教(グノーシス寄り異端派)は全て世界連邦推進派!『うらたろう』『ねじまきカギュー』『トラウマイスタ』
          • 大分脱線してしまいました。 - 装丁家・大貫伸樹の装丁挿絵探検隊

            辻克己『図案広告資料大成』(大同出版、昭和25年)の発行人が櫻井均であり、出版社が大同出版であるということに動転し、キネマ文字のことを忘れて、大同出版にのめり込んでしまいました。おかげで、なかなか書けないでいた「本の手帳」12月号の原稿「櫻井書店と大同出版」を書くことができました。発売は12月1日の予定です。 さて、横道にそれている間に面白い本を見つけた。 ・カタログハウス編『大正時代の身の上相談』(カタログハウス、1994年) が、その面白い本だ。といっても文章を読んだわけではない。昔の新聞広告が沢山掲載されている。さらに、それらが新聞に掲載された日付もしっかりと記載されているのが資料性を高めている。 小さな広告が沢山記載されていて、当然あの創作図案文字もブランド名や企業名として登場してくる。 ちなみに、「身の上相談」が初めて新聞に掲載されたのは、大正3(1914)年の読売新聞「よみうり

              大分脱線してしまいました。 - 装丁家・大貫伸樹の装丁挿絵探検隊
            • うさぎ追い師 加野山 - アンサイクロペディア

              出典: 八百科事典アンサイクロペディア(大丈夫、本当の項目名は故郷 (唱歌)だから。君は間違っていないよ。) 「き、貴様…まさか…伝説のうさぎ追い師 加野山!?」 『うさぎ追い師 加野山』(兎追師 加野山、うさぎおいし かのやま)は、大正時代の大衆小説、および同作品の主人公の通称。 作者は三角寛。三章構成からなる大河小説で、現代でも広く親しまれている。 あらすじ[編集] 舞台は室町時代末期の東北地方。「伝説のうさぎ追い師」として名を馳せた猟師、加野山の一代記であり、山野を渡り歩く民「サンカ」の生き様を描く。兎捕りを生業とするサンカの加野山は、弟分の加野川らとともに、山間の集落で慎ましやかに暮らしていた。しかし、ヤマト民族の権力者である古里の手により、加野山の村は滅ぼされてしまう。村を追われ、弟分とも離ればなれになった加野山は、古里を討つことで自らの「故郷」を取り戻そうと決意し、修行の旅に出

              • 山上伊太郎 - Wikipedia

                山上 伊太郎(やまがみ いたろう、1903年8月26日 - 1945年6月18日 推定)は、日本の脚本家、映画監督である。御室撮影所時代の「マキノ・プロダクション」を彩る名脚本家として知られる。代表作はマキノ雅弘監督の『浪人街』(1927年、昭和2年、無声映画)である。 来歴[編集] 1903年(明治36年)8月26日、京都市下京区宮川筋8丁目(現在の東山区宮川筋8丁目、五条大橋の北東側たもと近く)に生まれる。伊太郎は米屋を営む父山上伊三郎と、その妻エイの連れ子タミ(当時26歳)の間に不倫の子として生まれた。それを知ったタミの母エイは実家に戻り、父伊三郎は1年後に死去(死因は、妻の連れ子に子を生ませたことによる心労による病死か自殺なのかは不明)。母タミ(27歳)は、自立して働く意欲もなく、伊太郎(1歳)と母違いの兄(8歳)とともに、タミの実弟柴田熊吉(エイとエイの元夫柴田吉兵衛の子)の家に

                  山上伊太郎 - Wikipedia
                • 児雷也豪傑譚 - Wikipedia

                  『児雷也豪傑譚』(じらいやごうけつものがたり)は、天保10年(1839年)から明治元年(1868年)に刊行された合巻。作者は戯作者の美図垣笑顔(みずがき えがお)。全編つうじて和泉屋市兵衛から出版された。 概要[編集] 主人公は児雷也を名乗る。江戸時代後期の天保10年(1839年)から明治元年(1868年)にかけて刊行されつづけた。43編からなる長編の合巻作品で、作者は4代にわたっており、美図垣笑顔・一筆庵(浮世絵師の渓斎英泉)・柳下亭種員・柳水亭種清の順で書き継がれていった(いずれも交替のタイミングは作者死没などによる)。挿絵は歌川国貞ら浮世絵師が担当しており、計7人が担当している[1][2]。 感和亭鬼武が文化3年(1806年)に刊行した読本『自来也説話』(じらいやものがたり)が設定の基礎となっているが、一筆庵が作を担当したシーズンからはカエル・ヘビ・ナメクジの三すくみを配した登場人物

                  • 映画・写真

                    NEW! 『ミニシアター 映画館のつくり方』 AC Books 映画芸術編集部 編、奥田瑛二(下関スカラ座シアターゼロ・館主) 序文 全国の地方都市で奮闘するミニシアター16館が登場。開業・運営のノウハウや実体験が満載。いつか自分の映画館を持ちたい―。かの黒澤明監督も、生涯の夢としてそう語ったほど、映画を愛する者なら誰もが一度は憧れる映画館主の座。その実現を真剣に考えるとき、どのような準備が必要なのか?マイシアターを夢見る映画ファンから事業として現実的に検討したいビジネスマンまで、全ての映画好きに捧げる本邦初の「映画館」のつくり方の本です。 四六判 並製 320頁 定価1575円(本体1500円+税) 12月下旬刊行予定 NEW! 『ジャ・ジャンクー 「中国」「時代」「映画」を語る』 以文社 ジャ・ジャンクー 著、丸川哲史・佐藤賢 訳 世界の映画賞を独占する最先端監督にして

                    • 松浦康雄 - Wikipedia

                      松浦 康雄(まつうら やすお、生没年不詳)は、日本のスチルカメラマンである。 人物・来歴[編集] 生年生地不詳。 在籍時年齢・入社時期等は不明であるが、1927年(昭和2年)、マキノ・プロダクション御室撮影所製作、金森万象監督による『狼火』の長野県松本市でのロケーション撮影現場に、スチルカメラマンとして参加している[1]。1929年(昭和4年)の牧野省三没後、京都のマキノ・プロダクションが発表した新体制の組織図に、「写真部主任」として松浦の名が掲載されている[2]。1930年(昭和5年)、『祇園小唄絵日傘 第一話 舞の袖』に「スチルピクチャ」とクレジットされているが、スチルカメラマンは監督や撮影技師らと異なり、それ以上の記録が残っていない。当時の同社の宣伝部主任の都村健が編集・発行した広報誌『マキノ』等の写真を手がけている。 第二次世界大戦後、大映(現在の角川映画)の大映京都撮影所で、19

                      • フィルムセンターでは『明治の日本』がいつも見られるよの巻 - ワカキコースケのブログ(仮)

                        京橋にあるフィルムセンター(正式名称:東京国立近代美術館フィルムセンター)の、展示室が好きだ。http://www.momat.go.jp/FC/HistoryofJapaneseFilm/List.html 210円で企画展示のほか、往年の撮影機材や資料などの常設が見られる。 といって、機材のことは僕もよく分からない。映画の歴史のなかを静かにウロウロする。これだけでいい。きもちがなぜか、スーッとおちつくのですね。ひょっとしたら、映画そのものを見るより好きかもわからん。 でも、展示品を補足するように、複数の小さなモニターで牧野省三、伊東大輔、溝口健二らのサイレント時期の作品や『日本南極探検』(1912)、『関東大震大火実況』(1923)などの一部が、数分だけ繰り返し再生されている。 なかでも僕の、シネフィルにも、そうでない人にもおすすめなのが、『明治の日本』。約20分強のプログラム1本を丸

                          フィルムセンターでは『明治の日本』がいつも見られるよの巻 - ワカキコースケのブログ(仮)
                        • 主演・成田凌が予測不能の大騒動に巻き込まれる?!映画『カツベン!』予告編第2弾解禁! | CinemaGene

                          活動弁士、そして「映画」をテーマにした本作にふさわしく、山本耕史さん演じる映画監督・牧野省三の、「一二の、三やーっ!」と勢いのある本番スタートの掛け声から始まる予告編第2弾! 奥田民生さんが唄うエンディング曲「カツベン節」に乗せて、成田凌さん演じる一人前の活動弁士になることを夢見る主人公・俊太郎が小さな町の映画館・靑木館で働き始めた様子が穏やかに映し出れます。ところが、「なんだ、あの写真は!」と高良健吾さん演じる靑木館のスター弁士・茂木貴之が発すると事態は一変!実はこの靑木館はくせ者たちのオンパレード!ライバル映画館に客も人材も取られ、客席からヤジまで飛び交い、「靑木館もしまいやな」と身内からすら言われてしまいます。 そんなピンチに立ち向かうのは、なんと俊太郎!?まさかの“弁士デビュー”で俊太郎は靑木館を救えるのでしょうか!?しかし、俊太郎の前に俊太郎を狙う凶悪泥棒やその泥棒一味を追う刑事

                            主演・成田凌が予測不能の大騒動に巻き込まれる?!映画『カツベン!』予告編第2弾解禁! | CinemaGene
                          • 市川右太衛門 - Wikipedia

                            市川 右太衛門(いちかわ うたえもん、1907年〈明治40年〉2月25日 - 1999年〈平成11年〉9月16日)は、日本の映画俳優。本名:淺井 善之助(あさい ぜんのすけ)[1]。愛称は「右太さん」。次男は俳優の北大路欣也。 戦前・戦後期の時代劇スターとして活躍し、同時代の時代劇スターである阪東妻三郎、大河内伝次郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、長谷川一夫とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた[2]。映画主演総数は300本を超える。 来歴[編集] 1907年(明治40年)2月25日、大阪府大阪市西区に生まれる(香川県丸亀市生まれの説もあるが、本人は後述の著書『旗本退屈男まかり通る』でこれを否定している)。祖父が坂出市の旧家の出で、生家は鉄工所を経営していた。 遊芸好きの両親の影響で、5歳のころから日本舞踊上方舞の山村流を習い始める。6歳の時、子役として初代中村扇雀一座に借り出され、『菅原伝授手習

                              市川右太衛門 - Wikipedia
                            • 映画『カツベン!』周防正行監督&成田凌主演、日本映画の始まりをアクション×恋×笑いで描く

                              映画『カツベン!』が2019年12月13日(金)に全国で公開される。監督は周防正行、主演は成田凌。 周防正行による4年ぶりのオリジナル映画周防正行監督による、『舞妓はレディ』以来4年ぶりとなるオリジナル映画『カツベン!』。物語は、今からおよそ100年前、映画=活動写真がまだサイレントでモノクロだった時代を描く。そのため、観客たちを映画の世界へと導く役割を担っていたのが、“活動弁士”、通称“活弁(カツベン)”。彼らは、楽士の奏でる音楽とともに独自の“しゃべり”で物語を進行し、日本の映画界を盛り上げていた。 活動弁士と日本映画の始まりを描くノンストップエンターテインメント主人公は、そんな“活弁(カツベン)”を夢見る青年。とある小さな町の映画館に流れついたことからすべての物語が始まる。映画館を舞台に、再会を果たした初恋相手、大金を狙う泥棒、ニセ活動弁士を追う警察までもを巻き込み、やがて事態は誰も

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                              • 第29回「連ドラ復活の処方箋」(後編) (ソーシャルトレンドニュース - 11月21日 21:11)

                                "第29回「連ドラ復活の処方箋」(後編)"連載『指南役のTVコンシェルジュ』今回は特別編。 指南役さんの最新刊『「朝ドラ」一人勝ちの法則』 (光文社新書)発売記念! ドラマのヒットの法則を分析したこの最新刊と連動し、肝となる内容の一部を特別大公開! もちろん書籍そのままではなく『TVコンシェルジュ』用に加筆・編集された特別バージョンでお届けします。 【朝ドラ編】前編はこちら 【朝ドラ編】後編はこちら 【連ドラ編】前編はこちら 今日――2017年11月21日は、映画『私をスキーに連れてって』の公開からちょうど30周年である。 思えば、かの映画の登場は衝撃的だった。80年代、邦画は角川映画を除けば暗黒の時代で、スピルバーグやルーカスなど娯楽志向のハリウッドに比べて、総じて暗かった。主人公は内省的で、四畳半のアパート暮らしで、ストーリーも面倒くさかった。救いと言えば、女優が脱いでくれることくらい

                                  第29回「連ドラ復活の処方箋」(後編) (ソーシャルトレンドニュース - 11月21日 21:11)
                                • 「ドラクエII」タイアップ曲でデビューし,新星の輝きに圧倒され表舞台を去った牧野アンナさんが目指すもの ビデオゲームの語り部たち:第34部

                                  「ドラクエII」タイアップ曲でデビューし,新星の輝きに圧倒され表舞台を去った牧野アンナさんが目指すもの ビデオゲームの語り部たち:第34部 ライター:大陸新秩序 ライター:黒川文雄 カメラマン:畑沢亮太 今回の「ビデオゲームの語り部たち」では,振付師の牧野アンナさんに話をうかがった。牧野さんは,父のマキノ正幸氏が立ち上げた沖縄アクターズスクールでレッスンを重ね,ファミリーコンピュータ用ソフト「ドラゴンクエストII 悪霊の神々」のタイアップ楽曲「Love Song 探して」でデビュー。その後,安室奈美恵さんも在籍したアイドルグループのSUPER MONKEY'Sのメンバーを経て指導する側に回り,現在は自身が立ち上げたエンターテイメントスクール「ラブジャンクス」を運営している。 そんな牧野さんと筆者(黒川)には,30年以上も前に接点があった。牧野さんが歌った「Love Song 探して」はアポ

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                                  • 「寝ずの番」の食べ物と踊り - FoodWatchJapan

                                    前回に引き続き、落語界を舞台とした作品と、その中に登場する落語と食事を取り上げていく。 三代目マキノの矜持 2006年製作の「寝ずの番」は、上方落語の六代目笑福亭松鶴一門をモデルにした中島らもの短編小説集を原作に、俳優の津川雅彦がマキノ雅彦名義で初監督した作品である。 マキノ監督の祖父は日本映画の父と呼ばれた牧野省三、叔父マキノ雅弘も本シリーズの第2回で紹介した「江戸っ子繁昌記」(1961)をはじめ日本映画の黄金時代を築いた監督の一人というカツドウ屋の家系。津川がマキノを名乗るということは、歌舞伎や落語といった日本の古典芸能に見られる名跡の継承と同じような意味を持ち、覚悟のほどがうかがえる。また、師匠役の笑満亭橋鶴は監督の兄・長門裕之、末弟子の橋七の妻・美紀は娘の真由子が演じ、後半には松鶴の弟子、笑福亭鶴瓶が出演しているのも楽しみの一つである。 青春の“カオリフェ” 映画の前半は、臨終の際

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                                    • 9月11日はだらだら祭、二百二十日、たんぱく質の日、公衆電話の日、警察相談の日、&毎月11日はめんの日、おかあちゃん同盟の日、ロールちゃんの日、11スパイスの日等の日 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

                                      おこしやす♪~ 9月11日は何の日? その時そして今日何してた? 2023年(令和5年) 9月11日はだらだら祭、二百二十日、たんぱく質の日、公衆電話の日、警察相談の日、&毎月11日はめんの日、おかあちゃん同盟の日、ロールちゃんの日、11スパイスの日等の日です。 ■だらだら祭(生姜祭り)(~21日)【東京都港区芝大門、芝大神宮】 開催期間 2023年9月11日(日)~21日(木) ※小雨決行 www.youtube.com 京都の港区にある「芝大神宮(しばだいじんぐう)」は、千年以上の歴史をもつ神社です。 この由緒正しい神社の例大祭が今回ご紹介させていただく『太良太良(だらだら)まつり』です! 東京タワーも見えるほどの都心にあるこの場所で、11日間に渡って開催されるこのお祭りは、神輿渡御が街中で行われることもあって地元の方はもちろん多くの観光客で賑わいます! 芝大神宮は1005年(寛弘2年

                                        9月11日はだらだら祭、二百二十日、たんぱく質の日、公衆電話の日、警察相談の日、&毎月11日はめんの日、おかあちゃん同盟の日、ロールちゃんの日、11スパイスの日等の日 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)
                                      • Happy New Year ! - Contre Champ

                                        あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 それでは早速2018年のベストテンを。例年だと新作、旧作ともにスクリーンで見たものに限定していたのだが、今年からルールを変更してネット配信で見たものも含めることに。理由はオーソン・ウェルズの「新作」が今のところNetflixでの配信のみであることと、近年の海外の配信サイトの充実ぶり(MUBIだけでなく、残念ながら終了してしまったFilmStruckなど)には目を見張るものがあり、高い入場料を払って「名画座」で「デジタル上映」の旧作で見るくらいなら、これらの配信サイトの作品を自宅のスクリーンで見た方が質量ともに遥かに満足のゆく鑑賞体験が得られるので。選ぶ前は特に旧作ベストをネット配信で見たものが大半を占めることが予想されたが、スクリーンで見たものから先に選んでいった結果、意外にもそれだけで十分な数の作品がリストアップできたので、今

                                          Happy New Year ! - Contre Champ
                                        • 中島貞夫監督、ちゃんばらの現状に危機感あわら「見つめ直さないといけない」 : 映画ニュース - 映画.com

                                          中島貞夫監督[映画.com ニュース] 「新・極道の妻たち」「木枯し紋次郎」などで知られる中島貞夫監督作のドキュメンタリー映画「時代劇は死なず ちゃんばら美学考」が10月16日、開催中の京都国際映画祭2016で上映され、中島監督が京都国立博物館でのトークイベントに出席した。 時代劇の歴史的変遷を軸に、評論家、殺陣師らへのインタビューや、牧野省三監督、阪東妻三郎、中村錦之助、近衛十四郎らの映像を交えながら、ちゃんばらの面白さと日本人の精神性に迫った今作。中島監督は、明治から昭和にかけて受け継がれてきた侍の精神性が、現在は忘却されてしまったことを指摘し「日本刀そのものが、日本人の精神的なものを内包している。それがどんどん失われていったので、ちゃんばら映画が形骸化してしまった」と述べた。 さらに、「ちゃんばらは本来殺し合い、あるいは生き残り合いとも言う。自分の存在をかけているわけで、思想が必ず出

                                            中島貞夫監督、ちゃんばらの現状に危機感あわら「見つめ直さないといけない」 : 映画ニュース - 映画.com
                                          • 百年を超える日本映画史を一望に見渡す、空前の作品データベース。三省堂『日本映画作品大事典』を2021年6月中旬に刊行。

                                            百年を超える日本映画史を一望に見渡す、空前の作品データベース。三省堂『日本映画作品大事典』を2021年6月中旬に刊行。〜三省堂創業140周年記念企画 内容見本謹呈〜 株式会社 三省堂(本社:東京都千代田区、代表取締役:瀧本多加志)は2021年4月に創業140周年を迎えます。この140周年を記念する企画として、『日本映画作品大事典』(山根貞男 編)を2021年6月中旬に発売します。本事典は、日本映画の「作品」を対象にした規模・内容ともに空前の作品データベースで、収録した監督数は約1,300、映画作品数は約19,500という、膨大な情報を集大成したものです。「日本映画の父」牧野省三の『本能寺合戦』(1908年)から2018年までを対象として、監督別に作品を収録しています。20年を超える歳月を費やして執筆・編集された大事典が、いよいよ完成します。発売に先立ち本書の内容見本をご用意しましたので、個

                                              百年を超える日本映画史を一望に見渡す、空前の作品データベース。三省堂『日本映画作品大事典』を2021年6月中旬に刊行。
                                            • 7月25日はなつこの日 、ワキ汗治療の日、夏土用の間日、知覚過敏の日、かき氷の日、体外受精の日、さいたま2020バスケの日 、うま味調味料の日、日本住宅公団発足記念日、はんだ付けの日、等の日 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

                                              おこしやす♪~ 7月25日は何の日? その時そして今日何してた? 2022年(令和4年) 7月25日はなつこの日 、ワキ汗治療の日、夏土用の間日、知覚過敏の日、かき氷の日、体外受精の日、さいたま2020バスケの日 、うま味調味料の日、日本住宅公団発足記念日、はんだ付けの日、等の日です。 ●なつこの日 ​はじめまして なつこです。​赤嶺奈津子 山本夏子 ふたりのなつこが出会い楽しい音楽会をはじめました。 725を見るたびに嬉しくなって​725を見るたびに私たちを思い出してください。 ※7月25日はなつこの日として一般社団法人日本記念日協会に登録されました ​725の会では毎年7月25日にコンサートを開催しています 全国のなつこさんとともに多くのお客様とともに 素敵な記念日を​お祝いしたいと思います 毎年7月25日にサロンコンサート「725の会(なつこのかい)」を開催している株式会社offic

                                                7月25日はなつこの日 、ワキ汗治療の日、夏土用の間日、知覚過敏の日、かき氷の日、体外受精の日、さいたま2020バスケの日 、うま味調味料の日、日本住宅公団発足記念日、はんだ付けの日、等の日 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)
                                              • 実川延松 - Wikipedia

                                                『権八と小紫』(1924年、松竹)で平井権八役を演じた実川。遊女の小紫は東愛子が演じた 実川 延松(じつかわ えんしょう、1894年5月17日 - 没年不詳)は、日本の俳優、映画監督である。本名成子 松太郎(なるこ まつたろう)。天活大阪支社の「連鎖劇」から帝キネ設立に参加し、のちに独立、牧野省三、直木三十五、中川紫郎ら大正末期のインディペンデント系プロデューサーと共闘した。 来歴・人物[編集] 1894年(明治27年)5月17日、大阪市に生まれる。旧制小学校を卒業、大阪歌舞伎の二代目實川延二郎に入門した。19歳になる1913年(大正2年)ころ上京、歌舞伎座に所属しながら、演技座、大黒座、宮戸座等で修行する[1]。 1919年(大正8年)に大阪に帰り、天然色活動写真(天活)の大阪支店が経営する劇場で「連鎖劇」に出演する。天活は同年内に解体され、翌1920年(大正9年)5月、天活大阪支社と天

                                                  実川延松 - Wikipedia
                                                • 細田守は奥寺佐渡子を絶対に手放すな「サマーウォーズ」: シンジの“ほにゃらら”賛歌

                                                  細田守監督待望の新作が決まった。タイトルは「サマーウォーズ」 スタッフは時をかける少女と同じでキャラクターデザインに貞本義行、脚本に奥寺佐渡子という鉄壁の布陣。 中でも重要なのは脚本の奥寺佐渡子の続投だろう。 日本映画の父牧野省三いわくいい映画の条件とは、1スジ(脚本)、2ヌケ(撮影)、3動作(演技)。時をかける少女は脚本がしっかりしていたからこそ評価された。 つまり何が言いたいかというと・・・細田監督は奥寺佐渡子を絶対手放したら駄目だ。サマーウォーズの出来いかんによるがこの二人のコンビ作がこれからも続くことを希望する。 これから先はちょっとどうでもいい駄話・・・ 奥寺さんといえば今、日本映画界で俺が二大好きな女性のうちの一人だ(ハイ、ここから先は読まなくていいっすよw) もうひとりはいわずと知れた「ゆれる」の西川美和監督。めちゃくちゃキュートな外見とは裏腹のどす黒い精神面にしびれるあこが

                                                  • 観音劇場 - Wikipedia

                                                    観音劇場(かんのんげきじょう、1917年 開業 - 1930年 閉鎖)は、かつて存在した日本の劇場、映画館である。 略歴・概要[編集] 1917年(大正6年)、東京市浅草区公園六区一号地、大勝館の裏手の映画館「キリン館」跡地(現在の東京都台東区浅草2丁目11番1号)で開業した。 同劇場は、曽我廼家五九郎が根岸興行部から経営を任されており、同年1月22日、劇団「歌舞劇協会」が浅草六区の「常磐座」でオペラ『女軍出征』を上演、大ヒットすると、同劇場でも、原信子がが結成した劇団「原信子歌劇団」が、同年3月アイヒベルク作のオペレッタ『アルカンタラの医者』、6月にはリヒャルト・シュトラウス作の『サロメ』を公演した。田谷力三、堀田金星は同劇団に参加した。 1927年(昭和2年)からは日活作品を上映し始めている。1928年(昭和3年)3月14日には、マキノ省三(牧野省三)監督のサイレント映画『忠魂義烈 実

                                                    • 映画文化館 | 東映太秦映画村

                                                      「日本映画発祥の地・京都」を伝承する映画村のシンボル的な存在。 日本映画の変遷を学べる施設です。 明治洋館風の「映画文化館」は、開村初期からの映画村のシンボル… 日本映画の父・牧野省三賞の顕彰コーナーはじめ、海外映画祭の受賞トロフィーやポスターやスチール写真など、東映作品に留まらず、他社作品を含め展示。 京都で映画産業がスタートした明治時代から大正時代、戦前・戦後から現在に至るまで、日本映画120年の変遷を学べる施設です。

                                                        映画文化館 | 東映太秦映画村
                                                      • 岩下志麻 肺炎で逝去の中島貞夫さんを追悼「おこったお姿を拝見したことがない、温かな監督さんでした」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

                                                        「木枯し紋次郎」などの時代劇、「日本の首領(ドン)」シリーズなどのヤクザ映画など数多くの作品を手がけた映画監督の中島貞夫さんが11日夕方、肺炎のため京都市内の病院で死去したことが分かった。88歳。千葉県出身。葬儀は近親者で執り行われた。 訃報を受け、中島さんの作品に出演していた女優の岩下志麻(82)がコメントを発表。「中島貞夫監督の突然の御訃報に心よりお悔やみ申し上げます。中島監督とは、テレビ、映画で大変御世話になりまして、心より感謝致しております」と追悼し「いつも優しく、あまりおこったお姿を拝見したことがない、温かな監督さんでした。ありがとうございました。心から御冥福を御祈り申し上げます」としのんだ。 東京大卒後、東映に入社。「日本映画の父」と呼ばれた牧野省三の息子であるマキノ雅弘、今井正両監督らに師事し、64年に「くノ一忍法」で監督デビューした。 66年には青春群像劇「893愚連隊」で

                                                          岩下志麻 肺炎で逝去の中島貞夫さんを追悼「おこったお姿を拝見したことがない、温かな監督さんでした」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
                                                        • 東映の歴史とは、すなわち、成功と蹉跌とが糾う、生き残りの歴史である。――水道橋博士(第4回) 『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』 (春日太一 著) | 水道橋博士 | 特集

                                                          2016.09.04特集 東映の歴史とは、すなわち、成功と蹉跌とが糾う、生き残りの歴史である。――水道橋博士(第4回) 文:水道橋博士 (漫才師) 『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』 (春日太一 著) ジャンル : #ノンフィクション 第3回より続く 時代劇から「仁義なき戦い」まで数多くの傑作映画を生み出してきた東映京都撮影所の歴史をダイナミックに描いた『あかんやつら』(春日太一・著)。このたび文庫化され、渾身の解説文を書いた水道橋博士。 今回、読書の秋にぜひオススメの一冊として、本書をより多くの人に読んでもらいたいと思った博士がWEB限定で公開する、文庫本の解説よりも長い“一万字”解説をお楽しみください。 「岡田茂史観」を避け、周囲の証言から人物の輪郭を描く 『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』 (春日太一 著) 実際、映画制作の過程も、きめ細かく描かれる。 「ヤマ場からヤマ場へ」

                                                            東映の歴史とは、すなわち、成功と蹉跌とが糾う、生き残りの歴史である。――水道橋博士(第4回) 『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』 (春日太一 著) | 水道橋博士 | 特集
                                                          • 江戸から平成まで。企画で世の中を変えてきた人物の列伝『日本の企画者たち』が発売

                                                            歴史に名を遺すほどに活躍したクリエイター、企業家、ジャーナリストなどの企画術を人物伝形式の読み物として学ぶ新刊『日本の企画者たち-広告、メディア、コンテンツビジネスの礎を築いた人々-』(岡田芳郎 著)が宣伝会議から発売。3月30日より順次全国の有力書店に並ぶほか、オンラインブックストアでも販売した。 本書は「宣伝会議」誌上で2014年まで連載した「広告、メディアの礎を築いた人々」に、新たな人物を追加。加筆修正して再編している。過去の偉人たちは混迷の時代をどのような企画で乗り切ったのか。今でこそ常識となっている広告、メディア、コンテンツビジネスの最初の志とはなんだったのか。なにを狙い、そのようなビジネスになったのかを探っています。また、日頃、なにも気にせずに触れているものにも、必ず企画者が存在し、その企画がヒットしたからこそ、現在の常識になっています。その裏側にある企画のストーリーを93人の

                                                              江戸から平成まで。企画で世の中を変えてきた人物の列伝『日本の企画者たち』が発売
                                                            • [高橋秀樹]<放送前のドラマ試写を見てみた>松坂桃李が演じる全盲の弁護士はどのように働き、殺人事件の謎を解くのか? | メディアゴン|mediagong

                                                              <放送前のドラマ試写を見てみた>松坂桃李が演じる全盲の弁護士はどのように働き、殺人事件の謎を解くのか? 高橋秀樹[放送作家] *** TBSの「月曜ゴールデン」(夜9時から)は、いわゆる2時間ドラマ枠である。この枠で、大胡田誠弁護士のノンフィクション『全盲の僕が弁護士になった理由』を原作としたドラマが、特別企画『全盲の僕が弁護士になった理由 ~実話に基づく 感動サスペンス!~』と題して12月1日に放送される。 筆者は特別に許可を得て試写を見た。原作は2年半前に読んでいるが、その時の自分の読書メモにはこう書いてある。 「先駆者がこじ開ける門戸」 著者は先天性緑内障で、12歳のとき視力を失う。旧司法試験と、新司法試験という制度の狭間で、5回目のチャレンジで合格する。常に先駆者がこうして門戸を切り開いてゆくのだ。 この本から何を読み取るかは読者の自由だが、筆者は著者の姿から「強さ」を読み取った。

                                                              • 悪麗之助 - Wikipedia

                                                                悪 麗之助(あく れいのすけ、1902年11月25日 - 1931年10月26日)は、日本の脚本家、映画監督である。満28歳で夭折した、昭和初年の無声映画界に存在したアナキスト系映画作家である。陸 大蔵(りく たいぞう)、阿久 礼之助(あく れいのすけ)、竜造寺 淳平(りゅうぞうじ じゅんぺい)とも名乗る。本名金田 茂男(かなた しげお)。 来歴・人物[編集] 1902年(明治35年)11月25日、大阪府に生まれ、横浜に育ち小学校尋常科から上級学校に進学後に大学あるいは旧制高校(在籍校名は不明)まで進学し、在学時か卒業と同時か定かではないが既に脚本家デビューしていた。 悪麗之助(金田茂男)は、子供の頃に実母を病気で亡くし、父・作市の死後、叔父・樋谷弁治に身を寄せた。叔父・弁治は伊藤博文の護衛官などをしていた経歴があると伝わっている警察官で、裕福な叔父宅に身を寄せたことで大学あるいは旧制高校

                                                                  悪麗之助 - Wikipedia
                                                                • 『1 スジ、2 ヌケ、3 ドウサ』

                                                                  「1 スジ、2 ヌケ、3 ドウサ」 これは、 津川雅彦さんの祖父で、 映画監督の牧野省三氏の言葉です。 津川さんの叔父であり、 映画監督のマキノ雅弘氏の自伝には、 「父はよくこう云っていた。 ホンさえよかったら、誰でもいい演出家になれる、と。 1 スジ、2 ヌケ、3 ドウサ、というのが父の映画憲法だった。 スジとは筋すなわちストーリーの面白さ、 ヌケとは画面がきれいにぬけていること、 ドウサとは動作で、 これが、この順序通りに、 父にとっては映画の三原則にほかならなかった。」とあります。 僕は、 このことについて、 大いに「なるほど」と思うところがあり、 俳優に向けたワークショップでもよく話に出します。 面白い脚本・台本が土台になり、 それを形にする演出家があり、 更に俳優が「役」を生きる。 もちろん、 この順序とは逆のケース、 すなわち、 キャスティング→監督・演出→原作、 といった作品

                                                                    『1 スジ、2 ヌケ、3 ドウサ』
                                                                  • 地元住人も「知らんな!」と……吉本の「京都国際映画祭」が、まったく浸透していない!

                                                                    「京都映画祭」の伝統と志を引き継いで、吉本興業グループが企画推進する「京都国際映画祭」。4回目の開催となる今年は、「京都三泊四日。」というキャッチコピーのもと、10月12日から15日まで、日本映画の発祥地・京都で開催された。 オープニングセレモニーは、世界遺産にも登録されている西本願寺の重要文化財である南能舞台でスタート。総合プロデューサーを務める奥山和由氏が「今年は五社英雄監督の没後25年にあたり、特集を企画。その縁で、五社作品にも出演している大女優の岩下志麻さんにアンバサダーを務めてもらうことになりました」と岩下を紹介した。 昨年は、夫である篠田正浩監督が、牧野省三賞の受賞者として同映画祭に参加している。本賞は、日本映画の父と呼ばれた京都の映画人である故・牧野省三の遺徳を偲び、日本映画の発展に寄与した映画人を表彰する目的で、1958年に「マキノ省三先生顕彰会」によって創設された賞であり

                                                                      地元住人も「知らんな!」と……吉本の「京都国際映画祭」が、まったく浸透していない!
                                                                    • ミカド商会 - Wikipedia

                                                                      この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ミカド商会" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年4月) ミカド商会(ミカドしょうかい、1919年7月10日設立 - 1920年1月吸収)は、かつて存在した日本の映画会社である。映画監督となったのちの「日本映画の父」牧野省三が初めて起こした会社である。日活に吸収されるが、牧野の独立はその2年後に本格化する。 略歴・概要[編集] 1908年(明治41年)来、横田永之助の横田商会、1912年(大正元年)の4社合併後の日活で映画監督として活躍していた牧野省三が、日活からの独立を望み、「教育映画に限る」という約束で日活在籍のま

                                                                      • 映画『森のカフェ』若井久美子さん×榎本憲男監督インタビュー[3/3]

                                                                        wakai kumiko 84年東京都生まれ。東京音楽大学演奏家コース・声楽コース、東宝ミュージカルアカデミー アドバンスコースを経て女優業へ。東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」では13年、15年とコゼット役を務めた。Yes-fm(大阪市中央区のコミュニティーFM局)「若井久美子の Oh! Dreamin」は毎週月曜 18:00~ON AIR(アプリ「ListenRadio」を利用すればPC、スマホで聴取可)。 ブログ「若井久美子のくみの音楽三昧」 ツイッター enomoto norio 59年和歌山生まれ。西武セゾングループ文化事業部の映画部門を経て、東京テアトルへ転籍。劇場支配人や番組編成、宣伝、製作にたずさわる。10年よりフリー。同年、監督作品『見えないほどの遠くの空を』を発表、同名の小説を執筆(小学館刊)。11年、短編『何かが壁を越えてくる』を監督。15年、小説『エアー2.0』を発

                                                                          映画『森のカフェ』若井久美子さん×榎本憲男監督インタビュー[3/3]
                                                                        • 池永浩久 - Wikipedia

                                                                          池永 浩久(いけなが こうきゅう、明治10年(1877年)3月24日 - 昭和29年(1954年)3月6日[1])は、日本の映画プロデューサー、実業家、元俳優である。日活向島撮影所長を皮切りに、撮影所長を歴任し、やがて太秦発声映画を設立、現在の東宝の創成期に関わった人物として知られる。本名は三治、俳優時代の芸名は澤田 憲、澤田 三治[1]。 来歴[編集] 1877年(明治10年)3月24日、大分県に池永三治として生まれる[1]。 当初壮士芝居の俳優として活躍。山田九州男(山田五十鈴の実父)の一座にいたこともある。 1910年(明治43年)、33歳を迎え、牧野省三の紹介で横田永之助の横田商会二条城撮影所で、同社製作の映画に出演した[1]。当時の芸名は澤田憲[1]、澤田三治であった。1912年(明治45年)1月には新規開業の法華堂撮影所に移転、同年(大正元年)9月10日、横田商会を含めた4社合

                                                                          • 河津清三郎 - Wikipedia

                                                                            河津 清三郎(かわづ せいざぶろう[1][注釈 1]、1908年〈明治41年〉8月30日[1] - 1983年〈昭和58年〉[1]2月20日)は、日本の俳優である。本名中島 誠一(なかじま せいいち)、旧芸名河津 精一(かわづ せいいち)、河津 史郎(かわづ しろう)[3]。 阪妻・立花・ユニヴァーサル連合映画で映画デビューし、マキノ・プロダクション移籍後は沢村國太郎に次ぐ若手時代劇スターとなった[4]。その後、新興キネマに入社して男優の看板スターとして多くの作品に主演し、戦後は個性派の脇役として活躍した[5][3]。主な出演作品に『首の座』『次郎長三国志』シリーズ、『用心棒』など。妻は女優の高津慶子[5]。 来歴[編集] 1908年(明治41年)8月31日、東京府東京市[1]日本橋区蠣殻町に生まれる[5]。浜町で待合を営んでいた父・嘉一と母・はまの養子である[5]。 東華小学校を卒業後、

                                                                            • 東映元社長の高岩淡さん肺炎で死去、90歳 「極道の妻たち」など製作 - おくやみ : 日刊スポーツ

                                                                              東映は1日、元同社社長の高岩淡(たかいわ・たん)さんが10月28日午後2時23分、肺炎のため京都市内の病院で亡くなったと発表した。90歳だった。葬儀は家族葬として既に執り行った。後日、お別れの会を予定している。 高岩さんは1930年(昭和5)11月13日、福岡県生まれ。九大経済学部卒業後、54年に東映に入社し京都撮影所に配属。71年に取締役、京都撮影所長に就任し、78年に常務取締役、86年には専務取締役に就任し90年には東京撮影所担当も兼務。93年に社長、02年に会長に就任。06年に取締役相談役、10年には相談役に就任し、12年に退任した。 京都撮影所時代は、進行主任として60年「海賊八幡船(かいぞくばはんせん)」などの大川橋蔵主演作、および58年から始まった「一心太助」シリーズなどの中村錦之助主演作に携わった。また多くの俳優や監督と交流、親交を深め、製作者としては「柳生一族の陰謀」「青春

                                                                                東映元社長の高岩淡さん肺炎で死去、90歳 「極道の妻たち」など製作 - おくやみ : 日刊スポーツ
                                                                              • 乃木希典

                                                                                幕末から明治時代にかけての日本の武士・陸軍軍人・教育者。 生涯嘉永2年11月11日(西暦1849年陽暦12月25日)、江戸六本木の長府藩(長州藩毛利家の支藩)上屋敷で生まれる。 幼名は無人(なきと)であり、元服して源三と名前を改めてもなお妹などから「泣き人」と揶揄されたという。 慶応2年(1866年)、第二次長州征伐が開始。奇兵隊の山縣有朋指揮下に合して幕府軍と戦う。 明治維新後、陸軍に入って軍歴を重ね、明治10年2月に西南戦争が始まると、乃木は連隊を率いて熊本に進軍し、西郷軍との戦闘に入った。 緒戦(植木坂の戦い)において連隊旗を奪われ、その責任を取ろうとするかのように勇戦奮闘し、左足に重傷を負いながらも、かごに乗って指揮を執り、銃弾を受けてから10日あまりの後、ようやく久留米病院に入院した。 連隊旗を奪われた悔恨は後年まで忘れることはなく、その後すぐさま乃木は退院復帰して連隊の指揮を執

                                                                                  乃木希典
                                                                                • 池田富保 - Wikipedia

                                                                                  池田 富保(いけだ とみやす、1892年5月15日 - 1968年9月24日[1])は、日本の映画監督・脚本家・俳優である。旅役者としてスタート、映画俳優尾上 松三郎(おのえ まつさぶろう)として映画のキャリアを始める[1]。晩年は映画監督を廃業し、映画俳優望月 健佐(もちづき けんすけ)として東映京都撮影所作品に出演した。 人物・来歴[編集] 1892年(明治25年)5月15日(日曜日)、兵庫県美嚢郡中吉川村(現・三木市)[2]に池田民治として生まれる[1]。 旅役者であったが、日活のスター俳優の尾上松之助に発見されて映画俳優となる[1]。1921年(大正10年)、日活京都撮影所に入社、「尾上松三郎」を名のり[1]、同年3月10日公開の牧野省三脚本・監督、尾上松之助主演による大作『実録忠臣蔵』に出演する。このころ、松之助に勧められて匿名でシナリオを書いたところ、評判となる[3]。 192

                                                                                    池田富保 - Wikipedia