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甲賀忍者の検索結果1 - 16 件 / 16件

  • 「甲賀忍者」の6人、素早く期日前投票し去る

    衆院選と滋賀県甲賀市議選の期日前投票所が設置されている滋賀県の甲賀市役所甲南庁舎で19日、“甲賀忍者”が1票を投じた。 忍者は、22日に東京都港区の増上寺講堂で開催される「甲賀流忍者検定」の実行委員会のメンバーら6人。【政治】

      「甲賀忍者」の6人、素早く期日前投票し去る
    • 甲賀忍者の子孫発見 73歳農家、古文書から判明:朝日新聞デジタル

      22日の「忍者の日」を前に、滋賀県甲賀市は21日、「忍者の子孫を1人見つけた」と発表した。甲賀市甲南町竜法師の施設「忍の里プララ」であった「甲賀流忍者復活祭」で、市職員らでつくる調査団「ニンジャファインダーズ」のメンバーらが明らかにした。 古文書の分析などから調査団は同市水口町下山の伴資男(すけお)さん(73)を忍者の子孫と判断した。伴さんはあいさつで「忍者と関わりがあるとは思わなかった。今は農業をしていて、CIAなどの諜報(ちょうほう)機関では働いていません」と話して笑いを誘った。 調査団は1月、甲賀地域で有力な忍者集団とされる「甲賀武士53家」と同じ名字の725世帯にアンケートを送付。224世帯が回答し、うち88世帯が忍者の子孫と答え、31世帯が忍者ゆかりの品物として手裏剣類や装束、巻物などがあると答えた。 また、インターネットを通じて1千人に忍者に関する五つの流派の認知度を聞いたとこ

        甲賀忍者の子孫発見 73歳農家、古文書から判明:朝日新聞デジタル
      • 甲賀忍者と薬 知られざる歴史|NHK 関西のニュース

        製薬業が地場産業の滋賀県甲賀市で、甲賀忍者と薬の歴史的な関係について紹介する企画展が開かれています。 企画展は、甲賀市の地場産業となっている製薬業の歴史を紹介する「くすり学習館」で開かれています。 薬草や忍術について書かれた古文書など、さまざまな資料が展示され、甲賀忍者が薬に関する詳しい知識を身につけ活用していた、当時の様子が紹介されています。 甲賀で薬が作られるようになった経緯を伝える展示では、かつて薬の知識を持つ山伏たちの修行の場があり、甲賀忍者たちが山伏から知識を学び取ったと考えられると説明しています。 また、外敵から身を守るため有毒な成分を体内に持つ昆虫の標本も展示され、甲賀忍者たちが昆虫が持つ有毒な成分を使って、毒薬を作っていたことなどを紹介しています。 甲賀市くすり学習館の長峰透館長は、「甲賀市には製薬会社が多く、薬草が豊富に生えています。薬の知識に長けていた甲賀忍者の技術が、

          甲賀忍者と薬 知られざる歴史|NHK 関西のニュース
        • 伊賀忍者と甲賀忍者、対立のはじまり - 山下泰平の趣味の方法

          フィクションの世界では、伊賀忍者と甲賀忍者の仲が悪い。この設定は、どこからやってきたのだろうか? 大昔の忍者ヒーローとしては、甲賀忍者の猿飛佐助、伊賀忍者の霧隠才蔵が有名である。この二人の物語をテンプレートとして、フィクションの世界で伊賀忍者と甲賀忍者の対立が描かれるようになったんじゃないかと考えてしまいそうだが実は違う。 猿飛佐助は霧隠才蔵の兄貴分で、わりと仲が良い。この二人が真剣勝負をする理由がない。もっとも真田の郎党に入る際、ちょっとした忍術勝負をしているが、これは入団テストといったものだろう。 しかし創作者としては、忍術の勝負を描きたい。それならということで、石川五右衛門をゲスト出演させる。石川五右衛門は山賊で、豊臣秀吉の生命を狙う悪い奴だ。豊臣家が大好きな真田幸村の郎党猿飛佐助には戦う理由がある。また石川五右衛門というのは、一種のブランドでもある。物語の世界では新参者の猿飛佐助が

          • 忍者の里・伊賀と甲賀 | 忍者マイスター

            忍者を扱ったフィクションにおいて、登場する忍者は「伊賀忍者」「甲賀忍者」に大別されることがほとんどです。伊賀と甲賀の対立関係はさまざまなフィクションによって語られてきたため、「伊賀忍者は正義の味方」で「甲賀忍者は悪の手先」といった印象があります。しかし、このイメージは正確なものなのかはいまだに謎です。 伊賀流の本拠地である伊賀と甲賀流の本拠地である甲賀は、それぞれ現代の三重県伊賀市と滋賀県甲賀市に存在していました。地理的に言うと、この二つの町は山一つを隔てて隣接しているのです。いわば同業者である伊賀と甲賀は、歴史上は敵対すること無く同業者のよしみで協力関係を築き上げていたと言われているのです。 では、なぜ山一つ越えた隣人である伊賀と甲賀は犬猿の仲とされてきたのでしょうか? そこには、戦国時代のしがらみが存在しています。伊賀忍者は、服部半蔵によって徳川家康の配下として仕える機会を得ました。一

            • 甲賀忍者の隠れた末裔を捜索 甲賀市、2月に復活祭:滋賀:中日新聞(CHUNICHI Web)

              甲賀流忍者の里として知られる甲賀市が、忍者の実体を調べる「甲賀流忍者調査団 ニンジャファインダーズ」を結成し、市内に残る忍者の末裔(まつえい)を探すアンケートを始めた。調査は観光戦略の一環で、二月二十一日に開くイベント「甲賀流忍者復活祭」で結果を発表する。 甲賀地域の武士集団「甲賀武士五十三家」と同じ「望月」「佐治」「大原」などの名字を持つ市内約七百二十世帯にアンケートを送付。忍者との関連性やそれを証明する品の有無、調査に応じる意思などを聞いている。今のところ、七十件ほどの回答を得ているという。

                甲賀忍者の隠れた末裔を捜索 甲賀市、2月に復活祭:滋賀:中日新聞(CHUNICHI Web)
              • 朝日新聞 地域情報 : 滋賀 : 駅を守る甲賀忍者

                • 伴与七郎とは?松平元康に味方し鵜殿長照を討った凄腕甲賀忍者【どうする家康】

                  伴与七郎(ばんよしちろう)()は松平元康が鵜殿長照の守る三河上ノ郷城を攻めた時に協力した甲賀忍者です。その活躍は絶大で上ノ郷城(かみのごうじょう)に侵入した上で火薬を用いて城内から火を出し、謀反が起きたと誤認した城兵の士気を下げた上で城主の鵜殿長照を討ち取り、さらに長照の長男を捕らえる大手柄を揚げました。そんな凄腕忍者、伴与七郎は何者なのでしょうか? 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画

                  • 家康を辿る城旅「上ノ郷城」!要害堅固の城に挑む家康、甲賀忍者を用いた攻城戦

                    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、家康を辿る城旅「上ノ郷城」!要害堅固の城に挑む家康、甲賀忍者を用いた攻城戦です。 ■家康を辿る物語 今川家から独立し、三河統一をめざす松平元康(後の家康)。 周辺の諸城が松平家に帰属するなかで、頑なに抵抗した城がありました。 それが「上ノ郷城」。城主の鵜殿長照は今川一門の重臣、元康の軍門に下りませんでした。 永禄5年(1562年)、松平勢は元康自ら軍勢を率いて上ノ郷城を攻撃します。 しかし幾度攻撃を仕掛けても、堅城で知られる上ノ郷城は落ちません。 そこで元康は、甲賀流忍者(甲賀衆)を用いて城内に火を放つと、その混乱に乗じて城を攻め落としました。 この戦により長照は討死。甲賀衆は長照の二子・氏長と氏次を捕縛しました。 元康は二人の身

                      家康を辿る城旅「上ノ郷城」!要害堅固の城に挑む家康、甲賀忍者を用いた攻城戦
                    • <青森大忍者部>弘前藩の甲賀忍者屋敷を発見? 内部を公開 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

                      青森大公認の「忍者部」は弘前城南側の弘前市街地に「弘前藩の甲賀忍者屋敷を発見した」として6日、内部を報道陣に公開した。 部顧問の清川繁人・薬学部教授は古民家を所有する青森市桜川、工芸店経営、会田秀明さん(80)から「忍術家の住居と岳父から聞いている」との連絡を受け、調査を始めた。 結果、かやぶき平屋建ての住居には、客間と寝室の床の間の裏に人が1人隠れられる空間が造られ、居間の入り口には踏むとギーと鳴る板が敷かれていることが分かった。清川教授は「どんでん返しなどの仕掛けはないが、武家屋敷とは異なる間取りだ」と指摘する。 また、古文書に出てくる弘前藩の甲賀忍者集団「早道(はやみち)之者」の江戸末期の頭領、棟方晴吉(貞敬)と同姓の棟方嘉吉が同宅に住んでいたことが明治初期の町割帳で判明。「両人の関係を示す記録は見つかっていないが、嘉吉は晴吉の近親者ではないか」と清川教授は推定する。会田さんの

                      • 【関西の議論】平和な江戸の世は仕事がなかった?甲賀忍者の厳しい実情、普段は農民とは…大量の古文書から判明(1/5ページ)

                        【関西の議論】平和な江戸の世は仕事がなかった?甲賀忍者の厳しい実情、普段は農民とは…大量の古文書から判明 年に一度、雇い主の大名の城に出向いて鉄砲の撃ち方を武士に指南するが、普段は地元で農民として暮らす。しかし大名に一大事があれば、すぐに駆けつけて特殊任務にあたり、そのための火術や居合術、忍術を会得している-。「甲賀忍者」で知られる滋賀県甲賀市で見つかった大量の古文書の解読作業を通して、江戸時代にこの地域の地侍が、「御忍役人」としての裏の顔を持ちながら生活していた様子などが分かってきた。江戸の平和な世にあって忍びの仕事はほとんどなくなったが、有事を見据えて鍛錬を怠らないなど、興味深い暮らしぶりがうかがえる。 「忍役人」と書かれた貴重な文書も 長短約150もの古文書が見つかったのは、甲賀市甲南町杉谷の渡辺俊経さん(78)宅。渡辺さんは甲賀忍者の末裔(まつえい)に当たり、同市内に残る古文書の解

                          【関西の議論】平和な江戸の世は仕事がなかった?甲賀忍者の厳しい実情、普段は農民とは…大量の古文書から判明(1/5ページ)
                        • 多羅尾光俊とは?甲賀忍者の親玉で8万石の大名になった男が没落して体験した奇跡

                          多羅尾光俊(たらおみつとし)は近江国甲賀信楽庄の国人領主です。本能寺の変後に落ち武者狩りの脅威にさらされた徳川家康を全力で補佐し、三河に帰還させる功績を立てました。家康を救った事が前面に出る多羅尾光俊ですが、その人生も家康に劣らず波乱万丈だったのです。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑 雄貴) PC関

                          • 青森大忍者部:弘前藩の甲賀忍者屋敷を発見? 内部を公開 | 毎日新聞

                            床の間の裏に造られた空間(幅60センチ、奥行き95センチ、高さ2メートル)に隠れる青森大忍者部員=2016年11月6日、松山彦蔵撮影 青森大公認の「忍者部」は弘前城南側の弘前市街地に「弘前藩の甲賀忍者屋敷を発見した」として6日、内部を報道陣に公開した。 部顧問の清川繁人・薬学部教授は古民家を所有する青森市桜川、工芸店経営、会田秀明さん(80)から「忍術家の住居と岳父から聞いている」との連絡を受け、調査を始めた。 結果、かやぶき平屋建ての住居には、客間と寝室の床の間の裏に人が1人隠れられる空間が造られ、居間の入り口には踏むとギーと鳴る板が敷かれていることが分かった。清川教授は「どんでん返しなどの仕掛けはないが、武家屋敷とは異なる間取りだ」と指摘する。 また、古文書に出てくる弘前藩の甲賀忍者集団「早道(はやみち)之者」の江戸末期の頭領、棟方晴吉(貞敬)と同姓の棟方嘉吉が同宅に住んでいたことが明

                              青森大忍者部:弘前藩の甲賀忍者屋敷を発見? 内部を公開 | 毎日新聞
                            • 甲賀忍者に信楽焼、そして伝説のあばれ食い!~甲賀おすすめ観光スポットめぐり <滋賀県・甲賀市> - ウェイクで行く車中泊の旅

                              伊賀と並んで忍者で有名な滋賀県甲賀市(こうかし)。 甲賀忍者を体験、楽しめる忍者村や、たくさんの信楽焼のたぬきに出会える村、神社・寺など、多くの観光スポットがあります。また、近江牛と松茸をお腹一杯食べられる伝説のお店もあります。 今回は甲賀の魅力溢れる観光スポットをめぐり、心もお腹も大満足の旅をお届けしたいと思います。 旅の行程 甲賀の里 忍者村 施設情報 からくり屋敷 甲賀忍者博物館 忍者体験 信楽陶芸村 施設情報(本店) 窯屋・登り窯 新宮神社 信楽伝統産業会館 施設情報 スカーレット特別展 設楽陶苑(たぬき村) 施設情報 掘り出し物がいっぱい 自然豊かなパワースポット 青土ダム 弁天池 大池寺の琵琶湖庭園 名物あばれぐい「松茸屋 魚松」 施設情報(本店) まとめ 旅の行程 甲賀の里・忍者村での忍者体験したのち、信楽焼の生産地を訪れ、たくさんのたぬきの置物に出会います。甲賀市内の珍しい

                                甲賀忍者に信楽焼、そして伝説のあばれ食い!~甲賀おすすめ観光スポットめぐり <滋賀県・甲賀市> - ウェイクで行く車中泊の旅
                              • 甲賀忍者と伊賀忍者

                                一般には黒装束に身を固め、自由自在に忍術を操って身を隠したり敵を攻撃したりといったイメージのある忍者。これら忍術と忍者のルーツは甲賀・伊賀だといわれています。さてこの「忍術」と、戦国期に活躍した「忍者」に少し触れてみましょう。 忍術と忍者の発生 忍術の歴史は仏教とともに六世紀に伝来した兵書「孫子」に始まる。この世界最古かつ最高といわれる兵書に「兵は危道なり、濫りに用う勿れ、智略は正道で王者の道である」という教えがあり、これがもとで我が国のいわゆる忍術が発生したとされる。 忍者を初めて使ったとされるのは蘇我馬子と聖徳太子である。馬子は東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)を使って崇峻天皇はじめ蘇我氏に対抗する豪族達を次々に暗殺してその勢力基盤を拡大し、聖徳太子は秦の河勝(香具師の祖)・服部氏族(伊賀忍者の祖)・大伴細人(甲賀忍者の祖)らを使って各地の情報を収集したと伝えられる。 そして忍術の発

                                • 甲賀忍者はクスリ博士!? 治療薬、火薬、毒薬… 忍具と古文書で実像迫る | 京都新聞

                                  甲賀市くすり学習館(滋賀県甲賀市甲賀町)で企画展「くすりと甲賀忍者-その知恵と技」が開かれている。関連の古文書や忍具、薬草などから薬の扱いに長じていたとされる甲賀忍者の実像に迫る。 甲賀流は薬草を採って身体の健康を維持し、傷や病を治療するなど薬学の知識にたけていた。また、調合して毒薬や火薬を作り、高度な忍術を生んだとされる。忍者観光に力を入れる市が、忍者と地場産業ともいえる製薬業との関わりを知ってもらおうと開館10周年展として行った。 会場では、疲労回復やのどの乾きを止めるための「忍者食」、毒薬や薬草に使ったトリカブトやヨモギといった植物などを展示し、薬草や香、精神統一などテーマごとに説明パネルを添えて紹介する。爆弾や煙幕弾、火矢なども並び、戦国時代には最先端技術であった火薬の扱いにも詳しかったことを伝える。編み笠や籠といった旅道具は、世の中が落ち着いた江戸期に薬の行商をするようになった忍

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