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2006年11月1日のブックマーク (24件)

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    キジ焼き丼とおばんざい シンプルな我が家の定番のおばんざいたち 赤梅酢の新生姜漬け 昨夜は香ばしいきじ焼き丼に添えて。大きめにカットした鶏とししとうを魚グリルでこんがり焼く。 タレをつけながら煙モクモク、焼き鳥屋さんみたいな香ばしい香りがキッチンいっぱいに広がります 磯の味も…

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    rajendra
    rajendra 2006/11/01
    実にエレガントだ。
  • 悪魔的経済学 - hp12c

    プリンタのカートリッジはなぜ高いのか ~ 池田信夫 blog この問題は法的には係争中であり、判例もわかれているが、経済学的に重要なのは、これはサラ金と同じく近視眼バイアスを利用した「悪魔的ビジネスモデル」だということである。上にリンクを張ったForbesの記事の例では、エプソンの純正カートリッジは30ドルなのに、再生品は5ドルだ。1ヶ月に2回インクを換えるとすると、差額は1年で600ドル。中級のプリンタが1台買える値段である。 悪魔的ビジネスモデル ~ 池田信夫 blog このトリックのポイントは、元金というストックの大きさを隠し、金利というフローだけを見せるところにある。行動経済学的にいえば、近視眼バイアスをうまく利用しているわけだが、ストックとフローの関係を混乱させて消費者を欺く悪魔的ビジネスモデルは、サラ金だけではない。携帯電話の端末が0円で買えるのは、その価格(ストック)が通話料

    悪魔的経済学 - hp12c
  • 世界史未履修問題に思う - 映画で楽しむ世界史

  • 労働者の宮本武蔵を目指すのか=成長論の果て、そしてオチは… | 本石町日記

    財政が緊縮化し、金利が正常化する。そして人口は減っていく。それでもなお経済が成長しないといけないなら、一人一人の労働者は付加価値をさらに高める働きが求められる。「額に汗して」という勤労精神が尊ばれる風土にあって、労働者は一層の勤労に励み、どんな要求も苦もなくこなし、どんなに働いても疲れない強靭性を身に付けないといけない。「生産性向上の源泉」になるのは、一人一人があらゆる面において宮武蔵級の労働者になることなんだろうかと、日経新聞のシリーズを読んで思った。 9月の失業率は4.2%だった。有利な転職先を求めて女性を中心に会社を辞めた向きが増えたため、雇用情勢は改善しているとされている。だが、手元の金融機関リポートによると、雇用者数の伸びは鈍化しており、「3ヶ月前比で今年2月は81万人、3月には67万人増加したのに対し、7月以降は3カ月連続で減少した」という。 日銀は短観の雇用ひっ迫を理由にい

  • asahi.com:筆写、手帳、CD、酒…… 憲法「体感」グッズ続々 - 社会

  • ヘボソフトを「作ろう」とするから難しいんだろうと思う件 - I 慣性という名の惰性 I

    それにしても佐藤の終盤力はすごかった(挨拶)。 前のエントリに関連して、以下のトラバ頂きました。 > 相手に合わせて「いいとこまでいく」試合をする 対戦して、どこが悪かったのか指導する ということを挙げてました。(当はあと1つあったのですが忘れた)プロ棋士なら普通にやっていることですが、これらはもちろん強さを追求するより難しいと仰ってました。相手の人間の機嫌を損ねないような工夫も求められるので、非常に高度なソフトになるのは間違いなさそうです。 ってわけで、将棋ソフトを作っている人たちも問題点は把握してますよってことを書きたかったのです。

    ヘボソフトを「作ろう」とするから難しいんだろうと思う件 - I 慣性という名の惰性 I
  • 右は右 - Log of ROYGB

    http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20061031#1162226930にある「倫理的に正しいことは当に正しいのか」に関して。 さて、「倫理的に正しいこと」についてです。それは初耳だ、という人もいるかも知れませんが、倫理というのは常に常に正しいんですね。この問いは「三角形の辺の数は当に3なのか」と聞くようなもので、順番が逆なのです。実際には、辺が3ある図形を三角形と呼ぶことに決めたわけです。同じように、社会が「正しい」と決めたルールのことを倫理と呼ぶのです。だから、同一の倫理観が共有されている範囲が同一の社会であり、「倫理的な正しさ」が通用する「箱」のおおきさと、社会のおおきさは、正確に一致します。倫理観が異なるところは、もう別の社会なのです。(おとなりの国のニュースなどを見てると、そう感じませんか?) 実際には、社会もすこしずつ姿を変えていくため、「倫

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  • いじめと自殺について徒然

    いじめと復讐 いじめ自殺 死に急いだら負けになる いじめの定義,私説 連日の自殺報道。気が滅入りますね。まとまりはないけれど、書いておこうかと思います。 マスコミの報道がいじめによる自殺を加速させてる、という認識は正しいと思います。その一方で、自殺する方の「自殺くらいやらかさないと社会は動かない」という認識も残念ながら正しいんですよね。この点が全く気が滅入るところですが。 ・自殺連鎖に対して 自殺を試みる方はよほど衝動的でない限り、これからの苦痛と幸福を天秤にかけて、苦痛が大きいと見積もるからそういう選択をするわけです。 特に、今自殺すれば「学生の自殺連鎖という物語」にのって、世の中に少しでも爪あとを残せる。ある種の「殉死」です。ならば変わり映えのしない世の中でだらだらと苦しみ続けるよりはマシだと。これに対して、生き続けていればとにかく「可能性」はあるんだよ、と諭すのは論理的には正しいので

    いじめと自殺について徒然
  • asahi.com:少年犯罪の実名報道紙・誌 図書館協会「原則公開」へ - 社会

  • 続・呼び名で分かる:「人体」編 「ものもらい」、250種以上…嫌悪感・親近感も−家庭:MSN毎日インタラクティブ

    「フォールス・クリーク」カナダ, ブリティッシュコロンビア州, バンクーバー -- Rudy Sulgan/Corbis

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    キジ焼き丼とおばんざい シンプルな我が家の定番のおばんざいたち 赤梅酢の新生姜漬け 昨夜は香ばしいきじ焼き丼に添えて。大きめにカットした鶏とししとうを魚グリルでこんがり焼く。 タレをつけながら煙モクモク、焼き鳥屋さんみたいな香ばしい香りがキッチンいっぱいに広がります 磯の味も…

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  • リヴァイアさん、日々のわざ: どこが暴論なのか。あるいは暴論ではないのか。

    カジュアルな会話の中で、言いたいことを言い合ううちに、出てきた知人の発言。 PTAの任意加入にこだわるなら、そういうところ(小学校)を探して子どもを入学させればいいじゃないか。この学校に来た以上、こういうPTAも選んで入ったってことになるのではないか。 これが、すごく暴論に聞こえる。 なぜだろう。 もちろん、ぼくが住んでいる場所で子どもに無理をさせずに通える範囲内で、そんなところがないという現実問題はあるのだけれど、そういう問題じゃないのだ。 ひとつは、とても巨大な不寛容を内蔵した発言だから。 排他的で、優しくないから。 でも、それだけでもない。 ぼくはその発言者に、なぜそれが暴論なのかうまく説明できなかった。 彼女は、正当な理由なくPTAにかかわらない人を「ずるい」と感じる感受性の持ち主。 寄って立つ感情的・論理的基盤が違う人にそれを伝えるのはとても困難。 意見の違いは違いとして

  • http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061101i201.htm

  • http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061101i101.htm

  • 補習授業の担い手は誰?・・・オペレーショナルリスクの問題 - 法務の国のろじゃあ

  • 分裂勘違い君劇場 - おとぎ話が人を鬱と自殺に追い込む。おとぎ話をはぎ取ると絶望回路と無気力回路が作動する。

    つまるところ、その崇高さとは一切関係なく、道徳も、科学的な世界観も、与える愛も、おとぎ話の一種にすぎない。 それらは、神話や宗教のように「子供だまし」のおとぎ話ではないかもしれないが、「大人だまし」のおとぎ話にすぎない。 そして、一切のおとぎ話をはぎ取ると、「無気力回路」や「絶望回路」が作動を開始する。 そのことを、能的に知っている「賢い」人々は、おとぎ話を受け入れて生きる。 この意味で、科学的な世界観を受け入れる人も、社会的・道徳的な生き方を受け入れる人も、愛する人やもののために生きる博愛主義者も、UFOに乗った宇宙人に永遠の命を与えられたと信じる人も、狂信的なカルトを信じる人も、質的な違いはない。 そして、一切のおとぎ話をはぎ取った後に現れた「自分」という存在自体もまた、「おとぎ話」にすぎない。 たとえば、「死を恐怖する自分」という存在は、一つのソフトウェアシステムに過ぎない。 ほ

    分裂勘違い君劇場 - おとぎ話が人を鬱と自殺に追い込む。おとぎ話をはぎ取ると絶望回路と無気力回路が作動する。
  • お医者の正論 - ザウエリズム 【Zawerhythm】

    だいぶごぶさたしております。最近は、話題のエントリをはてなブックマークに放り込むだけで満足してしまい、あまり更新欲がありませんでした。 そもそも、僕はどちらかというと、医療の現場では口に出すことがタブーとされていた「医者だって休みたい」とか「患者さんのわがまま」といったことを、医学生とか研修医といったわりとあやふやな立場から、少しだけ声をあげてみるというようなことをしていたのですが、福島県の大野病院の事件を機に、かなり強い発言をするようになったのです。 http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060303#p1 しかし基的に、患者さんが主張する医療への安全要求自体は、例えそれが過度であっても、医療従事者が安易に非難すべきではないという考えはかわらずあります。それ自身は正常な願望であり、そう思うからこそ、体を預けられると思うからです。 福島の件、あるいは奈良の大淀病院の「た

    お医者の正論 - ザウエリズム 【Zawerhythm】
  • 東京事情 - 新小児科医のつぶやき

    東京も首都圏の事も良く知らない私が東京の事を書くのは大任過ぎたような気がします。それでも書き始めたからにはそれなりに進まないと行けませんので、スタンスはあくまでも外部(内部から見るのは不可能なもんで・・・)から見た印象とします。 東京を知らない辛さはchaimd様から頂いた情報分析が十分に出来ない事です。コメントを再掲します。 ×都立母子保健院 - 世田谷区 閉院 ×東京臨海病院 - 江戸川区 小児科救急診療体制 完全休止のお知らせ http://www.tokyorinkai.jp/gairai/f_1.html#12 ×国立東京災害医療センター 平成18年11月1日より小児科常勤医が不在になります。 http://www.hosp.go.jp/~tdmc/sin_syouni.htm ×佐々総合病院 小児科当直終了のお知らせ http://www.sassa-hospital.com/

    東京事情 - 新小児科医のつぶやき
  • プリンタのカートリッジはなぜ高いのか - 池田信夫 blog

    セイコーエプソンが、プリンタの再生インクカートリッジが特許を侵害しているとして、再生カートリッジのメーカーに販売差し止めを求めた訴訟で、東京地裁は10月18日、エプソンの請求を棄却した。同様の訴訟では、今年2月にキャノンが知財高裁で勝訴し、再生カートリッジメーカーが上告している。 争点は、再生カートリッジが特許を侵害しているかどうかだ。キャノンの場合には、1審ではカートリッジにインクを詰めるのは「修理」だから特許権の侵害にはあたらないとし、2審ではカートリッジを洗浄して充填しているので「再生産」だとした。エプソンの場合には、特許そのものが特許庁で無効とされたため、特許侵害はないとされた。エプソンは、同様の訴訟を全世界で再生カートリッジメーカー27社を相手に起こしている。 この問題は法的には係争中であり、判例もわかれているが、経済学的に重要なのは、これはサラ金と同じく近視眼バイアスを利用

    rajendra
    rajendra 2006/11/01
    携帯電話とかTVゲームでよく聞くビジネスモデルではある。それを悪魔的と呼ぶかどうかはその人の立ち位置しだい。
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    キジ焼き丼とおばんざい シンプルな我が家の定番のおばんざいたち 赤梅酢の新生姜漬け 昨夜は香ばしいきじ焼き丼に添えて。大きめにカットした鶏とししとうを魚グリルでこんがり焼く。 タレをつけながら煙モクモク、焼き鳥屋さんみたいな香ばしい香りがキッチンいっぱいに広がります 磯の味も…

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  • 新潮社(?)の校閲集団は、とにかくすごいらしい。 | ある編集者の気になるノート

    (?)をつけたのは、リンク先では出版社名が仮名なので。 (ただし、老舗文芸出版社で「パンダ」といえば、あそこしかないよね……) 校閲はすごい!(パンダのため息) パンダ舎は、営業はまあまあで、編集はたいしたことない。 けれども、パンダ舎が当にすごいと誇れるのが、 「校閲部」。 これは作家の方々にも定評があります。 まあ、ほぼ間違いなく「日一の校閲集団」でしょう。 (中略) しかもそれぞれの校閲者が凄腕ぞろい! 小説なんかで、 「この時間に満月がこの方角にあるのはおかしい」 「この時代には、こういう髪型は流行ってなかった」 なんてチェックは当たり前。 順序が前後しますが、そもそも「校正」と「校閲」って違うんですよね。 すぐ上のリンク先にもあるように、「校閲」って内容的な赤字を相当入れるんですよね。 だから、出版社のジャンルにもよりますが、基的にはあらゆる知識が必要とされる職種なんです。

    新潮社(?)の校閲集団は、とにかくすごいらしい。 | ある編集者の気になるノート
  • 論壇時評「平等への選択」 - H-Yamaguchi.net

    法政大学法学部教授の杉田敦氏による「平等への選択」と題した文章。サブタイトルに「深刻化する格差告発 再配分政策の論争を」とある。今ホットなテーマだけに、論壇にもさまざまな主張が入り乱れている。その中で一部を抜き出すとすれば、どうしても評者の考えがあらわれる。この人が書く「論壇時評」については以前にもとりあげたことがある。よく目にとまるのは、私の考え方がこれに近いからなんだろう。 いくつかの文章が紹介されている。 ◎平舘英明「搾取される流浪の労働者たち」、週刊金曜日9月29日号 若年ホームレスが「五重の排除」の対象となっている、という。「五重の排除」というのは、①家族福祉からの排除、②学校教育からの排除、企業福祉(雇用保険)からの排除、④公的福祉(生活保護)からの排除、⑤自分からの排除、とのこと。 どれもつらそうだが、ひょっとすると「自分からの排除」というのが一番つらいかも。「自らの存在意義

    論壇時評「平等への選択」 - H-Yamaguchi.net
  • 「公民」 - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 公共性の危機は公共性の語られ方に現れる。それは日に限ったことではない。西洋においても、publicとofficialは混同され続け、それと即応するような仕方で、〈公〉は〈官〉に簒奪され、つまり〈公〉は(義における)公といえるものでは既になくなっている。http://d.hatena.ne.jp/gushoukuuron/20061003/p1に付せられた以下のコメントなどは、そのような〈危機〉、正確に言えば危機が長引きすぎて日常に浸み込んでしまい、つまり慢性化して、危機だとも思われていないような危機、或いは危機の危機の症候以外の何物でもないだろう; # 布引洋 『市民対庶民の対比は面白いですが、庶民だけではなく公民を考えては如何でしょうか。? 市民にとっては自分自身と公(おおやけ)は対立する概念です。 公民にとっては公は自分自身なのです。対立する筈が有りません。 公民にとって

    「公民」 - Living, Loving, Thinking, Again
  • 政教分離原則の歴史 - 研究生活の覚書

    ジャン・ジャック・ルソーの『社会契約論』第四篇第八章に“civil religion”というよく分からない概念が書かれている。長さにして2頁くらいで、当に最後の最後に唐突に出てきて、それきりになっている。学部学生時代、ハンナ・アレントの文献を読むゼミに出席していた時、当時の政治思想史の教授がふっと、「あれ、よく分からないんだよね」と言っていた。なぜこの話が出てきたのかは、私はもう憶えていないが、たぶんギリシャの政治と宗教の問題をアレントが論じていた時に、教授が思い出したのだろう。 ニコロ・マキャベリは、領主としてのローマ教皇の存在がイタリアの統一を妨げていると考えていたのは有名なわけだが、彼の宗教としてのキリスト教に対する否定的な感情は、『ローマ史論』の中に出ていて、要するに「キリスト教は共同体への英雄的な献身を生み出さないが、異教(古典古代のギリシャ・ローマ)の宗教ではそれを讃える」と

    政教分離原則の歴史 - 研究生活の覚書